聖拳列伝   作:小津左馬亮

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二十二話  女王エバ

 エバの居館の寝室に通された金髪の青年が、褐色肌のあらわな女の背中を見た。

 その持ち主は下着が透けるネグリジェという官能的な恰好をしており、自分の目に叶った様々な群雄と一夜を共にしてきた、と語り出した。

 

「乱世に覇を唱えようとする天の覇王、南斗の聖帝、独歩の鷲。これから出会うであろう蒼き餓狼、金色の男など……さまよう心を持つ彼らに一夜の安らぎを与えるのがわたしの務め……そして貴方もこの乱世を彩る一筋の光」

「……」

 

 黙り込むシンに振り返り、長いカールの金髪の女は貴方こそが希望の光、と告げた。

 そしてかぶりを振った。

 

「わたしの神託ではまだそこまでしか言えません。ですが肌を合わせればもっと」

 

 花が咲き誇らんばかりな美貌の主は、スーパーモデルのように背が高い。

 そんな女が抱き着こうとしてくるのを、シンは優しく引きはがした。

 拒絶された過去はないと言いたげにエバが美しい瞳を見張る。

 

「なぜ」

「俺に安らぎなど必要ない」

「貴方の状況はヴァルキリアたちから聞いています。病人を抱えての逃避行、それがどんなに厳しいものか、わたしにも覚えがあります」

「……そんな話をするためにここに呼んだのか。仕事の話でないならここにいる義務はない」

 

 踵を返そうとするシンに女王が呼びかけた。

 

「待ちなさい。このエバの目に適う男などこの世にほとんどいない。貴方はそのうちの一人なのです」

「……俺の目に適う女はこの世にただひとり。少なくともお前ではない」

 

 冷たく言い放ち、背を向けて扉のほうへ向かったシンが、気配を消していたのか、縮こまって柱の陰に隠れていた青白い頭巾の女を発見した。

 そのレスティエかもじもじとしながら、蚊の鳴くような声で言った。

 

「お付きの務めです……」

 

 押し黙る青年の背中に、エバがそっと近づいて告げた。

 

「シン。現在貴方はあの女性と良好な関係を築いているとは思えない。わたしも女。あの人の佇まいから、貴方に心を閉ざしていると同時に、嫌悪している様子がはっきりと見て取れました」

 

 エバの言葉にレスティエが眉を寄せた。青年はまじろぎもせず聞いている。

 

「それでもこの世でただひとり、と言うのですか。けして振り向くことのない感情を持つあの女性だけを見続けると」

「シン様の行動が無駄とでもいうのですか」

 

 影の女は部外者ですが、と言いながら間に入る。

 主が否定されたようで機嫌がすこぶる悪いようだ。

 その健気な様相に、年上の褐色肌の女が微笑しながら返答した。

 

「だからこそわたしのような存在がいる。一夜でもそんな状況を忘れさせるのが乱世でのわたしの役目。何があったのか、何をしたのか、そして今どう思っているのか。吐き出す相手が一人くらいいてよいでしょう」

 

 長身の美女に向き直った長身の青年が、真摯な瞳を向けてくる相手と視線を交錯させた。

 一対の美男美女を窺うレスティエがむううと唸っている。

 

「このままでは……あの人は貴方を許すことは永遠にない。それほど心に闇を落としているのです」

 

 金色の髪の持ち主どうしが見つめあった。

 先にバルコニーから広がる夜の街の景色へと視線を逸らしたのは、男のほうだった。

 

「いずれ晴れる」

「……え?」

 

 金髪を揺らした南斗の拳士の横顔を見上げたエバが、その横顔の秀麗さに思わず見とれてしまった。

 異性に対しそう感じたのは人生で初めてのことだった。

 彼の言葉にはっとして意識を戻す。

 

「この旅は長くは続かない。いつか必ず(つい)棲家(すみか)を見つけるだろう」

「それは不可能でしょう。貴方とあの人の二人では」

「俺ではない」

 

 再びシンが館の外の景色を見る。

 夜景というより闇に近かったが、もう数時間もすれば朝日が昇る。

 

