世紀末覇者が赤い衝撃と相討つ形で傷を負い、自領へ引き返した。
それは拳王軍の領土拡大のスピードが停止することを意味する。
そんな龍虎の静養の間に躍進したのは帝都であった。
他に中小の軍閥も
そのなかで銀の聖者は村で一定の治療を受けた後、慈母の星の本拠となるべくサザンクロスに旅立っていった。
最も重症であった金髪の青年はまだ出立できず、彼はトキの共として死神とレスティエをつけて送り出している。
ちなみのその一行のなかに、リンとバットという子供たちがいたのだが、トキや韋駄天、女性の影がいる以上何の問題もない。
蘭山紅拳のベラは年老いた母親を静養させる理由で、シンと同じく村に滞在中であった。
体が九分九厘死んでいようと、自分の食い扶持は自分で稼ぐ。
起き上がれるようになってすぐ、彼はベラに村を託し、水や食料の調達に出かけた。
旅に出て一日も経たぬうちに、野盗や軍閥の部隊といった面々と遭遇したが、それは拳王という重石が無くなったことの証でもあった。
「ラオウ隠れてさらに乱れるか。あの男の覇権を阻むことが果たして……」
野盗に亡き者にされた親子を埋葬し終えたシンが立ち上がる。
少し離れた場所では、彼の怒りに触れた数十人のならず者が六花八裂となって屍をさらしているのが見えた。
§§§§§§
かつては教会であった場所において、一対の男女が結婚式を挙げている。
二人だけで神を
シンは感無量で、夫婦となった見知らぬ若い男女を遠くから眺めていた。
あれがユリアが望む世界だ。
それを改めて実感した彼が踵を返したとき、二輪駆動にまたがる何者かが同じように教会を見つめていたことに気付いた。
エンジンを切ったその相手が震える声で自分の名を呼ぶ。
彼は珍しく戸惑いながら、女らしき体格のライダーを窺う。
フルフェイスのヘルメットを脱いだそこから、クセのある長い黒髪がこぼれ落ちた。
若い女がそれをかき上げる。
この世紀末の世界においては、稀有と言っていいほどの美貌の持ち主だった。
シンが思わず目を見開く。
「お前は」
「お久しぶりですね先生」
「……先生はよせ。もう戦争前のことだ」
その言葉に微笑んだのは、かつてシンに南斗聖拳を学んだ女、マミヤだった。
数年ぶりの邂逅に興奮したようで、彼女は立ち去ろうとする師のような人物を引き留めにかかる。
シンを屋内に引っ張っていった彼女は、ソファのようなものに座る相手の正面に腰かけ、その痛ましい姿を気遣っていたものの、偶然の出会いに高ぶりは冷めやらぬ様子だった。
運命ですね、とまで言い切るライダースーツの美女が、シンに向かって水筒を投げ放った。
「お水です」
「もらっておこう」
「食料もありますよ?」
「それは自分で調達する」
「……本当に貴方は戦争前と何も変わらない」
人に頼らずぶっきらぼうで女に冷たい。
拗ねたよう呟くマミヤだが、彼にとっては自分の生徒であり、その無事は喜ばしい。
いくつかの世間話の後、クセっ毛の美人は現在の状況を話し出した。
「ちゃんと村人として暮らしてる、と言いたいけど……少し前に衝撃的な人と何人も会って。今はなんとなしの一人旅です」
続けて彼女が語った内容でシンが思わず水を吹きかけた。
いたずらっぽく語るマミヤの話を聞きながら、天邪鬼な彼がなんとか平静を装う。
南斗水鳥拳の使い手が村に現れた。
すぐあとに負傷中の北斗神拳伝承者も用心棒として姿を見せる。
牙一族という集団が以前から村周辺で暗躍していたが、実際襲撃してきたところで
彼らが撃退してくれた。
様々な紆余曲折を経て、南斗の男は妹を助け出して本懐を遂げ、北斗の男と友情を交わして人間の心を取り戻したという。
「そうそう、ケンが連れていた女の人がわたしにそっくりで」
「……」
「わたしが南斗聖拳を学んでいたって知ったら、色々話してくれました。レイやケンも当然知っていましたよ、貴方のことを」
シンが返した水筒を受け取り、当たり前のようにそれを口に含む美人が、ふうと息をついて小さく笑っていた。
