聖拳列伝   作:小津左馬亮

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十七話   死人(しびと)

 第六十三代北斗神拳伝承者リュウケンは、正座を組んで畏まる他門の少年を見下ろしていた。

 南斗の里の道場でのことだ。

 南斗宗家の拳を復古させるべき、と定められたその存在は、壮絶に過ぎる修練のなか、自分の時間など必要ないとばかりに、己に打撃の手ほどきを乞いに来たのだ。

 

「理由は」

「今のままではケンシロウに及ばない」

「ほう、拳才がか」

「それもある。だが決定的に劣っているのは拳撃の才」

 

 リュウケンは目を細めてシンを見た。

 この年で南斗聖拳を極めつつある状況に満足せず、不利な部門で幼馴染のライバルに届かぬことさえ良しとせぬ執念は、この壮年の賢者にとって新鮮な驚きだった。

 

 ラオウ、トキ、ジャギ、ケンシロウ。

 野望に燃える長兄、求道者に近い次兄、おのが限界を悟りやさぐれて達観する三弟、ただひたすら純粋に北斗の拳を修めようとする末弟。

 その弟子たちや他の南斗の門下生も含め、この時点で自分のためではない動機で修練を積むものは誰ひとりとしていなかった。

 後に聖者と呼ばれるトキでさえそうだったのだ。

 

 血反吐を吐かせ、生死を越える教えを徹底している南斗の大導師たちが金髪の小僧を評して、執念の権化と呼んでいるのを彼は知っている。

 

「それほどまでの思い入れ、ただならぬ(こだわ)りは南斗の象徴に対してだな」

「然り」

「だがあの美しい娘がお前のその想いに応えることはあるまい」

 

 無駄なことだ、と現実をつきつけるリュウケンの声は冷たい。

 現時点で最強の拳士を見上げた少年はだからどうした、と返答した。

 見下ろす側が眉をひそめ、しばし間を置いて言った。

 

「あれの想いなど必要ないというのか」

 

 淡々とした様子のシンに、頂上拳たる北斗神拳現伝承者が瞠目する。

 少年は多くを語らない。

 死んでいる俺に愛など必要ない、とただ静かに告げたのみだった。

 リュウケンが今度こそ絶句した。

 ようやく絞り出した言葉は独り言に近いものだった。

 

「本物の死人(しびと)というわけか……こやつ」

 

 金髪を靡かせた死人が立ち上がった。

 それは本物の師になった相手が北斗の礼を示したからだった。

 

 

§§§§§§

 

 

 北斗の打撃をリュウケンから指南されたシンが、南斗の大聖堂を見上げるいつもの場所でとある男に声をかけられた。

 四兄弟の長兄にして、慈母の星と交流を持つことが許された人物のひとりだった。

 

「北斗の覇王」

「……ずいぶんと偉そうな異名が噂されていると思えば、うぬが原因か」

 

 見上げるべき対象がここにいる。

 後に拳王を称する男は、南斗の門下生が北斗神拳伝承者に打撃指南を受けていることに不信感を抱いているようで、それが眼中にもない小僧に声をかけた理由だった。

 

「リュウケンも酔狂な。五番目の弟子に等しい面倒を見おって」

「何の用だ」

「北斗の拳ならばこのラオウが叩き込んでやろう」

 

 火花が散った。少年の目にはラオウがいつ打ち込んだのか見えなかった。

 花崗岩(かこうがん)でできた壁に激突したシンがそれでも跳ね起きた。

 年長者が指で手招きをしている。

 

「反撃してこい。うぬの得意な南斗聖拳でもよい」

「私闘ではないほざくな!」

 

 負けん気の強い彼だが、繰り出す正拳突きはラオウに当たることはなかった。

 逆に岩山両斬波を打ち込まれ、めくれ上がる地盤と爆風に巻き込まれた少年が再度跳ね飛んだ。

 これがラオウの本気だと思うほどシンは思い上がってはいない。

 闘気すら纏わぬ組手程度の打ち合いで、彼は早くも手も足も出ない状況に陥っていた。

 

「半死半生のついでに北斗の修練を望もうなど、百年早いわ」

 

 シンに見えた剛拳は幻影なのか、と思われるほど巨大なものだった。

 わずかに触れたに過ぎない衝撃ですら、十字受けでも耐えきれず、鮮血にまみれながら草地まで転がった。

 雛鳥を生かさず殺さず、という調整を自分でもしているようで、ラオウは震えながら起き上がった少年との間合いを詰めず、ふと思い当たることを口にした。

 

