己のみじめな悲鳴を聞いた彼が、逆光の相手に向かって手を伸ばす。
その相手は十字を
地上に向かって落ちていくアイスブルーの髪の青年がまともな受け身もとらず、乾いた大地に叩きつけられて転倒する。
得意の空中戦で後れを取ったことを恥じたのか、起き上がる体は負傷以外の理由で震えていた。
右肩のプロテクターは吹き飛び、左肩の羽毛のような肩当ては血に染まっていたが、矜持を傷つけられたことで痛みなど忘れている。
「飛燕流舞が利かぬ……?!」
いや違う、と吐き捨てるように彼が言う。
奥義が通用しなかったのではない。旋回する前に叩き落されたのだ。
空中で見た金髪の主は、南斗の象徴たる南十字の型に両腕を広げ、さらに上に舞い上がろうとする水鳥を撃墜した。
かろうじで避けたものの、戦争以降これほどの傷を他人から与えられた記憶はない。
暗い目の餓狼が立ち上がった。口元を拭いている。
「……復古の拳は初見。ゆえに競り負けた」
「そういうことにしておけ」
着地した相手の余裕の返答に、レイが怒気を発しながら舐めるなと叫ぶ。
さらに速度を上げて距離を詰める。
人間の目では捉えることができない体術だった。
だがシンは斜めに仰け反りつつ余波を
餓狼が牙を見せながら振り返る。
今度こそ暗い目が驚愕で大きく見開かれた。
「なっ」
南斗の拳であのような技は見たことがない。そうレイは思った。
奴隷にされかけた女たちと村の連中もどよめいた。
手の甲に十字の傷跡がある拳士が、それを地に向けて叩き込んだからだった。
「
轟音とともに大地が揺れた。
地面が割れ、砂埃が舞う。ごうっという衝撃破も円状に広がった。
飛んで避けようとした水鳥拳伝承者が、黄金の光に絡め取られる。
強引に着地させられたレイは反撃に移ろうとしたものの、不意に体内から弾けるような痛みを覚えて再び転倒した。
「ぐ、あ」
華麗な男が痛みのなかで相手を見上げる。
どこの生まれかわからぬ一般門下生、金髪の小僧と揶揄された青年が、動きを封じられて転がる自分に追撃もせず、踵を返すのを窺った。
どの南斗聖拳にも見当たらない奥義の数々に完封され、レイは荒地を握り潰してバカな、と叫んだ。
人生でこれほどの屈辱を与えられた覚えはない。
だがその男は
サザンクロス、という聞きなれぬ街の名をレイは聞いたが、今の彼にはどうでもよいことだった。
南斗の貴公子、水鳥拳始まって以来の秀才とよばれた男が、屈辱にまみれたまま激痛を忘れて跳ね飛んだ。
「余裕のつもりか!!」
シンのがら空きの背中に斬りかかる際、女や村人たちの悲鳴が耳をつんざいたものの、妹以外の女などレイの眼中にはない。
巻き添えになろうが知ったことではない、と襲い掛かっていく。
同門の青年が振り向いて言った。
「歪んだな、レイ」
「ほざけ!」
「……お前は過去の俺」
意味不明の台詞をレイは聞き流した。
地形を削り斬りながら、広範囲の龍の牙を放つ。
怒りによって覚醒し、速さ鋭さを増した拳がシンに襲いかかった。
周囲を確認したその標的が闘気を繰り出す。
巻き添えになりそうな人たちを触れずして弾け飛ばしたことで、間合いは南斗聖拳伝承者たちだけになった。
レイの千手の貫手と、一撃必殺のシンの貫手が激突する。
激高の男の片手を捉えた深淵なる気合の持ち主が、冷ややかに告げた。
「俺に指突で挑もうなど十年早い」
利き手を封じられたことで勢いをなくした水鳥のそれは、同じ突撃でも剛の面で違いがありすぎる極聖の牙により、すべて弾かれ、そして折れた。
拳圧でのけ反ったレイの胸元へ復古の拳が迫る。
だがシンは握り
正拳突きを食らったレイが弾け飛ぶ。
昔リュウケンに師事した甲斐があったのか、南斗の拳士とは思えぬ打撃は同格の六星をコンクリートのビルに叩きつけ、破壊させるほどの威力を誇っていた。
百八派随一の華麗な拳士と
醜態だと呟いている。
そして彼は胸を押さえながら修羅の形相で叫んだ。
「……手心を加えやがった……! 南斗
「怒りによる覚醒など水鳥拳の神髄ではない。お前もいつか他のものに目覚めるときがくる。その際は本気で相手をしよう」
「目覚める……?」
待て、と呼びかけるレイに背を向け、村人たちに向かってシンは歩き出した。
歩きながら彼は言った。
「激情や無自覚の覚醒、餓狼などといった力では俺は倒せん。勝負は預け置く」
