聖拳列伝   作:小津左馬亮

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八話    リュウケンの弟子

「後ろを取ったぞ思い上がりの若僧、この至近距離で暗流は防げまい」

 

 歪んだ空間のなかで上下左右の感覚を失い、無防備の背中をさらした金髪の青年に向かって、北斗の古老が魔闘気の裂弾を叩き込んだ。

 弾け飛ぶ相手が地に転がるのを一瞥し、口から煙を吐き続けるジュウケイは治安部隊のなかに潜む仮面の一人に目を向けた。

 

「そのほう」

 

 北斗琉拳の到達点である魔界を得た者の眼光を受け、周囲の名もなき修羅たちが一斉に引いた。

 残された辮髪の仮面がジュウケイと対峙する。

 彼は無意識なのか腰の棍に手を伸ばしていた。

 

「わしと戦うつもりか、それとも逃走の準備か」

「……さすがにカイゼルを倒した男を容易く屠る者相手に」

 

 そう言いかけた砂蜘蛛とフードの老人が目を見開く。

 破孔をついたはずの相手は爆散せず、無造作に立ち上がってくる。魔闘気にくるまれたその若者がぬん、と気合を入れた瞬間、その気は消し飛んだ。

 

「こ、こやつ」

 

 ジュウケイが間合いを取るために後退し、砂蜘蛛も同様に後ずさる。

 

(カイオウの足元程度の魔闘気だとしても……あれを受けて軽傷か。さらに必殺の点穴すら(かわ)すとは)

 

 シンよりさらに若い彼だが戦歴は豊富だった。

 再度老虎若龍が激突するのを眺めていたが、そこにはいくばくかの嫉視があった。

 

(南斗聖拳……北斗に匹敵する流派、その噂は事実か)

 

 轟音を立てる闘気と(ほとばし)りすら小さい気が打ち合うのを見守る砂蜘蛛の興味は、もはや若いほうに集中していた。

 暗流を纏いし北斗の剛拳を流しきれていない金髪の青年だが、それでも最初から何かのヒントを得ているように砂蜘蛛には映っている。

 ジュウケイも察したのか、舌打ち紛れに相手に問いかける。

 

「若僧……さては北斗神拳の心得があるな? うぬの動きには覚えがある」

「一時期だがリュウケンに手ほどきを受けた」

「?! リュウケン……!」

 

 北斗神拳先代伝承者の名を口にした眼前の敵に、ジュウケイが掌底を放つ。

 死合いのなかで練度を取り戻した暗流霏破を流し損ね、シンが吹き飛ばされた。

 追撃に移る古老の拳が南斗の若者を滅多打ちにするのを、仮面たちは固唾を飲んで見守っている。

 

「宿敵の弟子となれば……もはや生かして返せんなぁ! 破孔が効かぬのならば殴り殺す……」

 

 ゴツ、ガツ、ドゴっという打撃音は止まらない。ジュウケイ自身が久しぶりの叩き込みに額に汗をなし、とどめとばかりに利き手を振りかぶる。

 

「老の動きが止まった」

 

 砂蜘蛛が独語する。若いほうの足の動きを今更にしてようやく知ったことで、ジュウケイも驚愕の声を放つ。

 

「う、ぬっ?!」

 

 己の肩にシンの長い足の踵が乗っていた。

 それゆえに北斗の拳の角度が下がっている。すなわち標的に剛拳が炸裂することはなかった。

 逆に彼のボロが消し飛び、その下の肩のプロテクターも破裂した。

 肩を抑えてしゃがみこむ伝説の先代伝承者の姿に、仮面たちが仰天の声を上げている。

 さらに放ってくる横なぎの蹴りをガードしたジュウケイだが、表情は大きく歪んでいた。

 

「と、闘気を駆使せぬただの脚がここまで重いとは」

 

