聖拳列伝   作:小津左馬亮

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六話    赤い衝撃

「南斗紅鶴拳、独指点穴(どくしてんけつ)

 

 その奥義の名とともに、北斗の師父が闘気を(みなぎ)らせた。放たれた重圧が地響きを生んだ。

 一直線な赤い衝撃を打ち返した壮年の男が白い髭を振り乱し、赤い青年へ飛びかかった。

 

「ぬるい」

 

 薙ぎられた南斗の斬撃を鼻で笑い、腕で受ける。切断どころか裂破すらせずそのまま剛撃を打ち込む。

 赤毛はその振り下ろしを華麗に避けて後ろに着地した。

 小さいクレーターになった地盤の惨状を見て、コマクと呼ばれた丸眼鏡の小男がこりゃすげえと感嘆している。

 

「あの斬撃で傷ひとつ与えられんとは」

「小物よ、驚くには値せん。脆弱な南斗の手刀で北斗を断つことなど」

 

 言うや否や、タイゲンの腕の道着に切り込みが入った。そこから頑強な上腕があらわれたものの、直線に走る筋からは血が流れていた。

 それを見下ろす曹家拳の伝承者がぴくり、と眉を動かした。

 

「絶影の拳法、貴方でさえ見るのは久しかろう」

 

 切り裂いた側が口を開く。その指先にはタイゲンの血が滴っていた。

 同じように南斗の青年も完全に避け損ねたのか、肩のプロテクターが砕けて落ちる。

 剛撃を受けた赤い髪の美男子は喉の奥で楽しそうに笑っていた。

 

「御曹司に当てやがった。あのじじいの拳は重くも速い」

 

 コマクが思わず唸るのを眺めながらタイゲンが呼吸を整えている。

 経絡秘孔を突いたはずが躱された、と不機嫌そのものの表情だった。

 相手の強勢を悟った青年が赤紫のマントをつかみ、放り投げた。

 視界の端には同門の少年がいる。それに笑みを向けて言った。

 

「お前には悪いが、獲物を盗ませてもらうぞ」

 

 先程から無言で二人の初撃を見守っていたシンへの言葉に、カッ、とタイゲンが吐き捨てた。

 小僧に侮られて泰然としているほど、戦場での彼の気合は低くはない。

 

「言いおるわ南斗の雛鳥めが」

 

 砂煙を巻き上げて曹家拳の伝承者が突進する。両腕から縦横無尽に薙ぎ払われる正拳の衝撃で地盤の一部が浮き上がり、または陥没していった。

 

「あんな爆弾に当たったらひとたまりもねえ、御曹司!」

 

 コマクが悲鳴を上げる。不本意に観戦に回っているタイエンが拳にて破裂するか秘孔にて爆散か、と呟いた。猿のような南斗の従者が叫ぶ。

 

「なんだとぉこらあチリ毛!」

「いずれにせよ……細い体躯の赤毛の勝機は剛撃をかいくぐってのカウンターしかないが、その程度は師父も心得ていよう」

「いかんいかん、防具がまた吹き飛んだ」

 

 頭を抱えるコマクの動揺はシンにも理解できた。だが……と彼は思った。

 タイゲンの拳は包まれた闘気で当たり判定が増大している。ところどころかすめた赤毛の部位から血が滲みだしていた。

 

「運がなかったな、北斗曹家拳」

「……なんだと小僧」

 

 シンの独語に師の勝利を確信したタイエンが食いついた。

 彼に向かって震える体を起こしながら、シンはお前の解説通りだと告げる。

 

「剛撃をかいくぐってのカウンター」

「あれは仮定の話だ。師父のそれを見切ることができる目を持つ者など、この地上において片手の指に余るわ」

「そう思っているのなら、お前ら北斗の分派は滅ぶべくして滅ぶ」

「あ?」

「北斗の覇王すら(はばかる)る南斗の帝王。あやつが今のところ実を取れずして名のみに留まっているのには理由がある」

 

