聖拳列伝   作:小津左馬亮

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十話    赤い鬼

 北斗孫家拳の妙技、無影脚を進化させた幻夢百奇脚が空を切った。

 鞭のようにしなるタイエンの蹴撃は、発動前にわずかな溜めを必要とする。

 その隙に、シンの蹴りはタイエンを衝き抜けていた。

 

「はっ?!」

 

 タイエンが肩越しに背後を見る。相手の金髪が風に靡いていた。

 空中でのやりとりは一瞬だったが、双方にとってはその何倍にも感じられたはずだ。

 

「南斗獄屠拳……もはやそんなものは効かぬといったはず」

 

 北斗と南斗の拳士が着地する。二人とも動かない。

 

「KINGの体調は修羅の国に渡る前に戻った。しかし武威は羅将たちとの死合いを経てさらに増している。病み上がりのためか、今回は出足が遅くなってしまったが」

 

 ジョーカーがタバコの煙を吐きながら呟く。レスティエが主の背中を窺いながら言った。

 

「西斗月拳のヤサカについても同様ですね」

「うむ。だが次にきゃつは思い知ることになるだろうよ。とどめをささず去ったことを」

 

 ポイ捨てしたタバコを死神が拾い上げる。部下の女のジト目を受けたためだ。

 そんなやりとりの間に、互いに背を向けていた南北の拳士のうち、北斗の男が血しぶきを上げながら仰け反っていた。

 食いしばった歯から血を流しながらタイエンが呻く。

 

「お、オレの死角から抜けやがった……とでもいうのか……?!」

 

 一撃で四肢に衝撃を走らせるという、南斗極聖拳(きょくせいけん)独特の奥義。

 それでも彼はなんとか態勢を整えて転倒を免れていた。

 全身を硬気功で強化していた下準備が生きた形だ。

 それでも硬化の部位は容易く切り裂かれている。

 

「触れれば必ず斬る」

「……」

 

 己が拳の矜持を語り、シンが振り返る。上体を折り曲げる北斗の男も振り向いて顔を上げ、やってくる南斗の男を憎々しげに眺めやっている。

 

「このタイエンに同じ技を何発も放つとは……ふざけやがって……ならば次のキサマの奥義は」

「わかっているのなら話は早い」

 

 睨みあう二人が同時に両手を広げた。孔雀が羽を広げるような残像を残すタイエン、単純な構えの手の動きを止めたシン、両者が動いた。

 

「ぬうあああああ、爆龍陽炎突!」

 

 北斗の怒号が響く。この時点でタイエンは機先を制した、と確信した。

 彼の拳も脚同様、しなる鞭のようになる前の、溜めによる一瞬の隙がある。

 

「あっ」

「?! あの野郎、わざと隙をさらして」

 

 レスティエの悲鳴に重なって、ジョーカーが火のついたままのタバコを握りしめて唸った。

 タイエンの応変の才は北斗神拳の伝承者レベルに達している。

 一度見切られた隙を今度は誘いに変えたのだ。

 千の龍撃を霧散させるように、陽炎突が迎え撃つ。

 

 その反動からか、互いに砂利を踏みしめて後退していき、二つの砂嵐を浮かび上がらせた。

 今日は風が強い。それはすぐ消えうせた。

 

「やるねえ……オレが千手龍撃を相殺するのを予測していた、ってことか。止めは別の……」

 

 吐血のなか、タイエンが鍛え抜かれた胸筋を両手で押さえて片膝をつく。

 大敵の拳と相打ちになったシンは奥義の衝突で弾かれる際、もうひとつの術を繰り出していたようだ。

 それは先にシンが言い放った復古の秘技を見せてやる、という答えに他ならない。

 

「なるほどな……これが……ケンシロウに与えた七つの傷……の龍の牙……か」

 

 こざかしいわと吠え、男が凄まじい気合を込めて筋力を増幅させた。

 その膨張により、開いた穴を瞬く間に塞いだ剛勇の士が、涼しい顔の相手ににじり寄る。

 

「まぁだ勝負はついてねえぞ……シンっ」

 

 構えを解いた金髪の青年が静かに問いかける。

 

「なにゆえケンシロウが胸の傷を残していると思う」

「あぁ?!」

「南斗極聖拳(きょくせいけん)毒蛇穿穴(どくじゃせんけつ)をまともに食らった者はな、治そうとしても元に戻らぬのだ」

 

 相手を絶命させるのではなく、戦闘不能にさせるためのシンの切り札である。

 一本指による七つの連撃。その破壊力は千手龍撃に寸分も劣らない。

 ほざけと言いかけたタイエンがガクガクと震え出した。

 再度の吐血をしたことで、素肌の胸元を見下ろす。

 

「……あ?! お」

「表面の傷を塞いだようだが内部は無事ではすまん。それが渾身の気を内に込めたわが指突」

 

 ついにタイエンが両膝をついた。手のひらに吐いた血を握りしめ、シンを見上げる。

 静かなる男の双眼を受け、タイエンはクソったれと悪態をついた。

 

