聖拳列伝   作:小津左馬亮

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二十一話  起死回生

 ヤサカにとって敵とは西斗月拳によって粉砕、撃破されるものであり、地べたを這いつくばり、砂埃に(まみ)れるのは常に相手のほうだった。

 

 今回もそうであった。

 

 しかし何度叩き伏せられようと、目の前にいる南斗宗家とやらの拳士は立ち上がってくる。

 両手を組み合いながらも、彼は我知らず身を震わせた。

 驚愕で青くなる自身の顔色を悟りつつ叫ぶ。

 

「我の最終局技、全霊の拳をどれだけ食らったと思っている、うぬは一体」

「先程の所業はかつてのわが姿……あのような暴虐……それを成すというのならば」

 

 シンに対し背骨を折らんばかりに押し込んでいたヤサカの上体が持ち上げられていく。

 信じられんといった西斗の拳士の両目に火花が散った。

 

「ぐっ、ぬ?!」

 

 片足で地を蹴った血だらけの男の膝蹴りを頬に受け、その衝撃に耐えきれずヤサカは片手を放す。

 

「こ、こやつ……!」

「必要があれば何度でも、お前の前に立ちふさがる」

 

 ヤサカは見た。

 シンの両目が光を放っている。

 ケンシロウが無想転生を会得した瞬間にも似ている。

 それを知らずとも、憎き敵が内に込める気が溢れたものだと察するのに時間はかからなかった。

 

「ぬあああああ全霊の拳を舐めるなよ若僧ぅおおおおおおお!!」

「南斗極聖拳(きょくせいけん)毒蛇穿穴(どくじゃせんけつ)

 

 勢いをつけるには短すぎる間合いの、斜め下からの指突。

 それが気功で鍛えられたヤサカの腹部に突き刺さった。

 

 先ほどの西斗の突きに対するシンの倍返しだ。

 

 貫かれた側が血を吐いた。

 むしろシンに向かって血を吹きかけたといっていい。

 そしてわずかな隙の間に、彼は横蹴りで毒蛇穿穴からの脱出をきめていた。

 

 蹴られた南斗の男は裸の上半身の蹴られた腹筋をさすっている。

 シンは口から流れそうな血をペッと吐き、冷たく言った。

 

「それは俺のセリフだ髭野郎……わが南斗宗家の拳、二度とお前ごときに遅れは取らん」

「血統だけが取り柄な温室の拳が戦場の拳に向かってよう言うた」

 

 互いが弾かれた。純粋な殴りあいによる激突で吹き飛んだのだ。

 

「肉弾戦のガチンコ勝負か。いいねえ。拳法家の本来の姿だ。うさんくせえ闘気なんぞ、今の奴らには一切通じねえ。薄い膜みたいに破れちまって用を成さねえだろうな」

「うむ。あれこそ拳を極めようとする者の到達点といっても差し支えあるまい。ヤサカとシン様、今の彼らは拮抗している」

 

 ジュウザ、フドウの昂りを抑えられずの断言に、皆が無言の同意を示している。

 ソウブ、ユダでさえ言葉はない。

 再び歓声が沸き上がる。

 

「すり潰れろ」

 

 覚醒後の相雷拳、死角からの掌底突きはあろうことか無数だった。

 戦いの中で昇華される奥義、勝利を確信して放ったヤサカが砕けた口調のシンの台詞を聞いた。

 そして相手の拳圧で仰け反った。

 

「どこから来るかわからぬ拳だ? しゃらくせえぞ西斗月拳」

 

 ブシャッという音とともに、彼の奥義の双璧の(いち)、南斗千首龍撃が西斗の掌底に突き込まれた。

 ヤサカはシンの貫手の餌食となる前に、表面を抉られながらもそれを全てを引き戻していた。

 

「野郎……」

「死角から穿(うが)つなど小賢しい真似をせず正面から来い。言い訳できない状態でお前の全てを砕いてやる」

 

 冷や汗を流すヤサカがシンの手の甲にある十字の傷を窺った。

 南十字星、南斗そのものの紋章を持つ男が利き手を上に、そうでないほうを下に、残像が残る構えを見せている。

 

「南斗天地破斬、知ってるぜその奥義わぁ」

 

 陽の拳においても随一の剛の突撃、それを見切った全霊の拳士は脇で抱えこもうとしたが、腕と指を弾かれ、立て膝のまましゃがんで大きく後退していった。

 髭男が何度目かのクソったれという悪態を放つ。

 

「フン……南斗聖拳を極めた男の指突はひたすら避けよ、か。斬撃なれば間合いを詰めた振り下ろしの根元に張り付けばよいが、奴には通用せん。なれば」

 

 軽の功、その流れの速さで実体を消したヤサカがシンの体を衝き抜けた。

 金髪のかかる額から血が吹きあがる。

 マミヤとユリアの声にならぬ悲鳴がするなか、当事者は相手に向き直ってまた十字の傷の手の甲を見せつけている。

 ヤサカが目を怒らせた。

 

「ぬるい、と言わんばかりの顔だなあてめえ」

「いつまで俺の拳を避け続けられるか。お前の拳の一撃では死なぬが、わが牙が真を食えばお前の命はない」

 

 それぞれの真髄をぶつけ合うその死合は、実の拳のみを奮いあうためか泥臭く、とても頂上である斗の拳法どうしの戦いには見えない。

 皆がそう思ってしまうのも無理はない。

 

「だがそうではない。一般の兵ども、目の色が変わってきておる。ヤサカとシン様の殴り合い、この老骨さえ昂らせてくれるわ。若者ならなおのこと、あれが原点にして頂点の戦いだと知るべし」