「つれない人。不器用で頑固で……誠実すぎて逆に女を不幸にする人」
前世の自分の悪行を知れば、この女はどう思うだろうか。
そうシンは考えたが是非もない。視線をさまよわせるばかりだった。
彼女が長い足を組む。
ライダースーツのピッタリ感で体の線が浮き上がり、そのスタイルの良さを誇らしげに見せつけているようだった。
それにしても、とマミヤが言った。
「わたしに似ているあの人は見る目がない」
いきなりそう言い切った美女は、再度足を組み直す。
「ほんとうに……男を見る目がない」
膝に肘をつき、シンを覗き込むようにして同じセリフを繰り返した。
指にクセ毛をからませた彼女がふと目元を和ませる。
「趣味が違ってよかったと思います」
「……」
「ケンはいい人だけど、わたしには重苦しくて」
「友としては何とも言えん」
「あ、レイもいい男なんだけど……人間に戻った本当の彼は純粋すぎて、以前の姿を知っているぶん、なんだか」
偉そうに品定めをしているが、それに値する美女なのだから始末に悪い。
そんな相手が固形食糧を半分ちぎって投げてきた。
「おいしいですから、これ」
「ああ」
「重苦しすぎず純粋過ぎない……彼らを上回る美男子。そして何よりも強い。あの二人ほどの拳士が自分より強い、と断言してたんですよ。手放しの賛辞でした」
そんな条件のいい男がこの世にいますかね、と彼女が尋ねてくる。
そう問われるも答えようがなく、シンは固形食糧を口に放り込んだ。
その姿を見てまたマミヤが微笑んだ。
戦争前の、ともすれば生真面目な彼女とは少し気質が違っているように思える。
それが相手に伝わったのか、慈母の星にも負けない美貌の主が、乱世ですから、とふてくされたように背もたれに倒れこんだ。
そんな彼女が思いついたように勢いよく起き上がった。
「なんだ」
「わたし、あの人にそっくりですよね?」
「……そうだな」
「身代わりになりませんか。少し髪をとかして大人しくすればそっくりに」
「……」
「影武者です。わたしならある程度拳法の心得がありますし、何より無駄に健康ですから」
核戦争前ならばともかく、この乱世においては改めて有用かとシンが考え込む。
実際、ケンシロウがユリアを連れている現在よりも、自分がユリアを連れ回していた過去を知る軍閥が多いのは事実だ。
「こっちに目を向けさせることで、あの人に迫る危険を回避できるかもしれません」
「……」
「先生への恩返し。今こそさせてください」
「しかし」
「優先させるべきはあの人でしょう。使い勝手がいいですよわたし」
目を輝かせる美女の積極性に少なからずうろたえて、彼は黙り込んだ。
「その前にボロボロの貴方を放っておけません。どこかで療養しましょ」
姿形は似ていてもユリアと違いすぎる。
そんな人柄に戸惑うシンながら、押しの強さで同行巻けて行動を共にすることにした。
§§§§§§
荒野を走る。バイクを運転するのは金髪の青年だった。
後部座席の女があれ、と遠くを指さした。
長時間走り続け、ようやくとある里を見つけてそこで休憩をとることにしたのだが、出入り口にも見張り台にもなぜか人がいない。
「内から女の悲鳴と……男たちの怒号が聞こえる。何かあったんでしょうか」
ヘルメットを脱いだ彼女が耳を澄ませている。
待っていろと告げた運転手がバリケードを飛び越えた。
里のなかは外観から思えないほど栄えている。
老人たちより子供の数のほうが多い。
侵入者である彼にぎょっとした顔を見せるものの、今はそれどころではないといった
悲鳴や怒号の発生源を見つけたシンが、屋根に飛び上がり、割れたガラス窓から屋内を見下ろす。
「今のオレは機嫌が悪い。手を出せば死ぬぞ」
タンクトップ姿、短い黒髪の男が、大柄な男が率いる集団と風呂場の中で睨みあっている。
悲鳴を上げて逃げ惑う若い女たちは、当然にして全裸だった。
