聖拳列伝   作:小津左馬亮

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二十七話  落鳳破

 鳳凰の形をした紫炎(しえん)の刃が、振り下ろされる黄金の爪を薙いだ。

 広範囲に及ぶ武威は大地を巻き込み、津波のように砂塵を浮かび上がらせていた。

 南斗最大級の闘気を備える人物がゆっくりと降り立つ。

 

 居合わせた誰もが惚けたように見つめていた。

 乱世においても練武に余念がなかった帝王の一閃。

 死神やレスティエ、リマだけではなく、リゾや部下たちさえ初見であった。

 鳳凰炎舞刃(えんぶじん)、という奥義の名を、全ての者が初めて聞いた。

 

「見事」

 

 真っ向勝負で後方へと薙ぎ飛ばされた青年に向かって、勝者は偽りない賛辞を贈った。

 

「見事だ南斗極聖拳(きょくせいけん)。そのほうの体を両断させるべき余の刃をよくぞ防いだ」

 

 必殺の気合を流し防がれたのにも関わらず、彼は上機嫌で笑っていた。

 

「凄絶を込めた鳳翼(ほうよく)。それに対し一矢報いおった。羽一枚をもぎ取ったか」

 

 サウザーが指から流れる血を眺めて口角を上げている。

 受けた斬裂によろめきながらも構えを崩さない復古の拳士、その牙が自分に当たればただではすまない、ということを自覚したと思われる。

 剽悍な男が拳を握りながら独語した。

 

「フフ……これだ、この感覚だ。神より選ばれし余の肉体を撃ち抜くことができる対等の存在を待っていたのだ。それがラオウだけではなく、赤い衝撃とそのほうであることの喜び。南斗の強勢、これに勝る痛快はない」

 

 斗の枠を超えて帝王足らんとする男。

 南斗百八派の崩壊を目論んだと思われる男は、実はどの同門より南十字星を司る拳法に矜持を持っていた。

 死神やレスティエ、リゾといった拳士たちはようやく思い知ったのか、声もなくその雄姿を眺めるばかりだった。

 

 南斗聖拳とはサウザー(なり)

 

 世紀末覇者、拳王と呼ばれる北斗の長兄が、鳳凰拳以外を南斗と認めなかったのには理由があったのだ。

 その彼が呼吸を整える。

 

「ほ、鳳凰拳に構えが」

 

 死神があえぐように言った。リゾすらも初めて見た。

 今まで無防備だった司空の位置に印を持つ男が、初めて構えを見せたのだ。

 

「そのほうに敬意を表し、対等の相手として遇してやろう。将星自ら極星に斬を下す、わが神髄を見るがよい」

 

 燃え盛る紫の闘気が(おおとり)を象り、羽ばたいたように見えた。

 うおおおという聖帝部隊の歓声のなか、リマが青白い顔でまた毒づいた。

 

「シンの野郎がようやく指に当てたってだけなのに、あの紫炎(しえん)の刃を上回る奥義があるってのか?! オーバーキルにも程があるぞあの化け物め」

 

 南斗鳳凰拳、天翔十字鳳。

 

 十字の構えを見せたサウザーの、獅子搏兎(ししはくと)の気合を見た金髪の青年が、我知らず口角を上げた。

 見識、風格、その強さに至るまで、前世よりはるかに優れた南斗の頂点がこれほどの覚悟を示しているのだ。

 

「南斗の拳士としてこれ以上ない果報……主の骨は必ずこの死神が拾って」

「ジョー様!」

 

 影の長にレスティエが吠えた。敵であるリゾも万感の思いで頷く。

 リマがサングラスをかけ直す。

 おれぃも死ななくちゃなと拳を鳴らし、乱入の構えを見せている。

 

 音もなく鳳凰が舞い上がる。

 両の(てのひら)を上下に構えたシンは逆光で目を細めた。

 降りかかってくる大仰な動きに、金髪の青年が指突を合わせにかかる。

 

 だがそれは空を切った。逆にシンの背中に断裂が走る。

 振り向いて標的を薙ぎ払うも、天空を舞う羽にかすりもしなかった。

 髪一本も触れられず、鳳翼(ほうよく)が天舞するたびに青年の体は血煙に包まれた。

 よろけながら膝をついたシンが、瓦礫ビルの上に降り立ったサウザーを見上げる。

 十字鳳という奥義は、先ほど見せた二つのそれとは明らかに質が違っていた。

 凄絶の構えのなかで聖帝が笑みをこぼす。

 

「フフフ気付いたか。わが南斗鳳凰拳の神髄が闘気などではないことを」

「気というものは外に放つのではなく……内に秘めるもの」

 

 気付いたのではなく、すでに知っていたかのような相手の台詞に、サウザーが眉を上げた。

 

「ほう、復古の拳とやらの極意もそうであるか。ならば話は早い」

 

 爆発寸前の紫の闘気はいつの間にか消えている。

 だが違和感など何もない。

 その気脈はふつふつと、内側で沸き立っているかのようだった。

 

