聖拳列伝   作:小津左馬亮

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十九話   大戦前夜

 人里離れた北斗の道場への道筋を知っているのは、多士多才な南斗の人間においてもほとんどいない。

 シンはその僅かなうちの一人だった。

 他門の館を駆け抜け、聖堂にも似た北斗の道場へと駆け込む。

 

 長い道のりの間に夜になり、外は雷雨が降り注いでいた。

 シンが道場のなかの光景を目の当たりにした瞬間、その金髪が逆立った。

 師に向かって致命の一撃を打ち込もうとした巨躯の男と、年齢を経て老いた先代伝承者の、倒れかけた背中を見た。

 その惨劇を制止するように、青年の怒声が屋内に響き渡った。

 

「ラオォォオウ!!」

 

 存外な人物の登場に、リュウケンより北斗の長兄が瞠目しながら振り上げていた拳を止めた。

 

「小僧……金髪の小僧か。何故ここにいる」

 

 他門の先人、それも宿敵の師をかばう南斗の拳士に違和感を覚えたラオウだったが、何年も前からリュウケンがこの青年に目をかけていたことを思い出し、くだらぬ情か、と呟いた。

 

 覇王と呼ばれる男はこのとき血まみれだった。

 純粋な拳技では未だリュウケンには及ばないと知った弟子は、病に倒れた師をこれ幸いにと衝動的に殺そうとしていたのだ。

 逆にシンが姿を見せたことで彼の理性は復活した。

 南斗の小僧ごときに我を忘れた激情を見せるほど、彼の自尊心は小さくない。

 呼吸を整えるラオウにシンが鋭く問い詰めた。

 

「貴様……リュウケンを殺すつもりだったのか」

「役目を終えた老人には退場してもらう。このラオウが伝承者ではなく、その拳を封じると言われれば猶更よ」

「させん」

「情におぼれおって。やはり南斗はサウザーの一強。その他はこのラオウからすればゴミクズでしかない」

 

 後に世紀末覇者「拳王」と名乗る男の闘気が倍加した。

 血まみれの上半身、その傷が筋肉によって塞がっていく。

 

「老人の拳など皮膚一枚を斬ったにすぎん。だが師父はともかく、うぬが生きてここ出ることはもやはかなわぬと思い知れ」

「小僧、逃げよ……今のあやつは誰の手にも負えぬ……あの狂乱の相……まるで過去のジュウケイを見ているようだ」

 

 ジュウケイが何者かを知らぬ金髪の青年はそれに答えず、リュウケンを大きく後ろに下がらせた。

 そして立ち上がった。

 

「魔相の覇王。ちょうどいい、この場で俺が片付けてやろう」

「南斗ごときがよう言うた。大言の報いを受けい」

 

 ぬぅん、というかけ声でラオウが極大の闘気とともに蹴りを放つ。

 それを片手で受け止めたシンが態勢を崩すのを見て、北斗の長兄はもう片方の足で捻りを加えたそれを繰り出した。

 バゴンという音とともに石畳が陥没する。シンの両腕のプロテクターは粉々に砕かれていた。

 だが青年はラオウ渾身の蹴りを受けても健在で、爆散などはしていない。

 血まみれの巨漢が白い歯を剥いて告げた。

 

「あの日の続きを望むか小僧。よくぞわしの双蹴(そうしゅう)を受けて耐えぬいた。誉めてやろう」

 

 閃光のあとで雷鳴が轟いた。

 二人の対決を離れた場所から見守るリュウケンが上半身だけを起こして、ラオウの剛撃を受け続ける青年の背中を見た。そして呟いた。

 

「暴虐の念で拳威を増したあのラオウに、今の小僧では……」

「違うな、わが師リュウケン」

 

 シンの背中が激しく揺れる。

 それは北斗剛掌波を南斗の掌底で受け流した際の衝撃であった。

 堂内が震撼したものの、泰然とした彼の背中が語る。

 

「狂乱の拳でこのシンを倒せると思っているのなら、それは貴方ほどのお人でも見込み違いというものだ」

 

 北斗神拳先代伝承者が南斗極星の拳の構えを背後から窺った。

 地味な構えのなかで浮かぶ気纏(きそう)は、荒ぶるラオウの闘気とは比べ物にならぬほど小さい。

 だがその深淵から湧き上がる(ほとばし)りを見たとき、リュウケンは暴風に立ち向かう光明の静かな声を聞いた。

 

「この男が愛に目覚めたとき、そのときが死人として相打つ覚悟の戦いになるだろう。だが」

「ほざくな小僧!!」

 