「うぬのユリアに対する執念。それはけして報われることはなかろう」

 

 気力のみで振り絞ったシンの拳を受け流す。

 本来ならば腕ごと彼を叩き潰すことも可能だったが、ケンシロウと打ち合う要領で甘い、と叱咤しながら相手の拳を掌で打ち払った。

 ラオウは相手の執念に感化される形で不意に呟いた。

 

「あれも野望のひとつ。女に甘いうぬの(てつ)は踏まん。奪い去るのみ」

「……ふ」

 

 血に染まるシンの口角が上がった。北斗の長兄の眉が今度こそピンと上がった。

 ふん、という気合の正拳突きを、先程よりもさらに強い衝撃であろうラオウの拳を、少年は初めて受けきった。

 

「……ほう」

「ラオウ。それ……いだ」

「何?」

 

 それは愛だ、とシンは繰り返したが、覇王の耳に届くことはなかった。

 朦朧とする意識のなか、さらに畳みかけてくるラオウの突きで彼の意識は飛んでいた。

 

「リュウケンめ、見る目のない……ん?」

 

 崩れ落ちそうな相手が、その寸前で膝をつくことなく踏ん張っていた。

 まだ倒れぬか、と思った剛拳の主が腰を据えて掌底を打ち出す。

 このときラオウは初めて闘気を込めた。ごうっと風圧の波が駆け抜ける。

 把天壊拳(はてんかいけん)、という奥義を無意識に放っていた北斗の長兄は、標的がそれを避けきったことでわずかの隙を生じさせた。

 彼の目にはスローに映ったに過ぎない相手の反撃の指突を、砲弾でさえ跳ね返す自慢の肉体で弾き返そうとしていた。

 

「喝」

 

 次の瞬間、静かだが心胆寒からしめる北斗神拳伝承者の叱咤がラオウの耳に飛んできた。

 つむじ風が吹き抜ける。

 壇上から石の階段を下りてくる師父に向かい、ラオウは相手を打ち捨てて歩み進めた。

 

「リュウケン。なぜ止めた」

「あれはすでに気を失っている」

 

 壮年の男の答えに、一番弟子が喉の奥で珍しい笑い声を立てた。

 

「虎とも恐れられる貴方が……南斗の小僧には甘い」

「口ほどにもない、ラオウよ。こわっぱめ」

 

 闘気を使ったなと問われ、階段を上りかけた北斗の長兄が歩みを止めた。

 

「意識の外だ。ケンシロウにも劣り、打たれ強いがしつこいのみの他門の小僧に目をかける。貴方こそが口ほどにもない」

「救われたな」

「救ったのはこのラオウよ」

 

 ガツ、と階段に足をかけ、覇王と呼ばれる男が大聖殿のほうへ消えていった。

 その先には南斗の象徴がいるのだった。

 それを見上げたリュウケンが、金髪を靡かせて立ち尽くす少年の前までやってきた。

 

「小僧。気はたしかか」

「……」

「やはり、意識は飛んでいるか」

 

 返答のないシンの後頭部へ、リュウケンが気合の喝を入れる。

 打たれたことで覚醒した少年が、かっと両目を見開き、血まみれの体で後方へ飛んだ。そして言った。

 

「……リュウケン老師」

「目覚めるのが遅い」

「俺は」

「ラオウにやられて気絶していた。その際、失った意識のままで何をしようとしたのか、おのれは覚えておるまいな」

「……一体何を」

「打撃であの男とやりあおうとしたはずだ。だがお前は最後に南斗で戦おうとした」

「……」

「たわけめ。無駄にあのラオウの注意を引くところであった。あやつを侮るな。北斗神拳は見切りの拳。お前の復古の拳はたやすく披露するものではない。その暴挙、死に値するふるまいよ」

 

 再び気を失って倒れ行く少年を受け止めたリュウケンが、忸怩(じくじ)たる思いで呟いた。

 

「ラオウはとどめを刺さずこの小僧を救った。だがあのまま小僧の極聖拳(きょくせいけん)を受けていたら、奴の胸板には風穴が空いていたのかもしれぬ……こわっぱめ、命拾いしたことに気付かぬか」

 

 また強い風が吹いた。北斗神拳至強の座が二千年ぶりに動くかもしれん、とリュウケンはさらに独語した。

 復古の拳だけを恐れたのではない。

 死人が南斗極星の拳を修めようとする、その想いに畏怖を覚えたのだ。

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