 重圧から逃れるために自ら横に飛び、衝撃を流した彼がシンを窺っている。

 しかし尚武の国では滅多に見られない美男子は辮髪の仮面を指さしており、追撃すらしてこなかった。

 長い金髪の持ち主が言った。

 

「物見遊山で終わるつもりか?」

「何……?!」

「先程から我々を推し量ろうとしているのはわかっている。だがお前程度が南斗を見切ろうなど十年早い。その身をもって思い知れ」

 

 まるで事実であるかのような挑発などかつてされたことがない。羅刹と恐れられた男が激昂する。

 

「ほざきおったな金髪!!」

 

 砂地を蹴った若い仮面が大言を吐く相手に迫る。

 その間合いに入ろうとしたのは砂蜘蛛のフェイントだった。

 

「千手魔破にて地獄へ堕ちよ!」

 

 四つ刃の暗器を無数に放ちつつ、砂蜘蛛が得意の貫手を繰り出す。

 しかしオーバーキルだと思った男の突撃は標的を狙い損ねている。

 彼が見たのは、いくつもの暗器を素手でつかみとった敵がそれを地に放り投げた姿だった。

 この南斗の拳士は片手で暗器を、もう片方で己の拳をいなしたのだ。

 

「くだらぬ奇襲はともかく、指突はなかなかいいものを持っている。だが格の違いというものを見せてやろう。次は本気で来い」

「暴言には死を」

 

 修羅忍道の秘奥義、滅把妖牙(めっぱようが)は配下の仮面はおろか、ジュウケイにも見切られぬという自負があった。

 小賢しい金髪が掌を向けてきたことでその殺意は頂点に達した。

 

「渾身のわが牙に素手で立ち向かおうてか! そのまま突き殺してくれるわ」

 

 血走った目の若い修羅が対象の間合いに到達したところで、突進はピタリと止まった。

 ガクンと態勢が崩れる。

 砂蜘蛛ほどの男が、んなっ?! という間の抜けた反応を見せるのは珍しい。

 掌底の形で秘奥義の指を絡めとったシンが、このまま握り潰そうとしてくる修羅の手を軽く握り返した。

 

「っ!……ぐぉ」

 

 鳳凰の手刃すら粉砕したその重圧に耐えられる者などこの世に存在しない。

 形勢不利だと悟った砂蜘蛛が腰にあった棍をシンの肩に叩き込み、その勢いで拘束から逃れて飛びずさった。

 

「き、鍛えに鍛えたわが拳を……素手で組み伏せるというか……!」

 

 砕かれずとも指の骨は折れている。

 青筋を立てる辮髪の修羅の憤怒に対し、沈勇の青年は静かに告げるのみだった。

 

「南斗極聖拳(きょくせいけん)とまともに撃ち合う愚は避けよ」

 

 シンの深淵なる闘気を初めて思い知った修羅の表情はまさに羅刹だったが、本能からか踏み込むのを思いとどまっていた。

 百戦錬磨の若い彼は逆に距離を取り、四つ足の状態で砂地に潜り込もうとしていた。

 砂蜘蛛を軽く退けた金髪の主は、指南は終わったとばかりにあらためてジュウケイに向き直る。

 奇襲をかけるつもりでいた古老だったが、その隙など欠片もなかったとその表情が示している。

 

「リュウケンの弟子め……」

「……師に対する憎悪はなにゆえか?」

「魔道に入ったわしの邪気すら払いおったあ奴……地上最強の拳法の使い手として

何一つぶれることなく、清く正しく逝きおった」

 

 羨望からの憎悪だと言わんばかりの魔相の言葉に、シンが極聖拳(きょくせいけん)の構えを見せながら返答する。

 

「清く正しく……か。だがあの男はなかなかの非情家であった。その本質はまさしく虎。お前が言うほど聖人君子ではない」

「高みから見下ろしたような台詞をほざくなぁ、若僧っ!!」

 

