聖拳列伝   作:小津左馬亮

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二十四話  七つの傷を持つ男

 皆殺し色里、アスガルズルに戻ってきたシンが見たものは、内乱による荒廃の様相だった。

 だが騒動以前から勢力を二分していた不穏な空気はほぼ一掃され、女王エバの元で再興しようとするエバズ・ヴァルキリアと街の人々の表情は明るい。

 一部ではまだ混乱状態にあるものの、城塞内は建物の再建作業で活気に満ちていた。

 そんななか、最上階の居館でシンは褐色肌の美女と再会を果たす。

 巫女のような格好の彼女は今までにない笑顔を見せている。

 吹っ切れた様子で、このアスガルズルの女王としてこれからも生きていく、と晴れやかに告げていた。

 金髪の青年が頷きながら言った。

 

「どうやらレイは勝手に仕向けた俺との約束を守ってくれたようだな」

「それどころか彼は街の悪党を追い払い、外敵であった水鳥拳の先代伝承者を倒してくれました。数人のヴァルキリアとリマはまだ重傷ですが、南斗紅雀拳のザンがいることで治安は保たれています」

 

 そして彼女は表情を改め、言葉を継いだ。レイは妹を求めて旅立ったと。

 その話を聞いた後で、シンは依頼を達成できなかったことを話した。

 

「ゴッドランドは壊滅した。俺ではない。七つの傷の男がやったそうだ」

「そのようですね。星がそう語ってくれています」

「ならば話は早い。数日中に俺はあの女を連れてこの街を出る」

「滞在のあいだに体調は良くなったようですね。南斗の象徴」

 

 エバの何気ない問いかけにシンは間をおいて答えた。

 

「……知っていたのか」

「それを奪いに聖帝が動き出した。情報通なら誰でも知っていること」

 

 彼女が街を見渡せるベランダに出た瞬間、ヴァルキリアの何人かが動転したように堂内に駆け込んできた。

 慌てふためくパーマ女に主人が近寄った。

 

「何事ですか?」

「あっあっあの、あの用心棒たちが……!」

「用心棒? ロフウを崇める残党はほとんど追い払ったはずですが」

「違います! われらの用心棒たちが殺されたのですっ」

 

 そばかすの女が叫ぶ。スペードダイヤクラブ、このアスガルズルでも手練れの猛者たちが相手にならず、爆発したように肉体が飛散したという。

 

「ではハートも」

「あのブ……いえあの男はまだ善戦しているようで」

 

 それを聞いたシンが部屋を出ていく。

 彼らの根城はあっち、というそばかすの声に、青年は首だけ横を向けて了解を示した。

 途中で連れの女の部屋の前を通りかかった際、戦争前から近侍であったサキという少女と出くわした。南斗の門下生レスティエの姿もあった。

 

「シン様、ユリア様がいきなり起きだして、「来た」と」

 

 レスティエの説明にシンが頷く。

 その唇がわが友ケンシロウか、と動いたのを彼女は見逃さなかった。

 その瞬間、部屋の扉が勢いよく開いた。

 

 奇妙な能力を持つ慈母の星の予感が断定に変わったようだ。

 上着を羽織った長い黒髪の美女、ユリアの姿があった。

 金髪の青年を見たことで輝きに満ちた表情を消す彼女に何も言わず、シンはならず者たちの根城の向かって駆け出した。

 

 

§§§§§§

 

 

 ほあたぁ、という掛け声が最上階に駆け付けたシンの耳に届いてきた。

 あそこの扉の向こうです、というヴァルキリアの説明で、彼はドアを蹴破って大広間の中に足を踏み入れた。

 姿は見えない。ここは壇上になっており、階段の下から二人の男のやりとりが聞こえてきた。

 

「あのとき命拾いしたようだが、今度はそうはいかんぞ、ブタ」

「……あの三人の仇をとるまでは、わたしは」

「無駄だ」

 

 あったあという、またも聞き及びのある気合が聞こえてくる。

 その後にハートの巨大な体が階段上まで浮き上がってきたのを、ヴァルキリアたちが驚愕しながら見上げていた。

 蹴り上げられた巨漢が壇上の大理石へと叩きつけられ、ゴムボールのように転がって彼女たちへ迫るのを、シンが片手で止めていた。

 

