聖拳列伝   作:小津左馬亮

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四十四話  目覚めるとき

 黒王号を機動部隊に任せた後、ラオウは影のウサと親衛隊長のレイナのみを連れて海路に出た。

 その風体から威圧から、船旅に余人を混ぜるわけにもいかないと判断したウサの機転で、モーター駆動の小舟を用意し、それでサザンクロスへと秘密裏にたどり着いたのだ。

 

 図体が大きい男ながら、北斗神拳は長きにわたって伝承されてきた暗殺拳である。

 気配を潜めて城のなかに潜入することは、彼の矜持に合わぬにしても、できない所業ではなかった。

 城壁から音もなく飛び降りたラオウが、背中に何者かの気配を感じるも、そのまま立ち上がる。

 

「このヒューイに後ろを見せて動じもせぬとは……さすがは世紀末覇者」

 

 ラオウが歩みを止めた。

 目の前には、紅蓮の防具に身を包んだ赤褐色の髪の男が待ち受けていた。

 

「その巨体で……このサザンクロスの衛兵に誰にも気づかれず侵入するか。さすがというべきか」

「だがわれらが主の心の目は欺けぬ。ここからは通さんぞ」

 

 風と炎の拳士に阻まれた北斗の長兄が低く笑う。

 それ以上言葉を発することはなかったが、ヒューイとシュレンは明らかに侮られているのだと察して身構えた。

 

「やめておけ。ユリアの街に影の真似までして忍んだのは、人を殺さぬため。ましてや側近のうぬらに手をかけるつもりは毛頭ない。退けい」

「恐怖の暴狂星め、舐めおって」

 

 城壁からすぐの路地裏で覇者と五車の戦いが始まったが、風と炎の二人がかりの攻撃でさえも、ラオウに傷一つつけることはできなかった。

 弾き飛ばされたヒューイとシュレンが回転しながらも受け身を取る。

 だが双方はいきなり崩れ落ちた。

 体の自由が利かず、地面に伏せたまま身動きが取れないようだった。

 

「ぐっ、これは」

「秘孔だと……いつの間に」

 

 五車の若手が屈辱だ、と叫びながら地面でもがいている。

 それを一瞥した北斗の長兄が、とある建物の二階まで跳躍して窓から侵入した。

 長く薄暗い通路を進む。

 そこで様々な衛兵の待ち伏せにあったものの、そのすべてを指一本で軽くひねって撃退していく。 

 

 しかし戦闘不能にさせるだけで殺しはしない。

 そんな自分の行動に不思議な感覚を覚えつつ、ラオウは通路を抜けた。

 見えてきた広い空間には、光源が設置されていた。窓からは光もさしている。

 その広間で寝ころんでいた男が、酒瓶を手に立ち上がった。

 

「ヒューイとシュレンは相手にならなかったか。若僧どもはまだまだ未熟」

「うぬは」

「久しぶりだなラオウ。赤い衝撃にしこたまやられたって噂を聞いたが、思ったより元気そうじゃねえか」

「ジュウザ……世捨人よ、雲のお前までいようとは」

 

 幼馴染どうしが広間で向かい合った。

 拳王の異名がある巨漢が初めて闘気を(ほとばし)らせた。

 

「南斗紅鶴拳……あの道化ごときに後れをとるたぁ、衰えたなおめぇも」

 

 ジュウザが傲然と胸を張る相手に躊躇なく踏み込んでいく。

 その標的は珍しく口角を上げていた。

 目の前にやってきた雲を前に、彼は剛腕を奮う。

 

「当たるかよ」

 

 飛び越えて相手の額を割ろうとしたジュウザの動き。

 しかしそれはラオウに読まれていた。

 ぬん、という掛け声の掌底を五車の男は見切ったものの、体操選手のように(ひね)りを加えて着地したときには、自分の額が割れていた。

 

「な……」

 

 額を抑えてしゃがみこむジュウザに、無防備の背中を見せる覇者が静かに告げた。

 

「南斗の道化か……以前はこのラオウもそう思っておった……だがそれは思い上がりであったわ。きゃつは道化どころか、地上最強のカウンター拳法の使い手よ。妖星を侮ることなかれ。うぬではおそらく相手にもならぬわ」

「なんだと」

 

 後姿のまま手招きするラオウの挑発に奮起したジュウザが、闘気を発しながら地を蹴った。

 

 

§§§§§§

 

 

「風と炎を一蹴し、雲まで無傷で倒したか。恐るべきは世紀末覇者……」

 

 次の広間で待ち受けていたのは海のリハクだった。

 傍に控えるのは娘のトウ。

 彼女に視線を向けることなく、ラオウは意外に大柄な壮年の男を見た。

 

「だがなぜ彼らを殺さぬまま去ったのか。拳王たるものがここまで不殺に徹する真意を聞きたい」

「……口で言えば陳腐にすぎる」

 

 銀色の髪の豪傑は首を振った。

 あえての不殺を実行する自身に、驚きを隠せずの所作だった。

 

「もはや五車の使い手は正門で守備につく山以外におるまい。この拳王、歯向かわぬ老人に対し、拳を奮うことは二度とない。おとなしく道を開くがよい」

「たしかに現在フドウは動けぬ。だがこのリハク、目的を前に手段は択ばぬ」

 

 トウが頷いた。彼女がダンテとナリマンの名を呼ぶ。

 扉を開けて出てきた彼らが、縛り付けた何者かをラオウの前に蹴りだした。

 それは彼に無理やり同行してきたウサとレイナの二人だった。

 両名とも一般兵などに捕まるような細腕ではない。

 

「南斗百斬拳のダンテ。拳王よお見知りおきを」

 