「女王エバ。この件だけではありますまい。シン様に対し用心棒として何を望むのか、それを貴方自ら説明するほうが建設的な話となるはずですが」

 

 沈黙に耐えられず口を挟んだレスティエの言葉に、彼の姿を見つめていたエバがゆっくりと同性に目を移した。

 

「この街を手に入れ、拳王や聖帝に対抗すべく暗躍している者たちがいる」

「北の街の用心棒たちですね」

「ええ。でもそれを指揮する者は容易く姿を見せず、内応者や外の世界の軍閥を使ってわたしたちを揺さぶっている。そしてその男にはそれだけの力もある」

「……わたくしは宿で南斗紅雀拳のザン様と会いました。あのお方でも敵わぬ相手となれば相当なもの」

「そう。あの紳士やリマでさえアスガルズルの支配者になろうとしている黒幕には及ばない。ゆえに南斗六星のひとりたる貴方に助力を仰いでいる」

 

 ザンという名を聞いた金髪の青年は意外そうな顔をしていたものの、サウザーの元から離れたと聞いて納得していた。

 腕は立つがぐうたらで放浪癖がある、と有名なドジョウ髭の性格は彼も知るところだ。

 不意にシンとレスティエから離れた館の主が、街を見下ろして寂しそうに言った。

 

「わたしには時間がありません。蒼き餓狼が訪れるとき、わが命の(ともしび)が消える。だからこそ……今のうちにもうひとつの懸念を排除しておきたい」

「時間がないとは病か」

「違います。運命によってわたしは」

「運命など変えられる。女王と名乗るからには課せられた責任を果たしてから好きにしろ」

 

 静かだが吐き捨てるようにシンが言った。

 その口調に驚いたのは言われた側ではなく、彼を主と仰ぐ女のほうだった。

 

「安易に運命を受け入れることはない。この街の女を見ればわかる。お前は必要とされている」

「……」

「死ぬな」

 

 金髪の青年の言葉はわたしのためだけに向かって諭しているのではない。

 褐色肌の美女はそう悟りながら、こみ上げる何かを抑えきれず、わずかに震えていた。

 

 振り返ってみれば、誰かに盲を解かれるなど今までの人生にあっただろうか。

 彼女の心は(さざなみ)が立っていた。

 この見目良い男はどこの世界から来たのか、と邪推するほどの達観ぶりだった。

 まなざしを見返すたびに死ぬなと語りかけられているようで、その視線に耐え切れず、エバともあろう女が逃げるように面を背けた。

 

「もしやむを得ない状況ならば……人を頼れ」

 

 シンの言葉でエバがわずかに表情を歪ませた。

 

「依頼通り、俺がその懸念とやらを片付けてやる」

「……貴方に求めたいのは軍服を着た狂信者の排除。ゴッドランドなる集団の討伐」

 

 背を向けた女王の、黄金の長い髪が揺れている。両親の仇のようだった。

 小刻みに震える女の願いを叶えるべく、シンは影の女に後を任せてエバの館を出た。

 レスティエには象徴の看病も任せることになるが、本人は大役を任されて気合十分の様子だった。

 やる気が空回りしないように言い含めた金髪の青年は、来て早々色里を後にした。

 

 

§§§§§§

 

 

 アスガルズルから出発し、女王からの情報で目的地に向かって荒野を歩き続けるシンが、朽ちたビルなどの建物にまぎれて村のような集落があるのを発見した。

 食料や水の調達に立ち寄る必要があった彼が、建物前の広場を覗き見る。

 そこでは野盗と奴隷商人たちが商品の取引を巡って、大声で争いを始めていた。

 

「男はいらねえ。女の分の報酬は払ってやるよ、ほれ」

 

 わずかの食料と水が放り出された。

 野盗が激昂するのも無理はない。

 だがこのころの奴隷商人たちは職業柄体格がよく、腕っ節も肝っ玉もそこらへんのならず者など一蹴できる実力がある。

 肌の黒い大男たちを見て敵わぬと見た野盗が、背後の何者かに向かって呼んだ。

 

