聖拳列伝   作:小津左馬亮

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十七話   地上最強とは

「そこを動くな北斗の長兄。この死にかけの道化を始末したあとはキサマだ」

 

 ヤサカの暗い双眼に光が灯る。

 西斗月拳正統伝承者の背後から、闘神の形を模した闘気が(ほとばし)った。

 かの異形を眺める無数の観衆のなかで、神拳の兄弟のみが何かに気づいた。

 包帯姿の弟が兄の名を呼ぶ。

 

「ラオウ」

「……あれが見えるかケンシロウ」

「どういうことだ……? かつて西斗は北斗の創始者によって殲滅の憂き目にあったと聞いている。それが何故北斗宗家の……シュケンの血でしか成しえぬあの幻影が浮かぶ」

「フン。しかし……まだまだ練れておらぬわ。憤怒の神とはな」

 

 二人は驚愕を隠せず、(きら)めきのなかで撃ちあう西斗と南斗を見つめている。

 

「怨念に飲まれたあやつが我らと同族だとでもいうのか。それにしても不運な男だ」

「……むっ?!」

 

 ケンシロウが無意識に一歩踏み出した。

 ラオウの精悍な横顔が赤く光る。彼が自身の笑みを自覚して一転、不機嫌そうに告げる。

 

「見よケンシロウ、あれが南斗紅鶴拳、血冥断指(けつめいだんし)。だが……奴め、斬撃を必殺の前で止めている。嬲り殺すつもりだ」

 

 ユダの絶影の奥義を見た将来の救世主は、おのれを二度破った南斗極聖拳(きょくせいけん)の好敵手が常に言っていたことを思い出し、改めて瞠目していた。

 シンほどの拳士が自分より遥かに強いと言わしめる存在の後姿を。

 

「――っが、うお……ぅ」

 

 不意に体をびくつかせ、ヤサカが血反吐を吐いた。

 二人の周囲には風圧で埃のみが舞い上がる。

 西斗の奥義を受け続けていた側がいつの間にか優勢に立っていた。

 

 一本指を上空に上げていたユダが血を振り払う動作を見せたことで、おおお、というざわめきが衆目から放たれる。

 思わずジュウザも舌打ちの中で毒づいた。

 

「……ラオウの野郎がかつておれにほざいたことがある。うぬではあの道化の相手にならんとな。その理由がわかったぜ。見えねえ拳を駆使するあの西斗は正真正銘のバケモンだ。しかし」

「うむ。あの方は前に出てくる敵の勢いをそのまま返すカウンターの妙手。ヤサカとやらが強ければ強いほどその反撃も威を増す。いかなる敵もあの神技には対抗できまい。地上最強とはまさにユダ様を指すのだろう」

 

 五車の雲がぼやけば、同僚の山が唸り返し、額の汗をぬぐって答える。

 フドウの台詞に頂上拳の自負があるヤサカが反応し、ほざけええと咆哮した。

 

「たかが背中を斬った程度でこの我を制したつもりか、赤毛ぇ!」

 

 気合を入れた西斗月拳の拳士が筋力で斬撃の傷を塞ぎ、怨敵に向き直る。

 激昂するヤサカとは違い、ユダといえば負傷のなかでも立ち振る舞いはあくまでも凛々しく、優雅さは寸分も失われてはいなかった。

 クセである指での手招きをしながら、彼が冷厳に告げた。

 

「表面の傷を塞いだか……気丈なことだ。だが私の嘴は奥まで食い込んでいる。あとはその体に指を引っかけて左右に開き裂くのみ」

 

 残像を残した構えのなかの、フウウウウという気脈が周囲に響き渡る。

 主に長年仕えてきた小男が、隣にいる南斗紫蝶拳(しちょうけん)の女拳士でさえ知らぬ技の手がかりを口にする。

 

「ゆ、ユダ様の……ラオウ相手にも駆使しなかった血化粧が始まるぞ」

「血化粧……」

「技の名までは知らん。だがあの髭野郎が八裂になるのはもう避けられ……ん?!」

 

 丸眼鏡をかけ直したコマクが西斗と南斗たちの斜め上に浮かぶ影を見た。

 

「うっ上うえ上うえええ」

 

 中年男の声に皆が青空を仰ぐ。

 

 金髪が靡いている。

 

 鎧武者の女が潮風で顔に黒髪がかかるのもかまわず、涙目でそれを見上げていた。

 この場にいる誰もがヤサカとユダの終局に目を奪われ、彼が飛び上がるまで気づいた者はいない。

 

 北斗劉家拳のソウブが波止場に留まっている小舟を一瞥する。

 そこから目つきの悪い男と、青白い頭巾をかぶった女がやってくるのがわかった。

 

