【完結】空の記憶   作:西条

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第13話 二つのセカイと邂逅と

 ぼくは、暇さえあれば最近は図書館で勉強するようになっていた。レイブンクローの談話室は、勉強家が多いレイブンクロー生らしく学習環境はとても整っているのだが、生憎と今のぼくにとっては居心地が悪い空間だ。今までは、それでも我慢して勉強していた。しかし、あまりにもぼくにちょっかいを出してくる奴らが多すぎて、勉強どころの話じゃない。

 

 そんなこんなで最近は、図書館の一番奥――禁書の棚のすぐ隣、ほとんど教師にしか利用されないようなコアな本ばかりが並ぶあたりの机が、ぼくのベストスポットだった。何より、人が滅多に入って来ないのがいい。

 

 ノートを開いて、使い慣れたシャープペンを走らせる。四人掛けの机だが、誰も来ないためありがたく一人で独占させてもらっている。目の前に課題の山を積み上げて、今日のノルマを自分に課す。ぼくの場合、普通なら三十分で済むような課題だって、言葉の問題で三時間は掛かってしまう。教科書に加え、参考資料に辞書や参考書を小脇に積み上げた。初めはこれらの本を探すのにも戸惑っていたが、それも随分と慣れた。一月も経てば、色んなものに慣れてくる。

 

「be worth……で、~する価値がある……cannot help ~ing……~しないではいられない……えっと、なら、He cannot help feeling anxious about his future――」

 

 

  ◇  ◆  ◇

 

 

 参考書片手に勉強している『彼』の姿を、遠くからじっと見つめる人物がいた。その人物は、意を決したように頷くと、拳を握って『彼』への一歩を踏み出す。

 

 二人の間の距離が縮まっていく。彼の像が、段々と大きくなっていく。しかし、本棚を四つ挟んだ場所に足を踏み入れたところで『彼』は顔を上げた。勘付かれた、と焦るも、もう遅い。

 

『彼』は荷物を纏めることなく、そのまま椅子から立ち上がった。近付いてきた相手が誰であるのかを確かめもせず、走り出す。慌てて『彼』を追うも、意外と足が早い『彼』は一瞬で視界から消えてしまった。

 

「あぁ、もう!」

 

 あとちょっとだったのに、と少女は――

 リリー・エバンズは歯噛みして、先程まであの少年、幣原秋が座っていた席を見、地団駄を踏んだ。

 

 それが、リリー・エバンズと幣原秋の『日常』だった。

 

 

  ◇  ◆  ◇

 

 

 完全に振り切ったことを確認して、ぼくは観葉植物の影でほうっとため息を吐いた。今回は一体誰だろう、と頭の片隅でちらりと考える。

 

 言葉の通じないぼくに、ちょっかいを掛けたがる奴は意外と多い。というわけで、もうあのような事故を起こしたくないぼくは、誰かの視線に勘付いた時点ですぐさま逃げるようにしていた。元々日本人というのは、人の視線に敏感なのだ。置いてきたぼくの私物に悪戯をされるのは少し困るが、しかしそれらの直し方も手馴れてきた。図書館の本には、さすがに奴らも悪さはしないだろう。怖い司書さんもいることだし。

 

 少し経ってから図書館に戻ろう、と心に決めると、ぼくは懐から参考書の一ページを取り出し、覚え始めた。

 

 

  ◇  ◆  ◇

 

 

「今からの授業、なんだったっけ?」

「魔法薬学だよ。急いで、アキ!」

 

 金曜日。僅かな休み時間は、皆が一度寮へ戻り荷物の整理をするため慌ただしい。大鍋に真鍮はかり、薬瓶を乱暴にバッグに詰めると、急いで魔法薬学の教室、地下牢へと向かった。ぼくと同室の友人、ウィル・ダークと共に、階段を駆け下りる。どうしてレイブンクローは塔の上にあるのだ、と、ロウェナ・レイブンクローを恨みたくもなってしまう。

 

「魔法薬学の教授なっ、目茶苦茶意地悪でっ、自分の寮の贔屓ばっかりだってっ、兄貴が言ってたっ!」

「あの教授がっ!? いやっ、あの人はそんなことしなかったっ、ようなっ、気がするんだけど!?」

「なんだっ、お前知り合いなのかっ!?」

 

