【完結】空の記憶   作:西条

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第20話 指輪

「なんか今日、気持ち悪いな、お前」

「そ、そんなことないよー」

 

 アリスに言われて、ぼくは思わず冷や汗をかいた。

 

 今日は待ちに待った土曜、ホグズミード休暇の日だ。しかも、アクアと一緒の。これを喜びと言わずして何が喜びだろうか。

 今日は普段より一時間も早い、日もまだ昇っていない時間に目覚めてしまった。まるで遠足が楽しみな子供のようだ。……似たようなものか。

 

 呆れたようにアリスは笑うと、「まぁ、せいぜい頑張るんだな」と言い、ぼくの頭をわしゃわしゃと乱暴に掻き混ぜた。いつもだったら怒るところだが、今日は機嫌がいいので寛大にも許してあげよう。

 

「ところでお前、そんな指輪してたっけ?」

 

 アリスに右手の小指を突かれ、ぼくは紅茶のカップを手放すと右手を広げた。

 赤色に鈍く輝く指輪は、繋ぎ目が存在しない。その場で回転はするものの、抜こうと引っ張ってもさっぱり抜けない。そういう風になっている。

 

「最近ね、ちょいと」

 

 そう明るく言うとアリスは、少しむっとしたように眉を寄せた。

 

「……はん。趣味の悪い指輪だな」

「……えへへ」

 

 微笑む。

 

「アリス・フィスナー!」

 

 と、そこで聞き慣れた高い声がした。見ると、猛然とこちらに向かって走ってくるユークレース・ベルフェゴールの姿。慌ててその場から飛び退くと、ちょうどさっきまでぼくがいた位置に向かって拳を突き出したユークは「チィッ!」と先輩への敬意も虚しく舌打ちした。

 ……ちょっと、全く。毎回毎回、本当に君はいいところの長男坊なのかよ。……って、アリスを忘れてた。アリスもいいとこの長男坊だったな、そういえば。しかも、ユークはアリスのことをどうしてか滅茶苦茶好いているわけだし、今更か。

 

 ユークはぼくが今さっき飛び退いた場所であるアリスの隣にちゃっかりと腰掛けると、「おはようございます、アリス!」と姉に似たキラキラした笑顔を振り撒いた。姉は表情があまり変わらないのに、随分と表情豊かな奴だ。本当にお前ら姉弟かよ……とは思うが、顔のつくりはかなり似ているから、姉弟であることは一目瞭然なんだよなぁ。

 

 しかし、姉が大好きなユークにだけは、今からアクアと一緒にホグズミードに行く、なんてことは口が裂けても言えないぞ。アリスもその辺は分かってくれると信じているけど、どうも心配だ。

 もしユークにこのことが知られたら、ぼくはロープでぐるぐるに縛られて湖に捨てられる気がする。そうするだけの行動力を持ってる、ユークは。

 

「ぼくには『おはよう』は言わないんだな、ユーク……」

 

 大きくため息をついて、ユークとは逆側のアリスの隣に腰掛けると、ユークはいけしゃあしゃあと「いたんですか、アキ」と言った。

 いたんですか、じゃねーよ、さっき凄まじい勢いでぼくに襲いかかろうとしたのは一体誰なんだ。

 

 ユークはぼくの言葉を鼻で笑った。

 

「アキが小さすぎて見えなかっただけですよぉ」

「君に言われたくないね! ぼくよりも低い君にはね!」

「僕はまだまだ成長期が来てないだけです! 二つも歳下の後輩に向かってなんと大人気ない人なんでしょう!」

「ぼくだってまだ成長期が来てないだけだい! 成長期が来ればニョキニョキ伸びて、君なんて目じゃなくなるんだい!」

「それはこっちのセリフです、アキ・ポッター!」

「なにを!」

「お前らうるせぇ、俺を挟んでケンカしてんな」

 

 アリスに二人まとめて拳骨を喰らい、ぼくらは仲良くテーブルに突っ伏して悶えた。

 うぅ、いってぇ……何こいつ、こいつの拳って鉄かなんかで出来てんの? 人体とは思えないんだけど。

 

「だってユークが……」

「だってアキが……」

「もう一発ずつ喰らうか?」

「「ごめんなさい」」

 

