聖拳列伝   作:小津左馬亮

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七話    不屈

「……俺はどれくらい昏倒していた?」

「数刻ではありますが……どのみち大惨敗ですよKING」

「だろうな」

「ジョー様!」

「落ち着けレスティエ。声が大きい」

 

 シンが身を起こしたのは帝都から少し離れた廃墟ビルの中だった。

 彼がヤサカに敗れたのち、帝都の争乱に巻き込まれぬよう退散した影の男と女は、気を失っている主を抱えてとりあえずのこの場所にやってきたのだ。

 それにしてもレスティエの動揺は収まらない。

 

「あ、あの男、シン様が体中から血を吹き出して死ぬって」

「それについては問題ない」

「え?!」

 

 レスティエは意識せず金髪の青年を抱きかかえていたが、それに抗する力のないシンは成すがままにさせている。それを見ながら死神が言った。

 

「KINGは経絡秘孔や破孔の「ずらし」についてはおそらくこの世の誰よりも心得ている。北斗よりもだ」

 

 リュウケンに鍛えられ、ケンシロウ、ラオウ、ヒョウ、カイオウと死闘して得た見切りは、ヤサカにも通じたようだ。

 西斗月拳はそのことに気づかぬまま立ち去った。

 

 戦いには敗れたが生き死にの勝負はついていない。

 

 だとしても、シンとしては核戦争後初めての完敗だった。

 胸をなで下ろしてため息をつくレスティエが己の体の傷を見てあらためて驚愕するのを、他人事のように眺めるばかりだ。

 死神と彼女のやり取りがビルの一室に響く。

 

「……このひどい裂傷跡は北斗の……?!」

「そうだヒョウとやらの北斗の拳。調べてみてわかったが、この傷は泰山寺拳法、そこは孟古流妖禽掌……あと裏元斗バトロの凍気も受けている」

「あらためて考えると……間を置かずの連戦すぎて」

「胴着の下は満身創痍だった。さすがのKINGといえど本来の武威は発揮できなかったということだ」

「万全に見えた西斗とはコンディションが違いましたか……」

「そんなものは言い訳にはならん」

「確かにシン様ならそう言いますね」

 

 虚空を見つめる金髪の主の反応は薄い。

 青白い頭巾の美女は療養して完治してから叩きのめしてやりましょう、と主相手に握りこぶしで力説していた。

 疲労と負傷をものともせぬ主のやせ我慢に対し、ジョーカーが憎まれ口を叩く。

 

「ケンシロウは貴方に負け続けながらも強くなった。この際あの不屈の男を見習いたいものですな」

 

 目つきの悪い配下の台詞を聞きながら、生き残ったのはレスティエがいたからだと理解している彼が素直に影の女に謝意を述べた。

 

「はい。次こそ勝ちましょう!」

 

 不屈の女が白い手で自分の両手を覆ってくるのに対し、シンは少しとまどいながらも頷き返した。

 

 

 

 

§§§§§§

 

 

 

 

 裏元斗の生き残りビジャマがまたも行方をくらまし、ファルコたちも引いて帝都が空になった頃、月氏の血族であるトテンプウは、攻略したばかりのとある山里で、西斗月拳のギドゥオーンとともに、水が豊富なこの地の温泉に浸かって、わが世の春を謳歌していた。

 

「名湯と銘酒の組み合わせ、まさに馳走だのう」

 

 顔に傷のある中年男がブランデーを傾けながら、岩の向こうにいる鋭い顔のちょんまげ拳士に問いかけた。

 

「すぐ出立するんじゃなかったのかよ。さすがに温泉となれば話は違うかい」

 

 横顔を見せながらギドゥオーンが不本意に呟く。

 

「北斗と戦う前の湯治だ。レイという南斗の男に少々手こずったのでな」

「……話は変わるがよ。ゲルガといったか、この里のボス」

「あれか。奴は地下の牢獄に閉じ込めておいた。里の女ども、あれを殺せば自裁すると言って聞かぬ。あのいかつい大男め、外見に見合わず美人ぞろいの若い娘の心をつかんでいるな。長とはかくあるべき」

「バケモノ顔め、いけ好かんヤロォだ」

 