「俺やユダの南斗の拳には正面からぶつからず、ひたすら避けよ。次の死合いまでそれを肝に銘じるがいい」

「ま……また負けるのか、おい……」

 

 ゆっくりと倒れ行く大剛の男を一瞥し、シンが長身をひるがえした。

 いつの間にやってきたのか、孫家拳の配下の部隊が主に駆け寄る。

 その喧噪を背に、死神とレスティエが後に続く。

 

「あの男、とんでもない化け物でしたが……思えばシン様の圧勝でした」

「そう見えて紙一重。北斗と南斗の戦いに圧勝などほとんどありはせん」

「ほとんど? 例外もあることはあるんですね」

「あの赤い衝撃がまさしくそれだ。KINGは……まあ西斗に惨敗だったな。しかしそれでも生き残っている……そして二度も同じ相手に負けるお方ではない」

 

 無責任に呟くジョーカーに、満腔の意をもって頷くレスティエが金髪の主の背を追いかけた。。

 

 

 

§§§§§§

 

 

 

「てっ、テッてんテンプウ様、親分!!」

「なんじゃいうるさいのう。今ちょっといいとこなんだ邪魔を」

「雀卓囲んでる場合じゃありませんぜ、殴り込みでさ」

「あ?」

 

 顔に傷のあるガマガエルのような風体の中年が、椅子を回して振り返る。

 

「ここは乗っ取ったばかりの里だぁ、あのゲルガって長の仇でも取りに来たのか?」

「な、なんか奴ら赤い軍装で統一してやがって。サルみたいな素早い小男とか、親分みてえな瓶割りの術をつかう女とか、いろいろおかしい連中で」

「……わしと同じ技だぁ?」

 

 吸っていた葉巻を手にしたトテンプウがちっちっと言いながら、ヤクザ者の部下にギドゥオーンはどこにいると尋ねた。

 

「なんか……アイリっていういい女を連れて裏口から出ていく最中でしたぜ」

「呼び戻せ」

 

 勝負師としての勘が働いたならず者の親玉が行くぞと告げ、手下を従えて里の広場に向かう。

 

「ありゃなんだ?!」

 

 仲間の首が空に浮かんでいる。それが落ちた大地には、すでに彼女に斬られた男たちの亡骸が多数転がっていた。

 

「やっぱりあれは親分の瓶切りじゃねえか」

「瓶切りだ? このクソ爺がメイエルと同じ拳をふるうってのか笑わせるなよヤクザども」

「?!」

 

 屋外に出たばかりのトテンプウと部下たちの真上から、心底呆れたような声が降ってきた。

 彼らが見上げる先に、軒先の上に座り込む丸眼鏡の小男が見下ろしている。

 

「なんだてめえは!」

「弱い犬ほど吠えやがる」

「ぶっ殺す」

 

 身軽な部下の一人が道衣をまくって飛び上がった。

 だが俊敏だったやくざ者は空中で小男が手にした鉤爪(かぎつめ)に顔を裂かれ、蹴り込まれて地上に叩き落された。

 

「ヤロウ……わしの瓶切りの餌食になりたいようだな」

 

 トテンプウが手刀を掲げてかかってこいと煽りだす。それを見たコマクが足で拍手をしながらあざ笑った。

 

「それどころじゃねえで。広場の手下ども、全滅しとるぞ」

「……あんな細い女が親分の側近を皆殺しかよ」

 

 そう呟いたならず者のひとりがコマクに首ねっこをつかまれた。小柄な男にしては信じられない怪力であり、猿臂(えんぴ)だった。

 その丸眼鏡の中年男がお前らはなにもんだ、と尋ねている。

 部下の窮地を一瞥し、トテンプウが広場を見回す乱入者の女と対峙する。

 ポニーテールの彼女が白い指先を向けて言った。

 

「貴様がボスだな」

「女……少々やるようだがなあ。おいたがすぎるぜ」

 

 口角を上げた女拳士、メイエルが赤いアームバンドの腕を伸ばす。

 

「ここに転がっている下郎どもよりはまともなようだ。少しは楽しませろ」

「大口をたたきおって、小娘が」

 

 トテンプウが気合を入れながらメイエルに突きかかる。彼女はそれをふわりと避けて着地した。

 マフィアのボスが目を見張る。自分の瓶切りを躱した女は初めてだった。

 しかしこの腕一本でヤクザ者を率い、裏社会で勢力を築いてきた男だ。

 レイにつけられた顔の裂傷をものともせず、目にもとまらぬ斬撃を続けて打ち込んだ。

 

 だがその剛腕の動きが止まる。

 

 彼とは比較にならぬ細い手の持ち主がそれを易々と止めていた。

 現実を理解できず、トテンプウは間抜けな声を上げる。

 

「んな……え?!」

「……つまらぬ。やはり南斗聖拳ではないな。そんなぬるい拳でわたしの前に立ちはだかるとは、笑止な」

 

 手首をつかむ女の力はすさまじいもので、怪力を誇るトテンプウが突き放そうとしてもビクともしなかった。

 

