聖拳列伝   作:小津左馬亮

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三十八話  三つ巴 

「ああああ?!!」

 

 金切り声を上げたのは妖星の忠臣ではなく、世紀末覇者の影だった。

 とどめとばかりに振り下ろした彼の剛腕がめり込む先は、標的の胴着ではなかった。

 

 撃ち抜かれた固い大地が、円状に大きく陥没している。

 隕石の激突かと思われる重い衝撃で、岩盤や土砂が舞い上がった。

 

 そして誰もが見た。砂埃の向こうで大きな影が跪いているのを。

 渦中の方向を眺めた金髪の青年がよろめきつつ、憎まれ口を叩いた。

 

「奴がとどめに刺しに来るあの瞬間を……待っていたな。文句のつけようもないカウンターだ……食わせ者め」

 

 呟き終えた彼がふと村の方向を窺う。

 そこからバギーが戻ってくるのが見えた。

 

「KING、ご無事ですかっ?!」

 

 そう呼びかけてくる者はこの世でただひとりしかいない。

 その目つきの悪い男が慌てながらも静かに車両を停止させ、主の元へやってきた。

 

「ご無事でよかった……地震の発生源はあれですな。恐怖の暴狂星め、いったい誰と戦って」

 

 目を凝らした死神が、爆心地で湧き上がるもやの中の影を見ながら周囲を見回した。

 よほど気が動転していたのか、拳王侵攻隊の他に紅の軍団がいるのをようやく気付いたようだ。

 

「あれはU.Dの紋章。しかしなぜ赤備えが……あッ」

 

 突風が吹いた。砂煙にまみれたもやが晴れていく。

 おおっと両軍がどよめいた。

 

 そこからうわあっという悲鳴に変わったのは紅ではなく、黒い軍団だった。

 彼らの主が羽織っていたはずの赤いマントは、斬り裂かれて跡形もない。

 両肩にある黒のプロテクターも、頑強な上半身を覆っていた黒い胴着も存在しない。

 

 膝をついたまま、世紀末覇者を名乗る男か踏ん張って地面に倒れるのを防いでいた。

 だがついに堪えきれず、思わず両手をついた巨漢の男が吐血した。

 

「け、拳王を相手に……真っ向から()りって撃ち破ったというのか?! ユダ、赤い衝撃め……! 聖帝以上の化け物ではないか」

 

 ジョーカーが怖気を奮いながら独語する。

 一方、赤毛の青年は、崩れ落ちる一歩手前の巨漢の直線上で、片手を天に衝いていた。

 ラオウを下したその雄姿を、誰もが惚けるように眺めている。

 赤紫のマントを靡かせる彼がゆっくりと腕を下げていく。

 そして標的へ向けて一歩踏み出したあと、静かに告げた。

 

「サウザーは死してなお南斗の帝王。彼に大口を叩ける者は彼を倒した男ただ一人」

 

 両手をついたままの北斗の長兄に向かい、南斗の拳士が優雅に歩み寄る。

 いつもと変わらず淡々とした様子に見える。

 しかしそれは憤怒の形相だということを、長年仕えたコマクだけが知っていた。

 そんなユダの押し殺した声が戦場に響く。

 

「……何もできなかった貴様があの司空の(おおとり)を見下すことは、この私が許さぬ。身の程を知れ」

「け、拳王様が……」

 

 ウサが腰を抜かした。

 先ほど吹き上がった鮮血は拳王を名乗る男のものだった。

 巨体の上半身が血まみれになっているのは、防具ごと斬り裂かれたためだ。

 

 それにしても世紀末覇者を相手に、身の程を知れと言える男が他にいるだろうか。

 しかし誰も違和感を覚える者はいなかった。

 

 膝をついたまま胸を抑えるラオウのダメージのほうが大きかったからだ。

 起き上がれない自身の体に喝を入れるため、彼はバシンと膝を叩いたものの、それが思うように動くことはなかった。

 

「おのれ……!」

 

 ギリっと歯を食いしばった剛毅な男が面を上げる。

 睨みつけられた相手は涼しい顔に戻っており、傲然とラオウを見返していた。

 死神が気付いた。

 ラオウの胸ではなく背中に斬撃が走っている、とあえぐように呟く。

 

「あまりもの速さの拳ゆえ、衝撃は背中に衝き抜ける。そしてその背から裂ける」

 

 戦場には場違いな程の、誰かの静かな説明がバギーのほうから聞こえてきた。

 今まで気配を消していたのか、口を開いたことでジョーカー以外の誰もが初めてその存在に気づいた。

 

「南斗紅鶴拳、見事だ。わが兄の奥義、北斗滅天把(めってんは)に合わせてカウンターを放つとは」

 

 その人物が車両から降りてくる。

 混乱する双方の軍はさらにどよめいた。

 

「とっトトとっ、トキ、貴様はトキだな?!」

 

