聖拳列伝   作:小津左馬亮

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二十四話  帰国

「シン!」

「ケンシロウ」

 

 北斗宗家の血を引く宿敵が馬を駆って泰聖殿前広場にやってくるのが見えた。

 下馬したケンシロウが後ろに騎乗しているヒョウを気づかいながら周囲を見回している。

 健脚の従者、黒夜叉が追いついてきたようで、主に変わって馬に乗り上げ、重傷のヒョウを支えていた。

 

「兄弟げんかは終わったか」

「……ああ」

 

 ラオウと同じく女神像からの秘拳を会得したケンシロウは軽傷だった。

 それに比べ、満身創痍のヒョウがシンを見下ろして尋ねた。

 

「あの二人が見当たらぬ」

「魔人の先導でとある場所へと立ち去った」

「……まさかカイオウは」

 

 せき込むヒョウにケンシロウが駆け寄る。それを制止して第二の羅将が口元の血をぬぐって言った。

 

「魔性の沼。カイオウの……そしてラオウの母が眠るという彼らにとって聖域に」

「うむ」

 

 シンは彼方へと視線を向ける。

 

「ラオウはウサという影と黒王号を連れて行ったようだ」

「置き去りか」

 

 真顔でそう告げるケンシロウだがこれでも彼にとっては軽口である。

 疲労の色がある金髪の青年が空を見上げたあとで答えた。

 

「奴ら兄弟の約束の地。俺はともかくお前たちは部外者ではあるまい」

 

 ケンシロウが眉を上げる。正統伝承者の永遠の従者である黒夜叉が主を促している。

 ヒョウといえば咳き込むのをやめて、因縁の相手を一瞥してから馬首を返した。

 

 

「我らはカイオウが選んだ死地へと向かう。南斗の若僧」

「傷が全快したらいつでも相手をしてやる。しかし俺がもうこの国にいる理由はない」

 

 不機嫌そうなヒョウの台詞にかぶせるようにシンが告げ、彼も背を向けた。

 

「シン、オレがサザンクロスに帰還するのはしばらく後になる。ユリアを頼む」

 

 宿敵の言葉に足を止めた彼がその必要もあるまいと呟く。

 それを聞いていなかったのか、ケンシロウの掛け声と馬蹄の音が遠ざかっていった。

 

 

 

§§§§§§

 

 

 

 シンは再び荒野を歩いている。

 観戦していた彼にはラオウとカイオウの戦いの行く末がわかっていた。

 それほどまでにあの展開は決定的だった。

 

 あれ以上は弟にとって兄への私刑に他ならない。

 

 しかし歪んだ己の始末をつけると宣言したカイオウの意向を無下(むげ)にするようなラオウではない。

 

「誰にも恥じぬ負けがある、か……」

 

 風が鳴いている。

 カイオウの背中を見送ったとき、シンはサウザーという快男児を思い出していた。

 拳こそ言葉という実証を身をもって知る彼だが、ラオウも兄から去り際の何たるかを学ぶのだろう。

 

 あの死線を超えて自分は強くなった。

 ゆえに拳王と呼ばれるほどの男がさらに高みへと達するのは明白である。

 シンはケンシロウやラオウに敗れる自分が容易に想像できた。

 

「それもまた良し」

 

 もはや死人ではない彼が独語する。

 そんな思いをはせながら東に向かって進んでいくうちに、拳王の紋章を掲げた部隊と遭遇する。

 ラオウ伝説に沸き立つ各地の反乱を支援、既存勢力を駆逐して大軍となった兵団を率いる大将の名はヒルカ。

 ひょろ長い体躯のモヒカン男は悪人顔だったが、それでも覇者の忠臣として知られる拳王軍の重鎮だった。

 四輪駆動の上で芝居がかったようにマントをめくりあげた男は、やたらと偉そうに話しかけてきた。

 

「シンか。お前の拳法と名はすでにこの修羅の国に轟いている。カイゼルを倒し、バルコムを破り、第二の羅将ヒョウを圧倒する。われらが救世主を支える(しもべ)のひとりだとな」

 

 いつのまにラオウの配下のような噂の広まり方をされていたのか、金髪の青年には覚えはなかったが、目の前にいる薄い顔立ちの親衛隊長がそう手配したのだろう、と即座に思った。

 

 諜報、謀略といった類の情報戦に長け、兵の統率においてもザクやバルガなどの将軍に劣らず、さらに泰山妖拳(たいざんようけん)の達人である。

 世紀末覇者の手駒のなかでも使い勝手が最もよいとされる、知勇兼備の人傑だった。

 

