カサンドラ。
各地から集められた拳法家、武道家を保護するという名目で建てられた監獄である。
それらの極意書を収拾、管理し、一度収監されると二度と生きて門から出る事は出来ない、と言われる脱出不可能な城塞でもあった。
札付きの極悪人でさえも
支配者は獄長ウイグル。
ラオウすらしのぐ巨躯を誇る、泰山流
彼が就任して以来、カサンドラ不敗伝説を破ろうとしたものは多々あれど、その安定した基盤を揺るがしたものは誰も存在しなかった。
今では獄門の前に近寄ろうとする軍勢すらいない。
門番である壮士たち、その二人が久しく見ていない来訪者の登場に、思わず仁王の役目を忘れて動いてしまったのは、仕方のないことだった
「そんなところに突っ立ってないで降りてこい」
目つきの悪い薄緑の髪の男が彼らの目の前にやってきた。
指一本で手招きしている。
連れに女がいることも謹厳な衛士の敵意を誘った。
仁王像のごとき構えの彼らが跳躍した。
上空から死神を急襲する。
標的を挟み込むようにして翔け抜けた際、上司が上半身を反らして何かを避けているのをレスティエは見たが、それが何かまでは確認できなかった。
「これは……」
態勢を整えて振り返ったジョーカーが思わず瞠目する。
両頬に傷が入ったことを今知ったようだ。
「奴ら、何か妙な暗器を持ってやがる。いつの間に」
「二神風雷拳。我ら二身一体、寸分たがわぬ感性にして培われた殺人拳」
鉛のような肌の色の衛士たちは、ライガフウガと名乗った。
顎鬚があるかないかでしか判別できない。
そんな双子が傲然と告げた。
「このカサンドラに立ち入ることは許さぬ」
そう言い切った彼らが目を剥いた。
女のほかにもう一人いたはずの、フードを被った男が見当たらないのだ。
「奴はどこに」
「主はどこだ?」
彼らは目つきの悪い男が同じようによそ見していることに気が付き、何の余興だと呟く。
そのとき、女があっという顔をしながら鋼鉄製の城門を指さした。
二人の巨漢が振り返る。
「な、何?!」
固く閉ざされた門にヒビが入った。
ライガフウガが何事か、と取っ手に腕を伸ばす。
金属の割れる重い音が響いて、双子は咄嗟に退いた。
そのすぐあとで、難攻不落の象徴であった大手門が、硬度などないかのように真っ二つに割れた。
「あ、ありえぬ……」
砕け落ちていく破片、同時に門枠も崩落していく。
そんな轟音のなか、城塞の内側からフードを被った男がこちらを向いて、ぼそりと告げた。
「開いたぞ」
「ふっ、ふざけるな貴様!!」
「まさか、まさかこの高さの城壁を一瞬で飛び超えたというのか……?!」
仁王のような男たちが泡を飛ばして吠える。
想定外な方法で城門を破られたことで、血相を変えながら中に引き返していく。
死神やレスティエはいい加減慣れている。
広くなった入り口から堂々と城内に入り込んだ。
「城門を超えればすぐに処刑広場か。改めて見ればさすが鬼の
上司の口笛に、生真面目な部下が眉を上げる。
その彼女が広場の奥のほうに鎮座する支配者の姿を認めて、思わず一歩後ずさった。
人間において限界かと思わせる上背、それを支える剛体、猛牛を模した兜、白黒まじった口髭に顎髭。
尋常ならざる様相は、一目でカサンドラ伝説を担う存在だとわかる。
その剛毅な支配者が口を開いた。
「ライガフウガともあろうものが……しくじったな。外からではなく内から門を破られようとは」
「まっ待て……!」
「ウイグル、貴様」
処刑広場に引き立てられてくる少年の姿を見て、双子は狼狽しながら駆けようとした。
「止まれい! 寄らば鷹を放つ」
腰かけた獄長が、肘をつきながら鞭を振る。
その巨漢の肩に止まる猛禽類を見た彼らは、歯ぎしりをしながら立ち止まった。
