聖拳列伝   作:小津左馬亮

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十四話   斬りたるは標的のみ

 一方、シンは第三の羅将の前線基地である砦の惨状を確認して、(そび)え立つ王城を見上げていた。

 彼の近くでレイアの弟であるタオが腰を抜かしている。

 屍を晒す仮面たちを窺いながら、そのなかのひとりである辮髪(べんぱつ)の修羅の上半身を発見したところだった。

 

「す、砂蜘蛛がやられてる……いっ一体何が起きているんだ?!」

 

 焼け焦げた芝生、砂地でさえ修復できない深い断裂。そんな痕跡を見た金髪の青年は、驚愕が収まらない少年の疑問に答える。

 

「これは南斗聖拳の斬撃」

「あ、貴方の同門?!」

「どうやら……この城においては俺の出番はないようだ。羅将ハンとやら、運がなかったな」

 

 斬裂跡に手を添えていたシンが立ち上がる。

 ようやく気を取り直した少年が腰を上げながら告げた。

 

東華八盾(とうかはったて)が倒れ、さらに格上の砂蜘蛛まで……これ以上何があっても驚かない自信がある」

 

 タオの台詞はそのあとすぐに撤回されることになる。

 

 

 

§§§§§§

 

 

 

 砦から王城までの道のりにおいて、誰一人として海外からの来訪者の前に立つことはできなかった。

 しかし混乱に乗じているとはいえ、防戦にやってくるのは仮面の修羅のみで違和感を覚えたのかタオが呟く。

 

「名のある修羅は出払っているのか、それともハンの手駒は全て討ち取られたということか……」

 

 羅将の城の本殿に向かい、二人は螺旋階段を上がっていく。

 この国の首脳ともいうべき拠点にまともな防衛体制が敷かれていないことに、タオは未だ信じられないとばかりに首をひねっている。

 やがてハンが鎮座しているであろう謁見の間へと辿り着いた。

 

「誰もいないのか? もう何がなんだか」

 

 豪奢なその広間は無人だったが、屋外から聞こえてくる地響きやどよめきを耳にし、少年は扉を開けて駆け込んでいく。

 シンもその後に続こうとして、タオの驚倒せんばかりの声を聞いた。

 

 大勢のボロや仮面たちが屋上の闘技場を遠巻きに囲んでいた。

 彼らはタオの驚きなど気にも留めず、ひたすらその光景を眺めていた。

 やがてよろめく数名の修羅が身を引いたことで、シンは渦中の現場を目にすることができた。

 

「あれは」

 

 晴天だった空はいつの間にか曇天に変わっている。

 そんななか、赤毛、赤みがかった胴着の同門が両手を広げ、華麗に着地していた。

 

 何かを振り払ったような残滓がある。

 

 闇のように見えるそれは、明らかに異常だと思われる魔相の男によってもたらされたのだ、とシンはすぐに理解した。

 

「浅い」

 

 何かをかき消した南斗紅鶴拳の伝承者がそう言い、練度が足りぬと告げてから音もなく相手に接近した。

 彼から仕掛けるのは初めてのことだった。

 

「わが魔界を舐めおったなぁ赤毛!」

 

 放たれた闘気の範囲は戦略兵器並みの(きら)めきを誇っていたが、しかしそれが絶影の拳の使い手を撃ち抜くことはなかった。

 

「うおっ?!」

「魔界に至った白羅滅精(はくらめっせい)を二度も薙ぎ消しやがった!」

 

 コマクの仰天と見知らぬ銀髪の青年の声を聞き、シンは恐るべき同門の拳士が奥義を放つのを悟った。

 

「南斗斫撃(しゃくげき)

 

 突撃と斬撃を(あわ)せ持つような紅鶴拳独特の指拳。

 影すら絶つといわれる拳が第三の羅将の防具のない上半身に食い込んだ。

 赤き鶴の爪は防御にも有用であろう闇の闘気の残りを力で撃ち抜き、壇中(だんちゅう)といわれるツボの部分を貫いてから、ハンの右肩まで一気に斬り上げた。

 

「ああああ?!」

 

 配下の修羅たちの絶叫とともに、空から雪が降ってきた。

 その氷の粒に()える赤い血しぶきが宙を舞い、白くなっていく大理石の床に降り注いだ。

 闘技場は静寂に包まれている。

 やがて修羅たちが震えながら、それぞれ声を上げた。

 

