「相変わらず傷の治りが早い。これも内なる気脈とやらの働きですかな」
死神の軽口は安堵の証だった。
廃墟の寺院を利用してしばらく療養していたシンが上半身を起こした、
ジョーカーから金の縁取りを施した黒い胴着を受け取る。
銀色の両肩のプロテクターに手をやり、感触を確かめながら立ち上がった。
「お前やレスティエには助けられてばかりだな。感謝する」
主の言葉にらしくないと思いながら死神が何かに気づき、窓のほうに視線を移す。
そして呟くように告げた。
「KING」
「……ああ」
外の気配を悟った男二人が窓側に近寄る。
ジョーカー配下の南斗の影、青白い頭巾姿の女が紺色の髪の男と対峙しているのを窺って、シンが目を見張った。
その長身の男の怒号が聞こえてくる。
「……ここに金髪の若僧が潜んでいるはずだ、呼んで来い!」
センター分けミディアムパーマの拳士は南斗の斬撃を躱し、レスティエの手首をつかんで言った。
「ふっ問答無用か……それにしても頭巾で隠していてもわかるほど美形の女だな。お前の体に聞いてもよいのだぞ」
「しゃ」
手首を捉えられたままレスティエが蹴りを放ったが、それは優しく防がれてしまった。
彼女の腕や足をへし折ることは容易であったものの、女好きの性癖ですでに食指が動いている。
シンを倒した後生け捕って持ち帰ると思いながら、珍しい道衣の男が両手を上げた。
「聞いているか金髪の若僧! わが名はタイエン、覚えがあろう。女が無事でいるうちに今すぐわが前に姿を現せ!!」
「傷が癒えたばかりのシン様に何の用だ」
「……そなた、聞いておらぬのか。北斗曹家拳と南斗の遺恨を」
「え?!」
北斗の拳の名を聞いた女拳士が驚愕するのを見て、タイエンはそのしなやかな肢体を押しやった。
寺院の二階から飛び降りてくる逆光の影を見ていたからだ。
「ふははは待ちかねたぞ、南斗聖拳、いや」
呵々大笑しながらタイエンも地を蹴った。
空中で表裏一体の拳がぶつかり合う。
「見切ったぞ! キサマの大技、南斗獄屠拳を」
「ほう」
「でかくなったな若僧~南斗
双方が雑草が生い茂る地に降り立つ。
影の長が部下を引っ張り、傑出した拳士たちから距離を取った。
「ジョー様、あの男が北斗曹家拳のタイエン……」
「のようだな。大戦前の分派の反乱に際し、KINGはあの男を一度破ったと聞いている。その師が赤い衝撃に惨敗したとも」
「……つまりタイエンはサザンクロスを急襲するよりシン様との決着を望んだわけですか」
「手勢は南下させたのかもしれぬ。いずれにしろ彼は身一つでここに来たようだ」
周囲に北斗の部隊の気配がないのを悟ったジョーカーがさらに後退していく。
曹家拳の凄まじい蹴り上げで地盤がめくれ上がった。地響きはタイエンの突きで寺院の壁が崩落したからだろう。
「相変わらずすばしこいな野郎だ……今度はキサマから仕掛けて来い、龍の牙を久しぶりに見たい」
「戦闘狂め」
回復後の腕馴らしにちょうどいいと思い直したシンも思わずニヤリと笑う。
残像が残る構えを見たタイエンが会心の笑みを放つ。
「南斗千首龍撃」
風が舞い、千の龍の牙がタイエンを襲う。息を吸い込んだ長身の拳士がうおおと気合を吐いた。
「爆龍陽炎突!」
人差し指の北斗の突きが極聖拳の奥義を迎え撃った。二人の間に血煙が散る。
レスティエが息をのんで呟いた。
「し、シン様の黄金の牙をほぼ全て抑え込んでいる……あの男」
「さすがのわしもあのやりとりは見えん。それにしても奥義中の奥義の応酬だが、互いに不発に終わっているな」
汗をぬぐう死神が風圧で仰け反る部下を支える。
「鍛えに鍛えたわが指突、いかにキサマの牙とて容易には砕けまい。オレはこのときを待っていた……南十字の街はキョウウンやソウブに任せる。北斗神拳など後回しだ。その金髪首こそわが宿願」
「しつこい男だな」
「執念こそ拳法家の極意だろうがぁ!」
「……なるほどお前も」
血しぶきのなか、北斗南斗の応酬が終わった。
互いに奥義を打ち終えた二人が間合いを取る。
指先の血をなめとったタイエンが満足気にニヤついた。
「これで
「それが大言に終わらねばいいが」
「キサマのそれが大言だというのだ!」
タイエンが大胆に踏み込んでくる。カッと両目を見開いた男の無影の脚が金髪の青年を襲う。
「秘伝」
