【完結】空の記憶   作:西条

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第29話 第二の課題

 満月の夜、ベッドを抜け出して悪戯仕掛人らと一緒に校庭や禁じられた森を探索するのは、もう慣れたものだった。

 何よりもまず、動物と触れ合えるというのは思いの外楽しいものだ(たとえ元が人間だとしたって)。特にパッドフット。大型犬に変身するパッドフットは、真っ黒な毛並みがすごくふかふかで、犬になっても綺麗なんだなぁと惚れ惚れしちゃう。

 夜になると、ぼくなんかはすぐさま眠たくなってしまうんだけど、そんな眠気を押し殺しての夜の探索が、ぼくはすごく好きだった。校則を破る、っていうことに、ロマンを感じる年頃だったんだ。

 

 だから、思いもしなかった。

 こんなことになるなんて。

 

「やぁ、秋。今日はどこに行こうかね」

「君のお気に召すまま、どこへなりと、どうぞ?」

 

 途中でジェームズと出会って、ぼくらは一緒に『暴れ柳』へ向かった。しかしそこには、何よりも楽しそうな表情を浮かべるシリウスと、ものすごく不安げな顔のピーターがいた。

 何故だかすごく嫌な予感がしたのは、ジェームズも同じだったらしい。表情を真面目なものに変えると、静かにシリウスに「……どうしたんだ?」と尋ねた。

 

「遅いぞ相棒、それにレイブン。時はガリオンなり、だ」

「シリウス」

 

 鋭い声に、シリウスは目を瞠った。やがてバツが悪い顔をして、「ちょっとからかってやろうと思っただけさ……」と呟いた。

 

「何をした?」

「あー、その、スネイプに会ってな。リーマスがポンフリーと『暴れ柳』の方に行くのを見たらしい。だから、木の幹のコブを突つけば、後をつけて穴に入れるぞ、って――」

 

 その言葉を聞いた瞬間、ジェームズの顔色が変わった。ジェームズだけじゃない、ぼくも多分青褪めただろう。

 

「お、おい、ジェームズ、秋!?」

 

 シリウスの声を背後に、ぼくらは駆け出していた。

 ジェームズが、走りながらも地面の石をぼくの目の前に放る。ぼくはその石に左手を翳すと、『暴れ柳』に向けた。狙い違わず、その石はコブに当たり、『暴れ柳』は動きを止めた。

 今だ、とぼくらは木の根元に開いた大きな隙間に身を滑り込ませる。

 

「ルーモス!」

 

 それぞれが杖に明かりを灯して、リーマスのいる『叫びの屋敷』へと駆け出した。

 どうか、どうか間に合ってくれ。

 

「っ、セブルス!!」

 

 ぼくの親友、セブルスは、背後から走ってきたぼくらの姿に驚いたように呆然と目を見開いた。

 

「な、んで、秋……」

 

 考えている暇はない。

 セブルスの腕を掴んで「戻って!」と叫んだが、セブルスはぎゅっと眉を寄せると首を振った。

 

「校則違反は見過ごせない。君もだ、秋。自分が何をしているのか分かっているのか?」

「今はそれどころじゃないんだよ!」

 

 どうして分からない。思わず歯噛みした。

 

「ごちゃごちゃうるさいな、走れ!!」

 

 ジェームズはセブルスの右袖のあたりをぐいと掴むと、脇目もふらず走り出した。

 何が起こっているのか分からず、セブルスがフリーズしている隙に、ぼくもセブルスの左手を掴むと、走った。

 

 背後から、何かが追ってくる音がする。

 ――何か、なんて。そんな言葉で誤魔化せはしない。ムーニーだ――人狼が、人間を知覚して、追ってくる。

 

 ムーニーに噛まれるわけにはいかない。

 ぼくらを人狼にしたら、リーマスは心の底から後悔するだろう。どれだけ嘆き悲しむだろう。

 

 リーマスの心の闇は、深く、そして暗い。

 誰も寄り添えないほどに。

 

 リーマスは、自分自身を絶対に許さないだろう。

 ぼくらがどんな言葉を尽くしたところで、リーマスは世界で一番、自分自身のことを嫌いになってしまうだろう。

 

 そんなこと――絶対にさせない。

 

「インペディメンタ!」

 

 パッと背後に向かって妨害呪文を唱え、再び走る。

 本心では、このトンネルを爆破したいくらいだが、そうもいくまい。リーマスが卒業するまで、この道は使われ続けるのだから。

 

 上り坂を、ジェームズが先頭で駆け上がった。セブルスを押し出す。ジェームズがぼくに手を差し伸べた。その手を取ると、一瞬で引っ張りあげられる。

 

「秋!」

「分かってる!」

 

 慌てて、暴れ柳の入り口を塞いだ。

 小枝、石、なんでも構わない、そこらにあるものは全て使う。

 