 黒い胴着、黄金の縁取りの防具の青年が西斗の拳士に蹴りを放つ。

 ここにいる主だった者のなかで、一人を除いて誰もが知っている南斗極聖拳(きょくせいけん)の奥義だ。

 

「南斗獄屠拳……!!」

 

 異口同音でジュウザ、フドウ、ラオウ、ケンシロウ、コマク、メイエルが叫ぶ。

 それを初めて見たソウブは再び床几から腰を上げる。

 西斗と南斗が空中で激突した。

 

「生きていやがったか金髪……」

「帝都での借りを返すぞ、西斗月拳」

 

 からまって降りてくる双方が地上に立ち、弾かれたように飛びずさった。

 ぎょっとしてさらに後退したのはヤサカだ。

 こちらに向かってくるはずのシンが斜め後ろの同門に向かって回し蹴りを放ったからだった。

 

「仲間割れかぁ南斗?!」

 

 彼が口元の血をぬぐっている間に、とどめを刺しに来るはずの妖星とそれを抑える極星との攻防が続いていた。

 

「話は聞いている。レイに秘孔を突いた輩は斬り捨てたそうだな。ならばヤサカは俺が」

「あの程度の使い手に敗れたお前が二度目ならやれると? 思い上がるな」

「……あれの憎悪と今のお前と何が違うというのか。南斗紅鶴拳の真髄は怒りなどではあるまい」

 

 南斗聖拳を真に極めた者同士、龍の牙が激突する。

 独特な配置のユダの指突とシンの単純な型の指突は互いに譲らない。

 双方から除け者にされた側は呼吸を整えながら、それでもおいこらぁと呼びかける。

 

「今は引っ込んでろ髭野郎」

「推参者の光明を黙らせるまで少し待て」

「……ふざけやがって舐めてんじゃねえぞ!」

 

 冴えわたる貫手の応酬をくぐり、ヤサカが両の手で両側の南斗を掌底で弾き飛ばそうとしていた。

 

「んな?!」

 

 今度は西斗の拳が(かわ)された。

 

「邪魔だ」

 

 周囲のどよめきのなか、赤毛と金髪の台詞が重なった。

 気術による斬撃で仰け反るヤサカに目もくれず、南斗の双璧は彼の頭上でまたぶつかり合った。

 

「一度お前とは本気で戦ってみたかった。ちょうどいい、この場で俺が叩きのめしてやろう」

「このユダに大言を吐くか。十年早いぞ」

 

 若い二人のやりとりを憎々しげに見上げるヤサカが膝をついた。

 気力を復活させるために秘孔をついているようだ。

 

「若僧ども……我に回復の時間を与えるとは甘すぎる」

 

 あほうどもめ、と呟いた彼がブシャっという炸裂音で反射的に身を起こす。

 弾かれた赤毛が音もなく空を舞い、水鳥に劣らぬ華麗な体術を見せて片足で着地する。

 一見極聖拳(きょくせいけん)の強烈な蹴りが撃ち込まれたように思える。

 だがユダはシンの足首あたりに手を添えて倒立しながら躱した際、一撃を放っていた。

 先に地に降りた赤毛が起き上がり、かろうじて転倒を免れた金髪が黒い胴着の胸のあたりを抑えて面を上げた。

 

「なるほどこれが奴の神速か……聞きしに優るな。いつの間に」

 

 シンの肩のプロテクターが砕け、時間差をおいて斜めに斬り裂かれた胴体から血が噴き出した。

 周辺にいる様々な所属の人々は歓声を上げていた。

 キョウウン、ギドゥオーンを倒し、ヤサカを追いつめ、さらに同門とも戦って一矢報いる赤い衝撃の姿は、見物している全ての者の目に鮮烈に映っている。

 腕を組んで見ているラオウが顔を斜め下に向け、わずかに口角を上げながら言った。

 

「地上最強とは……奴を倒すことができる者のことを言う。単純な話だ」

 

 北斗の長兄の台詞に末弟が驚きながらも頷く。

 魔神カイオウすら倒した世紀末覇者がそう断言したのだ。

 長身ながら豪傑には見えない南斗紅鶴拳の伝承者は華麗に振り返り、出血を止めた西斗の拳士に告げた。

 

「ようやく復帰したか。では私は下がろう」

「……何ィ?!」

 

 驚愕のヤサカに歩み寄るシンが今気づいた、とばかりに言った。

 

「弱すぎるお前が態勢を整えるまで俺と遊んでいたということだ。腹立たしいが、所詮俺もお前もあれの(てのひら)の上」

「……」

 

 射殺(いころ)しかねない目をユダに向けるヤサカが怒号を放ちながら身構えた。

 