「気だの結界などというものは曲芸であって拳法ではない。そのような児戯など余の羽ばたきでいくらでも吹き飛ばせる」

 

 彼が登場してからというもの、北斗神拳は無敵ではないと言われて久しい。

 神々しい姿の南斗の頂点が傲然と語り始めた。

 

「ラオウが戦いを避けていたのは秘孔が通じぬだけではなく、荒ぶるだけの狂気では余を撃つことなどできぬ、と本能で悟っていたからだ。己が肉体のみを駆使した全霊の拳。それこそが余を打ち破ることができる唯一の戦法であることに、あの男はまだ気づいておらんらしい。重畳ななことよ」

 

 胸の前で交錯させるサウザーの、腕の残像が見える。

 だがそのほうはその境地に至ったようだ、と聖帝が鳳眼を見開いて言った。

 それとは逆に、両の手を上下に構え続けるシンは先ほどから目を閉じている。

 

「おいあんた死ぬ気か。鳳凰を捕らえきれねえからって、付け焼刃の心眼で奴の芯を射抜けるわけねえだろ!」

 

 我流拳法のヘビメタ男が投げやりに突っ込んだ。

 サウザーがリゾや死神を一瞥した後、珍しく見知らぬ相手に関心の目を向けた。

 

「……南斗の拳士どもではなくがさつな下郎が見抜いたか。この世は広い」

 

 そう呟きながらサウザーがビルから飛び上がった。 

 虚実の体で聖帝が迫ってくる。

 余分な殺気などないそれを目で追えば判断が遅れる、と考えたシンは、薙ぎではない(おおとり)の爪の気配を肌で感じていた。

 その爪に対し掌を合わせるように、彼は自分の指と相手の指を絡ませ、天空の標的を捕らえることに成功していた。

 

 周囲がどよめいた。

 

 それでも青年はそのときが来るまで目を開けなかった。

 サウザーはもう片方の手で渾身の両斬破を放つ。

 その気脈も瞼の裏で見て取れる。

 体をひねって一刀両断のそれを辛うじて(かわ)した。

 空振りした聖帝の柔軟な体躯から、捻り上げた蹴りが放たれる。

 それはシンの脇腹から肩にかけて裂傷を与えていた。

 

「主が(おおとり)を捕らえた。だがそのあとだ。何が起こったのか見えん……」

「われらの目ですら追いきれぬか!」

 

 南斗の上位拳士である死神とリゾが、金色と紫の波動を持つ男たちの攻防を見守る。

 レスティエや聖帝軍には暴風のなかの影を見ているようで、何が起こっているのか理解していないようだ。

 しかしひとりだけ、獣の感覚で察知した男がいる。

 リマが大声で呼びかけた。

 

「おいシン逃がすなよぉッ! せっかく奴の片翼を捕捉したんだ、その手は死んでも放すなっ」

「ちっ」

 

 サウザーが舌打ちしたのは珍しい。

 天空を舞う羽の機動性を封じられたことで、肉弾戦という真っ向からの打ち合いになった。

 

「互いに利き腕を封じられたままか。よかろう、帝王は剛の面においても他の南斗を(しの)ぐと証明してやる」

「そろそろいいんじゃねえか、おい!」

 

 さらにリマが激励を送る。

 女王エバの命を救った大恩ある青年に、彼は柄にも似合わない激情のセコンドを担おうとしていた。

 

「目ぇ覚ませや!! あんたの内に秘めた気合……その溜めに溜めた集中を、いい加減ぶっ放してもいいんじゃねえか?!」

「な、に……」

 

 サウザーの鳳眼が今度こそ見開かれた。

 野獣の異名を持つサングラスの大男を見る。

 ふと視線を移した瞬間、聖帝が無意識に鳥肌を立てた。

 

「南斗の極意は指突にあり。指突とは基本、ゆえに基本こそ最強。極聖拳(きょくせいけん)の龍の牙こそ、名のある奥義を超える究極奥義……」

 

 ズシン、と大地が揺れる。呟き終えたシンの目が見開かれた。

 同時に捕えていた相手の手を無意識に握り潰した。

 聖帝と呼ばれる南斗最強の男の指と(てのひら)は、一瞬にして砕かれた。

 

 かつてこれほどの傷を他者から受けたことはない。

 サウザーは苦痛より精神的に衝撃を受けたようだが、それでも極星十字拳の蹴撃(しゅうげき)で対応したのは、シンに対する無意識だった。

 

 ゴキャっという音をたて、金髪の青年の肋骨が砕かれた。

 その感触を得た(おおとり)が、とどめとばかりに無事なほうの腕を引き絞り、天地分断の気合を込めた鳳凰割絶爪(かつぜつそう)、という突撃を放つ。

 

 死人がひるむはずもない。

 合わせるかのように、黄金の貫手はすでに放たれていた。

 それらは交差せず、そのまま激突する。

 踏み込む二人の拳士の重圧に耐えられず、地盤が割れ、風圧で砂塵や岩の欠片が舞う。

 

「フハハハハ、鳳凰の爪に耐えきるか。だがこのまま押し切って」

 

 聖帝の高笑いは途中で消えた。

 