 ドシン、と、塞がれた入り口が軋んだ。体当たりしているのだ。

 今のリーマスに、理性は存在しない。あるのはただ、人狼としての本能だけ。

 

 壊れないように、厳重に。幾重にも瓦礫や石を積み上げたところで、体当たりする音が止んだ。

 ほぅ、とぼくは安堵に肩を落とすと、その場にへなへなと座り込んだ。

 

 セブルスは呆然とした表情で、腰を抜かしていた。

 そんなセブルスに、険しい表情でジェームズは歩み寄る。

 

「お前……っ、ふざけるなよ」

 

 ジェームズは、静かに怒っていた。

 

「死ぬところだったんだぞ!? 分かっているのか!!」

 

 ビクリ、とセブルスの肩が震えた。

 

 セブルスへの説教はジェームズに任せよう、と、ぼくはシリウスとピーターに目を向けた。

 二人は気まずげに立っていたが、ぼくの視線に気付くと殊更にバツの悪そうな顔をする。

 

「どうしてぼくらが怒っているか、分からないわけじゃないだろう?」

「わ、悪かったって……」

「悪かったで済んで良かったと思いな」

 

 う、とシリウスは言葉を詰まらせた。その隣のピーターに目を向ける。

 

「君もだ、ピーター。シリウスの今回の悪戯が度を過ぎていると、気付いていたのなら止めるべきだった。それでも君は友達か」

 

 ピーターが大きく身震いをした。

 俯いて、絞り出すように「……ごめんなさい……っ」と呟き、涙を零す。

 

「……リーマスがどれほど悲しむと思う? ……少しは気付けよ、馬鹿野郎」

 

 そう言い残して、ぼくは二人の前を去った。

 セブルスの前、ジェームズの隣に並ぶと、座り込んだセブルスと目線を合わせるようにしゃがみ込む。

 

「怪我はない? 大丈夫だった?」

「……っ、あぁ……」

 

 頬に切り傷がある。それを指摘すると、セブルスは思い出したように手を頬に当てた。

 

「……そう言えば、『暴れ柳』で、避けきれずに」

 

 杖をそっと当てると、傷はみるみるうちに塞がっていく。

 その様子を、セブルスは目を瞠って見つめていた。

 

「……傷はさ、癒すことが出来る傷と、癒すことが出来ない傷がある。……君は、癒すことが出来ない傷を、自分とリーマスに負わせるところだったんだ。忘れないで」

 

 セブルスの瞳が、揺れた。

 ぼくは「無事でよかった」と、にっこりと微笑んだ。

 

 

 ◇ ◆ ◇

 

 

『幣原秋は、死にたがっている』

 

 そのことは、ぼくの腹まですとんと落ちてきた。

 有り体に言えば、納得した。

 

 幣原秋には、死に損ないという言葉がはっきりと似合う――本当は死んでいるはずなのに、何故か生きている。

 死にたかったのに、今もまだ死にたいのに、今まで生きて、生き延びてしまった。

 

 ぼくは、その願いを叶えてあげるべきなのかもしれない。

 

 ……最近、眠りが浅い。眠りに就いても、二時間おきくらいに飛び起きてしまう。

 

 おそらくぼくは、怖いのだ。

 

 眠っている間に――ぼくの意識がないときに、幣原秋が出てきて、ふらりと死んでしまうんじゃないかと、そんなことを、何度も何度も考えてしまう。

 飛び起きて、周囲が空しか見えない高い塔の屋上ではなく、自分のベッドだということに、心の底から安堵し胸を撫で下ろす。

 

 幣原秋がなんと思おうと、ぼくは――死にたくない。

 

 まだぼくは、この世界で、生きていたいよ。

 

 たとえそれが、幣原秋にとってはこの上もない苦痛なのだと、分かっていたとしても。

 

 

 ◇ ◆ ◇

 

 

 第二の課題は、「湖の底にいる、選手たちが奪われたものを取り返す」というものだった。

 バグマンがその言葉を観客席に向かって放ったとき、驚いたようにアリスはぼくを見た。

 

「驚きだな、そんなお題なら、お前の兄貴はお前を湖に沈めたがると思うんだが」

「ハリーが選んだ訳じゃない。選ぶのはお偉方さ。ぼくは選ばれなかった、それだけだよ」

 

 そう言って、ぼくは座席にゆったりともたれかかった。

 アリスはまだ納得いかない表情で首を傾げていたが、考えても詮無いと思ったのだろう、やがてモニターを観戦する姿勢に入る。

 

 お偉方――とは言ったが、選んだのは恐らくはダンブルドアだ。

 そして、ダンブルドアは間違いなく、ぼくを選びはしない。

 

 観客席には、どこに座っていても見えるよう、正面、そして左右に、どでかいモニターが浮遊していた。モニターそれぞれが四分割されていて、代表選手が映し出されているのが見える。一体どこから撮影しているのだろう、代表選手が、カメラに気付く気配はない。