「目覚めるとは……それは一体どういうことだ?!」
女や村の連中を連れ、シンがこの場を後にしようとするのを、足を引きずってレイが追いかけた。
金髪の青年が立ち止まる。しかし別のことを告げた。
「奴隷の女たちが集まる街がある」
彼はつい先日滞在していたアスガルズル、という皆殺しの色里の存在を彼に伝えた。
「上玉が幾人も揃っているらしい。そこならお前の探し物の手がかりが掴めるかもしれん」
「……アスガルズル」
ぺっと血の唾を吐いた美男子が、礼は言わぬと背を向ける。
シンはその背中に何気なく言った。
何か意図して告げたわけではない。
「女は守るもの。それは探し物に限ったことではない。あの街の女たちも同様」
「……知るか」
「死にたがりがその街の女王になっている。南斗の男の誇りにかけて守り抜け」
§§§§§§
村人と女たちを連れたシンは、滞在先の別の村で依頼の標的が何者かに壊滅させられた、と聞いた。
曰く、札付きのワルで名を轟かせていたジャッカルなる勢力が滅亡し、その際デビルリバースと呼ばれる悪魔が討伐された。
曰く、とある城塞都市を支配するジュガイという高名な拳法家を撃ち破り、暴政から解き放った。
そのほかを数えればきりがない。
世紀末における救世主の伝説が広がり始めたのは、このころからであった。
しばらく姿を消していた死神が先日からシンたちに合流しており、彼が用心棒として連れてきた拳士からの情報も、概ね同じようなものだった。
ジョーカーの連れの男が、ソファで寝転びながら呟くように告げた。
「その男は北斗神拳の使い手」
ひげを生やしたごつい男が帽子のつばを弾く。
「おいダンテ」
「勘違いするなよ死神。ミーがこの青年の元へ来たのは、安定した基盤の街が存在すると聞いたからだ。領土を拡張する意思のない軍閥、その客分になら収まると言ったはずだ」
独歩の気概が強い大男の言葉は、シンにとっては不快ではなかった。
南斗百斬拳のダンテといえば、地方の軍閥の長すら務められるほどの拳士だ。
そんな腕の立つ男がサザンクロスの守衛に就く前に、村人と女たちの護衛に当たってくれるのは有難い限りだった。
寝そべりながら帽子を手にするダンテの後ろに立つのは、ナリマンという男だ。
巨大な熊手を持つ歴戦の武人がシンの名を呼んだ。
「あんたは南斗の象徴を迎えに戻るべきだ。時間がない。すでに聖帝の魔手がこの村付近にも伸びている」
「若」
右目を長い前髪で隠した策士の言葉で、死神が腰を浮かせた。
「エバなる女王の依頼、ゴッドランドの討伐は図らずも胸に七つの傷の男によって達成されたことですし、今はナリマンの言う通りアスカルズルに帰還すべきかと」
「……」
「女どもはわしらに任せるんだな。無事南十字の島へ送り届けてやる」
「頼むぜ金髪の美男子。さすがに南斗の帝王が現れたらいかにミーたちでも相手にならん。奴らの軍勢がサザンクロスに来る前で止めてくれ」
ナリマンが高言し、ダンテが起き上がった。
三人の拳士たちにそう言われてはシンも否やはない。
死神を連れて、村人と女たちとはここで別れることになった。
§§§§§§
「アスガルズルは無事でしょうか。若のお言葉通りなら水鳥拳がなんとかしてくれるはずですが」
「さあな」
「レイ殿はともかく、噂ではあの色街は拳王や聖帝でさえ容易に手は出せぬ要地とか。であればサウザーを迎え撃つのはあの場所がいいのでは」
「……かもしれん」
ユリア自体が囮となる。
不愉快だがそういう選択を認めないわけにはいかない金髪の青年は、数日かかってやってきた道を引き返している最中だった。
荒れた大地を進むそんな男の二人旅は、早々に南十字の旗を掲げた軍隊と遭遇することで足止めされた。
「見つけたぞ金髪の若僧! 慈母の星はどこにいる?!」
主張が激しいモヒカン軍団が、バギーやらバイクのエンジンを吹かしてそう告げてくる。
荒野の中で二人と百を超える集団とが対峙した。
「ここはわしが」
「任せた」
「ようやく部下として扱ってくれますな。光栄ですよ」
にやりと笑う目つきの悪い男に、シンは一瞬だけ苦笑して地を蹴った。
突進してくる機動部隊に対し、南斗
二輪と四輪駆動の車体を破壊し尽くした青年が降り立ち、そして駆け抜けた。
レイを叩き落とした十字の型の奥義。
ナリマン。アニメ版シン編のキャラ。熊手がついた流星錘を武器とする。