 葉巻を投げ捨てるトテンプウがいる場所は、かつてジュウザが覗き見をし、シンと戦いかけた里だった。

 泰山破奪剛の使い手、ゲルガに圧倒されたトテンプウとその配下がギドゥオーンを呼び戻し、その力でようやく鎮圧し終わったところである。

 瓶切り(かめき)と呼ばれる拳を極めた彼でさえ、ゲルガの剛力には到底及ばなかったようだ。

 先日戦ったレイやシュウといった南斗の二人の力は言うまでもない。

 西斗月拳が別格としても、この世はバケモノばかりかよと彼が毒づくのも無理はない。

 

「そうだ、南斗の男の妹を攫ったろ。あの女はどうしてる」

「アイリという女か。見かけによらず強情ながら、それでも風呂の誘惑には勝てまい。今は女風呂にいるが、もうすぐ連れ出す」

 

 トテンプウが頷き返しながら、岩風呂の横で座っている部下と賭け事に興じている。

 どちらかといえば女より博打好きな中年男は、ギドゥオーンが長身の背を見せて去っていくのを横目で窺いながら、よっしゃワシの勝ちだと雄たけびを上げた。

 

 

 

 

§§§§§§

 

 

 

 

「ユダ様、あれを」

 

 赤兎馬を駆る赤毛の主に知らせるように、バギーに乗る側近の女が指をさした。

 そう言いながら、黒髪ポニーテールの女拳士、メイエルは目を細めて先を見る。

 隣の座席にいる小男、コマクが双眼鏡を覗き込みながら呟いた。

 

「見たことがある……あれは……まさかあの部隊は」

「西斗月拳とやらですか? コマク様」

「いや……あれは北斗?!」

「えっ」

 

 小男と南斗紫蝶拳(しちょうけん)の女拳士が主の反応を見守る。

 赤毛の馬の手綱を握ったユダがゆっくりと速度を落とし、地平線からくる一団を待ち受けようとしていた。

 古参の中年男の名を呼ぶ。

 

「コマク」

「はっ。来るは北斗の……北斗孫家拳の手勢です。大戦前の反乱の鎮圧以来、初めて見ましたな。たしか奴の名はキョウウン」

 

 北斗神拳抹殺を拳是とする西斗月拳にも劣らない憎悪を滲ませながら、逆立った漆黒の髪の男が先頭に立ってユダの前にやってきた。

 赤いマントに黒い服という出で立ちの北斗の拳士は、サザンクロスに向かって進撃中だった。

 ここでユダ主従と会うとは思っていなかったようで、多少の驚きはあるものの、行きがけの駄賃だとばかりに気炎を上げながら、ユダに向かって指を指している。

 

「拳王を名乗る北斗神拳の長兄……その首を狩る前に南斗の雛鳥の羽をむしるのも一興……」

 

 キョウウンの命令なしに孫家拳の軍団が陣形を広げたが、それを見たユダも無言で手を上げる。

 赤備えが一斉に後方に引き下がった。

 同時に愛馬から降りた彼が赤紫のマントを風になびかせ、黒い拳士と対峙する。

 

「あのラオウを撃墜したという噂は嘘か誠か、キサマの拳撃の冴えをオレに見せてみよ」

 

 奔流ともいうべき闘気を放出させる男とは対照的に、若い南斗の拳士は沈勇そのものだった。

 気負いなど一切感じられない。

 

「泰然とした佇まいが気に食わぬ……その涼しい優面(やさおもて)を引き裂いてやろう」

 

 キョウウンが踏み出した。凄まじい速度の突進だった。

 

「ぬうりゃ」

 

 北斗孫家拳の正拳が大岩を砕き割る。回し蹴りの空破が円状に地面を抉り上げた。

 赤い残像の全て撃ち抜く彼の充血した双眼がカッと見開かれた。

 

「羽が落ちているぞ。その体裁きでどこまでオレの速攻から逃げられるかな」

 

 羽とは無論ユダの髪である。その落髪の軌道を見切るために数発の空振りを必要としたが、ついにキョウウンが絶影の体術をとらえることに成功した。

 

「っせぇや!」

 

 気合を吐いたキョウウンの拳が回り込もうとする赤紫のマントを捉えた。

 だが衝撃を分散させるそれが北斗の拳を絡めとる。

 

「ちっ」

「そのマントは易々とは千切れんわ。逆に捕まえたぞ北斗の分派め!」

 

 コマクが丸眼鏡をかけ直しながら叫び、主の指突の発動を垣間見る。

 鶴の嘴が筋骨隆々の北斗の胸板を貫いたかと思われた。

 

「……?!」

 

