裏門からそっと出てきた南斗の一隊があった。
長く美しいストレートな黒髪を靡かせ、その先頭に立った女がいる。
「あ、愛します……一生……どこにでもついて行きます」
かつてユリア自身が言った服従の言葉が聞こえてきた。
背後のリハクやトウ、風や炎以下、数人の護衛もこの成り行きに硬直している。
彼女は無意識に一歩踏み出した。
大多数の衆目は天に向かって雄叫びを上げるヤサカに向けられ、この島の主が姿を現したことに気づいていない。
勝者が這いつくばる敗者の頭を踏みしめて声高に告げた。
「……聞いたか金髪の若僧! 女の心変わりは恐ろしいのぉ……しかしこやつをここまで苦しませたのはお前自身。以降はよく我に尽くすがいい」
俯くマミヤのクセっ毛が潮風で揺れている。
誰もが声もない。
そんな静寂の中、ヤサカがとどめの一撃を振り下ろそうとしたときである。
「シン」
大きくない音量だった。
風に消されるようなそんなか細い声を、城門前の全員が聞いていた。
時間が止まったかのような瞬間だった。
「な、に……?!」
腕の中の女と、城門から出てきた女は双子のように似通っている。
ヤサカをはじめ、その事情を知らされていなかった者たちが動揺するのは当然のことだった。
さすがのソウブも驚きを隠せない。
唯一赤い衝撃のみが本物の登場にマントをめくり、守るべき対象に一礼する余裕があった。
「シン」
クセのない長い黒髪の美女が、もう一度金髪の青年の名を呼んだ。
彼女は囚われの影武者と同じく、瞳に涙をためていた。
次の瞬間。
息を飲む、というざわめきと後ずさる群衆の反応でヤサカが振り向いた。
「……てめえ」
全霊の拳を会得したほどの存在が、血みどろの体で起き上がった瀕死の相手を見て驚愕しながら毒づいた。
「まだ動けるってのか死にぞこないが……!」
起き直ったシンの双眼から光が放たれている。
このときの彼にまだ意識はない。
「も、もはや死んでいるも同然のはずが」
「あの野郎……蘇りやがった」
象徴のすぐ後ろに控えるヒューイとシュレンが呆然と呟く。
フドウとジュウザがようやく我に返り、慈母星のもとへとやってきた。
「死が垣間見えるなかで……われらが将の呼びかけに応えた、とでもいうのか」
「あれが……あれが奴のいう執念。ユリアに対する……死を超える執念」
滅多に自失することのない山や雲が身震いするほどの光景だった。
「北斗神拳先代伝承者リュウケンをして……
ソウブが鋭い牙を見せ笑みを放つ。
昂ぶりを抑えきれず闘気を噴出させながら眺めていた。
いっぽう、渦中の主である金髪を血で染めた男は大敵との距離を詰めつつあった。
五車筆頭の海がうむ、と頷き、震える拳を握りしめて独語する。
「どのような状態であれ、ユリア様の声ひとつであの男は甦る……シン様は気が付いているのか? わが主を救っている以上に、ユリア様に救われているということを」
足を引きづる南斗宗家の拳士は隙だらけだ。
だがヤサカは
ユリアという女が二人いる、という異常な状況に言及できぬほど、彼は目の前にいる死人に圧倒されていた。
「シン」
似た外見から放たれる異口同音の声。
その名を呼ぶ二人の美女が視線を交錯させた。
このときはじめて意識を取り戻したシンがユリアとマミヤを察知する。
金髪に隠れて表情は見えないが、シンの口角が上がった。
そして魂魄の気を巡らせ始めたということに誰もが気が付いた。
「うおお?!」
「しっ信じられんあの体で」
赤い衝撃のそばにいるコマクとメイエルが叫ぶ。
ズズ、ズという地響き、空気を揺らす音の壮絶さに、双方は恐れおののいて主の名を呼んだ。
「ゆ、ユダ様」
「案ずるな。あれは」
死の前の一瞬の
「ぅお?!」
ヤサカが吹き飛んだ。
受け身を取ったが衝撃を流せず、転がり回ってようやく動きを停止させた。
「死力の最後の一撃か」
西斗の男に抱えられていたマミヤが驚きの悲鳴を上げる。
シンは敵の間近に迫っていた。血だらけの手でヤサカの腕をつかむ。
彼女は泣き腫らした目を見開き、若い師を見つめていた。
「てめえぇいつの間に?!」
「……マミヤを放せ」
「マミヤ?!」
