世紀末覇者と呼ばれた男の領内を蹂躙していたサンガとその部隊は、西斗月拳のヤサカを伴って拳王の居城まで軍勢を侵入させていた。
彼とて他の軍閥同様、ラオウが修羅の国から戻ってきた場合を想定して当初は中枢にまで押し入るつもりはなかったが、隣にいる人物が北斗抹殺の拳是を担っていると知って手を組んだのだ。
ヤサカほどではなくともサンガは優れた拳士だった。
敵陣を突破するのにそう時間はかからない。
配下の部隊を屋外に待機させ、サンガとヤサカは二人だけで王の間に足を踏み入れる。
そこで待っていたのは、薄い一重の目に赤い色のモヒカン、偉そうなマントを羽織ったひょろ長い男だった。
「キサマ一人か」
ヤサカの鋭い誰何に対し、悪人顔の拳王軍の幹部は玉座の前の段差に腰かけて不遜な態度を見せている。
「やれやれ、修羅の国での激務から解放されて帰国してみればこの有様。ワシとて過労死しかねんな」
「……噂には聞いている。その珍妙な出で立ちには騙されんぞ。世紀末覇者の将軍にして親衛隊、影の長も兼ねる、お前が地獄耳のヒルカだな」
「そういう君はサンガ。郡将の座を捨て、この生国に舞い戻ってきた蝙蝠ぶりには恐れ入る」
豪傑とひょろ長という属性は違えど、互いに壮年の人物の視線が交錯する。
もう一人のやや若い男が口を開く。
「地獄耳というからには我の拳と名を知っていよう」
「もちろんだ西斗月拳のヤサカ」
月氏の血を引く拳士はそうかと頷いた。
「うぬの主はサザンクロスに戻ってくると聞いている。それはいつだ?」
ヤサカがふと気を放つ。
薄暗い王の間にすさまじい殺意が漂った。しかしポーカーフェイスの謀略家は顔色一つ変えることはなかった。
簡単に口は割らぬと思ったサンガが一歩踏み出す。
それを止めた濃いブラウンの髪の男が奴の意思など必要ない、と告げた。
秘孔を突くつもりだというリアクションを示した側が肩をすくめて言う。
「怖い怖い。ならば情報を渡すしかあるまいて」
薄い目の男がおどけたように言った。
「ワシならばそこのサンガよりもサザンクロスの正確な位置に詳しい。ましてや海域に展開されている監視の網を抜ける術も心得ている。そして北斗劉家拳のソウブ、君の同門に倒された南斗水鳥拳のレイなどもトキを頼りにそこに向かっている最中でな」
「同門……ギドゥオーンのことか」
「まあその男のことはどうでもよい。遅かれ早かれ彼はこの地上から消え去ることになる」
「あ?」
眉を潜めるヤサカに拳王の親衛隊長は多くを語らなかった。
義星に時限の秘孔を突いたことによって妖星の逆鱗に触れたギドゥオーンという者の末路など、ヒルカにとって何の興味はない。
サンガが敵の意図をはかりかねて尋ねた。
「何を企んでいる?」
「企むの何も単純なことよ。君はともかく、そこのヤサカは南斗
「……サザンクロスに北斗南斗の拳士を集結させる、か。見え透いた罠を」
「それらを撃ち払ってこその西斗月拳であろう。北斗四兄弟が揃い、天帝、南斗の象徴もそこにいる。月氏の復讐を遂げる最高の舞台であるな」
「……」
黒い髭男が考えるそぶりを見せたことで、センター分けの白髪の男がはっと目を見張る。
「おいヤサカ」
「ここまで露払いしてやったことに感謝しろサンガ。そこの薄目の後ろに控えている手下どもでもよい、孤島に案内しろ」
いつの間にかヒルカの配下の影が姿を見せていることにサンガは驚いていたが、ヤサカはそれを一瞥して謀略家の間合いに歩き進む。その際、西斗月拳の裏拳がモヒカン頭を襲った。
「おいおい、いきなりの挨拶はよせ」
「ほう」
彼の拳は衝撃を吸収する布に巻かれて動きを停止させていた。やるじゃねえかとヤサカが小さく呟く。
その技を見たサンガが瞠目して呻いた。
「あのヤサカの拳を止めるとは……」
「泰山妖拳
ひらりと身をかわしたひょろ長い男が敵に一礼し、地獄への扉を開けとばかりに奥のドアを指さしている。影に案内させるようだ。
「フン、北斗や南斗など何人いようとわが敵にあらず。まとめて蹴散らすのにちょうどよい」
若いほうのミディアムパーマの男がそう言い、じゃあなと壮年の男に片手を振って去っていた。
それをただ見送るだけしかできないサンガの怒号が広間に響く。
「食わせ者め! はなからわしらを分断させるつもりだったのかっ」
「あ奴をここから追い払うだけでよかった。となれば君など小物に等しい。もういいぞでてこい、リュウガ、バルガ、ザク」