 ユークと声を揃えて謝ると、アリスは息をついて両手を下ろした。そしてユークを半眼で見下ろすと「で? ユーク、何か用があんじゃねぇのか」と尋ねる。

 アリスの言葉にユークははっと目を見開くと、「忘れていました!」と言って頭を起こした。全く、忙しない奴だ。

 

「アキには言われたくありません!」

「なんだと!」

 

 そう口答えしつつも、ユークはローブのポケットから一通の封筒を取り出すと「これ、アキ・ポッターに渡してくれと頼まれました」と言い、ぼくに差し出した。

 封筒を受け取り、しげしげと見る。青いインクで書かれた文字には見覚えがあった。

 

「ねぇユーク、これ、一体誰が?」

 

 封筒を開け、中の便箋を開きながら尋ねたぼくに、ユークは一言で答えた。

 

「アルバス・ダンブルドアが」

 

 ……あー、滅茶苦茶嫌な予感がする。むしろ、嫌な予感しかしない。このまま見なかった振りを決め込みたい、そう思いながらも目を通して、ぼくは小さく呻いた。

 

「……なんで、よりにもよって今日なんだよ……」

 

 

『アキ・ポッター ならびに 幣原秋

 朝十時に校長室へ。合言葉は知っているね? 必ず来なさい。

 アルバス・ダンブルドア』

 

 

 ◇ ◆ ◇

 

 

 幣原秋の名前を使ってくるのは、卑怯だ。ぼくにとってその名は、絶対的な意味を持つ。その名前を出されたら、ぼくは逆らえない。

『必ず来なさい』と最後に付け加えられなくても、『幣原秋』に宛てられたものだということだけで、もう自由を奪われたのと同じことだ。

 

「アクア、怒るよなぁ……」

 

 本来なら、今頃は二人で楽しい時間を過ごすはずだったのに。

 そう考えるだけで、自然と眉が寄っていく。畜生、どうして今日なんだ。

 

 イライラしながら校長室に行くと、ダンブルドアが飄々と迎えた。

 挨拶も手短にソファに腰掛けると、ダンブルドアは「苛ついておるようじゃの」とぼくの顔を覗き込む。

 

「……そりゃ、朝からいきなり呼び出されりゃあ、こうもなりますよ。折角のホグズミード休暇だというのに……」

「おお、そう言えばそうじゃったの。すまんかった」

 

 ……よく言うよ、全く。

 

 ダンブルドアが杖を振ると、ぼくの前に紅茶が『出現』した。一言礼を言うと、左手でカップの取っ手を掴み、口をつける。

 

「……で? ぼくに一体何の用なんです? それともアキ・ポッター(ぼく)ではなく幣原秋(あいつ)をご所望ですか?」

 

 そう意地悪く言うと、ダンブルドアは「おぉ、なんて捻くれた子に育ってしまったんじゃ……」とさめざめ嘘泣きをした後、急に真面目な表情でぼくに向き直った。

 

「両方に用があっての。まぁ、君に言えばあやつにも伝わるから、呼び出す必要もない。楽なものじゃ」

「…………」

 

 そーですか。

 

「まず一つ目じゃが……あまりハリー・ポッターにむやみやたらと近付くでない」

「……嫌だと言ったら?」

「おぉ、わしには君に強制する権限はない。だがの、アキ。三大魔法学校対抗試合は、基本的に選手が一人で戦い抜く過酷なものじゃ。それに君が手を貸すことは、ホグワーツ魔法魔術学校校長として好ましいものではない」

「ハリーは自分の意思でエントリーしたんじゃない。誰かに嵌められたんだ。ハリーの命を狙っている奴がいる、それも、ゴブレットに細工が出来るほど強い魔力の持ち主が」

 

 即座に、ダンブルドアの言葉に異議を並べ立てた。

 

アキ・ポッター(ぼく)はハリー・ポッターを守るためだけに生まれてきたんだ、そうでしょう? ぼくの生きる理由なんだ。ハリーが死んだら、ぼくは存在価値がなくなってしまう。存在意義を見失ってしまう。『ハリーを守る』、それだけの目的で、幣原はぼくを作ったんだ」

「……本当にそれだけだと思っておるのか?」

 

