聖拳列伝   作:小津左馬亮

96 / 97
二十二話  心技体

 ほとんどの人々の目には無数の残像しか映らない。

 その無数の残像からさらなる数の突き、薙ぎが放たれる。

 絶影と呼んでも遜色ない剛拳で滅多打ちにしてから、秘孔で爆殺するつもりだった。

 

「っぬ?!」

「おい」

 

 凄まじい連撃ではあったものの、その全ては南斗の手の甲であしらわれている。  

 瀕死による脱力のためか、極められた受け身は怒涛のそれを軽く受け流すことに成功していた。

 鬼の形相のヤサカに対し、シンは面白くない表情で退屈そうに告げた。

 

「獄屠拳を封じるために針で秘孔をついた。下半身の動きを制限させたようだが……組み撃ちはもう終わったということか?」

 

 蹴り上げを弾かれたヤサカがうるせえと言い返す。

 背後を取られたことで発動した残狼相雷陣。

 最後の一撃までその勢いは止められるものではない。

 

「砕けろ金髪頭……!」

 

 シンの後頭部にヤサカの鉄拳が振り下ろされる。

 まだ気づいていない相手への完璧なタイミングだった。少なくとも彼はそう思った。

 だがゆえ、不意に伸びてきた腕に気づくのが遅れた。

 

「う」

 

 正面からのほうが当然にして間合いは短い。

 南斗極聖拳(きょくせいけん)とは真っ向から打ち合うな、という教訓が今回ばかりは仇となった。

 やむを得ない。二度目の南斗天地破斬を防ぐべく両手で敵の片腕を抑え込む。

 

「今度こそ弾かれはしねえ、このまま圧し潰して」

 

 ヤサカがそう吠えたとたん、ひしゃげる音がした。

 明確な、骨が砕かれる音だ。

 

「ぐっ……っあクソが!」

 

 西斗の拳士が無事なほうの手で南斗の爪を引きはがし、間合いから逃れるために転がり回る。

 

「あの野郎……! やりやがった、ヤサカの全霊の拳を……正面から力で握りつぶしやがった……!!」

 

 ジュウザが思わずうおっしゃああと叫ぶ。それにつられて五車の軍がどっと沸いた。

 飛びずさったヤサカが利き腕をかばいながらさらに後ずさる。

 呆然とする彼がふらつきながらやってくる相手に対し、ありえねえと吐き捨てた。

 

「覚醒したわが両の腕が瀕死の片腕に……圧し負けるなど……そんなバカな?!」

 

 風に吹かれてやってくるシンの足取りは未だに重い。彼は歩みを止めて言った。

 

「わが切り札はすでに火を吹いている」

「?!」

 

 動きの鈍いシンに対し、相雷陣で応じようとしたヤサカが態勢を崩して前につんのめった。

 

「あ、脚が」

「両手両足、秘孔で傷を修復したようだが、奥義の多用で限界に来たか。四肢の動きを封じる南斗獄屠拳、この奥義を食らって無事な者などこの地上に存在せん」

「ほざけぇ若僧がぁ……!!」

 

 周囲に重圧がかかった。ヤサカの憤怒により空気がピりついた。

 ほとんどの見物人が無意識に引いていく。

 気の奔流で大地が揺れた。

 全霊の抑えが効かなくなってきた証拠である。

 

「な……何が」

 

 ヤサカを覆う結界があらわれた。

 過去にラオウが、そして魔人カイオウが到達した気脈の到達点だ。

 

 練り上げられた波動は防御はおろか飛び道具としても活用できる。

 拳士に限らず、力を求める者ならば誰もが切望する極みの領域、西斗月拳による魔界である。

 だが……ヤサカの自尊心は地に(まみ)れていた。

 

「せ、制御できぬ……あの小賢しい蹴りのせいで……気合を、内に込めておくことが、できぬ……!」

 

 北斗の兄弟に比肩するフレアが彼の剛体から湧き上がる。

 その暴風に立ち向かうシンが静かに告げた。

 

「かつてある男が言った。頂上拳に過剰な殺意や闘気はいらぬと」

 

 片手と四肢に傷を負うものの、彼ほどの重傷ではない月氏の拳士が(ほぞ)を噛み、南斗の拳士の言葉を愕然と聞いていた。

 

