聖拳列伝   作:小津左馬亮

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二十五話  南斗乱れるとき

 ケンシロウは目を見開いて仇敵を見つめていた。

 秘孔を突いて絶命するはずの男が立ち上がっている。

 こちらに向かって手招きするように手の甲を見せつけている。

 そこに広がった十字の傷に違和感を感じながら、彼は動揺を隠せずに構え直した。

 金髪の青年がよろめきながら告げた。

 

「……致命の突きは外してある……お前の怒りとやらがどれほどのものか、読み違えたことで不覚を取ったものの……俺はまだこうして生きている」

 

 黒髪の男は衝撃から立ち直れないまま、呆然とシンを眺めていた。

 ユリアを奪われたあの日。

 そこから数々の修羅場を潜り抜け、死線を制し、南斗六聖拳であるジュガイすら撃破してこの戦いに挑んだのだ。

 シンに対する見切りは北斗神拳伝承者の名に懸けて発動させたはずだった。

 

「なぜ」

 

 手の甲に十字の傷を持つ青年は、胸に七つの傷を持つ男の奥義から耐えきった理由を口にした。

 

「北斗と南斗は表裏一体。俺はこの意味をようやく悟ったぞ……見切りを備えているのは北斗神拳だけではないことを。わが拳もまた」

「バカな?!」

 

 北斗の男が吠えた。わかるはずもない。

 シンの見切りが発動したのは、一度宿敵の奥義を死をもって見たからだ。

 だが彼は別の言葉を口にした。

 

「ケンシロウ。執念に対する怒り……それで俺を上回ったと思っているのか。怒りごときで今の俺の執念を超えられると思っていたのか。怒りに目覚めた程度で、南斗極聖拳(きょくせいけん)を見切ったと思っているのか」

 

 ヴァルキリアたちがおおっと歓声を上げた。

 レスティエも見た。

 両の(てのひら)を上下にし、相手に向ける。

 シンのみが構える拳法の型に闘気の(ほとばし)りはない。

 それに対してケンシロウが闘勁呼法、という型で迎え撃つ。

 彼の体から沸き立つ闘気は広間を揺るがすほどすさまじいものだ。

 両者は対極だった。

 

「どっちが勝つと思う?!」

「……どう考えても北斗の男だ。気圧が違いすぎる」

 

 エバの親衛隊たちの悔しそうな声を聞きながら、広間に入ってきたばかりの影の女は、まじろぎもせず己が主人を見つめていた。

 気そのものを内に秘めている、とレスティエは思った。

 南斗の拳士としての直感だった。

 北斗の男の熱気により彼の金髪が揺れている。

 その青年が静かに言った。

 

「目覚めるのは怒りなどではない。お前もラオウ同様、リュウケンには程遠い」

 

 恐れるものはこの世でただ一人。

 北斗神拳先代伝承者リュウケンのみ、とシンは公言している。

 ユリア強奪の際、ケンシロウを襲撃したときもそう告げていた。

 愛に目覚めない北斗神拳など敵ではない。彼は核戦争前、ラオウにすらそう言い放ったのだ。

 

 北斗七死星点。

 極限にまで力を溜めて秘孔を突くという剛拳をケンシロウが繰り出す。

 初撃を(かわ)した金髪の青年が身を沈めて羽ばたいた。

 

 

§§§§§§

 

 

 ユリアが息を切らして階段を駆け上がる。

 最上階の開いている扉の向こうに見たのは、数年前に生き別れた最愛の恋人が宙を舞う姿だった。

 

「ケン!!」

 

 白い手を伸ばし、高い天井にぶつかって落ちていく黒髪の男の名を呼ぶ。

 大理石の床に巨大な十字の断裂が入っている。

 それが極星の拳の奥義であることを、慈母の星は知っていた。

 胸を十字に裂かれた北斗神拳伝承者があまりもの衝撃で受け身も取れず、扉の近くに転がり落ちてくる。

 彼女がそれに駆け寄った。

 

「ケン……!」

 

 長い黒髪の美女が血だるまの恋人を抱き上げて叫ぶ。

 抱き上げられたほうは意識をなくしていたが、人の温もりを感じ、頬に落ちてくる涙で目が覚めたようだ。

 号泣寸前の彼女を見上げ、震える声で相手の名を呼ぶ。

 

「ユ……ユリア……生きていた……のか」

「ええ、ええケン……」

 

 涙をぬぐった象徴が、やってくる金髪の青年を睨みつけた。

 必死の形相でケンシロウをかばいながら叫ぶ。

 

「貴方は……またしても彼を……!」

「ユリア。どけ」

「どきません」

 

