聖拳列伝   作:小津左馬亮

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八話    通説を破る衝撃

 キョウウンの纏う赤いマントが千切れとんだ。それはマントだけではなく赤い液体も含んでいた。

 

「なっ……?!」

 

 二度目の漿華斬(しょうかざん)を紙一重という余裕を見せて(かわ)したはずの北斗の男がまたも体勢を崩す。

 バクッという音を立てて斜めに走った胸部への亀裂は二度目だった。

 これでキョウウンはバツの字の裂傷を胸に負ったことになる。

 マントが完全に剥がれ、黒い胴着が破れ散った。

 逞しい胸筋があらわになったが、それは鮮血にまみれていた。

 

「気を察して避ける癖があるようだが」

 

 鶴の嘴のごとき指先を上げ、赤毛の拳士が静かに言った。

 

「練度が増すほど殺意は消える。それを絶影と人は呼ぶのだろう」

 

 シュン、という空気を切り裂く音で北斗の男の両頬に、指の数だけ傷が入った。

 

「うぬれ」

「わが拳に斬れぬものなし。硬気功など無意味だ」

「……ほざいたな、非力な小鳥め! こんなものはわが剛体からすればカスリ傷」

 

 そう吠えながらのキョウウンの踏み込みで砂埃が舞った。

 赤い衝撃をかいくぐって間合いを詰めてきた狂気の男に対し、ユダが感心したように目を見張る。

 

「ほう、見た目より俊敏だな北斗」

「つかまえたぞ雛鳥、大言の報いをくれてやる!」

 

 編み込んだ部分の赤毛をつかみとり、闘気をこめた正拳を彼の白い面に叩き込んだ。

 経絡秘孔を突かず、破壊のみに重点を置いた剛拳を繰り出したのは、余裕ぶった優男に対する当てつけである。

 

 血の花火が散った、と思ったのは受けた側以外の連中だった。

 

 異口同音に主の名を呼ぶ赤備えとおのが北斗の手勢。孫家拳を極めた自身でさえも見誤った。

 

「あ……? なん」

 

 (こぶし)を鍛えすぎたという側面もあっただろう。ようやく痛みに気づいたキョウウンが叩き込んだ利き手を見上げて、てめえええと叫んだ。

 

「お、オレの拳を……くっ砕きやがった!」

 

 受け止めた南斗の赤い牙に北斗の血がついている。

 血にまみれた狂気の黒い拳士が仰け反りながら後退していく。

 

「南斗ごときに孫家の剛拳が……!!」

 

 絶叫に近いキョウウンの台詞を聞き、南斗紫蝶拳(しちょうけん)の伝承者、メイエルがようやく事態を理解したのか、吐く息とともに告げた。

 

「いい加減以前の認識から抜け出せ。早死にするぞ」

「……女ぁ」

 

 返り血を浴びた美しき鶴がマントをめくりながら背筋を伸ばして身を起こす。

 その雄姿をキョウウンが視線で殺しかねない勢いで睨みつけている。

 そんな彼を指さし、ユダは何の感情も見せずに手招いた。

 

「ラオウに敗れたお前がラオウを退けた我らが主に立ち向かう。その意気や良し」

「?!!」

 

 丸眼鏡の小男は事実を口にする。

 しかし当然にしてそれがキョウウンに対する煽りに他ならない。

 ましてや格下の南斗(北斗の分派は皆そう思っている)に雑魚扱いされることなど屈辱以外の何物でもなかった。

 

「クククク」

 

 充血させた目を見開き、北斗の拳士が無事なほうの腕を上げた。

 

「……よくも言うた。眠れる獅子を起こしたぞ兎どもめ」

 

 ピリついた空気が一瞬無になったかと思われた。

 赤備えたちが身をすくませた。コマクとメイエルも息を飲んだ。

 北斗孫家拳の男が気合の咆哮とともに、自ら頭部に秘孔をつき、しばらくそのままの態勢で何か堪えていたためだ。

 

「……」

「な、なんだ」

 

 大地が揺れ、小男が一歩引いた。南斗の拳士としての勘か、メイエルがそんな小男の襟足をつかんで飛びのいた。

 

「……激昂こそ究極の闘気……」

 

 ズズズズという地鳴りとともに黒髪を逆立てた男が、上半身の胴着を吹き飛ばして光る双眼を標的に向けた。

 

 孫家拳、狂神魂(きょうしんこん)

 

 そう告げた異相の拳士の声は大きくなかったが、ユダ以外の皆の度肝を抜くことに成功していた。

 メイエルが北斗の奥義を反復する。

 

「狂神魂?!」

「狂いの気はオレですら抑えられぬ……!」

 

 破壊衝動が風圧を生んだ。周囲にいる敵味方が大きく仰け反った。

 常軌を逸した形相の拳士が踏み込んでくる。

 掌底を受けた赤い衝撃が荒地を削って後退していく。

 