「そのような見世物、(おおとり)の羽ばたきひとつで吹き飛ばせる」

 

 何かに誘われるように、二人が同時に地を蹴った。

 極大の闘気の持ち主がひと薙ぎで標的を消し去ろうとしたとき、凄まじい衝撃波が周囲全体を衝き抜けていく。

 ヤサカのドーム状の闘気の結界は消えていた。

 

「ジョー様!」

「ああ、あれはまさにあのときの」

 

 未だ残る爆風を堪える死神と影の女が見た光景は、鳳凰拳との戦い以来二度目だった。

 振り絞って放たれる夕日に照らされたそれは、まさしく黄金の牙。

 

「しかと見よ」

 

 絵画の風景のようなふたつの影を眺め、南斗紅鶴拳の伝承者が微笑して言った。

 南斗紫蝶拳(しちょうけん)のメイエル、いつの間にか戦場に戻っていた南斗焔浄拳(えんじょうけん)のゲンジュだけではなく、南斗天翔拳のジョーカー、門下生レスティエに対しても、である。

 

「南十字星の紋章を持つわれらが拳、その極意を」

 

 彼らは最強を謳われる赤毛の男の言葉に固唾を飲んで頷き、そして金色の長い髪が風に吹かれるのを見た。

 

 振り下ろされる西斗の拳を軽々と突き抜いた極星の貫手が、胴着のなくなった上半身にめり込んでいく。

 

「か、っぐ……あ」

 

 突撃の余勢を駆り、長身のヤサカの体が宙に浮く。

 床几に座っていた大男、北斗劉家拳のソウブが膝を叩き、勢いよく立ち上がった。

 髪を逆立てているのは興奮のためだ。獰猛な八重歯を剥いている。

 

「外部から突き入れ、全てを破壊する……!」

 

 荒れ狂う西斗の男の胸に刺さった牙が突き進む。

 ヤサカのあらゆる抵抗はまさしく足掻きでしかなかった。

 ソウブほどの男が立ち尽くし、両の拳を握り奮わせながら呟く。

 

「南斗聖拳を真に極めし者のそれを人は龍の牙と呼ぶ、か」

 

 暴れ回るヤサカを突き抜いたその先から鮮血が溢れ出る。

 正面から撃ち負けたという屈辱という触媒を経て、彼がさらに覚醒した。

 一時的に腕の力が蘇る。

 出血は思ったよりも少ない。死力が尽きる前にヤサカは喚き叫んだ。

 

「ぬおおおおおおぉ舐めるな、舐めるなよぉ若僧! 月氏の誇りにかけてうぬごときに敗れるわけにはいかねえ!!」

 

 相手の長い髪の毛を掴み、頭突きをシンに放つ。

 重圧に耐えられず地盤が陥没する。

 年若いほうの額も無事ではなかったが、放った当人の額がより割れていた。

 

「……」

 

 忌々しい敵の、アイスブルーの双眼がふと細められた。

 拳の勝負はすでについている。そういわんばかりなシンの様相だった。

 

「月氏の誇りだ? 一人の女の誇りを(けが)しておいてほざくな下郎……! お前は拳士としてではなく、男として容赦せん」

 

 音量はけして大きいものではない。

 しかし執念の男が放つその台詞の圧は、頑強なヤサカの心の芯を砕いた。

 目の焦点が合わなくなる。

 今度は体を撃ち砕くべく、シンが標的の髪をつかみとる。

 めまいのなか、引き寄せられる西斗の拳士の絶叫が城門前に響いた。

 

「なんなんだてめえは……?! てめえらは……こんなイカれた奴らが格下の南斗なんて聞いてねえぞ……クソおあああああ!!」

 

 低く重たい頭突きの音がした。

 必殺の指突ではなく、あえてヤサカの土俵に上がったシンの意地の一撃だった。

 

 ブツ、と何かが切れる。

 

 ヤサカの首からかけていた紫色の勾玉が地に落ちていった。

 同時に持ち主が脱力したように両膝を折る。

 うつ伏せに倒れながらヤサカが言った。

 

「ゆ、許したまえ……先祖の御霊の期待に応えられぬこ、と……を」

 

 復讐の男がついに大地に沈んだ。

 