 この恐るべき男は北斗神拳伝承者を二度も破りながら、深淵なる瞳の色はいつもと変わらず動じない。

 ユリアは思わず大きく息を飲んだ。

 北斗の男が南斗の女を優しく押しのけて起き上がる。

 しかし再び胸から血を噴き出し、膝を折って倒れこんだ。

 

 そんな恋人を抱きしめながら、彼女は周囲を窺った。

 垣間見た技の凄まじさを肌で感じつつ、糾弾するように言った。

 

「南斗化血十字葬(かけつじゅうじそう)……極星拳の必殺奥義。本気でケンを殺そうとした」

「……だが彼は生きています。必殺ならば、この伝承者は今頃十字に切り刻まれて死んでいた」

 

 レスティエが冷や汗をぬぐいながら、ケンシロウを眺めて呟く。

 ゆっくりと近づいてくる南斗の光明も無傷ではない。

 同じように十字の打撃を受けたあとが胸部にあり、左肩は砕かれているようだった。

 金髪の青年の靴音が止まる。

 静かな双眼で自分を見下ろす宿敵に向かい、黒髪の男が声を振り絞るように尋ねた。

 

「なぜ……なぜだ?! ユリアを殺したと嘘を」

「……」

「おれの怒りを誘うためか……おれのユリアに対する執念を見ようと」

 

 言い終える前にケンシロウが吐血した。ユリアが手にした布で血をぬぐっている。

 見下す側は黙って二人を見守っていた。

 そこへ用心棒の生き残りが足を引きずってシンに歩み寄り、頭を下げて語りかけた。

 

「助けていただいたようですね……金髪の小ぞ……いや紳士」

 

 仲間の仇討ちのために満身創痍になった巨漢へ、青年は目を向けた。

 

「ハートか、傷だらけのようだな。レスティエ」

「はい。ヴァルキリアに医務室にでも連れて行ってもらいます」

「いいものを見させてもらいましたよ。内に秘めた闘気で……あふれる闘気のあの男を制するとは……感服いたしました。あなたのような強い男がこの世にいようとは」

 

 ほれ行くよデブ、という女たちと、なんですってぇ、とすごむ脂肪の塊が扉の向こうへと消えていった。

 シンが膝をつく宿敵を再び見下ろす。

 

「ケンシロウ、お前は強くなった。だがまだ北斗神拳の神髄を会得するには至っていない」

「……」

「恐怖の暴狂星と南斗の聖帝。それがひとりの女を奪うために、世界を揺るがせようとしている。怒りなどで己を(たぎ)らせることしかできぬお前では、あの両名からユリアを守り切ることはできん」

「貴様なら……それができるというのか?! ユリアを守り通すことができるのは自分だけだと。ゆえにユリアは渡さぬと!」

 

 歯を食いしばり、血を流しながら今度こそケンシロウは立ち上がった。

 彼の身を案じる恋人を後ろに下がらせた七つの傷の男が、再び気合を入れ直して構えなおす。

 死を覚悟した後姿に、象徴がやめてと叫ぶ。

 手の甲に十字の傷を持つ青年が、天をも破るとも言われた秘奥義の名を口にする。

 

「天破の構え」

「これはわかっていても避けきれるものではない。連動する次の技は見たことがあるまい」

 

 レスティエが象徴を抑え込む。抑え込みながら身震いを抑えきれなかった

 極小の範囲に極大の闘気を浮かび上がらせる北斗の男に、恐怖を覚えたようだ。

 だがシンは躊躇せず宿敵に向かっていく。

 迎え撃つケンシロウが発動の絶好の間合いを逃さず、今だとばかりに闘気を放出した。

 

「極星墜ちるべし!」

「シン様っ」

 

 影の女が悲鳴を放つ。周辺の大理石の床にひびが入った。

 砂塵のようなものが宙に舞う。

 触れずして秘孔を突く、という闘気の指弾とシンの貫手が激突した。

 凄まじい風圧が巻き起こった。余波からか、轟音を立てて石柱が崩れ落ちる。

 

「な、何が起こったか見えない……」

 

 風と砂埃にまみれる渦中の二人を、ヴァルキリアたちが手をかざして眺めている。

 ただ何かを打ち抜いたかのような音、その際の黄金の光を誰もが見た。

 

「……あれは」

 

 呆然とするレスティエと同じように、長く美しい黒髪の美女がもやが晴れてきた光景を見つめて青ざめている。

 何かを確認したヴァルキリアたちが、うおおおと雄叫びを上げていた。

 

 渦中の男たちの姿がはっきりと見える。

 北斗の闘気の残滓(ざんし)が金髪を逆立てている。

 シンの両頬に、両手両肩両足に、(えぐ)るように駆け抜けたような傷がついていた。

 

 だがそんな衝撃も彼の一点突破を揺るがすことはできなかった。

 北斗神拳の秘奥義、天破活殺の芯を完膚なきまでに撃ち抜いた彼が、その伝承者の胸に龍の牙を突き立てている。

 