「おう、この速さの押し込みを防ぐか、南斗め!」

 

 拳のひとつひとつにボッという重低音がついてくる。あるいは(かわ)し、あるいは手甲で受け流し、それでもユダの体は血煙に包まれた。

 当事者以外はその攻防を目で追うことはできなかった。

 音がする方向へひたすら視線を動かすのみだ。

 

「カッ」

 

 相手を蹂躙していたキョウウンの笑いは怒号に等しい。ハハハハという大音声のなかで獲物の鮮血の量は増すばかりだった。

 殴打中の男の拳は血まみれだ。

 

「二度と見られぬように白い顔を殴り潰してやる」

「やめろ!」

「ああ?! 聞こえんなあ……!」

 

 制止しようとする女拳士の声を心地よく聞き流し、キョウウンは片手を不能にされた恨みとばかりに何度も剛拳を叩きつける。

 しかし彼がふと違和感に気づき、振り上げて腕を止めた。

 

「何をそんなに驚くか騒がしい……」

 

 背後から配下の悲鳴が聞こえてくる。ああああという反応をわずらわしげに一瞥した北斗の男は、吐き気を催したのかヴぉっと頬を膨らませた。

 

「な、に……」

「忠告してやったにも関わらず、同じ過ちをまた犯したか(らち)もない。わたしには主とお前の血の色の違いがわかる。これで両の手は砕かれた」

 

 憐れむような南斗の女拳士の声に、キョウウンは狂気の虎眼で上げた腕の先を見た。

 

「こっこ、これは……?!」

「常人が素手でレイピアを殴り続けたらどうなるか……怒りで痛みを忘れた者の末路だな」

 

 メイエルが激昂中の男を眺めて告げる。

 その男は腕の半分まで、ユダの指拳で貫かれていた。

 赤毛の返り血だと思っていたが、それは自分のものであると知ったキョウウンが咄嗟に退いて間合いを取り、何が起こったと困惑しながら言い放つ。

 

「こっこのオレの北斗の(こぶし)が……全て粉砕されるなど」

「……拳王すらそんな愚は侵さなかった。聖帝ですら極聖拳(きょくせいけん)に撃ち負けた。南斗聖拳を真に極めたお方の龍の牙、正面から抗うべきではない」

「然り然り」

 

 中年男のコマクが何度も頷き、物静かに佇む主を窺う。

 

「……指一本。それだけで狂気を宿した恐るべき手練れの拳を撃ち砕く。それにしても、機嫌の悪い今のユダ様に出会ったあやつの不運よ。同情してしまうわ」

 

 破損した両の手を交互に見て絶句するキョウウンの耳に、フウウウという風を切る音が聞こえてきた。

 

「西斗と戦う前のいい運動になった。言い残すことはあるか?」

「こ、こんなことがありえるのか……! おっオレを相手にここまで圧倒するとは」

 

 悲鳴の台詞を口にした北斗の男が呆然と赤毛の男を見れば、ほとんど傷らしい傷を受けていない。

 それはすべて特注の赤紫のマントに衝撃を吸収されているように思われた。

 

「孫家拳が……秘孔すら突けず力負け……っか、あぐ」

 

 上腕まで達した裂傷の痛みに耐えられず、強剛な黒い拳士が顔じゅうに汗を浮かべながら後退していく。

 両腕を開いたユダの構えはまさしく鶴が羽ばたく様相をあらわしている。

 死合いをしかける相手を間違った、と狂気の中の正気でキョウウンは思った。

 

「来世は狂気や闘気などに頼らぬ拳を会得するがいい。南斗紅鶴拳奥義」

「諦めは悪いほうでなぁ、まだ足は生きている!! 北斗孫家拳……」

 

 キョウウンの裂脚が南斗に届くことはなかった。

 

 北斗に一度見せた技は通用しない。

 その通説を真っ向から破った赤い衝撃が、孫家拳伝承者の熱い胸板に突き刺さった。

 第三の羅将、ハンを撃破した南斗斫撃(しゃくげき)

 流派は違えど同じ北斗の拳士には有用な奥義のようだ。

 

 紅鶴拳独特な、異様な配置の指突が敵の背中を突き抜ける。

 音もなくその牙を抜いた華麗な男が血塗られた腕を振り払う。

 大量の赤い血が荒地にまかれ、同時に突風が荒野を駆け抜けていった。

 

「なん……なんて野郎……だ……オレの、あし、もろとも……」

 

 ねじ切られ、高く舞っていた利き足が地に落ちてきた。

 時間差を置いて北斗孫家拳の伝承者がうつぶせに倒れていく。

 キョウウン様とわめきながら彼の部隊が主に駆け寄る。

 赤兎馬に乗り上げた赤毛の青年が手綱を取って遥か彼方に視線を向けた。

 小男が問いかける。

 

