聖拳列伝   作:小津左馬亮

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三十三話  銀の聖者

 カサンドラ城内に潜む獄卒を斬り捨てながら死神が進む。

 迷路のような牢獄ながら一度侵入している韋駄天は、やや迷いはしたものの、やがて見慣れない区画へたどり着いた。

 ウイグルやその側近がいない牢獄内など、彼にとっては障害にも値しない。

 

 薄暗い回廊に足を踏み入れた途端、どこからか暗器が飛んできた。

 目つきの悪い薄緑の髪の男はそれを造作もなく(かわ)し、ふと目を細めた。

 わざとらしくぶら下がる厚手のカーテンを手に取り、それをはぎ取った。

 

「な、なぜおれの気配がわかった?!」

 

 カーテンに隠れて壁にへばりついていた男が、驚愕しながら偃月刀を抜き放つ。

 もうひとりの髭面の男といい、中東系とすぐにわかる顔立ちをしていた。

 

「潜むのならば殺気を消せ。拳王親衛隊とは未熟者の集まりか」

「ほざけ道化師めが! ベラ、ベラよお前の出番だ」

 

 暗闇の向こうからやってきたその拳士は、ターバン姿の二人とは格が違う雰囲気を漂わせていた。

 ジョーカーがそのしなやかな肢体を見て女か、と告げる。

 

「女なれど蘭山紅拳(らんざんくれないけん)の伝承者。その力は貴様の南斗聖拳に劣るまい。ベラ、相打ち覚悟でその道化を殺せ!」

 

 ジョーカーと同じ髪色をした女は、薔薇を口にしながら構えだした。

 無口なのか、名乗りも言葉もない。

 彼女は石畳を蹴って相手との間合いを一気に詰めてきた。

 振り下ろしの指拳は死神の想像以上の速さだった。

 思わず反応が遅れてのけ反ったところへ、弧を描く鋭い蹴りが飛んでくる。

 

「ちっ」

 

 胸に入った切り傷を抑え、ジョーカーが舌打ちを放つ。

 この女の実力はウイグルの片腕と名高いターゲルと同等以上のものだ。

 中東系のむさい男たちが歓声を上げる。

 

「押しているぞベラ! だが時間がない、早くそやつをぶち殺せ」

 

 右側の前髪が長いその女拳士が紫色の唇を動かし、深呼吸をし始めた。

 気合を溜め終わったのだろう、再び堂々と正面から踏み込んでくる。

 派手さや闘気はないが、実の拳の力を持つであろう彼女の一撃を受け流す。

 重い蹴りで南斗の拳士の表情が歪んだ。

 それでも己の間合いを獲得した死神は、天翔拳の奥義を発動させようと両手を交差させた。

 だがそのとき、小さいが重厚な何者かの声が、通路に響き渡った。

 

「私はここにいる」

 

 二人の拳士がそれを合図に飛びずさる。

 ベラは何が起こったのかわからず周囲を見渡している。

 そのとき、少し奥の回廊の壁にピシリと亀裂が入った。

 コンクリートが崩落していく。

 窓からの風が砂塵のカーテンを吹き飛ばした。

 

「な、なんだ?!」

 

 侵攻隊の髭男たちがそのなかから進み出てきた何者かを見た。

 戦っていた男女が同時に目を見開く。

 

「あ、貴方は」

 

 無口だった彼女が薄暗がりから日向へと姿を現した男を確認して、狼狽しながらその名を呼んだ。

 

「……銀の聖者?!」

「この男がトキか!」

 

 死神も思わず口を挟む。

 その彼に対し、無精ひげを生やした痩躯の囚人が声をかけた。

 

「彼女を殺そうとした。褒められたものではない」

「……手を抜いて戦える相手じゃないんですよ、蘭山紅拳は」

 

 教師から叱られた生徒のごとく、死神が首をすくめている。

 ベラに視線を移した北斗の次兄は、望まぬ戦いならおやめなさい、と優しく忠告した。

 

「あぶないっ!」

 