「指突のみで闘気ごとケンを撃ち抜いた……! あれが……南斗極聖拳(きょくせいけん)

 

 かの極意を改めて思い知ったユリアが真っ青になりながら、唇を震わせて呟く。

 レスティエも頷いた。

 二人は先ほど退出した巨漢の言葉を思い出す。

 内に秘めた気合で外へ放つ相手の気合を制する。

 それを成し得た側は微動だにしなかった。

 制されたほうの短い黒髪がガクリとうなだれた。

 

「ケン!!」

 

 ようやく我に返ったのか、北斗神拳伝承者の名を呼ぶ彼女の絶叫が広間一帯に響き渡る。

 ケンシロウが気力をなくして膝をついた。

 レスティエの制止を振り切り、慈母の星が二人の間に飛び込んでいく。

 ユリアの視界は涙で揺らいでいる。

 自分でも何を言ってるのかわからない悲鳴を上げていた彼女が、何かに気づいた。

 恋人の胸に突き立てた復古の拳の指突が、第一関節までだと悟ったのだ。

 

 龍の牙を抜いた金髪の青年が一歩後退する。

 ケンシロウの無事を確認した南斗の象徴がいつぶりか、旅の連れをまともに見上げた。

 

「……」

 

 幼き日より見慣れていた彼のまなざしがそこにはあった。

 この人は何ひとつ変わっていない。

 ここの至って今更ながらユリアは悟った。そして問い詰めようとした口を閉じた。

 俯いていた男が低く唸るように叫ぶ。

 

「北斗神拳の……秘奥義が……ただの指突に敗れた。なぜ途中で……貫手を止めた?!」

 

 なぜだ、と震える北斗の男を南斗の女が抱きしめる。

 ケンシロウは口から流れる血をぬぐおうともせず、歯を食いしばって手加減という屈辱に耐えていた。

 

「ケン……」

 

 彼の横顔は蒼白だった。自分も同じような表情なのだろう。

 ユリアがそう思いながら目を閉じたものの、気配を感じてふと瞼を開けた。

 いつの間にか近くにいたレスティエが、静かに口を開いた。

 

「わかる気がします。わたしのような未熟者でさえも……なんとなくわかったような気がします……」

 

 ケンシロウとユリアが部外者のような女性拳士を見た。

 青白い頭巾を被った彼女は両手を胸の前に合わせ、指が白くなるまで握りしめていた。

 

「ケンシロウ様の拳は殺意と怒りにまみれていた。でもシン様のそれは違う」

 

 言葉を切った影の女が、相思相愛の二人から主へと視線を移す。

 

「……執念の拳ではあるのでしょう。でもそれはユリア様だけに向けられたものではない……お二人に向けられる想いだとようやくわかりました。そんな拳だからこそ、独りで挑んだ貴方を破ったのです。ケンシロウ様」

「……」

 

 外からの風が広間を吹き抜ける。

 表裏一体の斗の男女は、無関係の女に何がわかる、と抗弁しなかった。

 静かに佇む金髪の青年を見つめるレスティエの瞳に、いつしか涙が浮かんでいた。

 

「幼少の頃より守ってきたユリア様の信頼を自ら壊し、不信と憎しみを受ける……そんなシン様の姿をわたしはずっと見てきました……不器用なお人です。自己満足と言われても仕方のない行動だったかもしれない。でも未だにケンシロウ様を友と呼び、ユリア様を守るべき人と定めて揺るがないこのお方の想い、秘めた心は誰にも砕くことはできません。天をも衝く剛拳も、天空を翔ける(おおとり)でさえ」

 

 レスティエの大粒の雫が頬を伝う。

 その姿に、目を赤く腫らしていたユリアが泣くのをやめた。

 青白い頭巾をかぶった女が上司の声を聞いた。

 

「わが主。復古の拳を極めた南斗の光明たるわが主……」

 

 大理石の床に影が下りる。

 金髪の青年の近くに膝をついていたのは、目つきの悪い男だ。

 死神の異名を持つ韋駄天がご報告を、と告げてきた。

 

「南十字の旗を掲げた一軍が城塞の外にまで侵攻中。おそらく本隊」

「そうか」

 

 靴音を鳴らしてシンが二人に背を向けた。

 さめざめと泣くレスティエの肩に手を置いた後、彼は言った。

 

「ケンシロウ。決着は預ける」

 

 ユリアに抱きしめられながら、北斗神拳伝承者は己を二度破った南斗極聖拳(きょくせいけん)伝承者の背中を見た。

 

「怒りや覚醒ではないものから解き放たれたとき、そのときが三度目の戦いになるだろう。それまで――」

 