 石畳がビキリと割れる。高い壁にあるステンドグラスも飛散した。

 雷によってではなく、北斗の長兄の剛気によるものだった。リュウケンが思わず叫ぶ。

 

「いかぬ、あれは天将奔烈!」

 

 円を描く動きの構えの後、ラオウが渾身の波動を放つ。

 幾重にも練られた闘気はシンの長身を襲ったが、それは建造物と地面を大きく吹き飛ばし、削りあげるのみで、金髪の青年の体を消滅させることはできなかった。

 リュウケンは爆心地のような二人の間合いを見て固唾を飲んだ。

 

 シンの上半身の道着が消し飛んでいる。頬や体に幾重にも裂傷が走っている。

 だがしかし、彼はラオウのその極大の波動に耐えきった。

 それを可能にしたのは内に秘めた闘気、彼にとっては念。執念にも等しい。

 

「こっこの奥義を……正面から弾きおった……小僧」

 

 さすがの覇王が思わずどもって言った。

 リュウケンと戦ったときでさえも放たなかった大技を、格下である南斗に見切られるとは思ってもいなかったのだ。

 

「うぬの……その拳は」

 

 ラオウはシンの手の甲にある十字に刻まれた傷跡を見た。

 それはまさしく南十字星の型を示していた。

 得体の知れぬ畏怖を覚えたラオウの様相がさらに禍々しくなっていく。

 噴火のように湧き上がる気合はますます勢いを増すばかりだった。

 充血した目の北斗の長兄が怒号する。

 

「小僧~。うぬがいかにして南斗聖拳を極めようと、このラオウの体を突き抜くことはできん。わが前にはいかなる者も塵と化す……!!」

 

 すさまじい闘気を放出するラオウ、内にそれを秘めるシン。

 まるで太陽と月ほどの違いがある。

 およそ南斗は北斗に比べ、気脈を操ることは不得手であり、聖帝サウザーでさえもラオウに比べれば、総気量はやや少ない。

 この二人は誰の目から見ても象と蟻の戦いに見えた。

 

 双方の影が動く。

 ラオウの剛拳とシンの指突が交錯する。同時に凄まじい轟音が轟き、道場に雷が落ちた。

 リュウケンは闇に落ちた堂内のなかで目を凝らす。

 やがて北斗と南斗の拳士の姿が雷光で浮かび上がった。

 その衝撃的な光景を、リュウケンは髭を震わせて見つめていた。

 

 指突を突き立てた側が龍の牙を抜き、血を振り落としたような腕の動きを示している。

 鮮血はそれぞれから吹き上がっている。

 だがどちらの体に深く(けん)が食い込んだかは、電源が復旧して明かりが再点灯したことで明らかになった。

 

「ラ、ラオウが……」

 

 師父のかすれた声を合図に、北斗の長兄が吐血する。

 その剛強なる鋼の肉体には南斗の指突の数だけ穴が開いていた。

 だが打撃を受けたほうも無傷ではない。

 秘孔を突かれた左肩は砕かれていた。

 

「な、にが起こ……った」

 

 胸部を押さえて膝をつく巨躯の男が、地面に滴り落ちる血を見ながら自失している。

 肩を砕かれた青年はそのまま立っていた。

 北斗史上最強の剛の男に鍛え上げた師が、当人と同じく呆然としながら眺めるばかりだった。

 

「どれほど体を鍛えようと無駄だ」

 

 雨風が窓から入ってくる。砕かれた肩に長い金髪が靡く。

 シンは雷鳴のなか、憤怒の形相で歯を食いしばる相手を傲然と見下ろしながら言い放った。

 

「南斗極聖拳(きょくせいけん)は地上にあるどのような物質も力で突き破る」

 

 さらに強くなる暴風で堂内が揺れている。

 死人が修めてしまったがゆえに北斗を凌駕した極星の拳。

 その神髄を改めて悟ったリュウケンが髭はおろか、体中を震わせていた。

 

「ユリアが関わらぬ以上、お前の北斗神拳は至上の極意に目覚めることはない。その腑抜けた拳で極星を沈められるとでも思っているのか」

「小、ぞう……!」

 

 新たな血が噴き出すこともかまわずラオウが起き上がった。

 これほどの屈辱を覚えたのは記憶にない。

 だが彼は怒りのなかでも口角を上げて喉の奥で笑っていた。

 

「……このラオウに膝をつかせた。サウザー以外にこれほどの男がいようとは……神に感謝せねばなるまい」

 