ヤサカが驚愕し、ユリアではない名を耳にして本物がいるほうに首だけ向けた。
そしてそんなわずかな隙に、彼はシンの利き手におのが利き手を絡めとられていた。
「若僧~今の我に以前の拳の潰しあいを挑むか……!! 圧殺してくれるわ」
竜の牙を粉々に砕こうと、全霊の拳に力を籠める。
同時に、ヤサカは仕返しとばかりにシンの額に向かって強烈な頭突きを放った。
西斗と南斗は至近距離で火花を散らすように睨みあう。
「あれが真のユリア……南斗の象徴。金髪の若僧の本命というやつか。残酷な男よのぅ、この女ではお前の死力を導き出せなかったと言ったも同然」
「……」
蒼白な顔のマミヤが再び面を伏せる。
しかし肩を震わせる彼女がその震えを止めた。
シンの渾身の台詞を聞いたからだ。
「力づくで女を従わせる……かつての俺をこうして見ようとは。そしてその立ち振る舞いが……こんなにも醜悪なものだったとは。見苦しいにもほどがある」
「ぬっ?!」
ミシ、という音とともに、シンの頭突きの押し込みでヤサカの額が割れた。
吹き出す血が長い金髪にかかる。
「マミヤ」
シンの静かだが力のこもった呼びかけに、象徴の影武者がはっと顔を上げた。
「目を背ける必要はない。しっかりと見ておけ。お前を泣かせた男は今から俺が叩きのめしてやる」
絶望の
彼女は二度、三度とシン、と呼んだ。
「額を割っただけで粋がるなあ若僧が!」
溢れる涙の彼女の瞳の中で、全霊の拳の持ち主と今まで見たことがない激昂を見せる瀕死の男が激突した。
三度目の頭突きでより背の高いセンター分けの髭の男が後ずさり、態勢を崩す。
「マミヤを抱えたままでは死ぬぞ西斗」
「ほざいたな……!!」
カッ、と牙を剥いたヤサカが凄まじい側面蹴りを放つ。
だがシンはそれを膝受けし、そのまま膝蹴りをヤサカの脇腹に打ち込むことに成功していた。
「か、ぁ……」
吐血するヤサカが表情を歪ませる。
「己に対する怒り、か。シン……全霊の拳に立ち向かう奴なりの答え、奴なりの覚醒というやつか」
南斗紅鶴拳の伝承者が喉の奥で笑う。
両手を下げるその後ろ姿にコマクとメイエルがあらためて胸をなで下ろしていた。
血化粧を放とうとしていた先ほどまでの主はもういない。
「黄金の見た目と違い地味な拳法。一皮むけるその過程も地味なものだ。だがゆえ」
あれはまぐれや偶然ではない。
死合いの天秤がまた動く、とユダが呟いた。
ヒューイやシュレン、フドウ、ジュウザ、五車星の面々がうおおおおと歓声をあげる。
「お父様!!」
海の娘、トウも父の肩に手をかけて渦中を覗き込む。
腕を組んでいたリハクも止めていた息を吐き、むううと唸った。
マミヤが敵の腕の中からぽろりと落ちるように大地に両膝をついた。
見上げれば、二人の斗の拳士が本格的に両手で組み合っていた。
「シン!」
「マミヤ、少し離れていろ」
クセっ毛の美女が碧眼の美男子の渋い笑みを受け、泣きながら笑いながら頷いていた。
彼女は精神的衝撃のなか、ふらつきながらも後退していく。
以心伝心の死神とレスティエが駆けつけて助け出す。
「これで心置きなくお前をぶちのめせる。いくぞ」
「上等だぁ、今度こそ有無を言わさず屠ってくれよう……!」
拳士にあるまじきといってよい力比べがまた始まった。
内に込めた闘気をぶつけ合う。
一見地味に映るそれに対し、まさしく斗の頂点か、と思わせるほどの第二ラウンドが始まった。
§§§§§§
「レイとともに気を使い果たしたか。病身では是非もなし」
「ラオウ」
「戦場へ戻るぞケンシロウ。トキはこのまま寝かせておけ。あとはこのアミバとやらに任せる」
秘孔封じに成功し施術を終えた北斗の長兄が末弟に告げた。
弟によく似た外見の助手、アミバを一瞥し立ち上がる。
ベッドで身を横たえる南斗の義星と次兄を交互に見ながら、ケンシロウは乱れた呼吸を整えてラオウに続いていく。
「ユリアが金髪の若僧の元へと向かったことは聞いている。いい加減くたばってもらいたいものだ。倒す手間が省ける」
「フッ」
自身の背中を追いかけるケンシロウが鼻を鳴らす。
一瞬足を止めたが、ラオウは何も言わなかった。
現伝承者が確信している何かを問いただす必要など何もない。