「おおおあれですぜユダ様! 金髪の若僧、まだ生きてやがった」
近侍の小男、コマクが赤毛の馬を見上げながら叫んだ。
黒毛の巨馬がそれに気付き、高らかに咆哮する。
それの手綱を握る豪傑は
紅の兵団、別名赤備えを率いる美男子がひらりと下馬する。
拳王偵察隊のシーカー以下、数名の大男たちが、なんだあてめえはあとすごみながら近寄っていく。
「いいんですかね、拳王様。あの小虫ども……相手が誰だが理解してない様子ですが」
拳王親衛隊とは違う風体のとある小男が、ラオウの傍に跪きながらそっと告げた。
コマクと体格は似ているが、ふさふさ髪な妖星の配下と比べ、毛髪は寂しい。
そのウサいう影が、二メートルを軽く超える体躯のシーカーたちを小虫と呼んだのは意味がある。
彼らは勇猛だったが、今回ばかりは相手が悪すぎた。
反応がない世紀末覇者を窺ってウサは肩をすくめている。
「赤い衝撃。久方ぶりに見たいのでございますな」
従者の言葉にラオウがぎょろりと目玉を動かした。
影が首をすくめたそのとき、荒野に風が吹き抜けた音がした。
「な、なんだ」
ウサが渦中の様子に思わず立ち上がる。
いつ音が発生したのか、いつ斬撃を放ったのかもわからない状態で、赤毛の青年が片手を斜めに上げていた。
標的に襲い掛かろうとしたシーカー以下三名の猛者たちは、すでに動きを停止させている。
赤紫のマントの人物が歩み始めた。
巨漢の彼らとすれ違う。
同時にそれらは細切れになって血煙の中で消えていった。
「一振りで千条斬り……小虫が何匹かかったところで無駄ですな」
ウサがこめかみに流れる汗を拭きとりながらうめいた。
拳王と名乗る相手に対し、あれほど躊躇なく立ち向かってくる男を、彼は他に知らない。
気負いのないその男が歩みを止めた。
「光明。そろそろ起きろ」
ユダの呼びかけにシンがよろけながら立ち上がる。
黒王号の上から放たれる凄まじい闘気の威圧を受けながら、涼しい顔の持ち主が言った。
「ボロボロだな。まるで歯が立たずか」
「……生きていることが不思議なくらいの大負けだ」
「正直でよろしい」
無言で馬腹を蹴った大敵が突っ込んでくる。
赤紫のマントをばさっとめくり上げた赤毛が、軽く地を蹴った。
人馬一体の攻勢に耐えられる者などこの世にあらず。
そういった傲慢さの突撃に対し、真っ向から飛び込んでくる紅鶴の意外な跳躍に、馬上の覇王が牙を剥いた。
「このラオウと正面から撃ち合うつもりか!」
ボッ、という音を立てた指突が相手の体を粉砕するかと思われた。
だが世紀末覇者の波動と拳は空を切った。
心得ている黒王が主の命令なしに馬首を返す。
荒れ地を踏み砕き、標的に軸合わせをしてから再度突撃しようとしたとき、その巨馬はゆっくりと動きを停止させた。
「小鳥めが」
思わずラオウが悪態をつく。
同時に自身の兜が弾け飛んだ。
それを眺める拳王侵攻隊の面々がうおっ、とどよめいた。
ウサが歯噛みをしながら呟く。
「け、拳王様の正面に舞い上がり、その
ラオウの顔をつたって、手の甲に血が流れ落ちた。
彼の額は斜めに裂傷が走っていた。
世紀末覇者を名乗って以来、これほどの傷を受けたのは初めてのことだった。
逆に傷をつけた側が驚いている。
その様子に本人ではなく、ウサが怒号を発していた。
「ヤロウ、あれだけで済んだのかって顔してやがる! われらが天の覇王を舐めやがって!!」
一方シンも、赤い衝撃を久しぶりに見た。
馬上のラオウはおろか、自分の目にも追い切れないカウンターの冴えに、奴がサウザーを倒すべきだったのだ、と彼は内心で吐き捨てた。
「俺の苦労が半減したはず」
そう独語した金髪の青年が、赤紫のマントを靡かせる妖星の雄姿を眺める。
激昂寸前の相手を一本指で挑発している。
煽る相手は拳王だ。あいつはやはりイカれている、とシンはまた毒づいた。
「このラオウをここまで愚弄するか。うぬは六花八裂では済まさぬぞ……!」
馬腹を蹴った彼がガクンと体勢を崩した。
疾走するはずの愛馬が、駆けようとするのをいきなり停止させたからだった。
「どうした黒王」
いなそうとするも、黒い巨馬は首を振って吠えるばかりだった。
その様子を察した主が頭の毛を握りしめ、静まれいと一喝する。
「どうどう」
歩法を乱し、未だ収まる様子が見えない黒王の動揺に、北斗の長兄が目を細めて腕を上げた。
「ラオウ」
ふとユダが口を開く。
何をしようとしているのかわかっているような、彼への一喝だった。
「拳を奮う相手が馬か。見苦しい」
「……」
パニックになったまま収まらない愛馬から飛び降りた巨漢が、無造作に裏拳で馬腹を叩いた。
ほっとした様子の黒王号がウサのもとへ退避していく。
「あ、あの黒王が恐れをなして拳王様に従わぬとは、ありえん話だ……畜生の本能で死を垣間見たのか」
ウサが配下の大男に担がれ、巨馬の手綱を取りながら部隊の元へ引き返す。
その声は震えている。
「たった一撃で世紀末覇者を地上に下す。聖帝や天帝といった大勢力でもないあの赤い衝撃……拳王様が最初に潰しておくべき一番の難敵だったのではないか……」