カサンドラ処刑隊、と呼ばれる獄卒たちが武器を手に、ミツと呼ばれた少年の首に二つの刃を交差させた。
「カサンドラの歴史のなかで、こうも容易く前衛を破られた覚えはない。このわしの伝説を汚す者ども、万死に値する」
「弟に罪はない。拳王の走狗め、虎の威を借りおって!」
怒髪天を衝くライガフウガの苦し紛れの放言に、ウイグルが口角を上げた。
反逆の言質を取ったとばかりに鷹に合図を送る。
拘束され、身動きの取れないミツを串刺しにしようと、鷹が飛び上がった。
「や、やめろ!」
少年の兄二人は行く手を阻む何人かの獄卒を鋼線で切断したが、間に合わない。
鷹の嘴が少年の胸を貫こうとしたとき、兄の絶叫が鬼の哭く街に響いた。
ぽとり、と猛禽類の切っ先が落ちた。
少年の胸にぶつかっただけの鷹が、地面に落ちてのたうち回っている。
その広場にいる誰もが、一人の男に視線を集中させていた。
フードを被ったその男が処刑台の少年のもとへ飛び込み、彼を救ってライガフウガの前に着地する。
ミツを殺そうと抜刀していた獄卒たちの首はすでに飛んでいた。
いつ縄をほどいたのか、いつ処刑人を
抱き合う三人の兄弟と、それを見守るフードの男を眺めて固まっている。
「フフフついに現れたか……このウイグルに挑む真の勇者が」
獄長が立ち上がった。
それだけで広場一体の空気が震えたと思われるほどの重圧だった。
「カサンドラ伝説の生贄となるべきは誉れ。勇者よ、死後は花を手向けてやろうぞ」
ズシンズシンと大地を踏み鳴らし、フードの男に向かっていく。
その巨漢がふと足を止めた。
レスティエと死神が強制労働者の手と足の
「小物ども。勝手な真似を」
目にも止まらぬ鞭を死神に放ったが、それは空を切るばかりだった。
「ぬっ」
ここ近年、小手調べの鞭の動きすら見切ったものはいない。
何者だと痩躯の彼に標的を変えようとしたとき、その男がトランプを取り出して労働者の鎖を断ち切った。
「……トランプのカード。そうか貴様が死神」
「お前の右腕、ターゲルが鎧袖一触で敗れたのを知らんのか。偵察の獄卒どもは主に似たのか無能だな」
「つまりこの勇者が」
ウイグルがフードの男に振り返る。そして豪快に笑った。
「このカサンドラの城壁を飛び越え、内からとはいえ素手で鉄条の門を斬り破る。なるほど只者ではないと思っていたが……フハハハこれが南斗聖拳か」
豪快な長の豪快な闘気が風に舞う。
その気合に押された部下たちが遠巻きになっていく。
「この世紀末における救世主。あの聖帝を突き破った極聖の牙。よくぞこのウイグルの前にあらわれた!」
その台詞を聞いた男は、フードの下で顔をしかめている。
救世主呼ばわりはあの方への暴言にも等しい、と死神は思った。
しかめっ面の青年が、近くにある墓穴に目を止めた。
それが自分のものだと獄卒から嘲笑まじりに伝えられたとき、フードが薙ぎられて細切れとなった。
「泰山流
切り裂かれたそこから金髪が靡く。
大多数のカサンドラの住人から見れば、彼の風貌は線に細く、武威を示す外観もなく、闘気もないように思われた。
「これはこれは……南斗の帝王を倒した男がこのような惰弱な見た目をしていようとは」
美男子じゃね、と呟いた獄卒が獄長のひと睨みで人垣のなかに消えていった。
「男はこのウイグルのように剛健であるべし。男子に脆弱な要素はいらぬ。武骨の相こそがよい面構えというものだ」
「……たしかにお前はいい顔をしている」
金髪の青年がとくに何の煽りもなくそう言い放った。
事実、彼は嘘偽りなくウイグルの容貌を褒めていた。
「お人が悪い。主ほどのいい男からそう言われて真に受ける者などおらん」