「わ、我が国の闘神が……あのハン様が……」

「闘気もない男の拳で突かれ、斬り捨てられるなど、そんなことがありえるのか」

 

 修羅の国の住人である彼らが受けた衝撃は計り知れない。

 胴体を斜めに斬り裂かれた男は魔界に至った北斗琉拳の拳士である。

 

「無重力の中で暗転させられたあの赤毛……ハンの強すぎる殺気がゆえに……白羅滅精の軌道を読んだとでもいうのか……!」

 

 シャチが身震いをしながら呻く。

 そんな静かな闘技場に誰かの靴音が響いた。

 渦中を囲む修羅たちは、初めて見る南斗紅鶴拳の奥義を見てほとんど尻もちをついている。

 立っている者は数少なく、おかげで視界は通っていた。

 姿を見せた長い金髪の拳士は、同門の赤毛の拳士を眺めて静かに告げた。

 

「闘神と呼ばれる存在といえど、お前の敵ではなかったようだな。ユダ」

「……少々手こずった」

 

 頬に走る傷をひとなでし、仰向けに倒れていく羅将を一瞥したユダが屋上全体を見渡した。

 コマク、メイエル、ゲンジュといった彼の配下も極星の登場に驚きつつ、南斗の頂点である双璧の邂逅を窺っている。

 

「シン様……」

「先生!」

 

 探し物であるルイ、レンがシンに飛びつく。

 少年少女を受け止めた彼のそばで、同年代のタオが姉の恋人であったシャチとの出会いに仰天しつつも、なにやら言い争いをし始めた。

 そんななか、致命傷を食らったダンディな男が断末魔のような魔闘気を放出させつつ、再び立ち上がった。

 闘技場が揺れている。

 

「魔界に半歩踏み入れた以上……このままでは終われぬ……北斗琉拳の面汚しのままでは死ねん!」

 

 魔相がさらに険しくなっていく。恐慌に襲われる人々のなか、一切の怯みを見せぬ南斗の双璧の片割れが憐れむような視線を向けて言った。

 

「奴の絶影の拳はラオウすら撃退する。無闇な闘気など通じんぞ」

「ラオウ?!」

 

 世紀末覇者の名を聞いたハンが目を剥き、荒ぶる闘気を(たぎ)らせながらシンを睨みつけた。

 修羅たちも大きく騒めいた。

 伝説の救世主の名を聞いた数人のボロが慌てふためき、屋内に逃げ去っていく。

 乱れた髪の羅将が伏せていた面を上げた。狂気の男は静かに笑っていた。

 

「フフフそうか、あのラオウを退けたのか。なるほどこのハンが(かな)わぬわけだ……だが」

 

 噴火のように湧き上がる気合の闘気とともに、出血も多量になっていく。

 

「わが終撃で……うぬだけは道連れにしてくれる!」

 

 残像を浮かべた魔界の住人が瞬時に赤い拳士の懐に飛び込む。

 シンでさえ見失いかけるほどの速さだった。

 疾風の男が目からも血を流しながら吠えたてた。

 

「北斗琉拳、闘玉一玩(とうぎょくいつがん)

 

 ボッという重い音とともに放たれた魔闘気は、闘技場の上部に施された龍の石像を破壊して、城内に落石を発生させた。

 地盤がめくれあがる。

 だがそんな派手なエフェクトの技に対し、絶影の異名を持つ男は(たい)(くう)に消したのち、音もなく敵の目の前に着地した。

 ハンの頭から股下まで一本指で斬り下げることに成功したユダが膝をつき、大理石を撫でた。

 

「……」

 

 ハンのリーゼントのような髪形はすでにざんばらになっている。

 今度こそ魔闘気が完全に霧散した。

 もはや声もないといった様子で周囲の連中は腰を抜かして固まったままだった。

 一歩踏み出した同門の青年が静かに告げる。

 

「……斬りたるは標的のみ。拳法とはかくあるべし、まさに実の拳」

 

 シンの敬意のこもった解説にユダ配下の三人、ゲンジュ、コマク、メイエルが頷く。

 北斗琉拳の真髄、派手な魔闘気に対し、南斗聖拳を真に極めた者がそれの答えだとばかりなカウンターを見せた。

 敵の返り血で身を染めた美しき紅い鶴。その恐るべき使い手が体勢を整えると同時に、背中から前方へと斬れていくハンが床にもんどりうった。

 

