聖拳列伝   作:小津左馬亮

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二十三話  天を()

 血しぶきが舞う。

 南斗の男からのものだ。

 後方から見ていたウサは、打たれ強いあの若僧からすれば大した傷ではないと断定して別の方向を見た。

 

 魔震剛烈波(ましんごうれつは)を正面から防ぐことができる者などこの世に存在しない。

 そう思いながらもカイオウが不機嫌に首を振る。

 同時に北斗神拳の奥義を告げる声を聞いた。

 

「北斗剛掌波」

 

 カイオウとシンの間に闘気を撃ち放った男が瓦礫を無造作に振り払っている。

 魔人ならぬ拳を駆使した修羅の王の驚きは尋常ではない。

 

「せ、凄妙で寸分たがわずうぬの破孔を突いたはず……なぜだ、なぜ生きている?!」

「一撃一撃が超ド級の連撃打。さらにその全てが疾風並みに速い。さすがは第一の羅将、われら三兄弟の長。このオレをここまで殴り飛ばすことができるのは貴方しかおらぬ。だとしても、だ」

「……」

「考えよ。なぜ無効化されたのか」

 

 兄の前に立ちはだかった弟が背後のシンを押し飛ばす。

 

「まさか」

 

 己の両手を眺め、呆然から立ち直ったカイオウが独語した。

 

「女人像による北斗宗家の拳の受け技……」

「然り」

「……わしには伝授どころか手がかりでさえ与えてくれぬその像……またも北斗神拳がゆえにうぬは!!」

 

 カイオウがうおおと吠えた。

 広場が音響によってまたも揺れる。

 浅からぬ傷を負ったラオウながら、泰然とした様子は変らない。

 さらなる狂乱ぶりを発動した兄を見た彼の目に浮かぶは、憐憫(れんびん)の情だった。

 

「うぬごときがわしを憐れむな……! そのまなざしだけは許せぬ!!」

「……まだ気づいておらぬ。それが情けないというのだ、カイオウ」

 

 彼の額上部にあらわれた北斗七星のアザ。

 それを注視するラオウが眉を寄せる。

 未だ気づかぬカイオウは、誰に教えられることなく自然に身についていたという不敗の拳の型を取り出した。

 仏頂面のラオウがまたも白い歯を見せた。

 

「フ……」

「なおも煽るかラオウ! それとも死の恐怖で狂ったか」

「手がかりさえ与えてくれぬ、だと? これが笑わずにいられるか」

 

 ズシンという音とともに、世紀末覇者が踏み出した。しかしそれは一歩で止まることになった。

 女人像に刻まれていた北斗宗家にしか伝わらぬ構え。それを今一度確認したためだ。

 無意識に誇示するようなそんな大敵を、ラオウが迎えうつ。

 彼は円を描くように両手を回し、気合を溜めていた。

 

「ようやく防御術を伝えられたオレとは違い、最初からその型を心得ていた兄者のどこが屑星だ? 北斗神拳への憎悪など見当違いだとまだわからぬとは」

 

 カイオウの不敗の拳とラオウの無敵の拳が互いの間合いに入った。

 

「天に滅せいラオウ!」

 

 闇ではない気を纏った拳撃。

 強烈という言葉でさえ不足に見えるほどのそれが、拳王と呼ばれる男の顔に放たれる。

 

「ら、ラオウさま」

 

 ようやく絞り出したウサの弱弱しい声のなか、渾身の一撃をヘッドスリップで(かわ)したラオウが、兄の拳に対する答えのような奥義を発動させる。

 

 

天将奔烈(てんしょうほんれつ)

 

 

 両の掌底を受け、カイオウが宙に浮く。

 その姿はウサだけではなくシンの目にもスローに映った。

 

「ぬうぉおお」

 

 北斗宗家の気合技に耐えていたカイオウが堪えきれず、斜め上空に打ち上げられていく。

 

「うぬぬぬぬこのカイオウを……舐めるなよラオウううう!!」

 

 空中にて雄叫びを上げた魔人が光の気の打ち上げを砕いた。

 よろめきながら地に降り立つ。上半身の防具は全て破壊されていた。

 ラオウと同じ状況になっている。

 互いに血まみれだった。

 息を乱した双方が静かに歩み寄る。

 

「今の……うぬの拳は」

「わからぬか。ならばもう一度言う」

 

 不意の突風に負けぬ音量でラオウが告げた。

 

「兄者、貴方もオレも北斗宗家の血を引いているのだ……ゆえに宗家の奥義、奔烈(ほんれつ)を押し返すことができた」

「?!」

「北斗神拳創設者シュケンの従兄弟、リュウオウ。それがオレやトキ、そして兄者の血筋」

「……な、なにを」

 

 女人像から伝承された遺言をもとにラオウが語る。

 語り終えてなお呆然とするカイオウが我に返るまで、弟は兄を待っていた。

 腰を抜かしたウサを横目にシンが呟く。

 

