聖拳列伝   作:小津左馬亮

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十三話   天を舞う

 一度目の踏み込みは本気ではあったが、敵の間合いを知るためにあえて反撃を受けた。

 憎き赤い鶴の殺傷範囲を覚えたことで、受け身を取ったギドゥオーンは再び地を蹴る。

 ここまで万全を期して戦ったことはない。その不快感を飲み込んで彼は無数の拳を討ち放つ。

 拳を背に負い、闘気のゆらぎによってさらなる迷いを誘う。

 かつてこれを破った者は誰一人としていない。

 南斗水鳥拳のレイ、北斗の流れをくむ極十字聖拳のハクホウもこの技で葬った。

 

「南斗ごときにこの終撃を二度も使うとは思わなかったがな、灰燼と化すがよい」

 

 己の揺らぎと比べ、迎え撃つ赤毛の男の泰然とした様子に彼が驚愕の雄叫びを上げる。

 

「余裕のつもりか!」

 

 その怒号を受けた標的は楽しそうに口角を上げる。

 実を伴う殺意を受け流しながら、赤い衝撃は西斗月拳の秘奥義を明確に解析してみせた。

 

「それがお前の奥の手か。ひっきょう(つまるところ)、最後の一撃が真の実の拳というわけだ」

 

 空から降りてくるギドゥオーンの、雷を纏った最後の正拳がユダに襲い掛かる。

 あれば当たればさすがに死ぬな、と他人事のように考えながら、両手を胸の前で交差させた南斗紅鶴拳伝承者が重低音の二つの衝撃を両の手の甲で受け流す。

 

 わずかの間をおいて、ドゴンという凄まじい重低音が広場に鳴り響いた。

 炸裂した奥義で地面の石畳が水面に落ちたしずくのように飛散していった。

 

「うおっ」

 

 里の長、ゲルガが尻もちをつきながら、音もなく浮かび上がった美しき鶴を見上げていた。

 風で流れる赤紫のマントがまるで広げた羽のようだと、無骨な彼ですらそう思った。

 

「んな、に?!」

 

 ユダが片足で降り立った先はギドゥオーンの顔面だ。

 

「こっこの……」

「西斗月拳、相雷拳。どこからくるかわからぬ間合いで敵を惑わせる、か。そんな邪拳で私を降せると思っていたのか」

 

 重力を無視したように、ユダが優雅に敵の顔面に一本足で立っている。

 そんな相手の足をつかんでいるギドゥオーンだが、叩き落そうとするもびくとも動かない。

 月氏の神の拳士が土足で顔を踏まれ悶えている。確認せずとも周囲の仰天ぶりがわかる。

 

 ヤサカに知られずとも切腹ものの屈辱だった。

 修復したとはいえ、一度砕かれた指ではユダからの圧をほどくことができない、と知った男の顔は黒いブーツの下で真っ赤になっていた。

 

「あの優男、速さだけではなく剛の面でも……鬼みてえに強えあやつの上を行くのか」

「違うな禿げの里長。上ではなく遥か上、じゃ」

 

 丸眼鏡の小男のドヤ顔が見える。うるさいのうと思いながら、ゲルガは事実の指摘にただ頷いた。

 

「ほれ見ろ。鶴が天を舞うぞ」

 

 コマクが指をさす。

 

「おお……」

 

 里の人間やならず者、日ごろ主の雄姿を見ているはずの赤備えまでもがどよめいた。

 そのなかで南斗紫蝶拳の伝承者、メイエルは赤い唇を震わせて、天空で(きら)めく赤い衝撃を見つめていた。

 

「赤い月……いえ……半月の形の赤い一閃」

 

 そのエフェクトが西斗月拳の拳士の胴体を衝き抜けたことを知ったメイエルが胸の前に手を合わせながら呆然と呟く。

 

「あれが赤麗蒼天嘴襲(せきれいそうてんししゅう)……わたしでさえも初めて見た。ユダ様の秘奥義」

 

 ムーンサルトのような動きを示し、相手に背を向けて降り立ったユダが片膝を地につけている。

 赤毛を靡かせた彼がゆっくりと立ち上がるまで、ギドゥオーンは両手を天にかざしたまま動かなかった。

 大量の血が背中から吹き出る反動により、ようやく西斗月拳の男が反応し、痙攣しながらつんのめる。

 

「――っが、お……あ」

 

 声にならない叫びを上げてギドゥオーンが両膝をつく。

 すでに視界は赤く染まっている。

 地についていた手を握りしめた際、硬い石畳のそれが抉られた。

 

 カツ、カツと踏みしめてやってくるブーツの音がする。

 膝をついたままの大柄な男が力を振り絞って向きを変えたときには、ほぼ無傷の恐るべき男が目の前で優雅に佇んでいた。

 現在、里の広場には赤紫のマントが靡く音しかしない。

 

「我が……ここまで押し込まれるなどあ、ありえぬ……き、キサマは一体」

 

 吐血しながら呻く古の武士のような相手の背に、冷徹な女の声が降りかかる。

 

「南斗聖拳最強にして……地上最強のカウンター拳法の伝承者。世紀末覇者拳王すら凌ぐ赤い衝撃だ。そんなお方をお前は怒らせた。南斗を侮り命を弄んだ者には、相応の報いを受ける」

「……」

 

 文字通り誇りをずたずたにされた男が反論もせず考えを巡らせる。

 口にしたのは己が倒したレイのことだった。

 

「……あれの秘孔を封じる手はない。激痛と絶望のなかであの華麗な同門は死んでいく」

 