 無口な彼女が思わず叫ぶ。

 背後に忍び寄っていたターバン二人組の剣がトキに迫る。

 だが聖者は振り向きもせず、両手をかざした。

 

「うお」

 

 眩しさでジョーカーが手をかざす。

 北斗の闘気が親衛隊たちを貫いた。余波でコンクリートの壁に断裂が走った。

 動きを止めていたごつい男たちの顔に、愉悦の表情が浮かぶ。

 彼らは痛みも苦しみもなく爆散していった。

 

「これが北斗有情拳……」

 

 沈勇の男が放つ凄まじい離れ業に、死神が冷や汗をたらしながら言った。

 

「……聖者自ら牢から出てくるとは、何か天啓でも受けたのですかな」

「獄長が敗れる兆しを感じた。私の元へやってくるべき人物、それは」

「北斗神拳じゃありませんよ」

 

 目つきの悪い男の言葉でトキが眉を寄せた。

 ケンシロウのつもりが別人だと聞いた彼が、聖者らしくなく動揺している。

 

「では……では私が先ほど感じた恐るべき気脈の持ち主は?!」

「わが主」

「何?」

 

 しおれている蘭山紅拳の伝承者に事情を話せば助けになる、と小さく告げた死神は、遥か格上の存在に向かってドヤ顔をしてみせた。

 

「南斗の光明が北斗の聖者を迎えに来たのですよ」

 

 

§§§§§§

 

 

 獄長による二度目の蒙古覇極道が、標的を圧し潰そうとしていた。

 

「ぬぅはははバカめが、その細腕一本でわしの突進を防げるとでも思うたか!」

 

 ズシン、と重低音が響いた。

 それは打撃を受けて立つ者からではなく、タックルをしかけた側が地面を踏み潰す音だった。

 それが抉られ、めくれ上がる。砂煙が空に舞った。

 

 圧殺したつもりの剛毅な男が、兜の下の表情をいきなり歪ませた。

 青年がかざした牙の一本、それが徐々に己の剛体にめり込んでいったからだ。

 肩から背中まで突き抜かれる……咄嗟に察したウイグルは、苦悶の声を上げて覇極の体勢を崩し、二歩三歩と後退していった。

 

「あああああ?!」

 

 獄卒たちが腰を抜かして眺めている。

 ライガフウガが唇を震わせて(ほとばし)る鮮血を見上げていた。

 それがカサンドラの支配者のものだと知ったとき、囚人たちの大歓声が沸き上がった。

 

「ご、極長の……全身を一弾と化した必殺の重圧を……かっかっ、片手であしらいやがった……!!」

 

 うおおおと雄叫びを上げる処刑広場の連中のなか、双子の衛士が汗まみれになりながら驚愕の叫びを放つ。

 

「……片手ではない……奴は指一本でウイグルの肩を貫いたのだ」

 

 鬼の()く街の処刑広場が今度こそ静寂に包まれた。

 囚人や強制労働者たちだけではない。

 歴戦の戦士である獄卒ですら武器を落とし、眼前の光景に硬直するばかりだった。

 

 金属が響く音がした。

 三方から標的を囲ったはずの棘付きの鉄板が、いとも簡単にひしゃげ折れた。

 金髪の青年が振るう裏拳の三振りで起こった現象だった。

 

「獄長だけじゃねえ、なんであの棘付きの鉄の壁を素手でぶち折れるんだ……」

 

 ウイグルの側近たちが過呼吸になりながら、不敗伝説を担っていたはずの豪傑を窺う。

 彼の肩はシンの指突によって完全に砕かれていた。

 レスティエが多くを語らぬ主の代わりに、その拳の神髄を語る。

 

「どれだけ体を鍛えても無駄です。南斗極聖拳(きょくせいけん)は地上のどんな物質をも力で撃ち砕く」

 

 彼女の言葉に、広場が改めて静まり返る。

 そんななか、肩を砕かれた髭面の巨漢はよろめいていた体を立て直し、気圧された自分に対し喝を入れた。

 戦闘民族の末裔としての矜持であろう、深淵なる闘気の持ち主にひるまず立ち向かっていった。

 ライガフウガでさえも後ずさりする程の彼の気当たりに対し、指一本で伝説を破壊した金色の髪の青年は、淡々とした表情で告げた。

 