「この巨体をその体で」

 

 彼は長身で筋肉質だったが、ハートと比べると痩躯の小男でしかない。

 エバの親衛隊が瞠目する中、シンは靴音を立てて壇上を進む。

 そして階段の下でこちらを見上げていた何者かと対峙した。

 

「北斗神拳。生きていたのか」

 

 シンの声に男が立ち止まる。

 見上げる黒髪の拳士は彼がここに滞在していることを知っていたのか、わずかに驚いた様子を見せただけで、震える指を壇上に向けて冷酷に告げた。

 

「シン。てめえに会うために地獄の底から這い上がってきたぜ……!」

 

 あの日。核戦争で文明が崩壊した後……

 シンはユリアを連れて旅立つ北斗神拳伝承者を襲撃した。

 未だ純粋さが抜けきっていないその男から、彼は力づくで象徴を奪い去った。

 その際胸に七つの傷をつけた。

 信頼していた親友に騙し討ちにされ、愛する女を奪われた男は、以前とは比較にならぬ殺気を(みなぎ)らせ、壮絶な雰囲気を漂わせている。

 まさしく暗殺拳を奮うに値する人物に変わっていた。

 殺されるためにか、とはシンは返答しなかった。それは前の世界の話だ。

 

「ユリアはどこにいる」

 

 一歩一歩、踏みしめてやってくるケンシロウの禍々しさで、シンはあらゆる滞在地で聞いた軍閥たちの全滅が噂ではなかったと悟った。

 練られた闘気が体中から発せられている。

 前世より遥かに強い、と一目でわかるほどの気合だった。 

 黒い革ジャンに黒いボトム、右肩だけのプロテクターは変わらずだ。

 あの日から表情を失くしてしまった男は両拳(りょうこぶし)の骨を鳴らし、シンの前に立ちふさがった。

 金髪の青年も表情を消して言う。

 

「お前のことなど忘れたとさ」

「……生きているのならそれでいい」

 

 目を瞑ったケンシロウが万感の思いで返答するのを眺めながら、シンは南斗聖拳の構えをとった。

 残像で両腕が無数に展開していく。それが止まった。

 

「ケンシロウ。お前ではこの俺の技を見切ることはできん。もう一度あの地獄へ突き落してやる」

 

 面を伏せている北斗の宿敵へ、シンは千手の指突を撃ち放った。

 どよめいたヴァルキリアたちの歓声が途切れた。

 目にも止まらぬ無数の貫手を見切り、片手で造作もなくつかみ取ったケンシロウのすさまじい闘気を改めて感じたのか、彼女たちは息を飲んでいた。

 

「やはりお前は……以前のケンシロウとは違うようだな」

 

 金髪の青年の手首を掴んだ黒髪の男は、それに力を込めながらシンの名を呼んだ。

 彼の双眼が燃え上がったように青年には感じられた。

 

「おれを変えたのは貴様が教えた執念だ」

 

 

 

§§§§§§

 

 

 睨み合いの後、シンが手首の拘束から抜けて間合いを取った。

 あえて離したのだ、と言わんばかりのケンシロウが見下すように、以前の宿敵を見つめて言った。

 

「今のおれにはおまえなど敵ではない。やめておけ」

 

 その挑発に乗ったシンが大振りの斬撃を放ったものの、凄斬爪という名の技を飛んで回避したケンシロウが初めて北斗の構えを見せた。

 前世とは違い、その体には一条の傷もついてはいなかった。

 

「シン、貴様の技は全て見切っている。貴様の負けだ」

「俺を見下したようなセリフは吐かせん」

 

 龍の牙の三連突は紙一重で交わされ、逆に裏拳で頬に、のけ反った際に蹴りを食らったシンがなんとかこらえて後ずさる。

 彼の肩のプロテクターが砕け散った。

 ヴァルキリアの悲鳴とともに、ケンシロウがゆっくりと浮かび上がった。

 あのときの再現のような動きを見せる相手に、シンも跳躍して蹴りを放つ。

 

 交差する二人が地に降り立った。

 以前は発動しなかった北斗飛衛拳(ひえいけん)が南斗の拳士の肩に炸裂する。

 すでに防具を失っていたそこへ衝撃が走った。

 シンが肩を押さえながらしゃがみこむ。

 