「雇ったからには働け用心棒!」

「……」

 

 それに返答せず、髪の長い青年が荒地を踏み進む。

 黒い集団に対して彼が尋ねた。

 アイリという女を知っているか、という問いかけに、数においても有利な状況であるためか、連中が余裕を見せて嘲笑う。

 おれが買った女かもしれねえな、と答えた瞬間、その男は細切れになって崩れ落ちた。

 ありえない光景に、敵味方双方が驚愕の声を上げながら後ずさる。

 

「なっなんだこいつ……」

「ヤロウ、ふざけやがってぶっ殺す」

 

 黒い集団が数を頼りに蒼い男を押し包む。

 だがそれらは数瞬の間に、全て輪切りされて生涯を終えた。

 商品たる女子供が怖気を奮って逃げ惑う。

 

 全滅した商人たちが連れていた奴隷も捕獲して意気揚々の野盗たちだったが、その際女どもを殴りつけたところで、誰かが兄さん、と泣きながら呟いた。

 その一言で状況がまた変わった。

 

 彼らがスゴ腕の男と呼んだ存在は、鬼の形相で雇い主にも猛威を向けていた。

 抵抗どころか逃走する暇もなく、野盗たちの欠片が風と消える。

 敵も味方も皆殺し。

 そんな殺人鬼に、村の生き残りも女子供も震えて声もない。

 

 蒼い髪の男は死んだ外道たちから食料と水を奪い取る。

 それを懐中に収めて立ち上がったとき、一人の男がこちらに歩いてくるのを発見した。

 南斗聖拳を極めた男たちが世紀末の荒野で対峙する。

 

「……お前は」

「懐かしい顔に出会ったな。レイか」

 

 容貌に優れた若い男たちが互いに声をかける。

 金髪の青年が青い髪の青年の荒みきった雰囲気を見た。

 戦争前は純粋で生真面目だった相手の変わりように、彼は驚きを隠せずに呟いた。

 

「人相が悪くなった」

「……アイリという女を知っているか?」

「知っていたらどうする」

 

 涙袋が黒い。美男子が台無しな目元だった。

 そんな青年が音もなく前進した。

 

「案内させてから殺す」

 

 大胆に距離を詰めてきたレイの凄まじい斬りこみで、シンの金髪のひとふさが宙に舞う。

 暴風のようなそれを避けていた彼が、背後の巨大な岩まで追い詰められ、後退を止めた。

 南斗水鳥拳の伝承者がカッと目を見開く。

 

「かくご!」

 

 ブシャッ、という風を切る音とともに、数え切れない掌底がシンに迫る。

 その千手の押し込みを、振るわれる斬撃をシンが受け流す。

 その攻勢の最後に双龍の牙が振り下ろされた。

 からくも両手で受けきった金髪の青年だが、その背後にある壁のような岩石が衝撃に耐えられず、微塵切りになって砕け散った。

 

 村の男たちは声もなく、女子供は悲鳴を上げていた。

 防ぎ切った側がふうと息をついた。その頬にはいくつか傷がついている。

 流れる血をぬぐうため、シンは餓狼となった男の両手首から手を離した。

 レイが思わず舌打ちを放つ。すべて避けられたことが信じられない様相だった。

 

「……このおれの速攻をしのぐとは」

「本気の水鳥拳、楽しませてもらった。だが」

 

 シンの残像が残る構えをレイは初めて見た。

 利き手を上に、そうでないほうを下に、それが南斗極聖拳(きょくせいけん)の型だった。

 その伝承者が告げた。

 

「今のお前の……餓狼に陥った心なき拳では俺には通じん」

「綺麗ごとを!!」

 

 ぎりっと歯を食いしばったアイスブルーの髪の拳士が飛び上がった。

 金色の髪を風に靡かせた拳士も迎えうつ。

 

「綺麗ごとで修められる拳がどうか、見せてやろう」




エバ。皆殺しの色里、アスガルズルの女王。
北斗の拳 レイ外伝 蒼黒の餓狼に登場したキャラ。
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