「極悪人を収監するのはよい。だが無辜(むこ)の民には今後一切関わるな。お前の拳士としての誇りにかけて誓えば……仕置きはこの一撃で終わらせる」

「ふはははは! わし相手に子ども扱いの折檻で終わらせるつもりか、舐めるなぁ!!」

 

 憤怒の形相で咆哮したウイグルが、身をのけぞらせて力を溜めている。

 死兵と化した豪傑による渾身の頭突き。

 そんなすさまじい重圧に対し、シンが片手を振り下ろす。

 北斗神拳先代伝承者に鍛えられた南斗の男の一撃は、相手の頑丈な兜を砕き、脳天へ裏拳を叩きこむことに成功していた。

 

「ぼあ」

 

 自分の半分の背丈しかない男の打撃を受け、ウイグルが轟音とともに大地に打ち付けられた。

 頭部が陥没するだけで済んだ代わりに、彼は地響きを立てながら頭から地中へと沈み込んでいった。

 ばたつかせていた彼の両足の動きが止まる。

 

 上半身が埋まったまま昏倒した相手を一瞥し、シンが広場を見渡す。

 それを見た大多数の獄卒たちが、うわああっと悲鳴を上げながら逃散していった。

 カサンドラの囚人たちが拘束から解放され、周囲は歓喜の声で沸き立った。

 

「あれが……あれが我らが待ち望んだ本物の救世主」

「……まさしく。あの男ならこの乱世を終わらせることが」

 

 双子が弟の手当てを施しながら感慨深く頷きあう。

 そこへ新たなどよめきが聞こえてきた。

 城内から姿を見せた何者かを遠巻きにしながら、彼を知る囚人たちが跪いて特別収容人の登場を出迎えていた。

 

「あのお方がトキ……銀の聖者」

「あえてウイグルに捕らえられていたと聞いたが、今こうして自ら出てきたのは……」

「あの男だ……! 獄長を赤子の手をひねるように倒したあの金髪の青年。彼が来たからだ」

 

 人々がそう囁きあうのをよそに、死神とベラを従えた痩躯の男がシンと向かい合う。

 主の近くにいたレスティエは女拳士がベラだということは知らなかったが、ひとかどの使い手であると理解しつつ、渦中を窺う。

 

「トキ……痩せたな」

「無茶をした。しかし後悔はしていない」

 

 ケンシロウとユリアを核シェルターに避難させ、自ら外に出たことで被爆した男の髪は、全て銀髪になっていた。

 見るからに不健康そうだった。

 日の当たらぬ牢獄での生活からか、顔色は青白く、足取りも頼りない様相だ。

 その彼がため息をつきながら呟いた。

 

「わが弟だと……このカサンドラを破るのはケンシロウ以外にないと思っていた」

「旅の途中でそのうちここに来たかもしれん。だがあえて俺が横槍を入れた」

「……その理由を聞こう」

 

 そう言ったトキがいきなりせきこんだ。

 ベラが肩を貸し、レスティエも駆け寄る。

 元々見目が良い銀の聖者は、彼を知る全ての女拳士の憧れだった。

 こうなった今もその仁は失われていない。

 本来ならば最も世紀末の救世主に近い男だったのだ。

 今も興奮冷めやらぬカサンドラをライガフウガに任せ、シンたち一行はリンとバットのいる村へ引き返すことにした。

 

 

§§§§§§

 

 

 足腰の弱った病人が歩き続けられるほど、核戦争後の荒野は穏やかではない。

 照り付ける太陽や砂嵐が行く手を阻む。

 そんな過酷な道中において、彼が拒否するのをかまわず背中に背負った青年が、地平線からやってくる軍団を確認して歩みを止めた。

 

「あれは」

「拳王陸戦隊……!」

 

