聖拳列伝   作:小津左馬亮

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十六話   北斗の末弟、死角なし

「待たせたなシン」

「ケンシロウか。今来たところだ」

「やっと三人が揃った。久しぶりだね」

 

 下界に抜け出してきた北斗の四弟と南斗の象徴が、見回りの修練に出ていた金髪の少年と合流したのは、とある港町でのことだった。

 いずれも世間知らずながら、北斗南斗の門下生が護衛につくとあって、象徴の気晴らしは、聖大導師から半ば公認のように年に数回決行されている。

 時には北斗の次兄であったり、南斗五車星であったり、護衛の面子は時によって変わるもののの、基本的には彼女の気の置けない間柄が人選の目安になっている。

 美貌の少女ということでそれがわかりにくい変装を施し、ケンシロウもシンもなるべく目立たない若者らしい恰好で同行の任に当たっていた。

 

「聞いてよシン、ケンったらわたしとの交換日記に修練の報告しか書かないの。ひどいよね」

「ほう、日記とは初耳」

「今日あったこと思ったこと、その全てがそうなのだから仕方がない」

「だからこうして思い出を作るためにここにやってきたんだ。シンがいれば気兼ねなくお遊びできるし」

 

 むくれたり笑ったりはしゃいだり、美貌の娘の年相応な百面相がここにはある。

 彼女の穢れなき慈母の微笑みは一途にケンシロウに向けられている。

 そんな姿を後ろから見守るシンの表情は終始穏やかなものだった。

 

 危険がわからないものを守ろうとする。この気持ちに至ってしまった少年は、誰の手も借りずして殉星の宿命に目覚めてしまったといってよい。

 南斗の先人たちが極聖の復活にこの執念の人物を選んだのは、間違いではなかったのだ。

 

 フードをかぶった少女が港町を駆ける。ケンシロウが追いかける。まるで青春映画の主人公のような二人を、シンは周囲を窺いつつ保護者の気分で後に続いていた。

 港に近いフードコートのテラスで食欲を満たす友達以上恋人未満の彼らを見守っていたシンが、不意に立ち上がった。ユリアが彼を見上げる。

 

「どうしたの?」

「水では味気ない。他を買ってくる」

「わたしストロベリーのやつ」

「わかったよ」

「生クリームたっぷりつけてね!」

「はいはい」

「おれも行こうか」

「二人で席を外してどうする」

「あ、ああ」

 

 いきなりの行動は少年の気配りだと思い込んだ象徴が、気の利かない黒髪少年の頬をつねっている。

 そんな微笑ましい様子に背を向け、シンは少しの間別方向へと歩き続ける。

 やがて裏通りへと足を踏み入れた。

 そんな人影のないストリートで待っていたのは、少し前にマミヤと共に見回り組をした際、叩きのめした愚連隊とそのリーダーたちだった。

 

「よく気付いたなあ小僧。なかなか鼻が利くじゃねえか」

「今度はそうはいかねえぜ。おれらぁには拳法殺しがいるんだからな」

 

 クラブとスペードが持っている武器を遊ばせながら手下を引き連れてこちらにやってくる。

 

「あの化粧の男はどうした?」

「女に脳天をやられてまだうめいてらぁ。あの女にも落とし前はつけてやるが、その前にダイヤの仇のおめえをブチ殺す」

 

 南斗聖拳を学んだマミヤの全力の蹴落とし。その上達は本物だと再認識する彼だった。

 眼前に影がおりてくる。巨大なものだ。

 少年が知る最も大きいな山のフドウに匹敵するほどの巨漢だった。

 しかし山とは似ても似つかない肥満体には覚えがあった。

 賢者の町でアミバという男と騒動を起こした男だ。

 恵比寿顔のその男がニコニコ笑いなが言った。

 

「貴方が何者か知りませんが、われら四天王に手をあげたからには相応に償ってもらわないとねぇ」

「ご機嫌だな」

「生まれつきこうなんですよ。でも覚悟なさい、貴方はダイヤ程度では済まさない」

 

 バシン、と巨漢がふくよかな腹を叩く。いきなり投げてきたスペードの斧を蹴り返し、突進してきた肥満体の腹へ膝蹴りを放つ。

 だがその衝撃は肉厚に吸い込まれ、みぞおちに届くことはなかった。

 

「?!」

 

 さすがにシンが体勢を崩す。

 