「偵察隊によると、この先には何者かに襲撃を受けた小さい里があるそうです。様子見がてらそこで休息を取られては」

「……」

「軽傷とはいえ北斗に気を吸い取られた後で西斗と戦うのは危険ですぜ」

 

 様子見とは占拠されたその里を開放するという意味も含んでいる。

 中年の下僕の言葉に少し考え込んでいたユダだったが、今度はメイエルに促され首を縦に振った。

 

 

 

 

§§§§§§

 

 

 

 

 南の孤島サザンクロス。ラオウ不在による動乱に満ちた大陸とは違い、海を隔てたこの城塞は未だ平静に保たれている。

 帝都や拳王領内の混乱、北斗の分派の再蜂起という報告を受けていた慈母星と関係者たちは、あらためてもたらされた修羅の国の状況を聞いていた。

 天帝の子ルイとともに玉座に座る南斗の象徴が緊張していた顔を少し和ませた。

 

「……ケンが帰ってくる」

「修羅の国は第二の羅将、ヒョウに任せ、ケンシロウ様はラオウとともに帰還するとのこと」

 

 跪いていても大抵の男より大きい山のフドウが穏やかにほほ笑んでいる。

 喜色を隠せず頷くユリアの前に、海のリハクが賢者トキを連れてやってきた。

 広間じゅうが驚きに包まれる。

 五車だけではなく、南斗百斬拳のダンテ、鉤爪の使い手ナリマンといった荒くれ者も顔を見合わせるほどの以外な人物がトキの後ろで控えていた。

 

「あれは……」

「賢者の偽物を語るあやつ、ついに本物に諭されたか」

 

 ナリマンとダンテが胡散臭げに渦中を見守っている。

 

 トキが象徴に紹介した者の名はアミバ。

 

 元は南斗の拳士であり、ヒューイやシュレンとも顔見知りだった。

 悪人そのものであった以前の彼とは違い、沈勇を絵にかいたような佇まいを見て、五車の彼らも驚きを隠せない。

 象徴に対し完璧な礼を施したかつての南斗の男は、今では敬愛の対象になった北斗の次兄の弟子になったことを告げていた。

 

「仁者を師として恥じぬ存在になることを期待する」

 

 天帝の子ルイの形式的な台詞に、御意、と平伏するアミバが表情をそのままに心中で呟いた。

 

(いつ死んでも不思議ではないこやつから秘術を教わるのは今しかない。隠忍自重は今のうちだバカどもめ。トキの北斗神拳を受け継げばこんな島などに用はない。おれさまこそが真の賢者、真の天才だとこの世に知らしめてくれる)

 

 面を伏せる男の口角は上がっている。

 ここにいる衆目の多くは歴戦の勇士であり、モヒカンなどの有象無象とは出来が違っている。

 それでもアミバの悪を見抜ける者はほとんどいなかった。

 

 彼は拳法の腕よりまず邪心を覆い隠す術を磨いてきた。それが功を奏したようだ。

 ただひとり、下層の身から象徴の護衛へと這い上がってきたナリマンが違和感を覚えて眉を上げたものの、謁見の間において無粋を口にすることはなかった。

 最年長の海が諭すように告げる。

 

「大陸の混乱がこのサザンクロスに及んだとき、われら五車の大半は前線へと出向いていく。その際、南斗百斬拳のダンテやナリマン、トキ様の弟子たるお前にわが主を守ってもらわねばならぬ」

「承知」

「……死ぬんじゃねえぞアミバ。あのトキの後継者となるからには、おれやこいつらを身代わりにしても生き続けろ」

 

 若き賢者候補の神妙な様子を見ながら、雲のジュウザが風や炎に顎をしゃくって軽口を叩く。

 今回ばかりはヒューイもシュレンも何も抗弁しなかった。

 

 やがて政治的なやりとりを終えた天帝の子ルイがユリアの手に引かれ、別室へと下がっていく。

 それと入れ替わるように慈母性星の影武者たるマミヤが姿を現した。

 彼女はバルコニーの向こうに広がる街の景色を眺め、物思いに耽っている。

 そんな背中を見守るトウが父に向かって言った。

 

「マミヤさんの自薦の身代わり。我々にとっては行幸以外の何物でもないですが……ユリア様はご不満の様子」

「……ここは堪えてもらわねばならぬ。いずれ訪れる太平の世のため、ルイ様とともにあのお方は必要な存在。しかしのう、手段を選ばぬわしは……そのうち必ず地獄に堕ちような。慈母を支えるは悪鬼羅刹、なんとも皮肉なものだ」

「父上の謀略に賛同したわたくしも同じこと。死なばもろともでございます」

 

 海の娘の断言に、風雲炎山の四人がわずかに目を伏せた。

 ユリアのためならばいつでも死人と化す者たち。そんな男たちに善悪の概念などすでにない。

 大義のために斬り捨てられる小義の側に、彼らは既に立っているのだ。

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