聖拳列伝   作:小津左馬亮

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十一話   北斗の聖者

 金髪の少年と影は繁華街の安宿に泊まり町から町へ、今度は賢者が時折姿を見せるというとある区域へやってきた。

 昨夜宿で飲んだという酒にやられたのか、ジョーカーはふらつきながら歩いている。振り向きもせずシンが言った。

 

「下戸が無理して飲むからだ」

「若があんなに()けると思わなかったんですよ。それにつられてつい」

「たしかに飲めるが、とくにうまいと思ったことはないな。あれは手慰みの類だ」

 

 医療の町という看板で発展しているようで、区画全体の規模はさほど大きくなくとも、町は混雑気味だった。

 

「ううむいかん」

 

 死神がらしくなく通りの壁に背もたれて天を見上げている。

 医療機関らしきビルに向かって並ぶ長蛇の列の人々が、今日は賢者様は来られないかもしれない、という関係者の説明を聞いて肩を落としている。

 ちらほらと帰途に就く連中もいた。

 

「先に行ってるぞ」

「ほんとに若は薄情ですねえ」

「お前は地獄に置いてきても生還しそうな奴だ。心配する必要もない」

 

 ビルの近くへやってきたシンが、列に並んでいたと思われる人々とすれ違う。

 そんななか、建物の前の広場であぐらをかいている大男を見つけた。

、それでも成人男性の直立と変わらない。

 大型のゾウに匹敵すると思わせる体積の、いわゆる肥満体が大きくため息をついている。

 どこにいても目立つであろう肉塊の男は、聖者様が来るまでここで待つ、と職員の説得を受け入れない様子だった。

 

「おいデブ。あの方は今日は来ねえかもって言ってんだろ。前が見えねえんだよ暑苦しい、帰れや!」

 

 同じく聖者に用があったと見える荒くれものたちが大男に向かって吠えている。ついには手にした鈍器で殴る蹴るを繰り広げ始めた。

 おれさまたちは院内で待つ、という文字通り無法を口にしているが、職員たちは武器を持つ彼らに対し何も言えずにいるようだ。

 モヒカンとは時代遅れな、と思ったシンは後年その感覚が間違っていたことを思い返すのだが、このとき少年には知りえるはずもない。

 数人がかりのリンチにひるむどころか反応もしない巨漢が、俯いたままため息をついていた。

 

「聖者さま~」

「うるせえっつってんだよデブ!」

「脂肪の塊。燃やしちまうか」

 

 それを聞いてシンが動いた。しかし路地裏から姿を見せた何者かが渦中に踊りこみ、ヒャッハー状態だったひとりのモヒカンの腕を掴んだ。

 

「なんじゃいてめえは!!」

「ふっ、奇跡の町か。聖者の真似事くらいおれにもできる」

「あ?」

 

 その乱入者がいきなり彼の肘を指で突いた。

 するとモヒがいきなり武器を捨て、絶叫を上げて倒れ込んだ。

 

「……おかしいな。腕の筋肉を強化させるつもりで押したのに」

 

 突かれたほうは悲鳴を上げ、パンパンに膨らんだ腕をかばって転がり続けている。

 それを見た仲間がヤロウと殴りかかろうとしたものの、恐ろしく暗い男のまなざしを受けて何かを感じ取ったのか、一斉に後ずさった。

 

「仕方がない。お前らもデクになれ」

「うわわ」

「ひぃい」

 

 センター分けの黒い長髪、まるで古い時代のヒッピーのような外見をした男が音もなく飛び上がった。

 彼の双眼から狂気が見て取れる。わずかな間に続けて倒れたモヒの集団が、体を痙攣させて地に這いつくばっていた。

 

「どういうことだ。腕力脚力を上げてやろうとしたのに、的を外したかな」

「外したんじゃなく最初から当たってねえんだよ。気でもふれてんのか」

 

 周囲にいた野次馬がそう突っ込んだ。その台詞を聞いた男は傾げていた首を後ろに向け、野次馬の一人を睨みつけた。

 