ヒルカの合図に、拳王配下の勇将たちがわずかな手勢を率いて姿を現す。サンガも屋外に待機させていた修羅の国からの子飼いを呼んだ。
「小物だと? 郡将として名を馳せたわしにうぬら程度が相手になると思っているのか!」
「さてな。このヒルカは忙しい。あとは武闘派の将軍たちに任せる」
「……おのれ小賢しい薄目め」
歯ぎしりするサンガをよそに多忙な男がマントを翻す。
相手の憤怒を聞き流して王の間から退出していった。
§§§§§§
大男は呆然とその渦中を見つめながら、牢破りを易々と成功させた手先の器用な小男に向かって言った。
「なんじゃあ、あの赤毛は……ありえねえくらい強え武士野郎の拳が通じてねえ」
ゲルガの震え声を聞きながらコマクがうっそりと言った。
「あやつはレイを倒したほどの勇士じゃ弱いはずがない。しかし今まであれほど己が攻め立てられた記憶はあるまい。月氏とやらの誇りを木っ端微塵にされるのはこれからじゃ」
滴る血が一向に止まらない。体中に裂傷が走っているようだった。
そう感じた西斗月拳の拳士が口の中の血をぺっと吐いた。
「このギドゥオーン、切り倒す人の意をもつ名の我にここまでの斬撃を与えるとはな。褒めてやるぞ南斗の男」
闘気を溜め直した彼の体から新たな血が吹きあがる。
それでも構わず剣豪のような風体の男は両手を広げ、幾多もの掌底を浮かび上がらせた。
残像が放つ風圧で赤毛と赤紫のマントが後ろに靡く。
狂気に満ちたその迸りに対し、怒りの感情を滲ませながらも涼しく見えるユダの顔に、ギドゥオーンは八重歯を向いて吠えた。
「その白い優面を押し潰してくれる」
咆哮のなかで放たれる百裂の掌底がユダを圧し包む。
「あの大技……余人なら秘孔を突かれ、爆散する前に打撃で肉塊になるだろうが……」
南斗紫蝶拳の伝承者メイエルが小さく呟く。余人とはこの場にいる主以外のことを指している。
「ゆ、ユダ様の頬に血が」
コマクが思わず身を乗り出した。
西斗月拳の圧で地面が捲れあがって落下していく間に、その血が主のものではないことに気づいて違ったわとため息をつく。
「あ、ありえん……我の手の平に合わせて己の手を!」
「……趣味が悪いな。無作法なお前の奥義を迎え撃つ私の身になってほしい」
「ぬ……っく」
拳を握り合わせて組み合う二人の斗の拳士が同時に反発するように離れた。
両手を左右に見ながらギドゥオーンが後ずさりし、赤く染まった敵の龍の牙を窺う。
奴は力で西斗の拳を握り潰すつもりだった。彼が知る南斗ではありえない剛力であり、泥臭いが峻烈な反撃だった。
「秘孔でいくらかは修復し、出血を止めたか。まだ気力は尽きていないようで重畳なことだ」
歩み来る赤毛の拳士は相手にその余裕を与えるまで動かなかった。それを悟った彼は今更のようにもうひとつのことを悟った。
「今まで……キサマには拳撃を何度も当てたはずだ……だがことごとくこの我が……秘孔を外したとでもいうのか?!」
「ことごとく当たっていては北斗とは戦えぬ。表裏一体なる拳法の死合い、点穴で勝負がつくのは稀だと知れ」
「わが拳を盗んで創られた北斗と同列にするかあっ!!」
大喝したギドゥオーンの気合は遠巻きに見ていた里の連中、トテンプウの部下のならずもの、赤備えにも及んだ。
吹き飛ばされる彼らを横目に、それを至近距離で受ける側の声はあくまでも冷徹だった。
「同列ではない。お前が北斗神拳に及ぶことは未来永劫にあり得ぬ」
「……殺す! 殺してやる赤毛の若僧!」
凄まじい踏み込みで拳を振るおうとしたギドゥオーンがふと動きを止めた。
止めてすぐ、彼の
「……ぅぬ」
さらに額を割られたと気づいた男が、片手で顔を覆い、血まみれの中ぐふふふと高笑う。
そのなかでギドゥオーンは異様な構えを繰り出した。
「な、なんだ、あ奴の構えは」
「奴の利き腕が……消えた?!」」
コマクが仰天し、メイエルが西斗月拳の奇妙な構えを眺めて思わず叫んだ。
これが激昂する男の秘奥義だということは誰が見てもわかる。
「ぬふふうううううぁこの技に勝ちはなくとも負けはない。どれほどの達人でさえも見切れぬわが神技で今度こそ圧殺してくれるわ」
西斗月拳、相雷拳と名乗った巨漢が地を蹴った。
拳を背に隠して死角を作り、闘気の揺らぎでその拳筋を見失わせる、と悟った南斗紅鶴拳の伝承者が本格的に身構えた。