「先ほどの致命傷もある……文字通りオーバーキルだ。今まで相手をいたぶってきた業が返ってきたな、第三の羅将」

 

 そばかすの青年、ゲンジュが顔をしかめながら呟く。

 実力差を思い知らしめる紅鶴の数々の衝撃、それを改めて実感したかのようだった。

 ここまで一方的にやられるとは予想もしていなかったようで、ハンの配下たちは未だ硬直したまま動かない。

 しかしボロの集団は我に返ったのか、うわあっと悲鳴を上げて逃散していった。

 修羅の矜持がある仮面たちは金縛りのような状態から復帰した後も、なんとか踏みとどまって信じられぬ光景を眺めやるばかりだった。

 

「フン……所詮付け焼刃の魔界では通じぬか……最後の悪あがきも余裕であしらわれようとはな……南斗紅鶴拳……全てにおいてわが上を行く絶影の拳」

 

 ハンの魔相は魔闘気の消滅とともに消えていた。

 死人と化した状態で完敗という展開に、プライドの高い男もようやく納得したようだ。

 

「本流の北斗神拳でさえ破った存在と知らず、無様なものよ……闇に飲まれて恥を上塗りしただけか」

「信念を貫けなかったことが敗因だ。疾風の練度に比べれば、お前の魔闘気は(おもむき)がない」

 

 腰に手を当て、優雅にマントを靡かせる相手にそう言われ、横向けに倒れる羅将が喉の奥で笑った。

 

「このオレを易々と降した赤い衝撃……フフ第二の羅将とてお前の進撃は止められそうにないな……魔人ならばあるいは」

「魔人」

 

 ユダが眉を上げる。ごふっと吐血したハンは第一の羅将、カイオウの名を告げた。

 だが赤毛の男の反応は予想とは違って薄いものだった。

 

「天帝の子を見つけた今、他の羅将などに興味はない。後は他の者に任せて先に帰還する」

「……どこまでも読めぬ美しき鶴よ。カイオウを倒し、天を掴む気はないと」

 

 底が知れぬ男の野望のなさにあきれ果てながら、瀕死の羅将はマントを自分にかぶせてくるのを見上げていた。

 

「人品卑しからず武勇無双……お前ほどの拳士がこの国で生まれていたら……カイオウも歪まなかったかもしれん」

 

 ハンは曇天の空に仰向けになった。

 自身の魔闘気で押しつぶした床にヒビが入る。

 城の屋上であるそこは徐々に崩れていき、遥か下にある河川に落下しようとしていた。

 同時に己が認めた男から、ケンシロウやラオウがこの生国にやってくる、もしくはすでに来ていると告げられた。

 わが国が変わるときか、とハンが大きく叫ぶ。

 それを合図に、崩落する床とともに彼が落下していった。

 

「国中に触れを出せ。ラオウ伝説はもう始まっている……!」

 

 それが第三の羅将の最後の言葉だった。

 早合点し、先に逃げたボロのせいで、その下知はハンの姿が小さくなるときには実行されていた。

 

 巨大ダムに設置されたタンクから赤い水が国中の下流に流れだすという、ラオウ襲来を知らせる仕掛けだった。

 郡将カイゼルのときも触れがあったものの、羅将による国の危機の報は規模が違っていた。

 闘技場にいた面々が眼下から河川が赤くなっているのを見守っていた。

 

「ユダ様、天帝の子と少年はわしら赤備えが保護し、サザンクロスへ送り届けます。貴方様はお心のままに」

 

 コマクやゲンジュ、メイエルが膝をついて主を窺う。

 この国に長居する気はないと答えた赤毛の男は、小男から受け取った新しいマントを羽織り、少し物見をしてから帰還すると告げた。

 優雅華麗なあの男になす術もなく敗れたハンだが、自分では到底かなわぬ相手だったと、握りこぶしを震わせながらシャチが感慨にふける。

 

 守るべき娘と弟子との別れをすませたシン、ほぼ無傷といってよいユダ。今となっては南斗最強の男たちが肩を並べて屋内へと去っていく。

 タオ少年がそれを追い、やるせない思いを振り切ったシャチもその後に続いた。




闘玉一玩。ハンの最終奥義。本来は闘玉連玩。北斗無双のハンの奥義。
手数より一撃の重さを表現したくて差し替えました。
南斗斫撃(しゃくげき)。カードゲーム百万の覇王乱舞のユダの奥義。

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