聖大導師の外の世界を見聞しておけ、という体の良い放任主義をシンは甘んじて受けた。
大聖殿の道場や北斗の里との往来は確かにハイレベルの修練を受けられるものの、前世では味わえなかった世の中を渡り歩くという経験は、今のシンにとって願ってもない機会だった。
その放浪にあたって、導師たちは一人の同行者を連れて行くことを要求した。
シンは護衛など必要ない、と言いかけたものの、日常的について回ることはないという約束で納得したようだ。
同行者の細身の男が徒歩で街から街へと移動する金髪の少年の背後に、影のようについてくる。
振り返ってシンが彼を見た。
「おい」
「何か」
「その道化のような恰好はなんだ?」
「はっはっは」
鋭い目つきのひょろ長い男が笑ったが、目は笑っていない。
薄緑の短い髪といい、鳥の羽をつけた防具といい、下界に降りて出歩くにしてはあまりにも場違いな恰好だった。
さすがに少年は南斗の道着ではなく、どこにでもいる若者の目立たない恰好に着替えている。
「若には今にわかります」
「若とはなんだ」
「わが拳は百八派のひとつ、南斗天翔拳」
「とは?」
シンが車の往来があまりない国道を眺めながら尋ねた。
広いそれの側道を歩く人数のほうが多い。
この時期、石油産油国が禁輸をしており、そのせいで世界の非産油国との政治的摩擦が発生していた。
大国どうしの経済戦争や領土紛争も絶えない、きな臭い時代になっていた。
「わしは南斗聖拳のどの派閥にも属さない孤高の拳です」
「で」
「しかし復古の拳が成されるとき、それはわが拳の流浪の
「……」
「まああの独眼竜も孤高の男ながら、天才の呼び声高い御曹司に仕えるそぶりを見せているようですし」
「だからといってお前のその風変わりな恰好に納得したわけではないぞ」
押しかけ主従の契りのようなものを結ばされた気がして、シンは早足で街へと歩き出した。
「若君、そのうちにこの出で立ちが基本になる時代が来ますよ。乱世はもうそこまで来ているのです」
「ほざけ」
「われら南斗のなかでもアウトローな輩は、街に繰り出して目立たぬよう自由を満喫しているとも聞きます。それに実力で訓戒をたれるのも若のつとめ……まあそれは建前ですがね。わしの知ったことではありません」
「……あのじじいども。俺を元手のかからぬ見回り組として放流したわけではあるまいな」
「さて」
「ところでお前の名を聞いておこうか」
「ジョー。死神という不愉快な別名もあるようで」
「ジョーカーか。よかろう」
「ジョーです!」
§§§§§§
放浪といえば酒場。酒場と言えばこの世界では悪党が集まる場所ということで、見回り組としての側面もある少年が西部劇にでもあるような扉を開けて中に足を踏み入れた。
すでに夜になっている。この町の繁華街を進む際、金髪の美少年に声をかけてきたヤクザものやそれに酷似する職業の男たちを払いのけながらの行程になったため、この時間になった次第である。
「この付近では一番大きいバー……いやパブ……飲み屋ですかな」
「適当なことを言う」
「下戸でして仕組みに興味はありません」
入店した瞬間、いかつい男たちに即刻周りを取り囲まれた。
ここは会員制でボウズや変な恰好のオッサンが来るところじゃねえ、といった趣旨の暴言を吐かれつつ、シンの胸倉を取ってきた男が目にもとまらぬ勢いで吹き飛んだ。
ごつい体が壁に埋まった形で痙攣するのを見て、今まで囃し立てたり哄笑を向けてきた男女が押し黙る。
「ヤロウ!」
「待てぇや」
騒動を聞きつけたのか、奥のVIP席から声がした。
身なりはいいがマフィアそのものな出で立ちの髭男が葉巻を咥え、シンとジョーカーがいる場所の一番近くのソファに座り込んだ。
「騒がしいのう。静かにせえ」
「へぇ」
鶴の一言で部下たちが距離を取る。口から煙を吐く髭面の大男が整った顔立ちの少年を眺めながら目を細める。ジョーカーが言った。
「お前がボスか」
「どうかね」
「手下の教育は徹底しておけ。若の機嫌次第ではこの店が吹き飛ぶぞ」
目つきの悪い薄緑の髪の男がそう説明すると、室内は今度こそどっと沸いた。
「何が吹き飛ぶってんだ? 細目のおっさん」
「重火器でも持ってんのか、ああ?!」
「それに近いもんならわしらが持ってるぞ。ハチの巣にしてやろうか」
携帯の銃を見せびらかすほどこの周囲の治安は悪くなっている。国際的緊張が平和であったこの国まで影響を及ぼしているようだった。
「どうやらここには雑魚しかいませんな。次を当たりましょう」
「ああ」
「死にてえのかおっさん」