 覇王はさらに狂騒の気を増した。

 その姿を見ただけでも、ほとんどの拳士が腰を抜かして失神してしまうほどの威圧を誇っていた。

 だがシンは平然としてそれを見返し、笑止と告げた。

 

「闘気に頼っているお前など、俺の敵ではない」

 

 黄金の羽ばたきを確認したリュウケンが、やめいとばかりに手を伸ばす。

 あの執念の男の少年時代、数少ない極聖拳の技の発動を見たことがあった。

 相手の四肢を切り裂く奥義だ。

 

「あれは南斗獄屠拳(ごくとけん)! ラオウよ逃げいっ!!」

 

 師父の叫びに長年の門下生は咄嗟に身を引いた。

 そこで発動したのが北斗神拳、無想陰殺(むそういんさつ)だった。

 

 体術を駆使した高弟の動きは、シンの必殺の蹴りを紙一重で避けていた。

 がらあきの敵の背中に、無意識かつ無想の後ろ蹴りを放つ。

 強烈なそれは予測不可能であり、回避もほぼ不可能と言う、北斗神拳においてはラオウでしか扱えぬと思われる奥義中の奥義だった。

 

 死人を撃墜した北斗の長兄が片膝をついたまま、片足を軸にざっ、と後ろに振り返る。

 落ちていく金髪の青年がそれでも受け身を取った。

 闘気を駆使せぬラオウの蹴撃(しゅうげき)。それはまさに実の拳だった。

 南斗宗家の拳士に与えたダメージは相当なもので、斜めに走った背中の傷で、彼はすでに立ち上がることも困難になっていた。

 死合いを制したラオウだったが、後に拳王と名乗る男の矜持は地に(まみ)れていた。

 怒りを抑えられず、悲鳴に近い怒号を放つ。

 

「リュウケン、なぜ助けたぁっ!!」

 

 一番弟子として自分を助けたであろう師に、狂乱の豪傑が詰め寄った。

 

「あのままではこのおれが……北斗神拳が南斗の小僧に敗れ去っていたと申すか!」

 

 病で咳を抑えきれないリュウケンが、怒声の主に言い含めるように言った。

 

 「お前ほどの使い手ならわかるはずだ……あのとき、きゃつの拳は覇王を目指す男を確実に捉えていた。そして超えていた」

「このラオウを愚弄するか……師父といえど」

 

 倒れかけたリュウケンに向かってラオウが拳を振り上げる。

 だが背後の気配で再び振り返った。

 独り言のようなうわごとのような北斗の長兄の声が響く。

 

「無想陰殺、かつてこれを真芯でとらえて起き上がった者は誰もおらん……」

 

 ゆっくりと起き上がった血まみれの青年がガツ、と靴を踏み鳴らす。

 半死半生の姿で覇王との間合いを詰めていく。

 

「だが……うぬは死人ゆえ効かなかったとでもいうのか」

 

 そのすさまじい執念を肌で感じ取った巨漢が一歩引いた。

 今度は自分の意思で引いだのだ。

 

 怖気を奮ったのは彼だけではない。リュウケンも同じだった。

 背負っているものが違う、と北斗の大賢者は確信した。

 今のラオウでは、目の前にいる瀕死の人物が背負っているものを超えられるはずもない。

 愛に殉ずる男と、愛に気付かず野望に燃える男との差がここで出た。

 それでも気圧されるほうの勝利を先代伝承者は確信していた。

 ふううと長い息を吐いた老人が武者震いの弟子に告げる。

 

「ラオウよ、本来の目的を忘れるな」

「……」

「拳王を称するつもりならば、その小僧とは万全の態勢で戦い直せ」

 

 再戦して完膚なきまでに南斗を叩き潰せ。

 北斗神拳の拳士としてリュウケンはそう厳命していた。

 ラオウでさえその言葉は否めない。天を目指す前に彼も北斗の男だった。

 

「師よ、すでに覚悟したか」

「このリュウケン……長く生きた。もうこのへんでよかろう」

 

 座禅を組んだ師父に対し、胸部に深い傷を負った弟子が歩み寄る。

 

「敬愛するわが師リュウケン、苦しまず一撃で逝くがよい」




次回から原作の開始時期になります。
基本的に時系列は無視しており、状況は都合よくコロコロ変わりますが、とりあえず力こそは正義の世界がようやく始まります。
そして次回更新は二日置いた後になります。
それからの更新は二日に一回に変わりますことをご了承ください。
この話は修羅の国編前、五十話辺りで一旦終了いたします。
次の構想はあるものの、全く書き溜めていないので……
お披露目はいつかまた。


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