「今のラオウと殺り合えば俺といえどあの一撃で消し炭。それに耐えきった奴め……最強の男に張り合える唯一の存在として目覚めたか。いや……ラオウが目覚めさせたのか」

「クククそうかそういうことか」

 

 喉の奥で笑うカイオウが伏せていた面を上げた。

 だが湧き上がるのは静かな気の奔流(ほんりゅう)であって魔闘気ではない。

 いつの間にか魔人の極意である暗気(あんき)は消えている。

 

「ようやく合点がいったわ。北斗宗家の伝承者となるべき資質を持ちながら琉拳へと追いやられたわれらが代々の血統……わしだけが闇に迷っていたのではない。リュウオウから始まる血が怒り狂っていたのか」

「カイオウ」

 

 恨むなら北斗神拳を修めたわが身を打つがよい。

 神気(じんき)に包まれるラオウがそう言いながら両手を広げていく。

 

「だが……歪んだままの貴方をこのままにしておくわけにはいかぬ。宗家の秘拳を得たわれらは寸分たがわず互角。ならば」

 

 ラオウを覆っていた光の気が消えた。

 すでにカイオウも闇を纏ってはいない。

 二人の間には聖殿の前に吹く風の音だけがあった。

 

「受けてみよ、わが全霊の拳を」

 

 

 

§§§§§§

 

 

 

「お、おっおいシン。わしは何か幻影でも見ているのか、あの二人は」

「……まるでガキの喧嘩だな。俺の目にも幼少期の奴らが殴り合っているようにしか見えん。兄への敬意やら情愛を感じられるラオウの姿……まさしく北斗神拳の真髄を物語っている」

 

 ウサの感慨を耳に、シンは眩しそうに渦中を眺めている。

 この世においても類を見ない気の持ち主だち。

 それを操るでもなく奥義でもなく、彼らはただ実の拳のみで撃ち合っている。

 

 かつてユダに拳法とはかくあるべし、と賛辞を贈ったシンは、今回もその心情に至るのだった。

 

「うぬに拳を教えた身として一日の長がある、おうりゃ」

「ぬうう」

 

 兄の手刀打ち下ろしを食らった弟が地に触れ伏す。

 しかし地盤を砕いて沈むことはなかった。

 肉体のみを打つ拳は、肉体のみダメージを与えている。

 

 かつてのカイオウなら倒れた者の後頭部を踏みつけていただろう。

 だが彼は立ていと告げたのみで、ラオウが起き上がるのを待っていた。

 

「いかに魔人として拳を奮おうと、憎悪と狂気で武威を増そうと……そなたの心体を(くじ)くことはできん。ならば拳士として小細工無用の打ち合いでうぬを圧倒してやろう。このカイオウ、伊達に北斗の長者を名乗っておらぬぞ」

「……わしの全霊を上回るとは小気味よし」

 

 肩に打撃を受けたラオウがそれをかばいながら起き上がる。

 拳法の極意に至った者どうし、恐ろしく地味な光景ながら誰にも割って入れぬ無我の境地が展開されていく。

 

「兄者の不幸には同情している」

「何をほざくか、劣勢のうぬこそ」

 

 肘撃ちをくらったカイオウが仰け反った。仰け反りながら蹴り返す。

 どうやら蹴術(しゅうじゅつ)はカイオウのほうが上手(うわて)のようだ。

 

「不幸とは……血などではない。その環境だ。琉拳へと追いやられたことでもない」

「なにィ?!」

「オレの全霊の拳にすぐさま対応できるほどの天賦の才。現時点で貴方に匹敵するものはおらん」

 

 ラオウの拳が迫ってくるカイオウの拳と激突した。

 二人とも相譲(あいゆず)らず、拳で押し相撲をし始めた。

 

「貴方の不幸……それは己より強い男と戦ってこなかったことだ。オレは……オレを超える者たちと殺り合い……そんな戦場で生き残ってきた」

 

 ラオウの台詞はヒョウと戦った際のシンの言葉とほぼ同じだった。

 その間にも血が吹き上がる。拳をぶつけ合う意地の張り合いに優劣が出始めた。

 

「うぬ……!」

「わが先を行くは先代リュウケン、聖帝、赤い衝撃……そしてそこの金髪の若僧。ただひとりを除いてすべて南斗の拳士であることが無様でならぬ。そしてケンシロウ。兄者に敗れたが……生き残ってさえいれば、のちに必ず兄者を超えるであろう。それが北斗神拳」

「ほ北斗神拳がゆえに……しかし、しかし南斗ごときに劣るとほざくとは」

「もはや時代は変った。兄者も戦ったという赤毛、南斗紅鶴拳のユダ……あれは同格どころかオレや貴方すら超える異才だ。そしてそれを認めたとき、初めてあの小賢しい鶴を凌駕するかもしれぬ全霊の拳を得た」