「この金髪をくびり殺してからキサマを塵と砕いてやる。逃げるなよ赤毛!」

「あやつがその気ならばうぬはすでに死んでいる。そこの若僧の乱入に感謝するのだな、西斗月拳」

 

 ラオウの無慈悲な言葉を耳にしたヤサカが今度こそ怒髪天を衝いた。

 雷炎の連撃をシンに放つ。

 

「キサマの南斗聖拳はすでに見切っている。何度やっても同じことだ死ねい」

 

 西斗の剛拳を受け流すシンが属性までは消しきれず、それにまかれて崩れ落ちる。

 それを横目にラオウが鼻を鳴らし、ケンシロウに向かってサザンクロスに入るよう顎をしゃくった。

 

「紅鶴拳の極奥義、血化粧とやらは見損ねたか。ならば優先順位は城の中だ」

「元よりレイの治療が先、ここは五車たちに任せる」

 

 北斗神拳の二人が北斗劉家拳の伝承者の前を通りかかる。その際、床几に座っていたソウブは彼らと見えぬ火花を散らしていた。

 

「逃げるかラオウ」

「しばし待て。北斗神拳抹殺のために突かれた秘孔ならば、それを封じるは北斗の長兄の務め。西斗ごときの新月愁などわが手で無に帰してやるわ」

「……ラオウ、トキ、ケンシロウ。北斗三兄弟が手を取り合って慈母星を全快させたことは、もはや大陸の心ある者なら誰もが知っている。それを再現させるつもりか」

「事が終われば相手をしてやる。待つ間は西斗と南斗の死合を見て暇をつぶしておけ。どのみちあれはこの地で終わる。金髪はともかく赤毛は絶対に倒せん」

 

 世紀末覇者が赤い衝撃の名を呼ぶ。察してやってきたユダに対し、ラオウが背中を見せながら告げた。

 

「ヤサカとやらを討つのは好きにしろ。だがソウブを倒すはこのラオウ。奴には仕掛けるなよ」

「……レイへの尽力は私ではできぬこと。その言葉には従おう」

「フン、サウザーから聞いていた通り、見かけによらず情の厚い男だ」

 

 ラオウが部下を率い、城門の中へと入っていく。それに続いたケンシロウが足を止め、年来の幼馴染に向けて叫ぶように言った。

 

「シン、二度は負けるなよ。お前を倒すのはそやつではない」

「わかっている」

 

 宿敵の二人が視線を交錯させる。

 先に目を反らした南斗の拳士が炎の剛撃を正面から受け止めた。

 

「ぐっ」

「ぬふふふふ北斗南斗はどいつもこいつも虫唾が走るわ、馴れ合いおって……!」

 

 シンの掌底に打ち込んだ拳を押し込んでいくヤサカの狂気で、彼自身が纏っていた闘神の顔も歪んでいる。

 

「キサマごときに時間をかけている暇はない、散れい」

 

 さらに片方の正拳が放たれたが、それもシンに阻まれた。西斗と南斗の二人は両手で組み合いながら対峙する。

 気と力のぶつかり合いになっていた。

 

「ぬううううううう」

 

 充血した目のヤサカの唸りとともに、コンクリートで覆われた大地が揺れた。

 見物人たちが恐れおののいて距離を取っていく。

 コマクやメイエルが慈母星をかばい前に出る。雲や山でさえ固唾を飲んで渦中を見守るばかりだ。

 

 眉一つ動かさないのは北斗の分派と南斗の赤い衝撃のみ。

 妖星の配下たちに抑えられ、もがく鎧武者の美女が斜め前にいる彼らの主に問いかける。半ば悲鳴に近いものだった。

 

「シンは大丈夫なの?! ねえ」

 

 必死の形相の彼女を少し窺ったユダが一言、今のヤサカ「であれば」大丈夫だと口にした。

 

「そう」

 

 妖星の意味深な返答に気づいたのかそうでないのか、少し落ち着いたマミヤが心配そうな視線を金髪の青年に向ける。

 

「今の若僧であれば倒せるだあ?! 赤毛ぇ……とことん舐めやがって」

「舐めるも何も妥当な判断だ」

「?!」

 

 彼の断言に驚いたのではなく、組み伏せようとしていた相手からの反撃にヤサカが目を見張る。

 

「同門同士の戦い……一歩間違えばユダ様に斬られていたやりとりがシン様にとって準備運動だったということか」

「エンジンがかかるのが遅いってレベルじゃねえな。一回あったまる前に殺されかけてんだろ、不器用な野郎だ」

 

 フドウとジュウザの独り言を聞きながら、ヤサカは圧殺しようとした相手が上体を上げてくるのを眺めていた。

 力負けだと、と吐き捨てた彼が我に返り、再び狂気を放出する。

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