「もはやこの動乱の帰趨(きすう)は明らかだ。逆にきな臭くなっているのが我らが本国。ゆえにリュウガやジャギ、他の将軍たちはそれぞれの部署に置いてきた」

「……」

「すでに赤い衝撃は父祖の地ブルータウンに帰還しようとしている。うぬもサザンクロスに戻り、慈母の星の守りに就くがいい」

 

 火急の事態かとシンが尋ねる。

 暗部を統括する長身のモヒカン男は、帝都から修羅の国に逃亡したというビジャマなる者の情報をすでに得ており、その人物が再び大陸に舞い戻ったと告げてきた。

 

「お前も知っている通り、裏元斗の拳士ビジャマは帝都の争乱の元凶。バトロ、アスラといった同胞を伴い、手薄になった本国にまたも災いを呼び込もうとしている」

「災い?」

「他の斗の拳。その使い手と手を組んだ」

「他の斗……北斗の分派か」

「それもある。しかしそれよりゆゆしき事態なのは、(いにしえ)の拳法が西より来たることだ」

 

 その名を聞いたシンが思わず目を見張る。

 

「西斗月拳。北斗神拳抹殺を拳是(けんぜ)に掲げる月氏の拳法。北斗の分派、裏元斗、それらの動きをラオウ様不在のまま止めねばならぬのだ。祖国を立て直すわが主はもとより、ケンシロウでさえしばらく帰還できん。極星や妖星といった南斗の双璧に希望を託すしかない状況だ」

 

 幾人もの諜報員を抱えるヒルカならではの地獄耳に、シンは声もない。

 

「状況は流動的でわしでさえその先は読めん。わかっているのは拳王領はともかく、孤島のサザンクロスは目下無事であるということだけ。今後の成り行きによってはわしが本国に引き返す場合もありうる……とにかく応変に立ち振る舞うことだな、南斗の光明。慈母の星のために」

 

 俺様目線で指揮棒を振るラオウの親衛隊長が行くぞ、と全軍に告げた。

 砂煙を上げ、機動部隊が進軍を再開させる。

 何気なく見守るシンに声をかけてきた者がもう一人いた。

 北斗琉拳の使い手、羅刹を名乗る銀髪の青年だった。

 隊列の中にいた彼がバイクから降りてきてシンと向かい合う。

 

「お前とユダには世話になった。タオとレイアはわが師ジュウケイに保護されている。おれはこのままラオウ軍に身を投じてこの国を立て直す一兵卒となるつもりだ」

 

 シンもまだ若いがシャチはさらに若い。

 男の顔になったと思いながら南斗の拳士は北斗の拳士と握手を交わす。

 

「それと……アンタの知り合いのあのそばかす。先に帰還したようだが」

「ゲンジュだな」

「次に会うときはもう少し腕を上げておけと伝えておいてくれ。思い上がるにはまだまだ未熟者、カイオウすら翻弄する赤い衝撃が主とて、己の力と勘違いするなとな」

 

 なんとも表現しがたい表情のシンがそれでも頷いて、言いたいことだけを言い切って走り去るシャチの背を見送った。

 

 

 

§§§§§§

 

 

 

 修羅の国から戻ってきたシンをサザンクロスの港で出迎えたのは配下のジョーカーやレスティエだけではない。

 波止場から荷下ろし場、城門前に至る間に天帝の子ルイ、弟子のレンや五車などの護衛を連れた南斗の象徴、その影武者まで姿を見せたことは彼にもさすがに予想外だった。

 

 シンが小舟などを使って自力で渡海してきた間に、かの地の状況は慈母の星の物見によってすでに把握されていたようだ。

 五車の長リハクの説明で逆にシンが修羅の国がどうなったか知ることになる。

 

「救世主ラオウが魔人カイオウを辛くも下し、新たに国を建てることになった。ケンシロウと和解したヒョウが統治者として君臨する。ラオウはひとまず生存していた妹サヤカをヒョウに嫁がせて故国を任せ、連れてきた軍団ごと帰還するつもりのようだ。無論ケンシロウ様も」

「そうか」

 

 軍人でもあり政治家でもあるリハクが色々語っていたものの、堅苦しい話は野暮といわんばかりに娘のトウが風と炎を両脇に、父を隊列のなかへ引き戻していく。

 

 ようやく話ができるといいたげにやってきたのはストレートロングの黒髪を持つ美貌の持ち主であり、それに劣らぬクセっ毛の黒髪の女だった。

 万感の思いでおかえりなさいと告げてきた幼馴染と拳の弟子に、シンが無言で頷く。

 