「首が真後ろを向いた……?!」

「バケモノか」

 

 逃げ惑う人々に紛れたシンが空中から襲い掛かろうとした暗い目の男の手首を掴んで、暴走を中断させた。

 

「何……?」

 

 自身の襲撃を止められたのが信じられない、とばかりに男が驚愕しながら少年を見る。

 

「小僧……お前か」

「いい加減にしろ。ぶっとびすぎだろキサマ。あの巨漢といい、いきなり情報量が多すぎる」

「……」

 

 何か言いかけた暗い男は自分を知らないのか、といったリアクションを見せて押し黙る。

 ならばよいと呟き、すっと身を引いて間合いをとった。常人ではありえない洗練された動きに、お前は拳法家か、とシンが呼び掛ける。

 

「拳士などではない。おれは聖者だ」

「そいつは今日は来ないと聞いたが」

「おれに恐れをなしたか。口ほどにもない」

「お前バカだろ?」

 

 シン少年の台詞は容赦がない。こめかみに血管を浮かび上がらせた男はほざけと言いつつ、近くでうつむく巨体に近寄った。

 

「おい」

「見ろ金髪の小僧、おれにかかればこのデブであろうと」

 

 金髪の小僧呼ばわりは耳慣れて久しい。なぜその呼び名をと言いかけたものの、ズブリと背中に指を押し込まれた巨漢がびくりと大きく跳ねたことで状況は一変した。

 

「お、おおお……!!」

「ほれ見ろ。デブも腰に力が(みなぎ)って喜んでいる」

「おい死神。お前と似たような頭のおかしい奴がいてな」

 

 シンが呼び掛けたひょろ長い同行者は、未だ壁に向かって絶望のポーズで固まっていた。

 

「だめだこりゃ」

 

 珍しく呆れた口調でシンがそう呟いたとき、肉の壁かと思われるほどの巨漢がゆっくちと立ち上がった。

 口から煙のようなものを吐いている。そのぶよぶよの男が面を上げたとき、それが正気でないことが確認できた。

 素人でもその狂気を感じたようで、周囲の人間が一気に逃散していく。

 ぐおおおという唸りを上げて、一番近くにいた暗い目の男に巨漢が突進した。

 

「なにしやがる」

 

 広場にある木々や泉、椅子や石畳などを破壊する相手の平手打ちのような攻撃をかわしながら、原因を作った側がやれやれと肩をすくめている。

 

「まるで暴風のようなブタだ。狂ったか」

「狂ってるのはお前だっての」

 

 さすがにシンが突っ込んだ。なんだと、と凄絶な形相を向けてくる暗い目の男の無防備な背中に、巨漢の張り手が炸裂する。

 ボールのように跳ね飛んだ彼が車に激突して動きを停止させたが、そのまま気絶するかと思いきや、狂ったと表現された男がむくりと起き上がった。

 

「もう一度言ってみろ。誰が狂ってるって」

「お前だ」

 

 金髪の少年の躊躇のない突っ込みに、男がブチ切れた。あれだけの衝撃を受け地に叩きつけられておきながら、その怪我を機にした様子もなくシンのもとへ大股開きで向かっていく。

 雄たけびを上げて破壊行動に身を任せていた巨漢の拳が激高した彼にまたヒットした。

 再度動きを邪魔されたことでヒッピーのような頭部をしたいかれた男は、ブワっと闘気を発動させる。

 その男が目にもとまらぬ指突を連続して巨漢の体に叩き込んだ。

 シン以外は何が起こったかわからなかったようだ。

 

「グォ」

「引っ込んでろデブ」

「……」

 

 後ずさった巨漢が狂気のなかで肩についた自分の裂傷を認めた。次の瞬間だった。

 

「いてえよ~」

 