 彼が振り向いた。レスティエと死神が黄金の髪をした青年の横顔を窺った。

 

「ユリアを……生かせよ」

 

 

§§§§§§

 

 

「若……いえ主。ケンシロウと我らが象徴をあのままにしておくべきなのでしょうか。貴方にはまだ及ぶべくもないあの男が、慈母の星を守り抜けるとは思えません」

 

 城外へと出たシンの後を追いながら、死神がそう告げてくる。

 それに続くレスティエも頷いていた。

 彼らの主が言った。

 

「一度目は急襲のようなもの。だが二度目は真っ向から戦い、そして突き砕いた。あの敗北がケンシロウをさらに強くするだろう。そうなる以上、ユリアも望まぬ男と共にいることはない。生ける者どうし、目覚めるために必要な何かを(はぐくむ)む旅になればよい」

「……何度やっても同じのような気がしますがね」

 

 南斗の旗を掲げる一隊が、荒れた大地の向こうから現われた。

 これほどの機動部隊を擁する勢力は、この世でそうはいない。

 

「来ましたか……御大層なバイクに乗ってますが分相応だ。あのお方にふさわしい派手な登場です」

 

 死神が舌打ちを放ち、軍を率いる頂点の男が、巨大バイクの後部座席から立ち上がるのを見ていた。

 鳳凰が舞った。

 陽の光をを浴びて羽ばたくその姿は、まさしく(おおとり)だった。

 着地した剽悍な男は金髪。対峙する長い髪の青年と同じ色をしている。

 白いマントを羽織った南斗の帝王は、仮面のままシンと対峙する。

 

 背後でゆらめく旗の数からして百を超える軍勢を従えていたが、彼が腕を伸ばしただけで、数名を除いたそれらが一斉に後退した。

 ベジ、ギジと呼ばれた隠密機動部隊が主の傍に控えるのを見て、死神がさらに舌打ちを放った。

 

「南斗双斬拳の双子ども……あやつらがアスガルズルの情報を掴んでいたとなれば、全ては聖帝の耳に筒抜けか」

 

 影の女がそれに答える。

 

「ではユリア様とケンシロウ様のことも」

「おそらく水鳥拳師弟の身内騒動も、その後で主が北斗神拳を再び破ったことも承知だろうよ」

 

 レスティエが上司の言葉で城塞を振り返る。

 不意に響いたズズンという地鳴りは爆発音だろう。

 アスガルズル内部でなにか騒動が起きたのだと推測できた。

 

「ケッケケ。わしらの調略に応じた生き残りの不満分子、そやつらが騒ぎ出したようじゃな」

「あの色里には火炎放射の機動隊を潜ませてある。主への添え物としてあの街は頂いたぜ」

 

 トゲトゲの防具を着た双子のモヒカンが、偃月の刃を取り出した。

 煙が上がった城塞を見上げて哄笑している。

 影の長が城門へと引き返そうとするのを、彼らは飛び上がってその進路を塞いだ。

 

「死神、いかせんぞ」

 

 意気揚々と威嚇する二人を前に、ジョーカーは鼻で笑って告げた。

 

「うぬらごときすばしこいだけが取り柄の拳法で、この天翔を抑えられると思っているのなら」

「バカめっ」

 

 跳躍した双子はレスティエに目掛けて襲い掛かった。

 不意を衝かれた目つきの悪い男が部下のもとへ翔けようとしたとき、何者かの殺気を感じて着地する。

 やってきた男の姿を認めて、珍しくも彼がうめいた。

 

「お前まで来たのか……リゾ」

「主に対する鉄心の忠誠。腕が立ち、影を駆使する韋駄天。聖帝は貴様の排除もお望みだ」

「……やるかね。どうやらわしも死を覚悟せねばならんようだな。南斗善知鳥拳(うとうけん)

 

 鳳凰の紋章を(かたどった)ったヘッドバンド、短い黒い髪、黒い髭のダンディな男はジョーカーと同格の拳士だった。

 飛来した死神のトランプカードを苦も無くさばき、それを斬り捨てる。

 岩をも砕く高速の刃だが、児戯に等しいと一蹴されていた。

 

「レスティエ!」

 

 ジョーカーが彼女の危機に思わず叫ぶ。

 だが大敵を前に動くことはできなかった。

 門下生として南斗聖拳を奮うことができる女性ながら、百八派のひとつである双斬拳、ベジ、ギジを相手にできるほど強勢ではない。




南斗化血十字葬(かけつじゅうじそう)。北斗無双のシンの奥義。
リゾ。サウザーの配下。シュウとは一緒に南斗聖拳を学んだ仲。
本作では南斗善知鳥拳(うとうけん)の伝承者。
死神と同じく、南斗十六翼将のひとり。
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