 腰を抜かしたままのウサが銀の聖者を指さして叫ぶ。

 小男の驚愕をよそに、痩躯病身の男がゆっくりと兄に近づいた。

 シン主従の横を通った際、彼に大丈夫かと声をかけたものの、金髪の青年は治療が必要なのは俺ではないと吐き捨てる。

 

 その強がりならば問題あるまいと微笑したトキが衆目のなか、クレーターの震源地で立ち止まった。

 うぬは、と目を怒らせる兄に憐憫の眼を向けた弟は、静かに佇む赤毛の青年に向かって言った。

 

「サウザーの目に狂いなし。地上最強のカウンター拳法……とくと見せていただいた」

「……」

 

 肩をすくめる美しき鶴は血だらけだ。

 そういう所作も絵になる相手に、トキは続けて告げた。

 

「……南斗聖拳を真に極めし者。兄ほどの男でさえ一撃で衝き抜く」

 

 トキの視界には金色と赤い髪の持ち主が映っていた。彼は目を閉じた。

 

「兄者よ。野望と怒りに任せた拳では北斗神拳を極めたといえぬ。われらの拳の神髄はそのようなものではない。師父からの教えを忘れたか」

「……」

「貴方の気質では口が裂けても言えぬだろう。だがそれに目覚めたとき、北斗神拳を凌駕しようとする者たち……その牙を折ることができるだろう。何もそれは伝承者に限ったことではない」

 

 病身のわたしには無理な話だが、と付け加えた弟に、兄は舌打ちを放って面を背けた。

 師に叱られた若い弟子のようだった。

 銀の聖者がユダに向き直る。

 

「すまぬ妖星よ。わたしも北斗神拳を学んだ拳士、この場で敬愛する長兄を討ち取られるわけにはいかぬ。まだ戦いを続けようとするのならば……不本意ながら相手をせざるを得ない」

 

 それを聞いた赤毛の青年が目を輝かせた。

 死神がその様子に、見目良く優雅だが、あの人は戦闘狂だと小さく毒づく。

 

「この身では赤い衝撃に到底敵わぬが、抵抗させてもらう」

 

 無精髭で痩躯の拳士が身構える。

 口角を上げていた紅鶴がブーツを踏みしめた瞬間、金髪の青年が間に入った。

 

「いかにお前とて、トキに手を出すのなら俺が黙ってはいない」

 

 南斗の頂点、その双璧が対峙する。

 シンのその姿に感心した様子を見せたユダだが、そこへ忠実な小男が駆け寄った。

 いい加減になされませ、と叱りつけている。珍しい光景だ。

 

「ラオウ、トキ、シン。奴らは揃いも揃って最強と自負してよい存在です。さしもの御曹司も三人相手では確実に死にますぞ」

「彼らを下せばおつりがこよう」

「サウザーを倒せなかった無念はこのコマク、重々承知しております。しかしラオウを撃墜し、トキに死を覚悟させ、シンにも決死の表明をさせたところで十分でしょう。もはや貴方を侮る者はこの世のどこにもおりますまい」

「……つまらぬな」

「どうせなら何かに目覚めた後のラオウと戦って下せばよいのです。そのときこそ無念は晴れましょう」

 

 トキの受け売りで、何に目覚めるのか理解していない小男の言葉だったが、その一言で主人が盲を開いた。

 

「強すぎるのが弱点という矛盾にして唯一のお方。あの三人を相手どって心を躍らせるなど、正気の沙汰ではない。ワシの毛根がいくらあっても足りませんわホントに……」

 

 ぶつぶつと文句を言いながら、影が主人の愛馬、赤兎(せきと)を連れてきた。

 ここに至ってはさすがのユダも長年の忠臣の意見に従い、何も言わず馬に乗り上げる。

 

「感謝する」

 

 トキがシンを支えながら馬上の青年に呼び掛けた。

 彼は相手が強ければそれに反応し、殊勝ならばそれに(なら)う鏡の人であった。

 聖者が頭を下げたことでむずかゆい表情を浮かべたものの、さあ行きますよという御者に連れられて紅の軍団を撤収させていく。

 その後姿を見たシンが珍しく感心したように呟いた。

 

「あのユダが子供に見える」

「実際あの方は知勇に優れど名門の御曹司。浮世離れしているのは道理でしょう」

 

 主の独語に死神が答えた。

 シンにすらその牙を向けようとした恐るべき手練れの撤退に安堵しつつ、北斗の兄弟を窺ってその会話を聞いていた。

 

「貴方ほどの男がここまで深い傷を受けようとは。それがサウザー以外の南斗の拳士とは……考えもしなかった」

「……フン。あの拳は以前に見た。ゆえにあえてあのカウンターに向かっていったのだ」

 

 不貞腐れた兄の言葉で弟が目を見開く。

 

「なんと……では妖星は貴方の見切りを超えて」

「南斗紅鶴拳、血冥断指(けつめいだんし)。北斗孫家拳の老タイゲンを一撃で倒した衝撃は今も目に焼き付いている……それを正面から砕こうとしたが」

 

 舌打ちを放つラオウにトキが頷く。

 