 

 南斗五車星の軍、ラオウの残した部隊、ソウブの手勢、ユダの赤備え。

 周囲にいる大多数を占める彼らが我慢比べのような応酬に魅入り始めた。

 なかには西斗の拳士に声援を送るものまでいる。ヤサカの全霊の拳の強さに惹かれたのだろう。

 

「なんちゅう動きだ、西斗の髭野郎! 南斗聖拳の必殺をかいくぐって懐に」

 

 妖星配下の小男がぴょんと跳ね飛んで叫ぶ。

 

「死の抱擁か」

 

 藤色の瞳を細めユダが呟く。

 全霊の拳を得た男の抱擁は一度目とは練度が違った。

 シンの背中に両手を突き入れたヤサカが対象を持ち上げていく。

 それを眺める兵たちがあらゆる意味でどっと沸いた。

 

「秘孔まであと少し……激痛のなかで狂い死ねい不遜な若僧」

 

 下から見上げるヤサカのドヤ顔が不意に歪む。

 凄惨な笑みは消えた。

 

 自身の両腕が外側に押し広げられていく。

 抱え込む力を緩めなければならなかった。

 ヤサカの上腕部分に食い込んだシンの両手の指で、危うく握りつぶされそうになったからだ。

 

「だがぁなあ、てめえの胸部はガラ空きだぁ」

 

 西斗の強烈な蹴り上げ。

 その振り切った足先ぎりぎりまで飛んで(かわ)したシンが、金髪を風に靡かせながらカッ、と気合の声を上げた。

 心あるものは皆口にする。

 

「次に出すのは決まっている」

 

 極聖拳(きょくせいけん)の代表的な奥義ながら、すでに使い古されているものなど通用せんとばかりに、ヤサカが軽功術で逃げる。

 後ろ宙返りをきめて間合いを取った彼が、離れた場所で片膝をついてしゃがみこむ傷だらけの男を眺め、鼻で笑う。

 

「何度やっても同じことだくだらぬ。そんな蹴りで」

 

 勢いよく立ち上がったヤサカだったが、気功を発動させようとして前のめりにつんのめった。

 

「お……?!」

 

 ふらふらと数歩歩いた後、両手両足から鮮血が吹き出すのを見た彼がああ? という反応を示して両膝をつく。

 逆に立ち上がったのはシンである。

 

「一度や二度凌いだ程度でこの奥義を見切ったと思っているのか。千変万化の蹴撃(しゅうげき)、それこそが南斗獄屠拳……!」

 

 核戦争前のラオウに止めを刺しかけ、伝承者になったケンシロウを戦闘不能にしたというシンの切り札、ひとかどの者なら誰もが知っている。

 五車星をはじめ、ユダでさえ見事と賛辞を贈らざるを得ない金髪の青年のカウンターキックだった。

 

「まさに起死回生……聖帝サウザーを倒したときといい、逆転を極意とするシン様の面目躍如」

「だがまだだ……これでようやくKINGがヤサカに一矢報いたにすぎん。黄金と呼ばれる牙を見るのはこれからだ」

 

 レスティエとジョーカー。

 シンの死闘を見続けてきた二人が手に汗を握りながら渦中を見守る。

 四肢から血を吹き出しながらも歩みゆくヤサカの姿は、言動に反比例する沈勇なものだった。

 

「カスリ傷なんぞいくらつけても無駄無駄ぁ。肉は裂けても骨は砕けん。思い知れ、わが拳とうぬの差を」

「……?!」

「先ほどの抱擁、極聖の爪で力任せに破られると思っていた。本来の目的はこれだ」

 

 ヤサカの手の中に暗器を見た周囲の面々が血の気を失った。

 力を失くして膝から崩れ落ちるシンの様子は、拳によるダメージには到底見えなかった。

 センター分けの髭男が高らかに告げる。

 

「紅鶴拳といい極聖拳(きょくせいけん)といい、南斗の頂点どもは秘孔をずらし、致命の突きから逃れる妙技を心得えているのはもう十分わかっている。この指の内なる気を読み取っているのだろう。しかし紙一重の応酬のなかで存在感のないこの針ならばどうだ? 強すぎる光に隠れる影までは読めまい。それほど我とうぬの間には差はない。あるといったのはな、敗れれば死ぬ常在戦場の覚悟の差よ」

 

 片手を地について苦悶するシンの様子を一瞥し、暗器を捨てた西斗の拳士がざわめく連中を見渡して心地よさげに笑った。

 

 しかしそんな笑みは一瞬にして消える。

 

 主だった者から卑怯者という声を一切聞かなかったためだ。

 

「……つまらぬ。死合の是非を吠えたてるかと思えば、存外に冷静とはな。煽りがいのない雑魚どもめ」

 

 雑魚と吠えながら、この場においてもっとも恐るべき拳士の様子を見てヤサカが瞠目する。

 一本指を上げた赤い衝撃に身構えた彼だが、それは自分の背後に注意せよという仕草に他ならなかった。

 

「?!」

「目まぐるしく変わる攻防に対し、最初に根を上げたのはやはりお前だったか。暗器に逃げ、相手に背を向ける。西斗月拳よ、執念のあの男ならば……殴り合いでは絶対に引かん」

「なっ……」

「背後を取られたのではなく自ら向きを変えたのだ。まさか不意打ちとは言うまいな」

 

 そう締めくくったユダの台詞の間に、ヤサカは無意識に奥義を発動する。

 

 残狼相雷陣。

 

 雷を身に纏うほどの速い動き、その残像で敵をかく乱し、死角から剛拳を繰り出す西斗の秘技だった。

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