 怒涛の正拳突き、その憎悪の暗流は激しくなるばかりだったが、今までの応酬で要領を得たのか、シンは肘撃ちや裏拳でジュウケイの体に反撃を放つ。

 けして派手ではない。

 それでも彼の実の拳は北斗琉拳先代伝承者を心身ともに打ちのめした。

 息を乱すジュウケイから魔素が薄れてくるのをシンは察している。

 無尽蔵といわれる魔闘気、しかしそれは尽きる前に相手が倒れているからに他ならない。

 ましてや老齢のジュウケイではその生成も長く続かない。

 

「なぜだ……なぜ南斗の拳で応戦せぬ?!」

 

 激流の気はことごとく弾かれ、流され、逆に打の反撃を受ける展開に、ジュウケイは屈辱のなかで吠えたてた。

 やがて彼はシンの背後にリュウケンの幻影を見た。

 その瞬間、琉拳の神拳への妄執は極限に達していた。

 

「気が増大しやがった」

 

 片手をかばいながら砂蜘蛛が跳躍する。

 魔闘気の爆破の範囲からかろうじて逃れたものの、下級の修羅を装うという仮面はその際に破壊されていた。

 砂の瀑布に巻き込まれていく偵察隊の全滅を目の前にしながら、最年少の准将はジュウケイに対して使うつもりであった逃走術を駆使し、砂の中へと消えた。

 

「ふううううう」

 

 気力が尽きた。北斗の古老が大きく息を吐き出しながら膝をつく。

 砂漠に打ち込んだ衝撃はクレーターになっていたものの、砂粒までは殲滅できず、それらが流れて穴を埋めていくのを彼は肩で息をしながら眺めていた。

 全身に鳥肌が立ったのはそのあとすぐのことだった。

 

「……?!」

 

 曇り空の下でも輝く金髪を靡かせ、青年がいつの間にか宙に浮かんでいる。

 それがその男の奥義だとわからぬ者はいまい。

 上空を見上げ、ここで死ぬなとジュウケイが口角を上げる。魔闘気を放出しきったことで老人の顔からは魔相が消えていた。

 南斗極聖拳(きょくせいけん)の蹴りを食らった者は四肢を切り裂かれるか体をぶち抜かれて死ぬかのどちらかであったが、ジュウケイは五体満足のまま衝撃を受けるだけであった。

 しかしながらすでに跳ね起きる気力もないほど彼は打ちのめされているようだった。

 

「が……くぁ」

 

 口の中は血と砂の味がした。砂煙のなかを歩み来るのは格下のはずの南斗の男だ。

 

「時代が変わったようじゃな……南斗聖拳がこれほどとは……これで手加減とは。か、体中を砕かれたようだ、まともに動けぬ」

 

 自嘲気味に笑うジュウケイが止めを刺せと勝者に告げる。

 その相手は首を振っていた。あろうことか稽古をつけてもらったとほざいている。

 

「わしを愚弄するか……! この死合を修練とでも言うつもりか」

「北斗南斗の師を持つ俺だ。優れし者ならば相手を選ばん。そしてこの闘いの中で北斗琉拳に対する見切り……少々つかませてもらった」

 

 ジュウケイが愕然としながら呟く。

 

「一戦にして見切られるほど……錆び付いていたのか。わが拳は」

 

 ジュウケイといえど、さまざまな北斗を相手に実戦をつんできたシンの過去を知りようもない。

 彼は己の不甲斐なさに面を伏せてから、仰向けに倒れ込んだ。

 

「極められたがゆえに受け技も極められ、武威を失った北斗宗家とは違い……南斗は復古した、というわけか……なんともやるせない」

 

 琉拳とは魔闘気にしろ疾風にしろ、爆発的な気操をもってして是とする。

 だがこの金髪の青年の気は真逆の位置にいる。

 ジュウケイは相手を見上げながら今更にしてそう思った。

 

「完敗じゃ、南斗聖拳」

 

 倒れながら伸ばすジュウケイの手を握ろうとシンが近づいてくる。

 龍の手を握った瞬間、老虎は牙を剥いた。

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