聖拳列伝   作:小津左馬亮

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十二話   鏡の人

「ハン様。先ほど闘技場で新たな修羅が誕生したようです。お目通りを望んでおります」

 

 近侍に髭を整えさせていたダンディな男が、仮面の報告者の言葉で背もたれから身を起こす。

 剃刀でその首を掻き切ろうとしていた巨躯の修羅は大汗をかいて後退していた。

 オールバックの髭の男、ハンはそれに一瞥すらせず、豪奢な椅子から颯爽と立ち上がった。

 

「あれか」

 

 いつになく静かな闘技場の方向から、赤紫のマントを靡かせた何者かが謁見の間に入ってくる。

 黒を基調としたハンの出で立ちとは違い、その男は派手であった。

 赤毛といい青みがかったマフラー、赤い胴着に黒いブーツ。およそこの国では考えられない服の組み合わせだ。

 

「何をしておるか、貴様。ハン様の御前である。跪かぬか!」

 

 仮面の修羅たちの叱咤で、その優雅な侵入者が歩みを止めた。

 髭に手をやり、ハンが物珍しげに相手を見る。その目は細められていた。

 

「その惰弱な見た目でよくぞ今まで生き残ってきた。褒美をくれてやる」

 

 表は赤、裏が黒のマントを羽織った第三の羅将がそう告げると、赤毛の男はそれに答えず、周囲を見回してから静かに言った。

 

「そなたらが(さら)った子供。そこの奥の部屋にいるようだが」

「……欲がないな。ガキどもだけでいいのか?」

 

 赤い髪の男の前にやってきたハンが野心はないのかと尋ねた。

 それに対して彼は答えない。少し考え込んでいる様相だった。

 

「野心がないのならば……生きていてもしかたがあるまい」

 

 フウウゥと風が吹いた。

 謁見の間はすでに閉じられており、風が入り込める隙間はない。

 だがそれが何を意味するのかを知っている仮面とボロが唾を飲み込んだ。

 そして一歩引いた。

 侍女たちも蒼白になり、赤毛の美青年から遠ざかる。

 城主がくるりと背を向けた。靴音が響くほど周囲は静寂に包まれている。

 

 別の靴音がした。背後の男のものだろう。ハンは独り言のように告げた。

 

「もう葬っている」

 

 ブシャッという効果音が聞こえる。

 疾風の拳を極めた存在はそのまま進みながら、奥義の名を口にした。

 

魔舞紅躁(まぶこうそう)

 

 いまだかつてわが拳の影すら見たものはいない。

 そう呟いたハンがつまらなさそうに玉座に至る段差に足をかけようとしたときである。

 不意に彼のマントが浮かび上がった。

 

「ああ?!」

 

 修羅たちの驚愕の声がする。

 ハンの二色のマントが散り散りになり、風に乗ってどこかへと消えた。

 驚愕で声もないダンディな髭男が目を見開いて振り向いた。

 

 道化に見える赤い対象は、北斗琉拳の奥義を食らいながら生きていた。

 首元のマフラーや肩のプロテクターが多少痛んでいたものの、マントを斬り裂かれてはいない。

 ましてや、こめかみから血を流す自分とは違い、まったくの無傷だったのだ。

 

「は、ハン様の疾風をかわし、逆に斬風であのお方に傷を……?!」

 

 堂内が騒めいた。

 彼らの主が羅将の地位について以来、こんな衝撃的な光景は見たことがない。

 歴戦の修羅たちがハンの怒りを予想しておののくなか、反撃を繰り出した優雅な拳士が口を開く。

 

「今のは何の戯れか」

 

 赤い髪の男は不機嫌そうに一本指を首に当て、そしてシュッと切った。

 心底軽蔑したような仕草のあと、彼は視線を床に落とす。

 

「死を(さず)けるが褒美……くだらぬ趣味だ。己より弱いものをそうやって今までいたぶってきたのか」

「……!」

 

 広間が今度こそどよめいた。

 修羅やボロ、侍女らが壁際に後退していく。

 

 この国三本の指に数えられる強者が今まで煽られたことはない。

 さらにいえば先手をかわされて反撃されている姿を見たことなど一度もない。

 ハンほど誇り高い男が怒気を発しない理由などなく、やがて凄まじい闘気の奔流が始まった。

 しかしそれを受ける側は涼しい顔だった。

 そよ風を浴びている様相で彼は一本指を標的に向けた。

 