 わずかに間をおいて、呆然と見守っていたソウブの部隊、五車星、ユダの赤備え、シンの部下たちが一斉にうおおおという雄たけびを上げていた。

 

 サザンクロスの城門が開かれたことが大多数にわからぬほどの、地鳴りのような歓声だった。

 沸き立つ彼らをよそに、勝者は駆け寄った二人の美女たちに支えられる。

 双方が視線を合わせたが、それは刺々しいものではない。

 本物の瞳は親愛の情を、影武者のほうはそれ以上の感情を迸らせていた。

 そんな明確な区分けを互いはすぐに理解したようだ。

 

「ユリア、マミヤ」

 

 名を呼ばれた双方は長身の美男子を見上げてほっと胸を撫でおろす。

 ユリアにとっては兄の、マミヤにとっては拳の師の、いつものぶっきらぼうな横顔があった。

 シンは彼女たちを優しく引き離し、倒れるヤサカのそばに落ちている紫の勾玉を拾い上げた。

 

「それは……?」

「あの男の首飾り」

 

 拾った勾玉を手に、うつ伏せの敵の前に跪くシンの様子をユリアとマミヤが見守る。

 ヤサカが己の命以上に大切にしているものだ。

 それを相手の首にかけ直しているのを窺って彼女たちが瞠目した。

 

「シン。この男、まだ生きている?!」

 

 マミヤの問いに師が頷く。

 

「俺に秘孔のずらしがあるように、この男も致命の突きをわずかに反らしている」

「とどめは……」

 

 ユリアがもっともな質問を口にする。

 主の近くにいる五車星たちはいずれもやっちまえという表情を浮かべていた。

 リハクはおろか、トウすらもそう感じていた。

 しかし当人はかすかに首を振る。

 

「奴の誇りは全て貫いた。そもそも……わが南斗極聖拳(きょくせいけん)は憎しみの拳にあらず」

 

 彼の高言は地に伏せる西斗月拳の拳士に対する、無意識の強烈な皮肉だった。

 涙を流してその屈辱に耐えているヤサカが軽傷なほうの拳を握る。

 ユリアはそんな展開に紅唇をほころばせた。

 南斗の光明。

 ユダがつけた彼の異名はまさしく言いえて妙と言い切れるものだった。

 

「心技体、全てを備えた南斗聖拳の……いや、あらゆる拳士の亀鑑たる男か、金髪の若僧」

 

 感銘を受ける真面目なリハクの述懐に、風、炎、山の面々は顔を見合わせる。

 雲のジュウザが鼻を鳴らして吐き捨てた。

 

「それはあのヤロウへの暴言だっていうのよ。わかってねえなあジジイ」

 

 そんなぼやきは当然にして喧噪にかき消されている。

 ジョーカーとレスティエが淡々と佇む主の前に小躍りしながらやってきた。

 ゲンジュやメイエルもそんな光景に目を奪われている。

 影のように控える従者のコマクだけが赤毛の主の言葉を耳にした。

 

「サウザーよ、南斗の帝王よ。かの姿をお前にも見せたかったぞ……まさにわが門の光、もはや私の助けは何ひとついらぬようだ」

 

 ユダの万感の独語を合図に、北斗神拳の長兄によく似た容貌の、北斗劉家拳の伝承者が波止場に向かって部下に顎をしゃくる。

 

「ソウブ様」

「……一旦引く」

「え? あ、しょ、承知いたしましたっ」

 

 劉家拳の家人たちが豪快に闊歩していく大男の後に続く。

 広場はそれどころではない騒ぎであり、この時点で彼の離脱に気づく者はほぼいない。

 

 ソウブはいつになく上機嫌だった。

 これは彼の気の昂ぶりを示している。

 ラオウより後ろ髪が長く、サウザーに似た口角の豪傑は、誰にも聞こえぬように呟いた。

 

「北斗神拳伝承者を二度も破り、あの聖帝を倒し、一度は不覚を取ったものの西斗月拳すら制する……天にもっとも近いとはあの男のことを言うのであろう。フッフフフフどうやら奴はオレの宿敵として相応(ふさわ)しいようだ。きゃつ、ラオウを後回しにと思えるほどにな。覚えておくぞ、南斗極聖拳(きょくせいけん)のシン」




次回西斗編最終回となります。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。