「出たぜハートの拳法殺し。こらあ拳法使いの小僧ぅ! 死んで後悔しやがれ」

 

 斧をはじき返されたスペードがドヤって叫んでいる。

 片足を取られたシンが片手を振り上げる巨大な(てのひら)を確認するも、埋まった足が抜けることはなかった。

 南斗の里でもあまり見ることがない重圧の平手打ちが少年に放たれる。

 体重の乗ったその打ち下ろしを受け、彼は見回り組で下界に降りて以来初めて弾け飛んだ。

 受け身すら取れず、石畳の地面を跳ね転がり、壁にぶち当たる。

 レンガのそれを破壊して崩れ落ちたシンを見た愚連隊たちが、今度こそ歓喜の叫びを上げていた。

 

「ハツハーァ! やりやがった、さすがハートだ!! どれだけ腕の立つ拳法使いもあの肉の前ではただの人」

 

 シンが切れた唇から流れる血をぬぐって立ち上がる。

 拳法殺しという異名を聞いたからには、天邪鬼な少年としては打撃で戦ってやろうという、相手の土俵に立ってやりあう気になっていた。

 不利な状況、今まで見たことのない特異体質と殺し合うのも修練のひとつだ。

 

 

§§§§§§

 

 

「シンが戻ってこない」

 

 二人の時間をわかっていない北斗の末弟の鈍さに、ユリアは思わずテーブルの下で

彼の足を蹴った。

 

「いて」

 

 里でのお上品なふるまいと今のお転婆は使い分けているんじゃ、と邪推したケンシロウが頬を膨らませて立ち上がる彼女を見上げる。

 機嫌が悪くなりながらも、それでも遅すぎる同行者を迎えに行こうと、恋人未満な相手に手を差し出していた。その白い手を握った彼が怪訝そうに尋ねた。

 

「あいつがどこにいるかわかるのか」

「こう、目を閉じて……シンを想えばなんとなく足取りがわかる」

「……」

 

 不思議な力を持つとは聞いていたものの、それを目の当たりにしたケンシロウが驚きを隠せず美少女の後に続いた。

 しばらく歩き、止まっては歩きを繰り返していくうちに、歓楽街のストリートの裏路地の角を曲がったところで、多人数と一人がやりあっている状況に出くわした。

 

 二人が間違えるはずもない。金髪の少年の背中が視線の先にあった。

 騒動に巻き込まれている兄のような存在の名をユリアが呼ぶ。

 シンと呼ばれた彼は何度も打撲を受けたとわかるほどの傷を負っていた。

 前に向き直った少年が鋭く言った。

 

「何をしているケンシロウ。あれを巻き込むな」

「……お前、何をしたんだ。このごろつきどもは一体」

「下らぬ争いをユリアに見せるものではない。後は」

 

 叱咤しかけたシンが、歩み寄ってきたフードをかぶった妹のような少女に手を取られた。

 ケンシロウも駆け寄る。妹が兄に囁いた。

 

「修練? シン」

「ああ」

「南斗は使わない」

「そうだ」

「それは貴方の矜持? それとも」

「気まぐれだな」

 

 特に何のこだわりもなく、ただの酔狂だと告げられて、フードの奥で表情に影を落としていた象徴が唇をほころばせた。

 

「余裕なのね」

「そう、余裕なのさ。だから気にせず向こうに……おいケンシロウ」

 

 他門の幼馴染が拳を鳴らす。象よりも巨大な体躯の大男に、彼は躊躇せず立ち向かっていった。

 ならず者たちが顔を見合わせている。

 得体の知れない気を放つ黒髪の少年の戦闘準備を見て、唾を吐きながらほやき始めた。

 

「またおかしな小僧が来やがった。金色の次は黒の小僧。なんだってんだ」

「いいからやっちまえハート。いい加減倒れねえガキを見ているのは飽きたぜ。一気にぶっ殺せ」

 

 クラブとスペードの声にハートが頷き、ニコニコ顔のままケンシロウに平手打ちを食らわせてくる。

 それをかいくぐって彼は正拳を肉の壁に打ち込んだが、当然にしてそれは脂肪に吸い込まれて急所に到達しなかった。

 

「その小さい体で何を放とうと無駄ですよ。無駄」

 

 ハートは笑いながらそう言い、片手でケンシロウの蹴りを防いで持ち上げ、地に叩きつけようと腕を振り上げた。

 