「お前ごときに興味はないが……探し物を連れて帰る前に、弱者をいたぶる半端者に思い知らせてやろう。今度はおのれがそうなる番だ」

 

 

 

§§§§§§

 

 

「この国の闘神とも讃えられる羅将の居城……のはずが……この無防備はどうしたことだ」

 

 城内の闘技場には珍しく人気(ひとけ)はない。

 周囲を窺うシャチが瞠目しながら広い通路をよろめきながら走っている。

 その後ろにいる異国の若者があれを見ろと告げてきた。

 

 仮面の修羅、それを外す許可を得た上級の修羅たちが六花八裂になって屍を晒している。

 誰がやったか確認する必要もない血の海の通路を通り過ぎ、階段を上がり、最上階の謁見の間に二人はようやく辿り着いた。

 

「ここにレイアが……」

 

 誰もいない広間を見回すシャチが何かを察したのか、控室のような扉を見つけて蹴破り、中に入っていった。

 それに対しゲンジュは主人の気を感じていたようで、北斗の青年と別れ、広間の奥にある大扉を開ける。

 日の光を受けながら、龍のような巨大石像をしつらえたその広場を見た。

 羅将だけが持つ特設の闘技場のようだった。

 

 そばかすの青年が見物中の仮面たちをかきわけ、中央で対峙する二人の男たちを眺める。

 碁盤の目のような石床(いしどこ)はところどころ大きく断裂し、あるいは崩壊している。

 

 最上階ゆえに吹き付ける風のなか、黒い短髪と髭の男は上半身裸だった。

 防具を砕かれたと思われる。

 そんな鬼の形相の人物が羅将ハンだと察したゲンジュは、周囲にいる腰の引けた仮面たちの驚倒せんばかりな台詞を聞いた。

 

「なんなんだ……あやつは一体何者なのだ……! あっあのハン様を相手に速さで上回る……そんなバカなことが」

「我らは夢でも見ているのか?! 羅将が撃ち負けるなどありえん」

 

 震える彼らを横目に、ゲンジュが主の名を呼んだ。

 

「ユダ様!」

 

 彼の一言で、屋上闘技場にいる全員の目がくるくる巻き髪の青年に注がれた。

 胴着やプロテクターに傷が入るも、出血がほとんどない主君が忠犬の登場でアイスブルーの瞳を和ませる。

 

「あの辮髪の修羅はどうした」

「ユダ様の一撃であれすでに死んでいました。僕らはその後片づけをしただけで」

 

 むくれるゲンジュの様子に赤毛の美男子が微笑した。

 

「辮髪?! まさか、す、砂蜘蛛を倒したのか?!!」

 

 仮面の修羅たちが動揺しながらゲンジュを窺う。

 彼は不満気に肩をすくませていた。

 

「我らが主の敵ではなかっただけで、僕よりは遥かに強かったさ。あの蝙蝠野郎は」

「……あれを一撃か……フフフやりおるわ、南斗聖拳」

「南斗を知っているのか?」

 

 ハンの呟きにそばかすの青年が応じた。

 上半身の防具を吹き飛ばされたダンディな拳士がこやつと殺りあって初めて知った、と語った。

 

「戦いの主導権を常に握ってきたオレが……それを敵に譲ろうとはな。あの砂蜘蛛が相手にならぬわけだ」

 

 言いながらハンが姿を消した。そう見える動きだった。

 ゲンジュがぎょっと目を見張る。飛び蹴りのようなそれを紙一重で交わしたユダが体勢を崩した。

 肩のプロテクターが弾け飛び、無防備の肩から血が舞う。

 

疾火煌陣(しっかこうじん)……死合いの主役は譲らぬぞ、赤毛」

 

 ふははと高笑うハンだが、不意にぐっと仰け反った。

 腹筋の横から大胸筋、さらには顔左半分側に裂傷が走り、彼のリーゼントが乱れて黒髪が散った。

 

「なっ?!」

 

 何度目の驚愕かわからぬハンの様子に目もくれず、ゲンジュがいつもの絶影とは違うことに気づいた。おかしいなと呟く。

 

「ユダ様の拳が鈍い。本来ならあの髭野郎はもう背中から裂けているはず」

 