 ユダの藤色の瞳に、黒髪を逆立てた男の勝ち誇った様相が移っている。

 ひと指し指、中指、親指による独特な突き込みのそれを片手で防いだキョウウンが、鋭い歯を見せて笑った。

 

「本来ならばオレの目に止まらぬ一撃……だがそんな鋭鋒もわが前ではこんなものか」

「これは……」

「孫家拳の操気(そうき)。気づかれずに相手の気力を削ぐ術だ。よもや力も入るまい」

 

 態勢を崩すユダを見て配下たちがどよめきを放つ。

 それでも彼らは主に加勢することはない。

 力及ばずという現実の意味があるものの、徹底したユダの拳是を心得ているからだった。

 

「ラオウの北斗神拳には中和されたがな、闘気が不得手な南斗ごときでは抗えまい」

 

 腕をねじられた赤毛の男が眉を寄せる。そんな白い面を見たキョウウンが心地よさげに嘲笑った。

 数々の笑みは狂気の増幅に一役買っているかのようだった。

 

「すばしこいだけが取り柄の鶴め。こうなればサンドバッグにしてくれるわ」

 

 利き手を取られたまま、ユダは孫家拳の蹴りを縦横無尽に受けていた。

 メイエルとコマクが蒼白になりながらそれを見守っている。

 それぞれが率いてきた部隊は巻き添えを恐れて遠巻きになっているが、無論それはユダやキョウウンの指示だった。

 

 長身の黒い男が赤い男を横蹴り膝蹴り、かつてない肉弾戦の様相に、思わず赤備えたちが槍を構え直す。

 それを叱咤したメイエルも気が気ではなく、噛んだ唇からは血が流れ出している。

 逆に北斗の軍勢は意気が上がっている。

 そんななか、裂蹴(れっしゅう)を放つ本人が小首をかしげて、嬲り殺しの標的を見下ろした。

 

「……ひ弱な鳥ごとき、数発で砕けるかと思ったが」

 

 巨躯の彼より小柄な赤毛の拳士は額や頬、口から血を流しながらもしぶとく呼吸を整えている。

 

「このオレの操気掌(そうきしょう)、よく効くであろう。触れていれば猶更……」

 

 キョウウンが言葉を切った。

 髪が逆立った状態の北斗の男がゾワっと肌を刺すような感覚に襲われ、死角の位置へ肘撃ちを繰り出す。

 

「ぬっ幻影?!」

 

 空振りの打撃で態勢を崩した男の肩に、ロングブーツの踵落としが食い込んだ。

 

「うぬ……」

 

 その蹴り込みを肩自体で弾き、なんとか耐えきったものの、さしもの剛力を誇るキョウウンが相手を拘束しきれずに、青いアームバンドから手を放す。

 ようやく操気掌(そうきしょう)から逃れたユダが間合いを取った。

 ふうと息をつく主の様子に、従者コマクがふいいとさらに大きく息を吐く。

 

「なんちゅうこっちゃ。御曹司があれほど蹴り込まれるのを初めて見たわい……それにしても気を奪う術だと? 恐るべし北斗孫家拳」

 

 コマクの述懐にメイエルが頷く。

 優雅華麗な主が戦闘の主導権を握られていることに驚きっぱなしだった。

 

「力は衰えても鋭さは変らんか……応変の死闘に慣れているな。なるほどあのラオウが手こずるわけだ」

 

 地を踏み鳴らす剛勇の拳士がこれからが本番だと言いながら(こぶし)を握る。

 今までほぼ無言だった赤毛の拳士が頬の傷を撫で、切れた唇の血を人差し指でぬぐってから静かに言葉を発した。

 

「これが北斗の分派孫家拳か。楽しませてもらった」

「……なにぃ?」

 

 狂気の目の男がユダの上げた一本指を見る。

 そのことに気が付いたと同時に、キョウウンが間抜けな声を上げる。

 

「お、お?!」

 

 ブシュウと舞う血が自分のものであることを認識するのに、北斗の男は数拍の間を必要とした。

 彼は無言で肩から胸へと斜めに走る裂傷を見つめている。

 

「気を奪うとは虚を衝かれたが……」

 

 拳の影すら見ることができなかった一閃の名は南斗漿華斬(しょうかざん)

 しばしの自失から我に返ったキョウウンが、八重歯を見せて仰け反りながら笑いだした。

 ユダも不敵に口角を上げている。

 

「削がれてなお斬れ味は変らぬようだ。今度は私が遊んでやろう」




南斗漿華斬。真・北斗無双のユダの伝承奥義。
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