 ダンブルドアに見竦められ、思わず怯んだ。

 

「……違うんですか」

「君はもっと賢い子だと思っておったが、どうやら思い込みが過ぎるようじゃ。見えているもの、耳にしたこと、それだけが真実ではないことを、君はもっと学ぶべきじゃの。『計り知れぬ叡智こそ、我らが最大の宝なり』――ロウェナ・レイブンクローの設立したレイブンクローの生徒は、事実ばかりを尊び過ぎることが欠点じゃ。文字や数字のみが全てではない。数式でこの世界全てを書き表せると思っているうちはまだまだ若い、ということじゃな」

「…………」

 

 煙に巻かれる気分だ。ぼくは下唇を噛むと、代わりに尋ねた。

 

「ハリーが自分の意思でゴブレットに名前を入れたとお思いですか?」

「分かりきっている問いかけをするでない、アキ」

 

 打てば響く、その言葉の通り、ダンブルドアの答えは明確だった。

 ぼくは考えて、口を開く。

 

「……分かりました。ハリーにはあまり干渉しない……それでいいんでしょう?」

「それが賢明な判断じゃ」

「……あなたの考えが、ぼくの想像通りなら……その目論見が上手く行くことを願っています」

「……やっぱり君は聡明な子だの」

 

 ダンブルドアはそう言うと、にっこりと笑った。

 

「第二に」

 

 そして、滑らかな口調で言う。

 

「セブルスと和解するのじゃ」

 

 ぼくは目を見開いた。

 

 胸の辺りが途端にざわめく。

 身体が無意識に震え出すのを、ダンブルドアに見抜かれないように堪えた。

 

「……和解、なんて、仲違いするつもりは、ぼくには」

 

 そう、ぼくは何もしていない。

 

 ぼくを拒絶してきたのは、スネイプ教授の方だ。いや――元はと言えば、幣原秋が、スネイプ教授に何かしら言ったのか。

 幣原と教授は、一体いつ出会い、言葉を交わしたのだろう。ぼくには分からない。

 

「ぼくは……教授のことは、嫌いじゃなくて……そりゃ、確かに意地悪だしハリーに対して大人気ない仕打ちするし課題面倒臭いものばっか出すし困った大人だし……」

 

 スネイプ教授のことを思い出す。

 一番最初、執着と憎悪の籠った瞳でぼくの胸倉を掴んだ時のこと。その後、ぼくの頭の怪我に包帯を巻きながら、幣原秋について語った時の、あのがらんどうで空虚な瞳。秘密の部屋について語ってくれた時の教授。ダイアゴン横丁で、お茶に連れていってもらったこともあったっけ。

 

 どれもこれも、話題の中心は幣原秋だった。

 

「……でも、教授は、幣原秋をひとりぼっちの地獄から助けてくれたんだ。明るい世界へと引っ張り上げてくれたんだ。教授は……」

 

『幣原秋の恩人だから』、そう言おうとした瞬間、目も眩むほどの激しい頭痛に襲われた。思わず頭を押さえる。

 

 やがて頭痛が引いていき、ぼくは目を開けた。

 ダンブルドアは黙ってぼくを見つめていたが、静かに口を開いた。

 

「……そんなに口にされたくなかったか――秋よ」

 

 ひう、と耳元で、風が鋭く鳴る。

 

 幣原秋(ぼく)は、にこりと微笑んだ。

 

 

 ◇ ◆ ◇

 

 

「久しぶりじゃの。十年ぶりかのう?」

「十二年です。相変わらずお元気そうで何より」

 

 もうそんなになるか、とダンブルドアは呟いた。

 ぼくは背中をソファーにゆったり倒すと、足を組み合わせ、両手を合わせる。

 

「セブルスと和解しろと? 何でですか」

「君らの……君とセブルス、そしてリリーの因縁は、この老いぼれがちゃーんと知っておる。もしかすると、君以上にな」

「なら、どうして」

「先ほども言うたじゃろう? 秋。聞いておったかの? 事実だけが全てではない。見えるものが真実とは限らない」

 

 ぼくはダンブルドアを見据えた。

 この狸爺、どこまで気付いているのか。

 