「安心しろ、秘孔は外してある」

 

 拳を鳴らしながら近寄ったケンシロウが、金髪の青年を今度こそ両方の意味で見下して告げた。

 

「ユリアを返してもらおうか」

「ユリアは俺が殺した」

 

 一瞬、壇上の空気が止まったかのように黒髪の男が動きを止めた。

 

「何……?!」

 

 絶句する北斗の男に、形勢不利な南斗の青年が吠えるように語った。

 

「いつまでも俺のものにならぬあの女、さすがに強情が過ぎた。ひとおもいに刺し殺してやったわ……!」

 

 シンの高笑いが響く。ヴァルキリアたちが顔を見合わせている。

 彼女らの表情が凍ったのは、恋人を殺されたと思った側が、修羅の様相に変化していったからだ。

 

 地の底から唸り上げるような、あああああ、という気合によって膨張した筋肉は、男のそれを包み込むプロテクターと服を弾き飛ばした。

 ヴァルキリアの誰かが震えて言った。

 

「なんてこと……レイやロフウの比じゃない」

 

 彼の放つ闘気が風圧を生み、仰け反る女たちを吹き飛ばした。

 その殺意の塊のようなものに揺り動かされた巨漢、ハートが眼を覚ます。

 

「シン、てめぇは殺す……!!」

 

 ケンシロウの赤く充血した双眼が見開かれた。

 そこへ腹を押さえながらやってきたハートが間に入ろうとした。

 

「お待ちなさい、あなたたちは親友ではなかったのですか?!」

「もはや友情などありはしない。殺す……」

「……友だ」

 

 小さい声でそう答え、シンが立ち上がった。

 その際の呟きに反応を示したのは、巨漢と吹き飛ばされた女たちだった。

 激昂中のケンシロウは当然耳にしていない。

 

 修羅になった男は、死ねと声高に言いながら突き入れてきたシンの龍の牙を掌で止めた。

 それは突き抜けた時点で筋肉によって止まっていた。

 彼の指を握りしめ、ケンシロウは渾身の正拳を突き放つ。

 今度はシンがそれを受けるために手をかざす。

 憤怒の拳は相手の掌低を打ち破るように突き進むかと思われたが、金髪の青年はそれを受けきるのではなく、横に流して貫通を避けていた。

 それでも北斗神拳はシンの胸部に最初の一撃を叩き込むことに成功していた。

 

「ゲフっ」

「おおおおおおおお」

 

 女王を救ってくれた青年の表情が歪んで、ヴァルキリアたちが悲鳴を上げる。

 ケンシロウはぶるぶると震えながら、さらに気合を溜めた後に、目にも止まらぬ十字の型の百裂拳を立て続けに打ち込んだ。

 

「うおぁたたたたたたたた!!」

 

 最後の一撃におわったぁ、と言い放ち、宿敵の体を打ち飛ばした。

 弾かれたシンがすさまじい勢いで石柱に叩きつけられた。

 めりこんだ長身の、砕かれた肩に触れている柱が粉みじんに吹き飛んだ。

 鋼の上半身を闘気で纏った北斗の男は、無表情に戻って傲然と言い放つ。

 

「……貴様の奥義を破ったのは怒り……執念に勝るおれの怒りだ」

「怒り」

 

 誰の目にもわかる上昇気流の闘気で広間が震えている。

 ケンシロウが崩れ落ちるシンをまたも見下す。

 この戦いでの彼は、シンの素早い動きを止めるために犠牲にした手のひら以外、まったくの無傷だった。

 

「南十字星の形に秘孔を突いた。お前の紋章を抱きながら死ね」

 

 血に染まった手をかざして北斗神拳伝承者が宣言する。

 

「一分だ」

 

 背を向けたケンシロウがヴァルキリアたちの阿鼻叫喚の反応に眉一つ動かさず、その場を後にしようとした。

 ハートが口から血を流しながら待ちなさい、と追いかける。

 

「奴の登場で死にかかった命を捨てることはない。やめておけ」

 

 開いたままの扉の向こうに出ていこうとしたときである。

 ケンシロウが女たちの驚倒せんばかりの声を聞いて振り返った。




北斗飛衛拳。アニメ北斗の拳の蹴り技。

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