聖拳列伝   作:小津左馬亮

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十八話   正念場

 互いに長身ながら、ヤサカのほうが背は高い。

 斜め下からの打撃を予想していなかったのは不覚だった。

 気の解放で反応が遅れた。

 頭突きという斗の拳法ではあまりない一撃をくらった西斗月拳の拳士が両手を放し、顔面を抑えて後退していく。

 

「うぬ……若僧」

 

 鼻血を垂らす髭男に対し、金髪の青年もヤサカが手を放した際に薙ぎられた斬撃を受けていた。

 頬から流れる血を拭き取り、彼の渾身の剛拳を龍の牙で突き払う。

 

「っち」

 

 拳の側面を抉られたヤサカは後ずさりながら切れた手で鼻血を拭いた。

 拭きながら独語する。

 

「肉弾戦にも長じるか南斗極聖拳(きょくせいけん)……! フン、やるじゃねえか」

「実の拳の打ち合いこそ南斗の真髄。手数で相手を翻弄し、秘孔でとどめを刺すことに慣れた西斗とは違う」

「一度敗れておいてほざきやがる」

「だからこそ借りを返しに来た」

 

 外に放つものではなく、内に秘めた気の巡りで大地が揺れる。

 司空の(おおとり)を倒して以来、彼がこれほど闘気を練り上げた戦いはない。

 ズシン、という重圧音で周囲にいた見物人たちも皆体勢を崩していた。

 再び二人が激突する。

 手のひらを重ねて組み合うのも二度目だ。

 

「お、おお」

 

 ジュウザが思わず半口を開け、狂気の男とは違う深淵の気纏を浮かび上がらせる恋敵の姿を眺めていた。

 

「聖帝サウザーを粉砕した極聖の拳……西斗月拳の(こぶし)を握りつぶすつもりか……!!」

 

 山のフドウの台詞を聞いた耳ざとい髭男が危機を悟ったのか、組んでいた手を自らほどいてみたび引いた。

 その際、シンの組手から逃れるために大量の気力を消費したようで、その構えはふらつき、バランスを欠いている。

 冷汗が止まらないヤサカがそれを(ぬぐ)って言った。

 

「……なるほどぬかったわ。聖帝とやらが敗れた原因をようやく悟るとは。内に秘めた気を指先に込め、硬気功などとは比べ物にならぬ強度の牙で全てを砕く。修羅の国で猛威を振るったのもそれだな」

 

 数本の指をへし折られたものの、八裂からまぬがれた利き手を見下ろしヤサカは吐き捨てる。

 かつて自慢の剛拳を力のみで潰されかけた記憶はなく、何度目か忘れた舌打ちを禁じえなかった。

 

「それが南斗聖拳を真に極めた者の究極奥義、龍の牙と謳われる指突ということか……! クソったれがぁ」

 

 もう片方の手で綺麗に折られた指を気で修復している。認めざるを得ないと言いたげな、苦悶のヤサカの表情だった。

 

「手数で圧倒する西斗と一撃必殺のシン様の南斗。互いに特性が出ているな興味深い」

 

 熱気で汗まみれなフドウがそう言えば、手当を終えたヤサカが首にかけた勾玉を触りながら一歩踏み出す。

 いつの間にか彼の狂気は消し去っていた。

 

「ならば……その一撃必殺のクソったれを食らわなければよい。もはや月氏にとって北斗に匹敵する抹殺対象になったぜ、南斗の若僧ども」

「……狂気による拳撃から(おもむき)を変えたな」

 

 ヤサカの様子の変化に最初に気づいたのは赤い衝撃だ。

 影のコマクや南斗の拳士であるメイエルもそういえば、とセンター分けの豪傑を見直す。

 鎧武者の美女、マミヤが闘気を消し去った全身黒の髭男に違和感を覚え、無意識ににユダに歩み寄る。

 

 そのさまは偶然にも修羅の国にてラオウが到達した境地。

 まさにヤサカがシュケンの血を引くという証であったが、それを知ってか知らずか、南斗六星のひとりは面白いものを見たという反応を示している。

 

「西斗月拳の真髄というやつか。あれは全霊の拳」

「全霊の……」

 

 象徴に瓜二つの女が怖気を振るって二人の拳士に視線を移した。

 ユダの解説の声が遠くに聞こえてくる。

 