「放しやがれ!」

「里の人間に対する殺戮、その罪を受けよ。南斗紫蝶拳(しちょうけん)の奥義を見せてやる」

 

 

 

 

§§§§§§

 

 

 

 

「ひえええええ」

 

 トテンプウの悲鳴が広場に響く。

 黒髪のポニーテールを揺らして地に降り立った南斗の女が立ち上がると、彼の両腕を断ち切った技の名を告げた。

 

蝶舞翅開断(ちょうぶしかいだん)

 

 腕を失ったならず者の親玉が尻もちをついた。

 助勢しようとした配下たちの数人がメイエルに打ちかかるも、手にした武器ごと解体されて新たな血の海を増やすのみだった。

 トテンプウが後ずさりしながら背後に向かって叫ぶ。

 

「おいいいいい、てめぇら奴はどうした?!」

「そ、それが」

 

 建物の裏手から戻ってきた角刈りの手下がすでに何者かと殺りあってて、と言いかけて、轟音が響く建物のほうを見た。

 

「な、なんだ」

 

 皆が屋内から建材を破壊して弾き飛ばされてきた巨漢を見る。

 それが西斗月拳の拳士だと確認して問いただそうとしたものの、総髪の男の形相にトテンプウもろとも押し黙った。

 

「ギドゥオーン……あの怪物が押し込まれるのを初めて見た……」

 

 というのが手下たちの統一した意見だった。

 顔に×の傷をつけられた中年男は瓶切りの拳法使いとしての勘で、建物から出てくる男の気配に一番先に気が付いた。

 

「あいつぁ」

 

 赤毛、赤紫のマントを揺らして姿を現したのは長身の若者である。

 トテンプウは思わず組織の用心棒のような異相の男に呼び掛けた。

 

「おい、おめえともあろう者が……まさかあの赤毛の若僧に吹き飛ばされたってんじゃねえだろな?!」

 

 応急の手当を受けるトテンプウを横目で見た西斗月拳の拳士が、ちっと舌打ちを放ちながらも返答はしなかった。

 得体の知れない相手が無言で殺気を叩き込んでくる。

 ギドゥオーンほどの使い手が連れていたアイリを一瞬で奪還され、さらに衝撃波で屋外まで弾かれるなど恥辱以外のなんでもない。

 ヤサカに知られたら始末されるレベルの失態だった。

 

「南斗紅鶴拳、伝衝裂波。どうやら切断はまぬがれたようだ、やるな」

 

 ギドゥオーンがメイエルの感心したような台詞で目を細める。

 正面から堂々と歩み来る赤毛が以前倒したレイという男と同門の拳士だと認識したようで、ふんと鼻を鳴らしながら双腕を上げた。

 

「なるほど……その凄まじい殺気は仲間を半殺しにされた恨みだな」

 

 ハハハハと高笑う鋭い目の大男がゆっくりと両手を広げ、言葉を継いだ。

 

「南斗ごときが我を一撃に飛ばしたのはその怒りゆえか。だが麗しい同胞愛など虫唾が走るわ。道化の男め、奇襲など二度と通用せんぞ……」

 

 ピシ、という音がした。

 剛強な肉体が割れる音で、ギドゥオーンは静まり返った広場のなかで生まれて初めての反応を示していた。

 は?! という彼らしからぬ声は自分のものだと知ったと同時に、古風な胴着が風に乗って飛んでいく。

 朱に染まっていく上半身を他人事のように眺めていると、また女の声がする。

 煽るというより案じているような声色だった。

 

「即死からはまぬがれたが……ユダ様の拳を正面から受ける不調法はもうやめろ。傷が開いた以上、二度は耐えられん。次からは必死で逃げよ」

「なっ……」

 

 胸部に斜めに走った裂傷と同じくして、ギドゥオーンの両頬から血が流れている。

 

「……」

 

 赤毛の男が繰り出した両手の斬撃は受けきったはずだった。

 衝撃を流せずに薙ぎ飛ばされたものの、この程度かと彼は内心嘲笑ったものである。

 

 だが速すぎる衝撃に対し、その効果は遅れてやってきた。

 そう思ったとき、今まで無言だったユダと呼ばれた赤毛の男が初めて口を開いた。

 

「レイの妹を連れていたからには、お前は私の仇」

 

 キィィンという衝撃がまだ耳に残っている。残響音のなかでユダが告げた。

 

「拳士としての誇りを全て斬り砕くまで殺しはせん。あがけるだけあがいてみよ。北斗への憎悪など忘れるほどの屈辱を与えてやろう」

 

 今まで見たことがない主人の静かな怒りを見て、コマクが肩をすくめる。

 美しき鶴が鬼になったわ、と呟いたコマクが里の住人から情報を聞いて、屋内にある地下の牢獄に向かう。村長ゲルガを救うためだった。




蝶舞翅開断(ちょうぶしかいだん)。ユダ配下南斗二十三派、南斗紫蝶拳の秘技。
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