 肉の割れるいやな音がした。

 南斗最強を(うた)われる男の、強靭な手甲にヒビが入った。

 それが徐々に裂けていく。

 かの者の手に南斗の証が刻まれていたのを、サウザーはこのとき初めて知った。

 

「その甲の傷……南十字星?!」

「振り抜けぇぇえ!!」

 

 リマの大音声が聖帝の驚愕の声を消し去った。

 

 サウザーの目には全てがスローに見えた。

 それはいつものことであった。

 だが砕かれる側として身を置いた覚えはない。

 どうすることもできない立場になったのは記憶にない。

 

 わが肉体の反応が遅すぎる。

 苛立ちとともに舞う鮮血のなか、紫の爪を突破してやってきた黄金の牙が、己の不死身の肉体に突き立てようとするのを、呆然として見下していた。

 

 破壊された指先から抑えきれなくなった鳳凰の闘気が噴出する。

 この期に及んでは是非もない。それを駆使するしかなかった。

 突き立てようとする牙を闘気の斬撃で阻み、宙を舞いながら退いて、ようやく極星の拘束から逃れることに成功していた。

 

「クッ、クソが。あの状態から抜け出しやがった……また飛ばれちゃかなわねえ……!」

 

 猛獣が口惜しいとばかりに、かあぁと叫ぶ。

 南斗の拳士たちはすでに声もなく、息をするのも忘れて鳳凰拳と極聖拳(きょくせいけん)の死合いを見つめていた。

 

「みっ見ろ。サウザー様の手から極大の闘気が溢れている。すでに気力をなくした金髪の男があの(ほとばし)りに抗う術はなさそうだぞ」

 

 聖帝軍がやったとばかりに歓喜の声を上げている。

 双方とも出血していたが、体中にそれがある青年と、両手にしか傷がない剽悍な男との差は明らかだった。

 

 無防備に歩いて間合いをを詰めてくるサウザーの形相は、修羅そのものだ。

 迎え撃つシンはあと一歩で相手の体を貫きかけたにもかかわらず、その機会を失っても平然としているように見えた。

 修羅の男が問いかけた。

 

「余を撃ち損ねた……それでも自若は変わらぬか。お前は一体」

「すでに守るべき者は託した。であれば」

 

 シンが三度構え直した。風が荒地を吹き抜けた。

 

「俺は刺し違えても将星を仕留めるのみ」

 

 サウザーの闊歩が止まる。

 しばらく対峙していた彼が、不意に声を出して笑い始めた。

 

「ふっ……フッフフ死人の拳か。わかってはいたが、こうして目にするとなんとも小気味よい男よ。だが殉星たるお前がその囚われから解き放たれた今、何をもって死兵と化すのか……」

「貴方ゆえに死兵となれるのだ、聖帝サウザー」

「……なに」

 

 捨て子だったらしい赤ん坊が育てられ、南斗の門下生となったあの日。

 個人的には少年の姿で目覚めたあの日。

 それから遥か高みを見上げてきた。

 

 偉大なる南斗の帝王サウザー。

 

 その目指すべき男と最後に戦えるのは武門の誇りであり、南斗の拳士においては誉れといってもよい。

 

「恐るべきはリュウケンなり。されど敬愛するは北斗の長兄すら(はばか)る南斗の頂上拳」

 

 今度は風の音ではない。

 南斗極聖(きょくせい)の拳の構えから発せられる秘めた闘気の音だ。

 

「貴方を見上げるすべての南斗は、屈折する想いを抱く者はあれど、頂くに足らんとする者は誰ひとりとしていない。聖帝の名にふさわしい、南斗最強の男」

 

 サウザーは見た。

 大聖殿で、または道場で、視界の端に映っていた金髪の小僧の姿がここにはある。

 大導師でさえ道を開ける己が颯爽とした姿を見つめてきた、あの少年の姿だ。

 彼は心の底から笑っていた。

 

「フフフ小僧……金髪の小僧。あの慈母の星より余を選んだか。この聖帝を道連れに選んだか」

 

 常に満たされぬ憤懣(ふんまん)を内に込めて生きてきた男。

 その彼が偽りない笑みを浮かべていた。

 修業時代にオウガイに稽古をつけられ、結果を出したときに撫でられる頭の感触。

 過去を思い出したかのように相好を崩したが、それは一瞬で消えていた。

 

「その意気に応えよう、南斗極聖拳(きょくせいけん)のシン。復古の拳を極めた男よ。もはや余に内に込める気力はない。よくぞ両の羽をもぎとった」

 

 サウザーが両手を広げた。

 闘気など曲芸とまで言い切った拳士が、ラオウですら凌駕する鳳凰の形を成した曲芸をもって自身の体を浮かせ、そのまま滞空していた。

 

「南斗鳳凰拳伝承奥義、落鳳破(らくほうは)




鳳凰炎舞刃(えんぶじん)落鳳破(らくほうは)。北斗無双のサウザーの奥義。
獅子搏兎(ししはくと)。ライオンはウサギを捕らえるにも全力をつくすの意。
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