 彼らの出で立ちや駆動車輪の武装具合から、ベラは顔色を変えて走り出した。

 レスティエと死神も後を追う。

 

「やはり裏切ったか蘭山紅拳(らんざんくれないけん)!」

 

 ヘルメットにライダースーツ、車体に刃や突起物を仕込んだ十数台の軍団が、エンジンをふかしながら女拳士を取り囲んだ。

 ベラが身構えながら尋ねた。

 

「おのれら……母様はどうした」

「造反者の親は収容所送りよ。今から別のシティに運ぶ」

「そこにいるのか?!」

「おっと動くな」

 

 後方のバギーの上で捕らえられた老母を発見し、彼女が構えを解く。

 母の首に白刃が煌めいているのを見て、ベラは身を震わせながら立ち尽くていた。

 

「トキを殺せば解放してやる」

「………」

「処刑隊は腕力がねえんだ。うっかり刀を婆の首に落とすかもしれん」

「貴様ら」

「おっとっと。おっと」

 

 老母の後ろで武器を弄ぶ二人の隊員が嘲笑う。

 その笑い声が不意に途絶えた。

 陽の光に反射した誰かの姿を、ライダーたちはヘルメット越しに見た。

 それは一瞬の出来事だった。

 

「ほぁ?!」

「え」

 

 陸戦隊が揃いも揃って何も出来ないほどの早業だった。

 いつの間にか銀髪の男が自分たちの背後にいた。

 そしていつの間にか人質を抱え、翻ってベラの近くへ舞い降りた。

 開いた口が塞がらない様子で一連の動きを眺めていた彼らが、いきなり体をガクガクと震わせた。

 ちにゃ~といった断末魔を放って、それらは皆爆死した。

 再会を喜ぶ親子を優しく見守ったトキだが、激しくせき込んで大地に突っ伏した。

 

「トキ」

 

 慌ててベラが助け起こす。

 血を吐いた彼が大丈夫と健気に笑って答えている。

 死神とレスティエが水やわずかな薬を手に、介抱しにやってきた。

 北斗の次兄の神技に呆気に取られていた陸戦隊が我に返り、邪魔者をひき殺そうとエンジンをさらにふかし始めた。

 

「もろとも踏みつぶしてやる」

 

 重量級のバイクを突進させた集団の前に、金髪の青年が立ちはだかる。

 

「若僧ぅううう! 一番最初に死にてぇか?!」

 

 それがバイク部隊の遺言だった。

 突っ込んでくる機動車両に向かって、シンの飛び蹴りが放たれた。

 

 数台の二輪駆動が空へと舞い上がる。

 バラバラになった機材と肉塊が降り注ぐ衝撃的な光景を、ベラは表情を凍り付かせたまま眺めていた。

 世紀末覇者でさえ認める銀の聖者が呆気に取られている。

 それほどの蹴撃(しゅうげき)だった。

 やがてトキが独り言のように口を開いた。

 

「……あれが南斗では倒せない、といわしめた聖帝を貫いた……極聖の拳」

「奴らのバギーがまだ残ってますね。ちょうどいい、足代わりにいただきましょう」

「ヘルメットの野郎ども、死にたくないのか這う這うの体で逃げていきましたぜ」

 

 見慣れている影の女と影の長は平然と言いながら、トキの肩を担ぎ上げる。

 自分の元に現れたのがケンシロウではないことに違和感を覚え続けてきたトキが、南斗獄屠拳を目の当たりにして、ようやく理解したように頷いた。

 しかしその顔には一抹の寂寥感が浮かんでいた。




ベラ。蘭山紅拳(らんざんくれないけん)の使い手。北斗の拳のアニメキャラ。
大戦前夜のラオウ戦でも語った台詞。今回はレスティエが代弁しています。
アニメ版でシンが謀反を起こした将軍バルコムに告げたもの。
「体をいくら鍛えても無駄だ。南斗聖拳は地上のどんな物質をも力で撃ち砕く」
これを他の強敵に言ってみたいがために、本作を書いたようなものです。
妄想のなかの金言です。
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