「君がアキ・ポッターを作った理由を思い返すとよかろう。『ハリー・ポッターを守る』を掲げておきながら、ハリーの話の時でなく、セブルスの話の時に出てくることもな」

「……自覚はありますよ」

 

 指先を合わせ直す。

 

「それで十分でしょう」

「……秋。セブルスはとても悔いておる。知っているのじゃろう? 彼が毎年君が死んだあの日に、君の墓の前で蹲るように懺悔しているのを。知っているのじゃろう? 彼の思いを。知っているからこそ、君は――」

「知っているよ」

 

 ダンブルドアの言葉を遮る目的で、声を張り上げる。

 

「……あいつは、生きた人間を見ていない。そこがぼくには気に食わない。死者を、ぼくやリリーばかりを追って、目の前にいるハリーとアキ・ポッターに、ジェームズと幣原秋(ぼく)の幻想を重ねてる。アキはそれに気付いてる。気付いてて、でもそんなの悲しいから、気付かないフリをしてるんだ」

「…………」

「セブルスの時間は、ぼくが死んだあの時から止まったままだ。幻想の中のぼくとリリーに縛られて、前に進めずにいる。ただの同僚となったリーマスに対しても敵意を向け、シリウスの話を聞こうともしない。ハリーを、アキ・ポッターを……見てくれない。……だから」

 

 小さく息を吐いた。少し躊躇って、そして茶化すように続ける。

 

「そうだな、セブルスとシリウスが握手でもしたなら、セブルスと和解するのも悪くないかな」

 

 まぁ、無理だろうけどね。

 

 そう付け加えると、ダンブルドアは笑って「了解じゃよ」と言った。

 ぼくは肩を竦めて、紅茶のカップを再び手に取り、一気に煽る。

 

「……おや、その指輪」

 

 と、ダンブルドアがぼくの右手小指の指輪に目を留めた。あぁ、と呟いて、右手を広げる。

 

「とある奴からね、魔法契約の証として貰ったんです。あいつは、意外とアキ・ポッターを好いているみたい」

「ほぉ。君は奴のことを憎んではおらんのかの?」

「あいつのことは憎んでませんよ。学生時代で切り離されたあいつには、ぼくが恨みを抱く理由はない」

 

 それに、と思う。

 あいつも、ぼくと同じだ。

 

「いい指輪でしょう?」

「あぁ、その通り、いい指輪じゃ」

 

 ぼくは目を細めて、小指の指輪を見つめた。

 

「それと、あと一つ」

 

 ダンブルドアの言葉に、ぼくは目を瞠った。

 

「頼まれてはくれんか、秋」

 

 

 ◇ ◆ ◇

 

 

 気がつくと、既に夕方だった。校長室の大きな窓から、西日が差し込んでいる。

 ソファーから飛び起きると、ダンブルドアは「おぉ、起きたかの」と飄々と言った。

 

「……っ、あー、っつーことは……幣原だなー、幣原なんだなー……」

 

 頭はもう痛くない。がしかし、むしゃくしゃする。

 髪を解いて、思いっきり両手でかき混ぜた。それだけで、なんだかすっきりした。単純なのかもしれない、自分。

 

「教授と仲直りしろってやつ。あいつ、なんて言いました?」

 

 髪の毛を手早くまとめながらダンブルドアに尋ねると、ダンブルドアは笑って「セブルスとシリウスが握手したら考える、じゃとよ」と言った。

 

「あぁ、それはなかなか難しい」

「勝算はどのくらいじゃと思うかの?」

「うーん、そうだな。万に一つくらいは、あるんじゃないですか?」

 

 適当に答える。

 というか、そこまで嫌いかよ……一体何があれば、親友とそんなに仲違い出来るんだ。

 

「そう言えばの、アキ」

 

 ダンブルドアの言葉に振り返る。そんな出だしで始まった言葉に、ぼくは表情を凍らせた。

 

「君はその身体で恋愛をすることに対して、どう思っているかの?」

「……あいつが、何か言ったんですか」

 

 ダンブルドアに向き直る。

 

「さてのぅ。今はわしが質問している、君はそれに答えるべきじゃろう」

「……今この身体を主体に扱っているのはアキ(ぼく)だ、幣原じゃない。ぼくの意思でぼくの身体をどう扱おうが、幣原に何かを言われる謂れもない」

 