そんなけたたましい効果音のなか、黒髪の男前は、連れの帽子姿の男たち二人を突き飛ばしている。
もう一度同じように告げた彼の言葉で、長と手下たちがどっと沸いた。
「色ボケの
土星の輪のような髪型の長はかなりの巨漢だった。
それに比べれば小さいだけで、男前の身長は低くはない。
彼の背中を見ていたシンがその横顔を確認した。
やたら不機嫌な彼の名を思い出す。
ジュウザという男がボスと呼ばれた者を指さして低く唸った。
「御託はいいからかかってこいクソヤロウ!」
「……てめえ死んだぜ」
ゲルガと名乗った大男がバン、と
ジュウザがおっという顔をしている。
「泰山破奪剛」
突き入れた剛腕はジュウザにあっさりかわされた。
それでもその衝撃は凄まじい。
素手で石畳の床を割ってを抉り、浴場を半壊させていく。
「むう……こんな小さい里にこれほどの猛者がいようとは」
ジュウザの連れ二人が冷や汗を流して顔を見合わせている。
その帽子に五車星の印がついているのを、屋根の上の青年は見た。
「すばしこいネズミめ!」
「フン」
さらに勢いを増した破奪剛が標的を撃ち抜こうとしたとき、ジュウザが初めて構えた。
彼の両腕がゲルガの剛腕をねじ切ろうとしたとき、シンは屋根から飛び降りた。
「うっ」
里の長が片腕を抑えて後退する。
ねじ切られる前にその回転から抜け出せたものの、その利き腕は折れているようだった。
黒髪の男が乱入者と組みあう。それが誰かを知って舌打ちを放っていた。
「てめぇは」
我流の拳の手首は捕らえられ、ビクともしない。
周囲のおおっという歓声にまぎれて、五車星の使い二人があれは極星! と一番大きく叫んでいた。
「シン……なんでてめぇがこんなところに」
「それは俺の台詞だ。覗き野郎ということは女風呂に侵入したのはお前のほうだろう」
「だからどうした?!」
雲が不機嫌そうに唸る。
傷だらけの男は相手の手首を放して言った。
「正当な理由で防犯にやってきた長を逆ギレで殺そうとする。
「……死にてぇのかガキぃ」
「やってみろ。お前ごときに後れを取るような南斗聖拳ではない」
こめかみに血管を浮かび上がらせた男前が外に出ろ、と顎をしゃくった。
腕を抑えるゲルガの肩をポンと叩いた青年が彼の後に続く。
そこへ五車の使い二人がお待ちくださいと駆け寄った。
「シン様、あのお方と旅をしていたはずでは」
「……あれは」
「なにごちゃごちゃ言ってやがる。早く来やがれ!」
「せっかちな男だ」
建物の外に出た二人が対峙する。
支配者であるゲルガとならず者に見える自衛団、そのほか女子供や老人も、珍しい騒動だとして里中から集まってきた。
「始める前にひとつ聞いておくぜ。てめえあの女はどうした」
「忘れた」
「あぁ?!」
「他の女を気にしている場合か、女々しい男め。その精神を叩き直してやる。かかってこい」
「殺す……!」
ジュウザが飛び掛かった。
その影すら見ることができず、人々はえっと左右に首を振るばかりだった。
至近距離で放つ態勢の蹴りを、シンが手の甲で受けようとしたが消えてなくなった。
四方から繰り出されるそれの動きは無軌道だった。
かろうじて見えたのか、ゲルガだけがうおっと雄たけびを放っている。
彼の片足を両腕でで支え、その蹴撃を受け止め切ったシンが、ふうと息をついた。
痺れて感覚がなくなるほどの威力だ。青年の表情が歪んでいた。
里の長があれを見切るかぁオイ?! と驚愕の声を上げている。
膝をついてバランスを安定させなければ吹き飛んでいたほどの蹴りに、ジュウザの怒りのほどがよくわかる。
象徴を匂わせる台詞は厳禁だ、と五車の使いたちが痛感していた。
「変幻自在、わが型に定石はない。大戦前の借りを返してやるぜ若僧」
見た目は若いがラオウと同世代、シンにとっては十歳以上も年上である。
雲の異名を持つ男が眉を寄せた。
膝を折ったまま立ち上がらない相手の不調に違和感を感じつつも、大言の責任を負わせようと渾身の正拳突きを放った。