血気盛んな若者の一人がその銃を抜いた。別名死神のこめかみにそれを突きつけてくる。少年が踵を返した。
「先に行ってるぞ」
「薄情じゃありませんかね」
「天翔拳に助太刀などいらん。一人でさばけ」
「手厳しいな」
シンが先に店を出ようとしたとき、若者が激怒して銃器を握る手に力をこめた。
その瞬間彼の手首が飛んだ。ひいいいと絶叫を上げてのたうち回る若者にかまわず、やくざものたちが一斉に懐に手を入れる。
だが獲物を抜く暇もなく、十人以上の男たちが全て床に転がった。
それぞれの足にはカードが刺さっている。抜けねえ、と叫んで七転八倒する声が飛び交う。
そんな地獄絵図のなか、髭の大男が葉巻の火を消して立ち上がった。
「お、やるかね」
ジョーカーの問いに対し、上品なスーツを着たいかつい髭がにやりと牙を剥く。
扉に手をかけたシンが外から入ってきたプロレスラーのような体格の男と出くわした。
その登場を待っていたように、髭男が声をかける。
「来て早々に仕事だ。こいつらを斬り殺せ」
「……ん? この小僧」
映画俳優のような顔をしたごつごつの体の男は、シンから一旦目をそらし、ボスの静かな怒りを遮り、阿鼻叫喚の場面を展開している奥のほうへと歩み寄った。
どこで居合わせようと場違いな恰好をしている薄緑の髪のひょろ長男を確認したとき、彼は顔をしかめて舌打ちを放っていた。
オールバックの髪型をした大男へ、ジョーカーが嬉しそうに呼び掛ける。
「ほう、ほうほう。なかなか珍しい奴と出会った」
「それはミーの台詞だ」
「おいダンテ。何で問答無用に一刀両断しねえんだ」
ボスがどういうことかと怒鳴りつけるも、ダンテとよばれたプロレスラ―風の男は、どうしようもないというリアクションを見せて肩をすくめている。
「おめえほどの男が小僧とおっさんくらい斬り捨てるのはわけがねえだろ」
「それができればミーは南斗の帝王に目をかけられている」
「なんとのていおう? そりゃまさかあの」
しょうがないとひとつ息を吐いたダンテがジョーカーに表に出ろ、と顎をしゃくった。
タイマンを要求されたひょろ長男が手中のカードを弄びながら言う。
「南斗百斬拳。こんなとこで出会うとはな」
「ミーにとっては悪夢だよ。悪魔の小僧と死神に出くわすとは。導師に報告されたら懲戒では済まん」
夜の繁華街の大通りでやくざものや好事家、通りすがりに囲まれ見世物になったところで、ダンテとボスが少年や影と対峙した。
一歩踏み出した死神が不服顔な主に振り返る。
「ここは手柄を譲ってください」
「見物では修練にならん」
「なんの。あらゆる南斗の拳を道場以外で見るのは十分それに値しますよ」
筋肉質すぎて黒いスーツが似合っていない用心棒が百斬拳の構えを見せた。めずらしい指の配置の構えだ。彼が気合を溜めながら言った。
「口止めにはこれが夢だと認識してもらう以外あるまいな。ちと手荒になるぞ」
「大柄のお前を運ぶのは骨が折れる。わが手勢の迎えがくるまで寝ていろ」
同じ南斗百八派の拳法、二人は龍の牙をすれちがいに斬り合わせた。
バスン、といった破裂音で双方の服がはじけ飛んだ。
周囲の観客がどよめいたのは、ダンテの指突で電柱がへし折れたからであり、ジョーカーの斬撃でネオンの立て看板が真っ二つになったからだ。
「すげえ」
「銃器にもまさるダンテの旦那と互角ってまじかよ。あんな化け物を他に見るなんて」
「ジャッカルの頭ぁ」
黒い口髭の大男が部下に意見を求められて、ジャッカルと呼ばれた男はしかめっ面のまま葉巻を取り出した。
彼も腕には自信がある。大の男二人くらいは両手で挟み潰せるほどの剛力を誇るマフィアのボスながら、今回ばかりは相手が違った。
鉄を素手で両断する。柔らかい土でも抉るようにコンクリートやアスファルトの地面を削る。
あげくに重力を無視して飛び跳ねるような超人たちと比べられてはたまったものではない。
「あのダンテとまともに殺りあうってのかあのひょろ長……まじで奥の手を考えとかねえと」
ポケットのなかの鍵を握りしめるジャッカルがふと思い出したことがあった。
「おいフォックスはどうした」
「シマを見回ってます」
「呼んで来い。二人がかりならあのひょろ長とて」
「ようがす」
二人の拳士が膠着する戦いのなか、見世物の輪の中に乱入してきた二メートルをゆうに越える巨漢が、何人かのやくさものを放り投げてからやってきた。
恐ろしくスーツの似合わない、異相の男だった。盛り上がる筋肉で服が破けそうなマフィアの幹部は、額に走る傷に指をはわせながら、のっそりとジャッカルのそばへ歩み寄った。