 先程までの狼藉がそよ風のように映るほど、巨漢の暴れっぷりは本格的なものになった。

 その破壊対象は聖者を騙る男だった。鋼製のモニュメントを破壊し、土台を叩き割り、地震にあったかのように割れていく地面は狂気の大男の素手から発生している。

 周辺は騒然となった。治安部隊に連絡しろという遠巻きからの声が聞こえてくる。

 

「うるせえよ死ねデブ」

 

 暴れまわる巨漢に対し、男が再度横薙ぎを払ったが、それは相手の分厚い肉に吸い込まれて動きを止めた。

 

「なっ」

「いてえよ~!!!」

 

 バゴっといういやな音がした。男の後頭部に彼のショベルカーのヘッドのような掌撃が炸裂したようだ。

 ヒッピー男がまたも跳ね飛んだ。今度は素早く受け身を取ったことで、彼に余裕がないとシンは察した。

 

「ブタぁぁああ!」

「いてえよ~」

 

 狂人と狂人の戦いが始まった。必殺の指突や斬撃が奥まで突き入れられないと悟ったほうが、トントンと小刻みに準備運動を始めた。

 ぶっ飛んでいる状態のほうの雨あられな平手打ちを避けながら、鷹爪三角脚という蹴撃を放とうとしている。

 ここに至ってシンも動き出す。すでに彼を南斗の使い手だと認めており、その奥義を食らいかけた巨漢を救うためだった。

 残像に等しいおのが蹴りの動きを止められた男が、つま先を受け流して平然と立ちふさがる少年へその暗い目を剥いた。

 

「……小僧!」

「その辺でやめておけ」

「殺すぞ」

「やってみろ」

 

 少年の気を感じた男がサッと引いた。額に流れる無意識の汗に気付いた彼がそれをぬぐいながら言った。

 

「……あの赤毛の御曹司が認めた小僧、今の気当たりは」

「いてえよ~」

「うるせ……」

 

 収まる気配のない巨漢を怒鳴りつけようとして、その口が開いたままになった。

 三メートルほどもある体躯が静かに揺れ、派手な音を立てて地面に崩れ落ちたからだった。

 煙が晴れたすぐそこには、別の人物が立っていた。その人物が少年の名を読んだ。

 

「すまなかったなシン。いいところに居合わせてくれた」

「この町の聖者とはあんたのことだったのか。理解した」

 

 暗い目の男が後光が射すようなオーラの青年を呆然と見た。

 彼が追い求めていた究極の(たたず)まい、大賢者を思わせる雰囲気を(まと)った理想の存在がそこにいる。

 

「トキ……お前が聖者と名高い北斗神拳の次兄、トキだな」

 

 暗い男があえぐように言いながら、憧憬と嫉妬のまなざしで穏やかな表情の青年を窺った。

 全てにおいておれさまとは違いすぎる、と彼は正直に思ったが、今更自分を否定することはできない。

 本物はおれだぁと叫び、敵わぬ相手に撃ちかかった。

 

 

§§§§§§ 

 

 

 壁と向かい合いながらしゃがんでいた死神が、若と呼んでいる少年の接近に気付いて面を上げた。

 

「何かあったんですかな?」

「……今の状況で他人事のように振舞えるお前は、逆に称賛に値する」

「どういうことです」

「噂は本物だった。師父の許しを受けて下界へ降臨する聖者。巨漢の救命ついでの偽物退治は見ものだったぞ。少なくとも俺の出番はなかった。そしてどんな名医より有能な男がそこにいる」

「ほう名医。では自分も直してくれませんかね」

「患者たちは騒動で遠巻きになっている。あれらの先を行くのは今だな」

「おおそれでは」

 

 スキップしながら広場に向かったジョーカーの、トキぃ?!という素っ頓狂な声で珍しくシンが笑った。

 その聖者からぽんぽんと肩を叩かれた巨漢が元の状態に戻ったのだろう、ニコニコしながら見物客をかき分けてどこかへ消えていった。

 死神にそんな状況が理解できるわけがない。彼はすぐそばで倒れている男を見てアミバぁ?!、と裏声でまた人名を叫んでいた。

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