 本物の帝王ならば今頃象徴や聖大導師を駆逐している。南斗の一軍を率いる将程度にとどまっている器ではない。

 実を取れぬ理由は明確だった。

 南斗二十三派を配下にする名家中の名家がそれを阻んでいたからだ。

 

 だが武門の世界において血筋のよさだけで帝王と並ぶ勢力など築けようがない。

 最強を謳われる鳳凰拳に対し、唯一カウンターの奥義を持ち、それを使いこなすことができる逸材がいるからこそ、帝王は未だ聖帝を名乗れずにいるのだった。

 そのことは南斗の導師レベルや上位の拳士たち以上ならば誰でも知っている。

 サウザーにカウンターを打ち込める唯一の南斗の拳士。その青年が曹家拳の剛撃に、自らの白い指を合わせにかかった。

 

「独指点穴など蟷螂に等しい。わが斧でへし折り、そのまま体ごと砕いてやるわ」

 

 ぶわっと気流が上昇した。とどめの正拳を叩きこもうとするタイゲンの動きが止まった。時間も止まったかのようだった。

 壮年の男の胸元に、赤毛の一本の指が指されている。それが標的の頭上へとゆっくり振り上げられた。

 

「師父っ」

「お、おおお!」

 

 タイエンとコマクが叫んだと同時に、タイゲンの背中に衝撃波がすり抜けた。

 それは地盤を抉りながら彼方へと消えて行った。両側で追討戦の準備に入っていた北斗南斗の動きも止まる。赤い閃光を見たのだろう。

 シンは二人の大物が戦いを止めてこちらを見ていることに気付いた。

 大きくない声だが、少年の耳には南斗最強の男と北斗開闢(かいびゃく)以来の豪傑の台詞がはっきりと聞こえた。

 

「小賢しい。南斗紅鶴拳、血冥断指(けつめいだんし)……あの絶影の高速拳をまさかこの戦場で見ようとは」

「北斗の伝承者がサウザー以外の小鳥ごときに反撃を食らうというのか」

 

 次の瞬間、拳を突き出していたタイゲンが血を吐きながら吹き飛んだような所作を見せた。触れていない背中から断裂の鮮血が舞う。

 腕を上空に挙げていた一本指の赤毛の拳士はそれを優雅に横薙ぎ、納刀するように手を振り下ろした。

 前のめりになった壮年の男が数歩歩いた後、意識を失くして倒れ込んだ。

 

「あれが居合……いや、奴のカウンターだというのか……ありえぬ。師父ほどの拳士が避けられずに一撃で」

 

 タイエンがかすれた声でそう呟きながら、信じられない光景を見守っていた。

 静まり返った戦場がまた沸き立った。帝王と覇王が部隊を進発させたようだ。

 

「コマク」

「ははぁ」

 

 付き人の小男が赤紫のマントを拾い上げ、主人に手渡す。それを華麗な仕草で羽織り直した青年は、敵愾心に等しいサウザーとラオウの視線に目もくれることなく踵を返した。

 

「お前の……お前の名は」

 

 過呼吸で息を乱したタイエンが師父の前ににじり寄りながら、その背中に問いかける。

 曹家拳の門下生たちによって助け出される二人を確認しながら、赤毛の青年は秀麗な横顔を向けてユダ、と名乗った。

 

「ユダ……南斗紅鶴拳のユダか」

「覚えておけチリ毛。あの方があらわれた以上、北斗の拳はもはや無敵ではない。いつの日か赤い衝撃が天すら破るのを見ておくがよい」

 

 主人の背を追いかけるコマクが、得意気に鼻を鳴らしながら去っていく。

 担ぎ上げられたタイエンが重傷に見える金髪の少年を眺めやった。そしてまた驚いた。

 

「小僧」

「見た目ほど傷は深くはない。このまま進む」

「タイエン様や師父を退けたのは二人のガキだぞ……南斗は揃いも揃って化け物だらけか」

 

 タイエンを支える一人の拳士があえぐように言った。その万感の台詞を、次代の曹家拳伝承者は否定しなかった。

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