 様々なことが、脳裏を駆け巡る。

 自分が幣原と身体を共有していることに気がついたこと、幣原がぼくを『作った』こと。ぼくが見たもの聞いたものを、幣原秋は感じ取れるということ。リーマスの家に泊まったとき、魔法を使ったにも関わらず魔法省から手紙が来なかったこと。

 何も答えてくれない幣原秋。

 

 始業式、ホグワーツ特急にて、雨の中アクアに縋ったこと。

 

 

『ぼくは、君を好きでいていいの?』

 

 

「…………っ」

 

 思い出した。あの日、自分がアクアに何を口走ったのか。

 激情の最中、理性を放り投げて叫んだあの言葉を。

 

 血の気が引いた。

 

「……失礼します」

 

 ローブを翻し、足早に校長室を出る。

 ダンブルドアは、何も言って来なかった。

 

 

 ◇ ◆ ◇

 

 

「……はぁ」

 

 頭がくらくらする。精神的な疲れだろう。廊下の窓辺に腰掛け、息をついた。

 土曜だからか、普段は生徒で溢れかえる廊下も閑散としている。まだ、ホグズミードへ行った生徒は帰ってきていないようだ。ホグワーツ特急の姿が、見当たらない。

 

「……どうなん、だろうねぇ」

 

 ぼくが生まれてきた理由。ぼくの存在意義。

 ぼくはただ、幣原秋がハリー・ポッターを守るそのために、ハリーに近しくいつも一緒にいられるように、ハリーの双子の弟として作られた存在だ。

 

『……本当にそれだけだと思っておるのか?』

 

 それだけじゃないのだとすると、一体何なんだろう。分からない。

「自分」という確固とした核が、曖昧だ。酷く揺らいで、危なっかしい。

 

 窓から外を見た。西の太陽はもう沈もうとしていて、東は群青色に染められている。

 青系統の色を見ていて落ち着くのは、ぼくがレイブンクロー生だからだろう。

 

 廊下を歩く足音が聞こえ、ふと目を遣った。思いもよらぬ人物に、驚いて目を見開く。

 

「……アクア」

 

 アクアもぼくの姿に気がついたようだ。目を瞠り、そして少し怒ったような表情でこちらに近付いてくる。そりゃそうだ。

 窓の枠から立ち上がると、アクアに向かい直った。

 

「えっと……本当に今日は、ごめん。ホグズミードには行かなかったの……?」

「……アキと行くつもりだったから、アキがいなかったら意味がないじゃない」

「本当にごめん!」

 

 アクアは呆れた表情でぼくを見ていたが、険は少し取れたようだ。先ほどより雰囲気が柔らかい。

 

「……そんなに、私と行きたくなかったのかと」

「そ、そんな訳ないじゃん! ……あの、君さえ良ければ……」

 

 慌てて、胸の前で両手を振った。また次回のホグズミード休暇にでも、とそう言おうとしたとき、アクアの表情が凍ったことに気がついた。

 

 アクアは視線を一点に止めると、静かな声で尋ねた。

 

「……それ、誰からもらったの?」

「え?」

 

 間抜けな声を上げた瞬間、思い至った。右手の小指、リドルの指輪のことを指しているのだ。

 

「……あー、えっと……」

 

 ここでパッと「自分で買ったんだ」とか「ハリーに付けられて」とか、気の利いた――そしてアクアが求める――言葉を口に出来たらよかったのかもしれない。

 しかし残念なことに、アクアを前にしてそんな取り繕いがすぐさま出来るほど、ぼくは恋愛慣れをしていなかった。

 そして、どうしようもなく詰まった一瞬は、アクアの疑念を増すのには十分すぎる時間だった。

 

「……嘘つき」

 

 アクアのその言葉を即座に否定出来るほど、ぼくは清廉潔白な人物ではなかった。

 だってぼくは、今までたくさんの嘘をついてきたから。君や色んな人を、たくさんの嘘で誤魔化して、その場を凌いできたのだから。

 

 アクアにも、多くの嘘をついてきたのだから。

 

 アクアが駆け出していく。

 追いかけていけるほど、ぼくは厚顔無恥な人物ではなかった。

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