「あれ以来、今まで顔を合わせる機会もなかった。貴方には今までどれだけの辛苦を与えてきたのかと、ずっと」

「ねえシン。こうしているとどちらが本物か、ほとんどの人がわからないって思うんだけど」

 

 思いつめたように何か言いかけるユリアを制し、マミヤがどや顔で告げてきた。

 ルイとレンを眺めつつ、シンは確かにと無難に答えたものの、言葉を遮られた側のほうは美しい眉をひそめている。

 似たような顔立ちの彼女と言えば、いたずらっぽい表情で金髪の美男子を覗き込むようにして近づいた。

 

「シンは……ユリアさんのために死ぬのは当然よね」

「? ああ」

「影武者のあたしも成り行き次第で命を落とすことになる」

「……」

 

 ユリアは珍しく怪訝な顔で双子のような存在を見つめている。

 

「もしそうなったら少しくらい弟子を褒めてくれてもいいでしょ?」

「何を……」

 

 やたらと兄に馴れ馴れしい女の行動に妹が手を伸ばしかけたときだった。

 

「?!」

 

 南斗の象徴の影武者のクセっ毛が風で揺れている。

 彼女は背の高い金髪の青年の首に両手をかけ、額と額をつけるまでに距離を詰めていた。

 

「なっ」

 

 リハクの娘トウの驚愕の声がする。

 謹厳な父がゴホンと咳で牽制するも、そんな行動を起こした大胆な女はしばらくその状態を維持し、無言のなか本物と睨みあいを開始した。

 風のヒューイと炎のシュレンも呆気に取られて固まっており、城壁の上から座って見下ろすジュウザのみが口笛を吹いてやるねえと囃し立てていた。

 

「シン」

 

 氷点下の声色で妹が兄を呼ぶ。

 我に返った彼が本物に劣らぬ美貌の持ち主の両肩に手をかけ、そっと引き離した。

 マミヤが唇を舐めている。

 それを確認したユリアが柳眉を逆立てて二人の間に割り込んだ。

 

「シン?」

 

 もう一度名を呼ばれた男が無表情で首を振る。

 ラオウとカイオウ同時に相手にするより心胆を寒からしめる展開になったものの、冷淡に見える美男子の様子に、ユリアだけではなくマミヤも心情を害したのか、なんだその反応はと怒り出す。

 

 拳ひとすじで生きてきたシンにはそういった女心はわからない。

 双方がなぜ不機嫌なのかわからず、そして女の扱いに慣れていない風や炎からも無視され、リハクからチャラ男めという無言の威嚇を受けるに及んで後退していく。

 

「シン様」

 

 天帝の子ルイが衛将の名を呼び、彼の手を引っ張った。

 救われたようにシンはどうしたとひざを折る。

 盲目の美少女はにっこりと笑っていた。

 そして金髪の頭を引き寄せ、標的の頬へと唇を触れさせることに成功していた。

 今までのやり取りが見えていたのかと言わんばかりに周囲の面々が驚くなか、ひとりだけ無言で俯いている少年がいる。

 

「どうしたレン」

 

 茶髪を震わせる弟子が師の呼びかけに面を上げた。

 シンを指さし、決闘です先生! と荒ぶっている。

 当人はレンの激昂にとまどい、しゃがんだまま上を見上げてユリアとマミヤを窺ったが、それらはそれらで睨みあって一触即発の状況であり、こちらを顧みるつもりはないようだ。

 

 リハクやトウ親子のジト目、ヒューイシュレンの犯罪者を見るような表情を確認するに及んで、シンは久しぶりの死人と化した。

 

「死んだ魚の目をしてやがる。ざまあみろよモテ野郎が。あんな小さい娘を女の顔にさせやがって死ね。今すぐ死ね!」

 

 城壁の上からジュウザが大声で毒づいている。

 同じ兄という立場ながら、雲は象徴にあのような嫉妬を受けた覚えはない。

 収拾がつかなくなった眼下の様子を一瞥した彼が、紫色に染まっていく空を眺めて後ろ手をついた。

 

「フン、色々あったが一件落着か。ともあれラオウやケンシロウ、騒動の元凶どもがいずれ戻ってくる。また面倒ごとが増えそうな予感がしてならねえな。雲のように自由にさすらうことができるのはいつになることやら……」




何度もの修正と加筆による修羅の国編が終わりました。
次はもうひとつの斗の拳法による新章が始まります。すでに下書きは終了しておりますが、また加筆の日々が始まるということで、連載再開は未定です。
それではいつかまた。

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