見物客の悲鳴が上がる。
「……!!」
何者かが間に入ってきたことで、ジュウザが拳を止めた。
男ならそのままぶちのめしていたところだが、彼は怒り心頭のなかでもフェミニストだった。
邪魔をした女を見下ろす。シンをかばって身構えている。
その容貌に気付いた彼が、あらゆる意味で度肝を抜かれて立ち尽くしていた。
五車の使いたちもえぇっ?! と素っ頓狂な声を発している。
「ユ」
言いかけた雲が手で口を覆った。
体を震わせてその女に近づく。ユリア、と呟き、夢見ていた存在に手を伸ばそうとした。
「触るな!!」
強く手を跳ねのけられたジュウザが、えっという表情で女を見下ろす。
すさまじい敵愾心とともに睨みつけてくる美しい面に、彼がうろたえた。
ユリアオレだ、と表情を和らげて膝を折る。
顔を近づけたことでようやく違和感を覚えたようだ。
幼馴染であり異母兄妹の間柄で気付かぬはずもない。
顔立ちは似ていたが、その長い髪の質や、滲み出る雰囲気が清楚なあの娘とはまるで違う。
「お、お前はユリアではないのか……」
小声でそう呼びかけられた女が、シンを抱きしめて鼻で笑う。
血管が千切れそうな思いでそれを見つめたジュウザが、気の強すぎる美人の一喝で我に返った。
「わたしはマミヤ、あんたのいう象徴じゃない。気安く触れるな」
怒りを削がれた雲が躊躇しながらも立ち上がる。
「どうですシン。あの男でさえわたしをあの人と見間違う。影として使えるとは思いませんか」
「……かもしれんな」
疲労の色が濃い金髪の青年が、美女に助け起こされている。
腕を組み、片足で地団太踏みながら、ジュウザがけっと吐き捨てた。
嫉妬じゃねえぞ、という言い分を信じる里の者は誰もいなかった。
慈母の星に似たマミヤという女が影という台詞を発したことで、五車の使い二人が顔を見合わせている。
ジュウザ様これで失礼します、と慌てて去っていく彼らにジュウザは何も言わなかった。
ユリアに利がある企みだとわかっているのだろう。
「シンてめえ……満身創痍じゃねえか。それでオレにケンカを吹っ掛けたのか」
「戦争後もお前が壮士なのか知りたくてな」
「昔とは違う。生きたいように生きるためには力がいる。その修練を怠るものかよ」
吐き捨てた彼が、シンからユリアの行先を知らされて表情を改めた。
ラオウが隠れた以上、天帝やほかの勢力がサザンクロスへ侵攻しないとは限らない。
「オレもその街へ行けっていうんじゃねえだろうな」
「他の五車が集まるそうだ。おそらくユリアもお前に」
「……北斗の末弟がいるならその必要はねえな」
肩をすくめたジュウザが踵を返す。
その背にシンが告げた。
「あれが元気でいるうちに会っていけ」
「……なんだと?!」
「トキがなんとかしてくれるだろうが、万全の確証はない」
ちっと舌打ちを放った彼が、わーったよと不承不承に消えていった。
野次馬たちが去っていく。
シンがゲルガに近寄る。
その腕は大丈夫かと問われ、見た目は極悪人ながら気の良い巨漢は、がはははと笑ってその腕を叩いていた。
「なーにそのうちひっつくだろ、問題ねえ。それよりあれがジュウザだって知らずにケンカ売っちまったぜ、危うく死ぬとこだった」
命拾いした大男がその礼に歓待する、とシンに肩を組んできた。
手を叩いて女たちを呼ぶ。
この乱世、彼の剛腕で不自由なく暮らしている彼女たちが、当たり前のような顔をしてやってきた。
その薄着な恰好にマミヤが目を怒らせる。
師に近寄るな、と叫ぶやかましい女はこの里の誰よりも美人であった。
そんなマミヤに女たらしの支配者が口説こうとしたものの、彼女の機嫌は最悪だった。
シンとしてはせっかくの逗留所を失ってはたまらない。
南斗聖拳を奮おうとする弟子を押しとどめ、水や食料などの提供を求める。
その代わりに労働力を駆使することになった。
地下水くみ上げの作業に勤しむ彼を心配するマミヤは、シンが弟のように見えるのだろう。