「ケン!」

「あたぁ!」

 

 ユリアの叫びと北斗神拳伝承者候補の気合の声が重なった。

 叩きつけられる前にケンシロウは巨漢の指の秘孔をついていた。

 激痛で思わず手を放したハートの側頭部へ、彼は北斗昇雷脚を叩きこもうとした。

 

「避けた?!」

 

 体に似合わぬ素早さで身を引いたハートの、俯き加減のまま動かない状態にケンシロウが眉をひそめている。

 少年たちではなく味方であるはずのスペードクラブたちが一斉に引き始め、やりやがったと顔色を変えていた。

 

「おいスペード。手下どもを先に帰らせろ」

「さすがにおれさまたち以外はやべぇな。おいてめえら」

 

 幹部たちに言われる前に、部下たちはハートの背中の様子を悟って足早に逃走を開始した。

 冗談じゃねえぞという捨て台詞を残し、大勢の男たちが路地裏の奥へと消えていく。

 

「下がっていろ、ユリア」

 

 金髪の少年が象徴を後ろに下がらせた。

 ハートが顔を上げる。恵比寿顔は悪鬼の形相に変化していた。彼の頬には傷がついていた。

 ケンシロウの蹴りを避けきれず、食らった切っ先で出血したのだと思われる。

 いてぇよぉ~という雄叫びが路地裏に響く。スペードとクラブが大きく退いて、激昂する仲間との距離を取った。シンが叫ぶ。

 

「ケンシロウ!」

「わかっている」

「あれはトキなら止められた。お前はどうかな」

 

 以前賢者の町で見た光景を思い浮かべ、シンはケンシロウを挑発するように言った。

 太い眉の幼馴染は心配そうなユリアに視線を移したあと、両腕を振り回しながら突進してくるハートに向き直った。

 

「北斗の拳は無敵だ」

 

 シンの煽りに対する答えを口にしながら、ケンシロウが闘気を(みなぎ)らせた。

 彼の上半身が膨らみ、体を包んでいた道着を吹き飛ばした。

 背後の象徴が駆け寄ろうとするのをシンが遮る。

 重低音とともに、巨漢の攻撃で粉砕された石畳の欠片が宙を舞う。

 腹に埋まったケンシロウの蹴りに、きかぬわ小僧と吠えたハートが動きを止める。

 裂帛の気合をこめて、後の北斗神拳伝承者は残像が残るほどの複数の蹴りを一点に叩きこんでいった。

 

「無駄だっていってんだろうが小僧、ハートの肉の壁は」

「待ておいあれ……に、肉がめくれてやがる。後ろからでもわかるぞ……」

 

 幹部たちの声をかきけすように、ケンシロウは浮き上がって薄くなった肉の奥の急所に、重い一撃を突き入れた。秘孔を突かれたハートが完全に体の自由を奪われてぷるぷると巨体を震わせている。

 

「こ、これは」

「ブタはブタ小屋に行ってろ」

 

 ほぁたぁ、というかけ声とともに、ハートが蹴り上げられた。

 浮き上がった巨漢の下敷きになったスペードとクラブが悲鳴を上げている。

 

「ウソだろ、あのハートがこんな小僧に足の蹴り一発で吹き飛ぶかぁ?!」

「このブタ野郎、気絶してやがるぜ。動かねえ」

 

 呼吸を整えたケンシロウが息を吐き終え、半裸のままシンたちの元へ戻る。

 ユリアが彼の手を両手で包み込んだ。

 

「殺したの?」

「いや」

 

 北斗の四弟の答えにほっとした様子の象徴が、恋人未満の少年を抱きしめる。

 それを見守りながらシンが言った。

 

「いいものを見させてもらった。北斗神拳に不可能はないな」

「シンほどの男が打撲だらけになるほどやられていたのが不思議だ」

「南斗聖拳が使えないならただのガキ。身をもってそう認識した。打撃ではお前の足元にも及ばん」

 

 ユリアから上着をもらったケンシロウがそれを羽織る。

 この黒髪の少年の強さは前世以上だ、と金髪の少年は確信した。

 純粋さはあるものの、甘さという弱点は持ち合わせていない。

 果たして戦争後にこの男から愛するものを奪うという予定をそのまま実行してよいものか、シンは迷い始めていた。

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