聖拳列伝   作:小津左馬亮

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八話    鳳凰天舞 馬上の覇王

 地べたに転がされる男、ソウブが転がり終えるまで受け身を取らなかったのには理由があった。

 かつてこれほど無様に地に叩き伏せられることなど幼少期以来なかったからだ。

 自失していたゆえの無様だった。

 屈辱を覚えるという、そんな正気に戻るのはさらにいくばくかの時間を必要とした。

 転倒したことによってできた間合いの長さを、北斗劉家拳の拳士は感じることができなかった。

 肘をつく自身のすぐ近くで傲然と見下ろしているような、そんな相手の存在感だ。

 

「極星十字拳」

 

 南斗最強を(うた)われる青年が奥義の名を口にする。

 いつ懐に踏み込まれたのか、そしていつ蹴撃(しゅうげき)を受けたのか、ソウブにはそれが見えても(かわ)すのが限界であり、帝王が繰り出す深淵なる闘気の流れまでは読み取れなかったようだ。

 お互い跳躍して激突するはずだった。だがソウブの剛拳は空を薙ぐのみ。標的に触れる事さえできなかった。

 相手は両腕を下げたまま無防備に立ち尽くしている。そして鼻で笑っていた。

 

「小手調べで余に挑もうとする。本物のラオウならありえん話だ」

 

 一撃目から奥義を放出した帝王と、南斗を侮った北斗の伝承者候補は、その心得のままの展開を生んでいる。

 地を這うソウブへサウザーは一瞥をくれて、ふと彼方の空を見た。

 ここに至って彼が憤激して立ち上がる。

 覇王の幻影扱いされたことでようやく誇りを傷つけられた、と実感したようだ。

 

「飛び回るハエの分際でオレの道着に触れた。その程度で思いあがるか」

 

 闘気を操るにおいて南斗は北斗の足元にも及ばない。フレアのごとく()き出るソウブのそれで大地が震撼した。

 比較してサウザーの気合いはそこまで巨大ではない。

 

「湯気程度の気纏(きそう)が精一杯か、南斗め」

 

 踏みしめながら間合いを詰める豪傑然とした男の、火山の爆発にも等しい(ほとばし)りと殺気を受けたサウザー配下の南斗の部隊が声もなく後ずさる。

 それを平然と受け止めているのはただ一人だった。彼はクセである口角を上げていた。

 

「笑止。武を極めし者に派手な闘気や余分な殺意はいらん」

「……キサマ」

「鳳凰の羽ばたきひとつで」

 

 ブオッ、という突風を受けて巨躯のソウブが仰け反った。濃紫の闘気が鳳の羽をかたどって広がっている。

 

「厚みのない見世物など吹き飛ばせる」

 

 そう言い終えた帝王が飛び込んできた。北斗劉家拳伝承者候補がたわけが、と吠える。

 交差させたサウザーの両手が広がる。しかしその間合いはソウブから再び沸き上がった闘気によって歪んでいた。

 目算を誤った南斗の拳は北斗の髪を斬るにとどまった。

 剛毅なる男の目が光る。

 

「捉えたぞ、飛び回るハエよ」

 

 鳳凰のがら空きの胴体へ、ソウブの掌底が決まる。奥義に優る一撃であり、必殺の威力だった。

 北斗の男が放つその重圧に耐えきれず、バゴンという音を立てて地面が崩落する。

 押し飛ばされた相手が闘気に纏われたまま地盤を抉り、草地のほうへと転がり回っってようやく停止した。

 

「武を極めしとはな、奥義など必要がないということだ。小虫にはわかるまい」

 

 歓声のどよめきが驚愕のどよめきに変わった。北斗劉家拳の門下生たちが、未だ主人の気にまかれながら立ち上がる男の姿を見たからだった。

 

「フハハ、下郎」

 

 上機嫌の帝王が高らかに笑っている。笑ったまま、劉家拳の気にまかれながら草地を踏みしめてやってくる。

 

「ラオウ以外にこれほどの剛気を放つものがいようとは……褒めて遣わすぞ、北斗の分派よ」

「なぜ燃え尽きぬ」

 

 門下生のひとりが闘気で滅することのない敵を窺って、いや待て、とさらに言葉を紡いだ。

 

「ソウブ様の一撃、つまり経絡破孔を突いたも同然。なぜ……なぜあれは生きている?!」

 

 サウザーの額、司空の位置にある印から光が漏れ出した。と同時に、鳳凰が羽ばたくような形の気合が放たれた。

 北斗の拳の闘気を打ち消しやがった、と彼らが叫んだ。

 

「ありえぬ……確かに手ごたえはあった」

「経絡「破孔」だと? まがいものの点穴など余には通じん」

 