空気を切り裂く音とともに鞭のようにしなる蹴りが放たれた。
二人の影が気づいた時には、シンは弾かれて飛ばされていた。
彼の胴着に北斗の足跡がついている。
片足を上げたまま、タイエンが地に伏せる相手を眺め、奥義の名を告げる。
「幻夢百奇脚。キサマに見せるのは二度目だがぁ……今のオレの脚は見えまい?」
死の修練を経た男の気合は周囲の草地を揺るがすほど荒ぶっている。
たまらずレスティエが主の元へ駆け寄った。
「シン様!」
「女ぁどけい。可愛がるのは少し後だ」
昏倒しているように見える金髪がわずかに動いた。その前に立ちはだかった長身の拳士が宿敵を見下ろした。
「オレの不意を衝こうとしても無駄だぞ」
タイエンの蹴りがレスティエに見えることはない。そんな彼女を避け、百奇脚は倒れる標的に襲い掛かる。
「フン、やはり死に真似か芸のない」
タイエンの利き足は身を起こしたシンの利き手で捉えられていた。
間にいたレスティエがようやく気付き、はっとして主を振り返る。
膝をついて剛撃に耐えていたシンが彼女を見た。
いつもは目で語る南斗宗家の拳士が珍しく言葉にして同門の女を諭す。
「レスティエ。下がっていろ」
「……」
「この男はお前を狙う気はないらしい……奴に手を抜かれると俺の拳が鈍る」
「……はい」
青白い頭巾の美女がタイエンから渋々遠ざかる。
口笛を吹く北斗曹家拳の使い手がやはりいい女だ、と呟いた。
「キサマを倒してあれをもらうぞ。一途なところもいい」
「レスティエを巻き込まぬとは……礼を言う」
「これで大戦前の借りは返した。五分と五分だ」
改めて構える北斗と起き上がった南斗の拳士が対峙する。
「今度こそ完膚なきまでに叩き潰してやる、金髪の若僧……!」
「その返礼にお前に復古の拳の秘技を見せてやろう」
シンが両の手を見せながら顔の前に上腕を上げる。そんな構えを見たタイエンがこめかみに血管を浮かび上がらせた。
「見たことがねえなそんな構えは」
タイエンほどの男が武者震いを見せた。
「それがキサマの奥の手というわけか。二大奥義を封じられてなお放てる大技があるならやってみろ。オレの先手に生き延びれたらの話だがな」
「御託はいいからかかってこい」
「聖帝や拳王にすらひるまぬその剛毅、死すまで変わらぬか。上等だぁ」
独特な構えのシンの視線が下を向いた。その一瞬の目の動きを北斗の男は見逃さなかった。
「ふははっ」
「?!」
「残念だったなあ、これは」
百奇脚はまさに幻夢だった。
それは気当たりのみで実体はない。
蹴りに自負があるシンが気当たりに耐えきるのは容易だった。
だが実の拳によるタイエンの指突に反応が遅れた。
「鞭のようにしなる爆龍陽炎突の軌道、直線の動きしかできんキサマに読めるかなあ?!」
いくつもの重低音が空を裂く。孫家拳の拳先は復讐の相手の背中に向けられていた。
雷が落ちたかと思われるほどの衝撃が周辺を揺らす。
レスティエは思わず目をつぶった。ジョーカーはしゃがんで中腰になっている主を窺う。
「んん?」
タイエンは左右の指がシンの背中を突いた感触を得たものの、己の髪が千切れ、風に流れていくのを見つめていた。
「んな……に?!」
陰の北斗の
憎き若者の静かな声を彼は驚愕しながら聞いていた。
「南斗陰陽双斬手」
「しゃらくせえ」
タイエンが手甲で斬撃をいなし、蹴りを叩き込んだ。
「?!」
金髪の持ち主の姿は前方から消えている。
北斗の男は南斗の男が両手を上げて跳躍するのを瞬間に察した。
双斬手は罠かと呟きながら、タイエンが吠える。
「バカめが、封じた拳を三度向けようとは!」
ダン、と片足を地に叩きつけ、タイエンも飛び上がる。
「奇襲の際に放ったアレがもう一度タイエンに通じるとは思いません、ジョー様」
「……北斗の拳に同じ技は通用しない、か?」
「え?」
珍しくタバコを取り出した死神の落ち着きに、レスティエが眉を寄せる。
「北斗神拳伝承者ケンシロウがあの奥義を見切るまでどれほどの死線を超え、あの方と戦ったと思っている。療養で体がなまっていたKINGのエンジンがようやくかかったようだ」
ふう~と煙を吐き出した影の長が空中で激突する斗の拳士たちを見上げ、ニヤリと口の端を上げた。
「西斗月拳に敗れたのはかえってよかったかしれん。
南斗陰陽双斬手。百万の覇王乱舞で使われていたシンの奥義。