「ボス」
「見ているか。あれだ」
「ダンテの旦那が手こずってる。そこに参加しろと?」
「二人でぶっ殺せ」
「冗談でしょう。あっしは一流の拳法家。あの化け物どもが何の拳か、もとより承知してますぜ」
「わかっとる!」
「南斗聖拳。あんな超絶の殺人技なんて奮うやつぁ、この世にほとんどいませんや。相手にするのは不毛ってもんでさ」
「てめぇ」
拳士として鼻の利く巨漢へ、ジャッカルがならあれはどうだと死合いを見守っている金髪の少年を指さす。
「まああんなガキなら。ってかあっしなら格闘技の世界チャンプでもなぶり殺せますぜ。アイツらが規格外なだけで」
「あのひょろ長に気付かれずに殺れ。今すぐにだ」
「へいへい」
大金で雇われているマフィアの幹部がしょうがねえとばかりにシンに忍び寄る。
音もなく、そしてダンテとジョーカーの戦いを見入っている野次馬に誰一人として気付かれることなく、懐の刃を標的の首に当てた。
「っぎええ」
忍びの巨漢が悲鳴を上げて後ずさる。その様子に、他の誰もが視線を向けた。
「あ。フォックスの兄貴が仰向けに倒れやがった。あのガキがやったのか」
「あの指変な方向に曲がってる。折れたんじゃね?」
手下たちがざわめいた。フォックスは指を折られた痛みのなか、気絶の様相で突っ伏している。
その様子に少年が男に近寄る。目を剥き、舌をだして悶絶しているように見えるその姿を不思議そうに覗き込もうとした。
「ひゅ~」
気合の呼吸音とともに、フォックスは仰向けのまま広背筋を使って跳躍した。
落下する際に金髪の少年の首めがけて仕込んだ鎌を奮う。
「跳刃地背拳……っえ」
フォックスの目算が達成されることはなかった。首元へ薙ぎ払おうとした鎌の刃はシンの二指によって白刃取りされていた。
背後を見ずに拳を見切られたことに驚愕した巨漢が、血相を変えて着地する。
「なんだ、なんだこいつ……あっしの必殺拳を見ずに捉えやがった」
「おもしろい拳法だな」
シンが興味深そうに相手を見やったが、奪われた鎌を素手で破壊するのを見たフォックスはさらに動転して後ずさる。
「まさか。まさかこいつも南斗の」
「フォーックス!」
ジャッカルが叫ぶ。拳法家の勘で、相手にしてはいけないと悟った俊敏な大男が逃走を開始する。
その背中へ、シンが地を蹴って飛びかかった。
「クソがぁ~!」
気の波動を読める程度には達人であるフォックスが、迫ってくる恐るべき気合の少年に向かって振り向き、再度鎌を薙ぐ。
「若!」
空中にて得意の南斗獄屠拳を放とうとしたとき、死神の叱咤が飛んできた。
当然にして本気の蹴りを放つつもりはなかったが、このままでも相手の胴体をぶち抜くことは十分にできただろう。
それを制されて、シンは途中で地に降り立った。
相手の顔は汗まみれになっていた。死を垣間見たと思われる。
「ガキのくせになんちゅう殺気を」
「おやすみ」
顔面チョップを決められたフォックスがどさりと崩れ落ちる。繁華街の連中があの跳刃地背拳が子ども扱いだとどよめくなか、シンが同行者に声をかけた。
「膠着しているなら手伝おうか」
「どうやら百斬拳は思っていたより難敵のようで。そうしますか」
「冗談ではない」
死神の振り上げる斬撃をかわしたダンテが大きく後退する。
先の北斗の反乱軍を鎮圧した際、あの少年が曹家拳の伝承者候補を撃破したという報告も聞いている。
無敵の拳と名高い北斗さえも破る。そんな存在に参戦されてはたまったものではない。
シンの南斗獄屠拳の発動を瞬間に見たことで、映画俳優のような外見の巨漢は初めて己の判断が思い上がりであることを実感した。
眼前の大敵を捨てて、彼は跳躍しながらビルの間をすり抜けて行った。
「おいジョーカー、あいつ逃げたぞ」
「南斗の里の方向ですな」
「見回り組としての仕事は一応果たたということか?」
「まだまだ先は長いですぞ」
「おいゴラあぁ!!」
ジャッカルが叫ぶ。大衆の前で面目を潰された形の彼が地団駄を踏んで小銃を抜いた。
抜いたと思ったら、ジョーカーが片手を上げていた。解体された小銃がパラリと落ちる。
恐るべき手練れと悪魔の小僧がマフィアのボスを見る。
こうなれば面子も何もない。ジャッカルは部下を捨てて野次馬を突き飛ばし蹴り飛ばし、繁華街の町から逃亡していった。
ジョーカー。北斗の拳のアニメキャラクター。南斗翔天拳。
本作では南斗の影の長の一人。南斗天翔拳。
ダンテ。同上。南斗百斬拳の使い手。声を当てていたのはシュワちゃんの声優。