「避けようと思えばできたものを、貴方は真っ向から討ちあった」

「……このラオウに一度見た拳を(かわ)すという逃げはない」

「なるほど。彼の土俵にあえて上がりこんで横綱相撲をされたわけか。あの青年もそうだが、貴方も大概救いがたい」

 

 聞き耳を立てていた死神が冷や汗をかいている。

 ユダの奥義に膝を屈したのは事実でも、ラオウにとっては己が矜持という縛りやら足枷を背負った戦いだったようで、彼はげんなりしながら天を仰ぎ、そしてぼやいた。

 

「妖星の凄絶なること世の常ながら、あの拳王が何かとやらに目覚めたときのことを考えると胃が痛い。下らぬプライドが邪魔しなければ、いまごろ血煙のなかで沈んでいたのは紅鶴のほうだったと考えると……」

 

 そのぼやきを主が聞いた。肩を担がれた彼は小さく呟く。

 

「あのユダなら沈みゆく前にラオウを道連れにすると思うがな。どちらにしろ双方とも俺が見上げるに値する男たち。いずれ必ず捉えてみせる」

「……鳳凰を超えた今もなお見上げる存在がいる、と嬉しそうに宣言するKINGが一番気がふれていると思いますがね」

 

 シンとともにバギーに乗り込んだ死神が,、トキの乗車を待ってその場を後にした。

 ウサに応急手当をされたラオウも馬上の人となった。

 彼が率いる侵攻隊がメディスンシティーへ再度帰還しようとしたとき、ザクの命令で近くの村を制圧しようとしていた友軍に出くわした。

 

「拳王様、あれはもしやガルダ将軍の手勢では」

 

 ウサが潰走してくる機動部隊に向かって、何があったと大声で問いかけている。

 そのころになるともう拳王軍の幹部、ザクも一軍を率いて主君を迎えに姿を見せていた。

 何か思いを馳せて虚空を見つめる世紀末覇者の反応は薄い。

 鎧兜の将軍ザクが、ウサとともに敗軍のなかから重傷の指揮官を見つけ出し、問いかけた。

 

「ガルダ。お主ほどの男が、小さい村の攻略もできずに戻ってくるとは」

「……ほざけ髭野郎。てめえのように後方でふんぞり返って督戦するお偉いさんとはわけが違う。オレが戦っていたのはてめえの何十人分も強え疾風の拳だ」

   

 灰色(かいしょく)のつんつん髪の青年が口汚く吠えたてた。

 興奮しているようで、これほどまでに僚友を罵るのは珍しい。

 体中傷だらけ、胴着や防具が破壊された状態の手負いの将軍が、血の混じった唾をぺっと吐き捨てた。

 

 ウサも南斗尉鳥拳(じょうちょうけん)の使い手が、余裕をなくした口調で息を切らせているのを初めて見た。

 こっぴどく敗れたと一見にしてわかるその様相に、影の小男が誰にやられたのか尋ねてみた。

 

「ガルダ将軍を敗走させるほどの難敵……それがあの村にいたということですかな」

「いたというより邪魔されたというほうが正しい。いきなりあらわれやがった。隻眼のクソ野郎……」

「……隻眼、まさか」

「察しがいいなハゲ。そうだあいつだ。独眼竜」

「ダガール?! 妖星め、拳王様に横槍を入れる前に、腹心まで近辺に派遣していたのか」

 

 毛根のない頭に手をやってむむむと唸るウサの隣で、ザクが驚愕の声を上げて馬上の主君を窺った。

 満身創痍の南斗の拳士が陸戦隊の将軍の説明を聞き、ユダ、あいつかと表情を歪めている。 

 そして黒王号の主に皮肉な目を向けて言った。

 

「なるほどあのお方すら深い傷を負っている。オレが奴の腹心に後れを取っても失態に値せんな」

「……拳王様は黄金の牙と赤い衝撃を相手に連戦されたのだ。いかに隼が相手といえど、一蹴されたお主と同じにするでない!」

「まじか」

 

 極星と妖星。

 南斗の頂点の男たちを撤退させたと知ったガルダの驚きようは尋常ではなかったが、ザクから不甲斐ないと煽られたことで、再度激昂した。

 地団太を踏んでいる。

 

「あいつも無傷じゃねえ、当分影働きができねえほど斬りたくってやったぜ。オレのほうがちょびっと傷が深いだけだ」

「さすがは独眼竜。六星以外の南斗においては最強か……ユダといい、あの勢力は小さいながらもわれらが覇者の最大の敵となるかもしれんな」

「ヤロウ無視しやがったな、死ね!」

「巻き込まんといて。ワシはあんたらと違ってもう若くないのよ」

 

 ガルダがザクに掴みかかる。

 それを察したウサが跳ねながら逃げていく。

 

 その間も世紀末覇者は空を見上げていた。

 目覚めるための誰かは今とこにいるのか。

 ケンシロウと旅をしていることなど、さすがにラオウは知らずにいた。

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