 階段を二段飛ばしで駆け降りる。地下牢に近付くにつれ、段々と空気が冷たく鋭くなってくるのが肌で分かった。

 

「ホラス・スラグホーンでしょ!? 魔法薬学の教授って!」

「はぁ!? アキ、お前何年前の話してんだっ、そんなん俺らの親父の頃の時代だぞっ!」

 

 え、とぼくは驚いてウィルの顔を振り返った。途端、階段に足を取られ転びそうになる。

ひ、と青褪めるも、瞬時に後ろから首根っこを掴まれ、階段落ちは避けられた。

 

「前見ろ、バーカ」

「……ありがと、フィスナー」

 

 アリス・フィスナーは無表情でぼくの言葉を受け流すと、そのままぼくらを抜いて走って行った。……なんで一緒に行こうとしないんだろうか。人とつるむのが嫌いなのかもしれない。

 

「変な奴だよなぁ、フィスナーって」

 

 ウィルが、フィスナーの消えた方向を見ながら目を細める。ぼくとウィル、それにフィスナーと、あともう一人、レーン・スミック。この四人で一つの寝室を使っているのだが――フィスナーは相変わらず『近寄るな』オーラ全開で、友好的にしたいぼくらを徹底的に拒んでいる。仲良しこよしをしなくとも良いが、せめて寝室くらいは居心地の良い空間にしたいものだ。そのくらいの意は汲んで欲しい――なんて。

 

「変、かな?」

「あ、言い方悪かったな? 変な奴、じゃなくって、えっと……変わった奴?」

「それって、違いあんの?」

 

 苦笑しつつも時計を見る。授業開始まで後五分しかない。フィスナーについての話をそこで切り上げると、ぼくらは走り出した。

 

 ……あれ、そう言えば、結局魔法薬学の教授って誰なんだろう?

 

 

  ◇  ◆  ◇

 

 

 その疑問は、五分後に解消された。

 

 チャイムが鳴るギリギリに飛び込んできたぼくらを、感情の篭らない目でじろりと見据え「座りたまえ」と吐き捨てた『彼』を見て、ぼくはその場に動けなくなった。

 

 脂っこい黒髪に土気色の顔色。黒一色の服装に――そして、かすかに残る面影。

 

「……ぁ……」

 

 目を見開いて、唖然とぼくは彼を――セブルス・スネイプを見つめた。

 

「早く席に着きたまえ」

 

 対して彼、スネイプ教授は何ら表情を変えなかった。ウィルに引っ張られ、ようやく我に返る。慌ててスネイプ教授から目を逸らした。

 

「……あの先生、――何て名前なの?」

 

 スネイプ教授が出席を取っている間、ぼくは確認の意を込めてウィルに尋ねた。返ってきた答えは、実にシンプルなもので。

 

「ん? あぁ、セブルス・スネイプ教授。スリザリンの寮監だ」

 

 どういうことだ、

 どういうことだ!?

 

 疑問が次々と頭の中に浮かんでは弾ける。黙り込んだぼくをどう思ったのか、ウィルはぼくの背中を軽く叩き「まぁ、ちょっとくらい睨まれたところで気を落とすなよ」と励ました。ぼくはその誤解を訂正せず、ウィルに軽く頷いてみせる。

 

 なんで、どうして。

 どうして君がここにいるんだ!?

 

「……ポッター。聞こえているのかね、アキ・ポッター!!」

「……あっ、はいっ!」

 

 自分の名前が呼ばれていることに気がつかなかった。慌てて返事をしたぼくに、スネイプ教授はぼくを横目で睨みつけ、フンと鼻を鳴らす。

 

 出席を取り終わると、スネイプ教授はクラス全体を見渡した。

 

「このクラスでは、魔法薬調剤の微妙な科学と、厳密な芸術を学ぶ」

 

 静かな声が、教室中に響き渡る。

 