「惰弱なことを!!」

 

 カイオウが押し返した。両者の拳から再び血が舞った。

 

「どうおあ」

「ぬおお」

 

 同時に兄弟が拳を引く。そして彼らは貫手を相手に突き入れた。

 

「俺の目の前で指突だと? 小賢しいのどちらだ」

 

 思わずシンが毒づくほど凄絶な相討ちだった。

 秘孔と破孔を突くなど思いもよらぬ彼らが鮮血に(まみ)れ、互いに口角を上げて言った。

 

「こうなれば喧嘩好きなうぬの酔狂にとことん付き合ってやろう。意地の張り合いなら負けるわけにはいかんなあ」

「ふ……血の気が多い貴方が言うか」

 

 今のカイオウには憎しみも歪みもない。

 そんな感情はラオウの全霊の拳によって吹き飛ばされたかのようだった。

 そしてそれはラオウにしか成しえぬことであった。

 修羅の国の救世主と喧伝したカイオウの目に狂いはない。そう思わせる成り行きだった。

 

 拳撃などという格式の高いものではない。シンの言う通りガキに戻った男たちのただの殴り合いが再開された。

 

「宗家の秘拳は最強ゆえか受け身すら極められている。つまり同程度の才を持つ者同士が戦っているのが今の状況だ」

「フン」

 

 ラオウがうっそりと口を開く。カイオウがそれを察し、打ち込まれた弟の拳を流して身を引いた。

 

「まだ(こぶし)で語り尽くせぬか。我らは業が深い」

 

 拳王を名乗る男が傲然とうそぶく。

 

「ただの兄弟げんか。こうなれば北斗の枠すら必要あるまい。もはや宗家の血ですらクソくらえというものだ」

 

 弟の台詞を聞いたとき、魔人と恐れられる男が会心の笑みを浮かべていた。

 

「フフフ女神像から教えを受けたうぬがそこまで言うか……北斗の壮大な伝承すらわれらの争いの下か」

「ゆえに、だ。兄者の憎悪はくだらぬと断定できる。そうであろう、オレは幼き日に貴方を超えるという宣言をただひたすら実行するのみ」

「フハハ大言を! あの言葉をまだうぬは」

 

 大仰になりそうな展開を身内騒動に収めたラオウ。吹っ切った表情で高笑うカイオウ。

 傑出した二人の拳士を見守るシンは、そのやりとりに感銘を受けながら隣にいるウサの肩を叩く。

 拳王の忠臣である小男は泣いていた。

 

「あれが素顔のわが主……皮肉なものじゃ。北斗神拳の長兄、世紀末覇者を名乗っていた頃よりも今のお姿のほうが遥かに神々しく見えるとはのう。まさしく戦神じゃ。そして互角に渡り合うカイオウもまた」

 

 互いだからこそ力を最大限に引き出せる。

 シンもウサの独語に頷いていた。

 ユダがラオウに告げた私なら倒すだけで終わる、という台詞を金髪の青年は知るはずもないが、ラオウ本人は現存する最強の拳士の断言を今ようやく噛みしめているところだった。

 

(ユダ……赤い衝撃め。あの赤毛めが。今のオレの力を(もっ)てしてやっと理解できたわ。強くなればなるほどあやつが遠ざかる。兄者をただ倒すだけでは意味がない。兄の心を(すく)い、そしてその歪みを絶つ。血を分けたオレにしかできぬこと)

 

 目を見開き、牙を剥くラオウにカイオウも吠えて応じる。

 それぞれの頬に一撃が入った。食いしばる歯の間から血が流れだす。

 しかし彼らは結界のなかで戦っているかのように、互いに引かなかった。

 

「うぬのその拳圧……闘気に頼らぬ実の拳、なんと心地よきことか」

「その境地に一日で至る貴方こそ……北斗神拳を得ていれば、この国だけではなく世界を覆う救世主となれたであろう。貴方を仰いで我ら神拳の四兄弟、馬車馬のように働いたものを」

「世辞をほざきつつその意気や天を衝く。フハハいいだろうこの一撃で終わりにしてくれよう!」

 

 深淵から湧き上がるラオウの気合は、ただ全て利き手の正拳に込められた。

 カイオウの打ち放つ掌底に向かって放たれたそれは攻防一体の兄の手のひらを貫通し、再度修羅の国の王の顔に(こぶし)を叩き込むことに成功していた。




天将奔烈。ラオウ個人の奥義ですが本作では北斗宗家の技に差し替えました。
本来北斗どうしの戦いは描きたくなかったのですが、修羅の国編での最高潮はラオウ対カイオウに尽きると考えて加筆した次第です。
さすがにケンシロウとヒョウまで書く気力はありませんでした。
手こずったこの章は次回で終わりです。次は大陸内乱編になります。
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