極聖拳(きょくせいけん)を降すことができる、かもしれぬ戦法。自覚のある覚醒ほどやっかいなことはない。光明よ、正念場になるぞ」

 

 

 

 

§§§§§§ 

 

 

 

 

 一方、サザンクロスの城内では、北斗三兄弟が医務室で秘孔新月愁(しんげつしゅう)に対する処置を施そうとしていた。

 だがそれはまさしく応急であり、快癒には程遠い。

 丸椅子に座っているレイはこの時点で意識を失くしているように俯いている。

 

「西斗が突いた秘孔に対するは心霊台のみ。だがこれでは問題の解決にはならぬ」

 

 同じく着席しているトキがそう言いながら、傍らに立つ長兄と末弟を見上げた。

 ケンシロウが頷きながらラオウを窺う。

 不世出の剛拳の主が言った。

 

「お前の言いたいことはわかっている。だが秘孔封じはひとつしか使えぬと誰が決めたのだ」

「……?!」

 

 北斗神拳の伝承者が愁眉を開き、思わずレイの肩に手をかけた。

 トキも頷き、椅子から腰を上げる。弟の珍しい瞠目に兄は鼻を鳴らして返答した。

 

「フン……うぬらに拳を教えた身、兄が気づかぬでどうする。ともあれ三人同時にいくぞ。心霊台でわずかに伸ばした余命の間に、末期に至る気の流れを止める」

 

 世紀末覇者ともあろうものが敵の流派の拳士を助けるために、殲滅以外の目的で闘気を(たぎ)らせ始めた。

 トキの感銘は尋常ではなかったが、再度兄に促されて義星の背中に手を添える。

 呼吸を整える末弟もその背を叩き、親友に語り掛けていた。

 

「……妹を残して逝かせはせん。わが友よ、必ず助けてやる」

「ちと手荒になるぞ南斗水鳥拳。自決すれば楽になるほどの激痛、心霊台以上のものがお前を襲う。へたれてこのラオウの助勢を無駄にさせるな」

 

 力なく笑ったレイが扉の開く方向に何気なく視線を向けた。

 そこから顔を出したのはアイリを伴ったユダの配下ゲンジュだった。

 このとき、一人では立てぬほど弱っていた彼が飛び上がるようにして妹のもとへかけよった。

 たった一人残った肉親との再会、抱擁を終えたレイが椅子に座り直した時には、その様相は先ほどとは別人に変わっていた。

 トキが呟くように言う。

 

「戦士の顔になったか。本人がそうでなくば西斗の秘孔に打ち勝てぬ。その意気やよし」

 

 壮健な兄弟が気功を送り始めたのを確認して、次兄も気を練り始めた。

 かつてユリアを病魔から救ったときのように、やはりこういう事態において主導権を握るのは医術の仁だった。

 

 

 

 

§§§§§§

 

 

 

 

 城門前の激闘を天守から見下ろしていた影がある。

 南斗五車星の長とその娘、そしてこの街の主の姿だった。

 手すりを持つ美しい女の手が震えている。

 壮年の大男がうっそりと象徴の名を呼んだ。

 

「ユリア様」

「……実の拳どうしで撃ち合っているのが見える。シンが血だらけに」

「肉弾戦は南斗宗家の拳の真骨頂。かつてサウザーやラオウとまともに死合った黄金の牙なら、必ずや期待に応えてくれるでしょう」

「……ですがお父様、西斗の打撃は届いているのに南斗の指突は紙一重で避けられているように見えます」

 

 青ざめた顔のトウの言葉にリハクが眉を寄せる。

 

「確かに……あのままでは」

 

 海の男の呟きを耳にした長い黒髪の主がマントを翻す。

 派手に靴音を鳴らし、屋内に戻っていった。

 

「ユリア様!」

「トウ、我らも続くぞ。救急室で手当てを終えたであろう風と炎を呼べ」

「それどころでは……あの恐るべき西斗の拳士に本物のユリア様を見せてよいものですか?!」

 

 叫ぶ娘を見送り親がバルコニーを振り返る。

 そして放ったのは現実主義の非情な台詞だった。

 

「赤い衝撃が後に控えている。尊き御身に危害が及ぶことはない」

 

 たとえシン様が敗れようともな、と突き放した言葉を吐いたリハクが、一縷の望みを託しているおのが主の後を追いかけた。

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