「このクラスでは杖を振り回すようなバカげたことはやらん。そこで、これでも魔法かと思う諸君が多いかもしれん。

 フツフツと沸く大釜、ユラユラと立ち昇る湯気、人の血管の中をはいめぐる液体の繊細な力、心を惑わせ、感覚を狂わせる魔力……諸君がこの見事さを真に理解するとは期待しておらん。我輩が教えるのは、名声を瓶詰めにし、栄光を醸造し、死にさえ蓋をする方法である――ただし、我輩がこれまでに教えてきたウスノロたちより諸君がまだましであればの話だがな」

 

 教室がシンと静まり返った。誰もが姿勢を正してスネイプ教授を注目している。その様子を確認したスネイプ教授は、唇の端を歪めて薄く笑った。

 

「なるほど、なるほど……諸君らは先程のクラスより少しはマシなようだ……まぁ、先程のクラスには、かの有名なハリー・ポッターがいたから仕方あるまい……」

 

 その嘲るような、揶揄するかのような態度に、ぼくは眉を顰めた。スネイプ教授は続ける。

 

「有名なだけではどうにもならん。諸君の中でもし彼に対して幻想を抱いている者は、すぐさまその考えを捨てるべきだ。彼は極々普通の子供であり、英雄なんぞただの虚像で、本質は愚鈍で鈍重で不勉強で怠慢な人間なのだということを……」

 

 思わず、机の下で拳を握り締めた。本気でスネイプ教授を睨む。おい、とぼくを心配げに見るウィルの声が遠い。

 

「自分が有名であることを鼻に掛け、学業を疎かにするような、そんな彼のような人間に諸君らがならないことを願っている……さて諸君、教科書の十三ページを開きたまえ……」

 

 立ち上がったぼくに、生徒全員の注目が一斉に集まった。座っていた椅子が反動で後ろに倒れ、大きな音を立てる。歯を食い縛り、スネイプ教授を睨んだ。

 

「ハリーを悪く言うなっ……!!」

「……ほほう、そういえばいたのでしたな、有名なハリー・ポッターに誰よりも近しい人間が」

「黙れ!!」

「貴様こそ口を慎みたまえ。ポッターの弟なだけはある、貴様も所詮は」

「自分の目の前で大切な人を貶されて口を慎める奴がいたら、そいつはただの人でなしだ!!」

 

 微かに、スネイプ教授の瞳の光が揺らいだ気がした。しかし気のせいだったようで、瞬きをした次の瞬間にはその光は消え、虚ろな無表情に戻る。

 

「何度も言ったはずだ。口を慎め。レイブンクロー五点減点、罰則だ。今年入った一年の中では一番だろう……教科書十三ページを開け。今日はおできを治す薬を作る……各自ノートに書き取れ。書いた者から作り始めろ」

 

 ぼくは憮然とした表情のまま、倒れた椅子を起こすと乱暴に座った。指定されたページを開き羽根ペンを握る。

 

 魔法薬学の教授がセブルス・スネイプであるということを忘れるくらいに、ぼくの頭の中はスネイプ教授への怒りで一杯だった。

 

 

  ◇  ◆  ◇

 

 

 夕食後、午後七時五十分。ぼくは冷たい地下牢へ通じる階段を一人で降りていた。カツン、カツンと、石畳に靴音が反響する。

 

「…………」

 

 やがて、スネイプ教授の研究室の前で足を止めた。中からは、微かに光が漏れ出している。ぼくは大きく深呼吸をしてから、扉をノックし、ドアノブを引いた。

 

「……アキ・ポッターです」

「入れ」

 

 冷たい声だった。ぼくは無言で中に入ると、後ろ手にドアを閉める。

 

 本と魔法薬が、壁の棚にずらりと並んでいる部屋だった。元来几帳面な性格なのだろう、床にはチリ一つ落ちていない。机の前で書き物をしていたスネイプ教授は、立ち上がるとぼくにゆらりと近付いた。

 

「何故今日ここに呼ばれたか、分かっているだろうな」

「…………」

 

 スネイプ教授の無表情な瞳が、真っ直ぐにぼくを見据える。負けじとぼくも見返した。教授の瞳の中に、自分の姿が映っている。ぼくからほんの五十センチばかり離れたところで、教授は立ち止まった。その近さに思わずたじろぎかけ、その気持ちを覆い隠すように、教授をきっと睨みつける。

 