 ゲンガン老直系の孫は妖星の股肱の臣であり、幼少のころから地上最強のカウンター拳法を目の当たりにしている。

 あの程度がユダ様の本気であるはずがない。相手をなぶるような立ち回りに疑問を覚えていたものの、ああそうかと自問自答の体で頷いた。

 

「そういう輩なのですね、こやつは」

 

 上半身の防具を砕き、額を割り、体に裂傷を与える。

 死なぬよう追い詰められていく相手に同情していたゲンジュながら、主が鏡の人であることを思い出し、ハンに胡散臭げな視線を送る。

 

「自分より弱い者を(なぶ)って遊んでいるのですか。なんか……残念ですね……第三の羅将とやら」

「小僧……」

 

 十六、七の若手ごときに見切られ、さすがのハンも怒髪天を衝いた。

 大言の報いを受けさせようと、疾風の体術で彼に迫る。

 だがいつの間にか回り込んでいた大敵の薙ぎ払いを受け、それを(かわ)すために大理石を蹴って大きく後退した。

 

「……キサマ」

 

 自分より長い距離を、自分より早く(はし)った相手が敵を間違えるなと言いたげに手招きしている。

 この男があらわれてからというもの、疾風の存在意義を根こそぎ否定されるような扱い方、戦い方をされていた。

 今のハンの姿は、これまで配下たちが見てきた余裕のあるダンディぶりとは程遠いものだった。

 

「か、完全にハン様が押されている……」

 

 雑魚扱いされている、とは仮面たちもさすがに言えぬ。

 ハンの北斗琉拳は闘技場の隅々まで届くほどの殺傷範囲がある。

 うかつな口は利けなかった。

 

 狂気の相の羅将が足を踏み鳴らし、伝承者となって以来の大敵に近づこうとしたとき、彼が足を止めた。

 ブワッという気圧を悟ったハンが殺気の方向を見る。

 北斗琉拳のシャチと自ら名乗ったその青年が連撃を放ってきたものの、対する同門の男がありえない挙動から跳躍し、着地した。

 動きを止めていた銀色の髪の侵入者が吹き飛ぶ。

 凄まじい疾風の衝撃で床に叩きつけられていた。

 

「……双背逆葬(そうはいぎゃくそう)。たあいのない。わが奥義を名乗るには十年早いわ」

 

 本来の支配者の姿を見た仮面とボロたちが思わず顔を見合わせた。

 シャチを軽く一蹴したその武威に、ゲンジュが砂蜘蛛より遥かに強いと唸っている。

 しかし炎にまかれ、葬られたはずのシャチが立ち上がった。

 胸の防具の内側から鉄板を落とす彼の様子に、闘技場の修羅たちがおおっと騒ぎ立てた。

 

「まだキサマの拳筋は見えぬか……」

「いかに北斗琉拳を修めていようと、そんなスローではオレは倒せん」

「レイアをどこにやった?!」

 

 口元の血をぬぐう若者の鋭い問いかけに対し、ダンディな髭男が眉を上げる。

 

「砂蜘蛛が連れてきたのはガキのみ。女だと?」

「……どういうことだ」

 

 呆然とするシャチの元に、修羅の国では場違いな恰好の少年少女があわられた。

 それを確認したゲンジュが仰天し、ルイさまと言いながら二人のそばに駆け込んで跪いた。

 

「ユダ様!!」

 

 配下の声に赤毛の主が頷く。

 探し物を見つけた南斗の頂点の男がマントをまくり上げた。

 余興は終わりだとばかりに紅鶴拳の構えを見せる。

 

「!」

 

 はっと上空を見上たユダの目に、気合を溜めて闘気を放とうとしているハンの姿が映った。

 

「くらえ白羅滅精(はくらめっせい)

 

 ゲンジュの炎が火の粉に思えるほどの業火の塊、その掌底波が標的に降り注ぐ。

 水晶の岩でできた床が広範囲に破壊され、めくれ上がった。

 

「身の軽い赤毛め……だが気を駆使できぬキサマなどわが北斗琉拳の敵ではない」

 

 ズアアアという(ほとばし)りの気合により、その岩盤は重力に反したまま滞空していた。

 岩の上に乗り上げていたユダがふわりとハンのもとへ舞い降りていく。

 

「このハンの間合いに無作為に来るか、舐めおって!」

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