ズシンという両足の踏みしめで大地が揺れる。
核戦争以降、彼が下馬して戦うのを見た拳王配下はひとりもいない。
その最初があの線の細い美男子であることは、配下の面々はもとより、当人が一番存外に思っていたに違いない。
その相手は聖帝しかありえないはずだったのだ。
「それを倒したこの若僧といい、赤毛のうぬといい」
うわあッという侵攻隊の悲鳴が聞こえた。
覇王の燃え盛るような気合で、部隊ごと吹き飛んだからだった。
「いけ好かぬ南斗の雛鳥ども……皮を剥いで食ろうてやるわ」
足音には思えない轟音を立てて、ラオウが標的に近づいていく。
これほどの怒気を放つ主君は見たことがない、とウサは思った。
「私はついにサウザーを倒すことができなかった……光明に比べ、なんという不明か。であれば」
ゴゴゴと唸りを上げるラオウの闘気に対し、ユダのそれは深淵にして内にこもる静かなものだ。
そのアイスブルーの眼が見開かれた。
「北斗の長兄の首をもって、わが失態を取り戻す」
「ほざきおったな……! このラオウが地上に降り立ったからには、うぬには死、あるのみ!!」
ラオウの構えで周辺の地形が揺れに揺れた。
その間合いへ赤い髪の青年が臆することなく進んでいく。
シンはそれを見てあいつも死人だ、と思わざるを得なかった。
§§§§§§
たたっと雫がしたたり落ちた。
赤い髪がかかる白い頬に、妖星の血が何本か流れていく。
それを拭った美男子がふむ、と納得したように小さく頷いた。
離れた場所からコマクの悲鳴と紅の軍団の動揺が伝わってきたが、それどころではない。
彼は不機嫌そうに呟いた。
「かいくぐったと思ったが……甘かったな」
元斗皇拳の拳士すら一撃で消滅させるという、世紀末覇者の剛掌破が不発に終わった。
だけではない。
体格が良い彼のほうが出血は多い。
脇腹に手を当てたラオウが、ぺっと血を吐いて捨てた。
「元斗の闘気すら弾く拳王様の剛体に……あれほどの傷を植え付けようとは」
ウサのうめくような感慨にシンが応じた。
南斗聖拳を極めし者の牙、当たればラオウとて無事では済まぬと。
「やりおるわ小鳥ども……!」
ぐきぐきと首の骨を鳴らしたラオウが、さらに闘気を増幅させて前進する。
その双眼には狂気が宿っていた。
「この身を
「笑止。お前の雑な拳法でこのユダを捕らえられると思っているのか。闘気ごときでこの私は倒せん」
いかん、とシンが刮目した。
この世であの奥義を食らって生きているのは若き日の彼だけだった。
無想陰殺。
ケンシロウやトキでさえも習得していない、と思われるラオウ独自の極意だ。
雑どころか、二千年の北斗神拳伝承者のなかでも、あのような無意識のなかの意識の拳を繰り出せる者はいない。
今度は逆に妖星が拳王に誘われた。
あえて背後を取らせたラオウの無想の蹴り。それが赤い衝撃を打ち抜いた。
あの日のシンと同じように、ラオウにあれほど華麗な蹴りを受けるとは思ってもいない赤毛の青年が、脇腹に蹴撃をを食らって弾け飛ぶ。
渾身の秘奥義は相手の骨を砕き、肉を打ち抜いていたが、ラオウの表情はしかめっ面だった。
荒地にもんどりうって転がり、美しき鶴が似合わぬ無様を晒して倒れこむ。
その一部始終を見て喜んだのは、ウサと侵攻隊のみだった。
ユダが率いてきた一軍は葬式のように静まり返っている。
「ざまを見ろ思い上がりの若僧めが! あれではもう戦えまい」
ウサの雄叫びに、ラオウは表情を歪めたままだった。
北斗神拳としては秘孔をずらされたのが屈辱だったようだ。
あれではただの回し蹴りでしかない。
実の拳を放ち損ねた、と本人が一番理解しているのか、不本意ながらとどめを刺そうと妖星との距離を詰める。
未だ膝をもつけず昏倒するユダに、シンが声をかけた。
「俺にも負けぬボロ雑巾になっているな。手伝おうか」
「……遠慮しておこう。さすがに失態が過ぎる。このままでは帰れぬ」
手をついて立ち上がった赤毛の青年は重傷だった。口からも血を吐いている。
「珍しいな。お前ともあろう者が下手をうつとは」
「光明が楽しそうで何よりだ」
うそぶくユダの前に立ちはだかったラオウが傲然と見下ろす。
「拳王様の前では南斗などゴミクズ同然。六星の二人を連続撃破じゃ!」
「なにおうこのハゲ野郎が!!」
ウサとコマクが離れた場所から唾を飛ばしあう。
それをよそに、ラオウは並みの拳士が見れば失神しかねない眼光を、赤毛の青年に向けている。
その極大の闘気を
「サウザーめ。このような道化を注視し、さらにあの若僧程度に倒されるとはな」
二人の南斗の男たちがぴくりと反応する。
「聖帝を
ラオウが拳を突き上げた。
やれやれやっちまえい、というウサと、やめろやめんかというコマク、小さいおっさんどうしの声だけが荒野に響いている。
「死ねい」
ラオウの唸り声とともに、ブシュウウと血が吹き上げた。
彼の赤いマントが靡いたとき、それが風に乗ってばらばらになり、宙を舞って消えていった。
黒いプロテクターが砕け墜ちる。それも両肩同時だった。