 教授はゆらりと右手を伸ばした。緩慢な動作からは想像が付かないほど素早い動きで、ぼくの胸倉を掴み、壁にぎりぎりと押し付ける。衝撃と困惑で、思わず頭が真っ白になった。

 

 スネイプ教授はぼくに顔を近付ける。さっきまでの無表情な瞳とは打って変わった、憎しみなのか悲しみなのか嬉しさなのか分からないが、とにかく色んな感情が入り混じった瞳で、

 

「どういうことだっ……説明しろ、幣原秋!!」

「なっ……」

 

 言われたことに対する理解が追い付かない。混乱する頭を差し置いて、身体が勝手に動いた。左手をローブに突っ込み、杖を握り締め、

 

「――――!」

 

 パァンッ、という鋭い鞭のような音が響き、スネイプ教授はぼくの胸倉から手を離した。赤く、鞭で打たれたようにみみず腫れがのたくっている右手を押さえて、その激しい瞳でぼくを睨みつけた。しかし、その口元には壮絶な笑みが浮かんでいる。

 

 まるで、永く焦がれていたものをやっと手に入れたような、そんな狂気じみた。

 

 背筋に寒気が走った。

 

「なるほどなるほど……盾の呪文を無言呪文でとは……相変わらず健在らしいな、秋。しかし解せぬ、何故ポッターなどと、あいつの苗字を名乗っている!?」

「……っ、ぼくはっ、幣原秋じゃないっ……!! アキ・ポッターだ!!」

「違う!! 貴様は……」

 

 そこで、スネイプ教授の言葉が止まる。目を伏せ黙り込むと、ぼくから数歩距離を取り、上から下まで眺めた。

 

「……まさか、ここまで似て別人なんて有り得るのか……!? いやでも、実際に退行が人体で成功した例は今まで報告されていないっ……」

 

 あぁ、もう、スネイプ教授が一体何をしゃべってるのか分からない。

 でも、一つだけ確信した。

 それは、今までのぼくの価値観を全てひっくり返すようなもの。

 

 幣原秋の記憶に出て来る『セブルス・スネイプ』と、この『スネイプ教授』は同一人物であるということ。

 

 つまり。

 幣原秋はぼくの夢の中だけの住人じゃなく、ちゃんと実体の伴った生身の人間であるということ。

 

 思わず。

 簡単に信じることが出来ない真実を目の前に突き付けられたぼくは、叫んでいた。

 

 ずっと言いたかったことを。

 

「……じゃあっ、何でアイツを……」

 

 同じ世界の住人だったというのなら、

 幣原秋を知っているのなら、

 ぼくがどれだけ願っても届かないあの世界にいたというのなら、

 

 なんで、

 他人に避けられ、

 聞こえる陰口に涙を堪えて、

 ボロボロの心で必死に耐えて、

 笑顔を失ってしまった彼を、

 他人を傷つけることを自分が傷つくことよりも恐れて、

 自分から他人を避けて、

 それでも心の底から他人を望んでいるアイツを、

 

 

「なんで幣原秋を助けてくれなかったんだよ!!」

 

 

 ぼくの言葉に、スネイプ教授は目を見開いて立ち竦む。普段から血の気のない顔色は更に色を失い、瞳は信じられないものを見たような表情を浮かべて。

 

 痛いところを、ざっくりとナイフで抉られたように。

 

「……それならば、お前は一体誰だ」

 

 静かな言葉に、息を呑んだ。

 

「幣原秋と寸分違わぬ容姿、等しい声、同じ口調――そんなお前が幣原秋でないというのなら、それでは、お前は一体誰だ」

 

 そんな、ことを言われても。

 ぼくが、誰か――? ぼくは……ぼく、は……。

 

「……罰則は取り消す。寮へ戻りたまえ、アキ・ポッター」

 

 やがてスネイプ教授から出てきたのは、魔法薬学教師としての言葉だった。

 ぼくはのろのろと頭を下げると、部屋を出てレイブンクロー寮への道を戻り始めた。

 

 段々と。

 歩みが早くなっていき。

 最後には短距離走並みの速さで、廊下を駆け抜けて行った。

 

 脳裏に残る、スネイプ教授の最後の表情を振り払いながら。

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