 ソウブが呆然とするのも無理はない。長じて劉家拳を会得して以来、標的を突き損ねた過去はない。

 ましてや渾身の闘気を完全に無効化されたことなど、師父相手にも覚えがない。

 

「だが認めてやろう。そのほうの闘気はラオウに等しい。ゆえに実戦相手としてはこの上もない」

 

 この時点で北斗の覇王を私闘で討つことは、サウザーですら叶わない。

 北斗の大賢者リュウケン、南斗の大導師たち、小賢しい赤い衝撃、その他様々な障害があった。

 組織の中でまだ一部を掌握したにすぎない身では、彼の行動にはまだまだ制限がかけられていた。

 さらにこの時期はまだ核戦争前であり、乱世の兆候があるとはいえ、世界には一定の秩序が保たれている。

 そんななか、ラオウに酷似する男がラオウに匹敵する剛の者であったのは、サウザーにとっては僥倖以外の何物でもない。

 反乱討伐の名目で、覇王との死合いを模擬的に実践することができるからだ。

 

「まさか、うぬは点穴変異を……!!」

「ほう、それは奥義か?」

 

 ソウブの定まらぬ憶測に、サウザーが問いかけた。

 変異を知らぬと察した北斗の男が無防備で間合いを詰めてくる相手に、振り絞った気合いをうち放った。

 それは北斗神拳でいう天将奔烈に近く、サウザーの南斗の防具と道着を破壊し、彼に幾条もの傷を植え付けたが、それでも帝王の前進を阻むことはできなかった。

 

 劉家拳の真髄も他の北斗同様、経絡秘(破)孔を突いてとどめを刺すことにあった。

 それができず未だ魔道に至らぬソウブの闘気では、ラオウですら(はばか)るサウザーの肉体を撃ち落とすことができなかったのだ。

 

「わが押し込みで満身創痍になりながら……こやつ、止まらぬ?!」

「余は帝王。うぬら下郎とは、体の内側までも創りが違うのだ」

 

 上空に飛び上がった姿は南十字星を(かたど)っていた。その腕を交差させ、側部へ薙ぎ払う鳳凰拳の舞いを、気のガードで受け止めた地上のソウブが威力を殺せず、そのまま後ずさる。

 後退するときにできた二本の長い足跡からは煙が立ち上っていた。

 屈辱に打ち震えていたソウブは、サウザーが落ちていたマントを手にし、おのが血まみれの体躯を覆ったのを見た。何を勝ち誇るか、と北斗の男が言いかけたのを、南斗の男が(さえぎ)った。その瞬間ソウブの視界が赤くなった。

 

(おおとり)の横薙ぎを二度受けた。一度目で裂けぬ頑強な体が仇になったな」

 

 宙に飛び散る血しぶきを、劉家拳の男は他人事のように見上げていた。防御した腕を抜けたようなサウザーの気当たりが胸部に直撃した際、一度目で破れかけていた傷が開いた、と彼は薄れゆく意識の中で悟った。

 

羽凰龍ノ真(はおうりゅうのしん)

 

 その秘奥義の名を聞いた彼が天空を見た。空が青い。仰け反って倒れこんでいく体の自由が利かない。

 わが名を叫ぶ門下生の声が遠くなる。恐るべき南斗の拳士の、ゆらめく濃紫のマントも遠くなっていく。そこで北斗の男の意識は途絶えた。

 バギーに乗り込むサウザーが、見物していたはずの北斗の三弟と南斗の小僧がいつの間にか姿を消していることに気が付いた。

 

「フン、余の無様を見せずにすんだか。ラオウ以外にこれほどの苦戦を強いられようとは、帝王の名が泣く」

 

 

§§§§§§

 

 

 象と見間違える程の体躯を誇る黒い馬を、ハクホウは口髭に手をやりながら見上げていた。

 それに(またが)る男の服装に気が付いてふむ、と頷いている。

 

「偉そうなマントで隠しているが、それは正真正銘北斗神拳の道着……」

 

 同門であるソウブの容貌によく似ている。それよりさらに禍々しい顔立ちのこの相手がラオウだ、と彼は確信した。

 

「噂に聞く北斗神拳の長兄がお前だな」

 

 そう呼ばれたラオウが握っていた手綱を少し動かした。それだけで愛馬が動いた。

 象そのものな蹄が飛んでくるのを、ハクホウが後方に退いて避ける。

 木の上に飛び上がった。彼はしゃがみこみ、上空から覇王を興味深そうに観察している。

 それに目もくれることなく、ラオウは近くで膝をついている南斗紫蝶拳の女拳士に下がれ、と告げた。

 抑え込んでいるような激しい闘気に圧倒され、少女は無言のまま頷いて後ずさった。

 