 雲の上の存在に対し、髭面の南斗の拳士が丁重な礼を示す。

 彼が南斗聖拳の使い手だと知ったラオウが何か言いかけたが、ウサがそれを遮った。

 平身低頭してすいましぇん、と床にハゲ頭を打ち付けている。

 

「このナリマンとやらにはレイナともども互角に戦えたんで。しかし百八派の正統な南斗の拳には及ばず」

「ラオウ様……申し訳ありません」

 

 若い彼女も深く頭を下げている。

 特に勝ち誇った様子もない海の男がどうするね、とラオウに問いかけてきた。

 

耄碌(もうろく)したか海のリハク。その手の脅しに乗ると思ったのか」

「思わぬな」

 

 しばらくにらみ合いが続いた。

 時間稼ぎに成功した五車筆頭の男が、新たに到着した人物を自ら扉を開いて出迎える。

 広間に入ってきた病身痩躯の人物を確認して、ラオウが表情を引き締めた。

 

「トキ」

「兄者」

 

 血を分けた兄弟が静かに対峙した。

 ようやく本件を聞き出せる相手と向かい合った覇者が、しばしの沈黙の後で口を開く。

 

「ユリアはこの街にいるのだな」

「然り」

「ケンシロウとともにか」

「そうだ」

「容態はどうだ?」

 

 そこまで知られていると思わなかったトキが、思わず目を見開く。

 その情報をつかんだウサが(ばく)に就いたまま、得意気に胸を反らしていた。

 銀の聖者が言った。

 

「……今は安定している。病の見極めがまだ早かったのが幸いだ。それにここでは医療設備や薬、衣食と療養には事欠かぬ」

「そうか」

「わざわざそれを尋ねるために貴方は」

「おかしいか」

「……いや、可笑しくはない」

 

 地上最強の兄弟が互いに少し微笑していた。

 尚且(なおか)つリハクから不殺の件を告げられた弟が、感慨深げに告げた。

 

「そうか盲を開いたか……ついに貴方も目覚めるときがきたのだ」

「知らん」

「ではその目覚めの拳、このわたしに見せてもらおうか」

「ほう……その体で兄に挑むつもりか」

「目覚めたのは貴方だけではない」

「……フッ」

 

 北斗神拳伝承者に不足ない二人が、北斗天帰掌の構えを自然にとった。

 それを知っていたのは海の男だけだった。

 

 

§§§§§§

 

 

「はっ」

「どうしたユリア」

 

 病室のベッドから身を起こした黒髪の女性が不意に身を起こす。

 傍らの恋人を窺った。

 サキと呼ばれた少女が主人の名を呼んで、トレーに乗せた水を持ってくる。

 

「ありがとう大丈夫よ、サキ」

「ユリア様……」

「ユリア。何か見えたのか」

「……」

 

 両手で胸を抑えたユリアが頷いた。

 彼女はワンピース姿の女主人に上着をかけた少女の頭を撫でている。

 そんな南斗の象徴は、北斗神拳伝承者の手を握ってベッドから立ち上がろうと向き直った。

 

「わかった。そこに連れて行こう」

 

 以心伝心でケンシロウが受け答える。

 外で何が起きているか事情を知る世紀末の救世主が、彼女を抱き上げた。

 

 

§§§§§§

 

 

「病床の男だと……見事に騙されたわ。弟よ、よくぞこのラオウに膝をつかせた」

 

 ユダに受けた傷が開いたのか、ラオウが胸を抑えてしゃがみこんでいる。

 銀の聖者はすでに大理石の床に倒れていた。

 広間周辺には、北斗の拳による打撃破壊や闘気裂弾の跡はない。

 彼らはまさに実の拳のみで打ち合いを展開していたのだ。

 

「だがそなたに拳を教えた身……一日の長が勝敗を分けた。そしてその程度の差でしかない……フン、世紀末覇者の無様なことよ」

 

 震える体で身を起こす兄が、弟の元へ歩み寄る。

 そのときトウがラオウの前に躍り出た。

 

「もういいでしょう、おやめくださいラオウ。貴方は実の弟を手にかけるつもりですか?!」

「……相手の拳に倒れようとも、相手を怨まず悔いを残さず天に帰る……それが北斗天帰掌。感謝はすれど、恨みや意趣返しなどは存在せぬ」

 

 人質のウサやレイナが胸を張った。

 剣を持つナリマンに斬られようと本望な表情を浮かべている。

 その二人の姿を見たリハクがむううと唸っていた。

 

「ナリマン、後は任せた」

「ダンテ」

「聖者を死なせるわけにはいかん。そして今こそミーの死に場所だ。相手が拳王ラオウとは光栄の至り。拳士の最後に相応しい」

 

 南斗百斬拳の伝承者が涼しい顔をしながら、トウを優しく下がらせた。

 死人と化した百八派の達人とて、目の前の覇王には及ぶべくもない。

 良い目をしている、とラオウは思いつつ、邪魔する相手を一撃に(ほふ)ろうと闘気を内に込めた。

 

「しゃ」

 

 百斬拳最終奥義を放とうとしたダンテが動きを止めた。

 それは南斗の上位拳士として当然の振る舞いだった。

 

 自分を制する静かな声が聞こえてくる。

 彼は扉の向こうからやってくる気配を察し、大敵すぎる巨漢に背を向けて礼を施した。

 

 その隙だらけの背中はラオウの視界に映っていない。

 彼は広間に入ってくる女のみを見つめていた。

 その目当ての存在が近くに寄ってくる。

 世紀末覇者ともあろうものが、思わず顔をそむけた。

 そして後ろを向いた。あの男が泣いている、とその場にいた誰もが思った。

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