 くく、と喉の奥で笑ったギドゥオーンが我ならその方法を知っていると言いかけた。

 その瞬間、剛毅な彼がぎょっとした表情で相手を見上げた。

 知らぬのか、と語ったユダが藤色の瞳を細め、標的を射抜く。

 

「秘孔封じという秘技が北斗神拳にはあるようだ」

「な……」

「仁術を心得る賢者に助力を仰ぐ。必要ならば伝承者や覇者にも頭を下げる」

 

 プライドが天を衝くほど高そうな赤毛の男が静かに言い切った。

 

「最初から私か極星を殺しに来るべきだったな。レイやシュウこそこれからの世に必要な存在。それに手をかけたお前は全ての南斗に対する敵だ。いかなる命乞いも通用せん」

 

 フウウウという南斗紅鶴拳独特の闘気の迸りが周辺に漂った。

 だらりと下がっていた彼の手が下から上に位置を変えていく。その残像が見える。

 

 外に放つのではなく内に秘める気、というものを間近で見たギドゥオーンが凄絶なその構えに腰を抜かしたまま後退していく。

 

 やがてその音がクアアアと研ぎ澄まされたものに昇華するに及んで、彼は指一本動けなくなったように金縛りにあっていた。

 蛇に睨まれたカエルとはまさしくこのことだったと、里にいた誰もが後に語っている。

 

「ああああああ!」

「死への恐怖を味わったのならそれでいい。出血死を待つまでもない」

 

 とどめの赤い衝撃は西斗月拳伝承者の悲鳴のなかで放たれた。

 

「南斗紅鶴拳、妖斬嘴(ようざんし)

 

 体の中心から集中線が伸びたような形、いわば旭光(きょっこう)のヒビが入ったギドゥオーンは断末魔の台詞を放つ。

 

「わ、我を倒した程度でいきがるな赤毛……! 西斗の正統伝承者ヤサカがいる以上、キサマもいずれ我のように地獄へ堕ちる」

 

 花火のように上半身が斬裂した男の下半身がどしゃりと崩れ落ちる。

 広げていた両手を収め、返り血を浴びた赤い鶴がマントを翻す。

 下僕のコマクが間髪入れず走り寄り、血で汚れたそれを半ば奪うように受け取った。

 

「正統伝承者はヤサカ、か」

「ユダ様」

 

 コマクが震えながら主を窺う。そいつが首魁と呟いたユダが待機させていた赤兎馬に乗り上げた。

 

「いかん、御曹司はもうひとりの西斗の男を続けて倒すつもりだ。メイエル!」

「承知」

 

 どこにいるかもわからないヤサカなど探している暇はない。

 赤備えの小隊長として彼女は先頭に立ち、静かな憤怒の主を説得するために追いかけた。

 里長ゲルカにじゃあなと挨拶をしたコマクもレイの妹アイリを促し、後に続く。

 風のようにあらわれ、去っていく赤い集団を、里の人々は声もなく見送っていたものの、一番先に我に返った長が巨体を怒らせて、用心棒を失ったならず者へ復讐を開始した。

 

 瓶切りの達人とはいえ、腕を失ったトテンプウが泰山破奪剛の使い手であるゲルガに敵うべくもない。

 彼らは激昂の里長によって八裂になり、屍を荒野にさらして生涯を終えた。

 

 

 

 

§§§§§§

 

 

 

 

「あれがサザンクロスか」

 

 大型クルーザーの屋根の上に座る男が黒いハットを持ち上げて、水平線の向こうに見える南の島を眺めた。

 その船首近くに立つ青白い髪の巨漢が組んでいた腕をほどき、大きくなってくる城塞を見つめている。

 

 西斗月拳の伝承者が無防備の背を見せている北斗劉家拳の伝承者に声をかけた。

 大陸の港でサザンクロスを襲撃しようとしているソウブの部隊と出くわしたヤサカが、船に同乗させてもらった理由を今一度問いただしたのだ。

 ラオウに酷似する巨漢は城塞に向かったまま答えた。

 

「うぬにとって北斗劉家拳のオレは神拳より優先順位は落ちる。そうであろう」

「……」

「オレとてうぬと死合うのはラオウ、トキ、ケンシロウを倒してからだ」

「なるほどな」

 

 片方の膝を立てたヤサカがキセルを取り出した。

 ラオウというより口角の上げ方がサウザーと瓜二つな豪傑は長いブーツに軍服姿である。

 その彼がおのが目的は南北合一だと告げた。

 

「南北合一?!」

「北斗の頂上拳の座をオレが奪い取る。南斗の象徴を迎え、その高貴な血を混ぜることによって劉家拳の拳格を確固たるものにする。それがここに来た理由」

「南斗の象徴、慈母の星か……」

 

 象徴が大陸随一の美女だと聞いているヤサカがソウブの野望を聞いて目を細めた。

 女の美貌は事実でも、南北合一がソウブ自身の野望だと軽々しく信じるつもりはない。

 そう思いながら首にかけてある緑色の勾玉を彼は無意識に握っていた。

 前に向き直ったソウブが孤島の港を確認しつつ獰猛なる牙を剥いた。

 

 ラオウとサウザーを合わせたような外見の北斗劉家拳の男は、背後の潜在的な敵が慈母星に興味を持ったことを確信して、速度を上げろと操舵室の配下に命じた。




赤麗蒼天嘴襲。妖斬嘴。
ともに南斗紅鶴拳のオリ技。
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