「女に甘いなあ、北斗の長兄」

「……」

「北斗ながら南斗狩りを見続けるのは退屈であったか。思っていたよりも笑止な信条を持つようだ」

 

 くくく、と嘲笑うハクホウを見上げるラオウの反応は薄い。木の上の敵を見上げるのみだった。

 

「問答無用か、ではいくぞ」

 

 分派が木の上で腰を上げると同時に、本家が口を開いた。

 

「南斗狩りなら見せてやろう」

「……何?」

「狩られる鳥はおのれだ」

 

 極十字聖拳は北斗劉家拳の一派。南斗と同列にされたことで、ハクホウは憤怒しながら跳躍し、馬上の大物へ急降下しながらいきなりの奥義を繰り出した。

 

「死ね。瞑空爪舞(めいくうそうぶ)

 

 彼も大柄な体格だった。その体からしなりのある劉家拳の斬波が放たれた。

 手綱を握ったままの覇王がカッと目を見開いたのは気合のためだ。

 その指が何本もの突き入れに見えたハクホウが空中で態勢を変えて、崩れながらも着地した。

 ずさささと後退する白髪の男が両足で踏ん張って仰け反りを止めた。

 ゆらりと立ち上がり、そして鋭く叫んだ。

 

「キサマ……下馬せずわしとやり合うつもりかっ」

「お前ごときがこのラオウと地上で戦えると思っているのか」

 

 同門最強の男、ソウブに匹敵する闘気を受けたハクホウが、そのほうなど指一本で十分、と断定されて爆発した。

 

「ならば馬上で果てるがよい」

 

 飛びかかったハクホウは今度こそ闘気の壁にひるまず、剛爪でそれを掻き消しながら、瞑空爪舞の続きとばかりに標的の頭上へ腕を振り下ろした。

 だが視界は突然現れた布地に遮られてしまった。

 

「う!」

「哀れな小鳥め」

 

 マントでその襲撃を防いだラオウが指一本で落下物を突き抜く。

 胸に突き立てたスピードは速いものではなかったが、その恐るべき剛の一撃でマントは四散し、弾かれるように飛ばされていったハクホウが遥か彼方まで転がって岩石らしきものに激突した。

 このときのラオウはつい先刻に見たユダの血冥断指(けつめいだんし)を思い出していた。

 それほど赤毛の男の絶影の拳が印象に残っていたのだ。

 彼を相手にしたときの死合いを思い描きながらおのが指を見つめ、その拳を握りしめた。

 

「……そ……なバカな……指一本でこのわしをここまで」

 

 吐血しながら胸を押さえて立ち上がったハクホウが弱弱しい声で奥義かと問うと、離れた場所でふらつく相手を横目に、ラオウが傲然と言い放つ。

 

「極十字聖拳。知らぬなそんな下等な拳法は」

 

 馬上でうそぶく覇王は赤い衝撃に対して見栄を切っているつもりだった。だがそのことを当てつけにされたハクホウが知るわけもない。

 

「思い上がりおって、ラオウめ」

「お前に対して増長したのではない。それこそ思い上がるな」 

 

 三度舞い上がった南斗の源流に対し、北斗神拳の長兄は掌底を撃ち放つ。

 ソウブと互角だと推測していた気合の違いを知ったときには、すでにハクホウの体は練り込まれた渾身の闘気に包まれていた。

 

「兄者~ラオウの兄者」

 

 戦場でもよく通る三弟の大声が聞こえてきた。主人の代わりに愛馬が吠える。

 ジャギがその近くに移動したとき、やや離れた場所にいる敵が戦闘不能になって打ち捨てられているのを見た。

 

「なんだ、もうカタがついたのか」

「戦況は」

「兄者とサウザーのおかげでどうやら分派は壊滅の様相みたいだぜ。それよかラオウ様はどこにって北斗の連中が騒いでたんだが」

「放っておけ。それよりトキはどうした」

「ああ、次兄ならもう本陣を落として追撃戦に入ってる。さすがだぜ」

「……そうか」

 

 ジャギの後からついてきた半死半生の金髪の小僧を眺めたラオウが、不意に馬首を返した。

 

「どこ行くんだよ」

「己の役割は終わった。離脱する」

「お、おい離脱って、天帝とか象徴はどうすんだ」

「天帝には元斗が、象徴にはケンシロウやシュウがついている。このラオウの出番はもはやあるまい」

 

 黒い巨馬が前足を上げて大きくいなないた。砂塵をまき散らして去っていく雄姿を、シンはまじろぎもせず見送っていた。

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