「がはははは!」
本気にした巨漢がそうであろう、と何度も頷くのを見て、死神がぶっと吹いた。
「あの野郎……額面通りに受けやがった」
「ジョー様。腹芸などできない不器用なお方が褒めるときは、その質感が相手に伝わるものです。獄長へのよい手向けとなったでしょう」
「……ときどきお前の辛辣さに身が震える」
上司と部下の軽口の間に、戦闘はより激しくなっていた。
二つの鞭が乱れ飛ぶ。
ライガフウガの目ですら追うことができない速さのそれが地面を抉り、
「千切れとべ、若僧」
そう言い放ったウイグルが双腕を振りかぶる。
だが不意に彼の目の前に飛んできた何かが、その顔面をしたたかに打った。
思わずのけ反った巨体が荒地を
「こっ……これは?!」
自分の鞭が結び付けられ、打ち返されたことを知ったウイグルがしばしの沈黙の後、顔を真っ赤にしてそれを手で引きちぎった。
「むははは、やるではないか! わしの小手調べを手玉に取った男は初めてじゃ」
猛牛の形の兜、その二本の角に手をかけた豪快なる人物が、一気に角を引き抜いた。
それは二本どころか幾重にも重なった多数の双鞭だった。
「この千条の鞭……目で追い切れるかな、勇者よ」
いかん、とライガフウガが加勢に加わろうとするも、解放作業で忙しい死神とレスティエに止められて振り向いた。
「あの男はお前たちの仲間ではないのか!」
「どころか主です」
部下の女が答える。双子は顔を見合わせた。
「どういうことか?」
「いいから黙って見ていろ。泰山流ごときに極星の牙が一本でも折られようものなら、わしがこのトランプで腹を切る」
「……余興ではないのだぞ、死神」
「余興だ。こんなものは聖帝との死闘を見たあとでは児戯にも及ばん」
ライガフウガはしばらく呆然としていたが、影の男が影の女にここは任せる、と告げながら施設内に入ろうとするのを見て、その背中に声をかけた。
「待て、よそ者がカサンドラの迷路に入り込めば二度と出られんぞ」
「仁王たちよ、わしを誰だと思っている」
「……韋駄天か」
「この騒動の隙をつくのは今だ」
泰山流
二階にある窓の中へと姿を消した上司をよそに、レスティエは巨漢の突進をまともに受けた主が、鞭を引きちぎりながら弾き飛ばされるのを眺めていた。
「まずい、あれは蒙古覇極道!!」
「ウイグル必殺の体当たり……あれを受けて人間の形を保っている者は今まで誰もいなかった。あの極星とやらも肉塊に」
双子の断定に彼女はかぶりをふった。
すさまじい地響きを立てて墓場を破壊し、吹き飛んだはずの青年が、何事もないようにゆっくりと立ち上がる。
その動作を見た獄卒たちが、歓声を止めて驚愕へと表情を変化させている。
逆に収容された人々はおおっというどよめきを放っていた。
「バカな……芯を当て、撃ち抜いたはずだ」
ウイグルが信じられぬ光景を見た。
相手の体には擦り傷があるものの、肉塊どころかまともなダメージがほとんど入っていないと気付いたのだろう、もう一度バカなと呟いた。
「わしの覇極が外れた……いや、もしくは流されたのか」
「あの巨体の闘気と物理の攻撃を……拘束されたままで
仁王のごとき男たちの確信の感想で、ウイグルがうぬっと怒気を発した。
彼が手を上げた。
何かの仕掛けなのか、シンの背後の地面から、三方の壁が持ち上がってくる。
その鉄の壁には同じ材質の鋭い棘が生えていた。
もはや逃げ場はない、と奥義の構えを見せたカサンドラの支配者が、再度標的に狙いを定めている。
「その余裕の優面をすり潰してくれるわ。わが肉体と鉄板の間で圧死せい!」
砂煙が上がる。
先ほどの激突を上回る気合をこめた巨漢が、咆哮しながら荒れ地を蹴った。