 

 既に、代表選手は全員が全員、湖に潜っていた。フラーとセドリックは『泡頭呪文』を、クラムは頭をサメに変身させて、今回の競技に臨んでいた。そしてハリーは――鰓昆布を。

 

 決まった、と思った。間違いない。これは、ハリーが自分で考え出せるものではない。ロンも、ハーマイオニーがいくら学年一賢くても、これを思いつきはしないだろう。

 後は、ハリーが無事に帰ってきた後――鰓昆布の効果は一時間だ、十分に保つだろう――この策をハリーに入れ知恵した人物について聞き出せばいい。

 その人物こそが、ハリーの名前をゴブレットに入れ、ハリーを陥れようとした人物だ。

 

 と、そこで水中から赤い火花が上がった。瞬時に観客席がざわめく。モニターを見ると、フラーが三体の水魔に襲われている。どうやら堪らず救援信号を上げたようだ。

 救助要員として待機していた者たちが、予測の範囲内とも言うように、流れる動作で湖に飛び込んでいく。やがてフラーが岸辺に辿り着いた。

 

 驚くべきことに、フラーは号泣していた。再び湖に飛び込もうとするのを、毛布を抱えた看護師が数人がかりで取り押さえている。

 

「ガブリエール! わたしのガブリエルが、まだ湖に!!」

 

 半狂乱で叫ぶフラーは、愛する妹が自らの棄権によって湖の底に取り残されることに、酷い恐怖を感じているようだった。普段人の目をあれほど意識している彼女が、人目も憚らず泣きわめく姿に、驚いている人も少なくない。

 しかしぼくには、フラーの気持ちが痛いほどよく分かった。ぼくがフラーの立場で、そして湖に沈められているのがハリーだったら、同じようになるのは容易に想像がついたから。

 

 まだざわめきが収まらない中、一番最初に戻ってきたのはセドリックだった。人質であったチョウを、しっかりと抱いている。ホグワーツの観客席から、大歓声が湧き上がった。

 チョウがゆっくりと目を開ける。それに感極まったように、セドリックはチョウを思いっきり抱きしめた。そのことに、大歓声は一オクターブまたテンションを上げ、「ヒューヒュー!」「見せつけやがって!」「幸せになれよクソ野郎!」「イケメンは滅べ!」「くたばれセドリック!」と言った暖かい野次も飛び交う。

 ぼくもにっこり笑顔で拍手を送ったが、ハリーがここにいなくてよかったと心から思った。

 

 もう、制限時間の一時間が終わった。一番早かったセドリックですらも一分の遅れだ。

 ハリーとクラムは、まだ帰ってこない。モニターを見るも、モニターの効果は制限時間の一時間で切れてしまうようで、画面は暗転していた。なんて使えないやつだ。

 

 次に現れたのは、クラムだった。ハーマイオニーを連れている。

 ハーマイオニーはやがて目を開けると、良かったと微笑むクラムに一瞥もくれず、周囲を見回した。そしてハリーが制限時間を大きく過ぎてもまだ戻っていないと知ると、悲嘆に暮れた表情のまま座り込む。クラムが心配そうにあれこれ話しかけているようだが、ハーマイオニーは全く反応しない。……段々クラムが可哀想になってきた。

 

 観客も、ハリーの安否について心配し始める。ざわざわと、不穏なざわめきが周囲に広がっていく。

 

 ――ハリー、一体何をやっているんだ。

 

 鰓昆布なら、呪文のように間違いはそう起きない。教科書通りの効果を発揮したはずだ。

 だが、こんなに時間が経ってしまったなら、もう効果は切れているだろう――そして、ハリーは、ハリーとぼくは、泳ぎの訓練を一度も受けていない。バーノンおじさん、ペチュニアおばさんは、いつかぼくらが溺れ死んでしまえばいいと願ったのだろう。その願いは、皮肉にもこんなところで叶ってしまうかもしれない。

 

 立ち上がりかけたぼくの腕を、誰かが掴んだ。アリスだった。

 

「座って見ていろ。お前がどうこう出来る時じゃない……最近のお前はどうも危なっかしい」

 

 アリスは静かにぼくを見た。穏やかな碧の瞳が、しっかりとぼくを見据えている。

 ぼくは身体の力を抜くと、再び座席に腰掛けた。

 

 祈るように、両手の指を組み合わせる。

 ぼくはただ、じっと祈った。

 

 歓声が轟いたのに、慌てて顔を上げた。ハリーが帰ってきたのだ。

 生きている。ちゃんと、生きている。

 

 ぼくが観客席を飛び降りるのを、今度はアリスは止めはしなかった。

 観客席から選手のいる場所に行こうとするぼくの前に、慌てたように何人かの教師が立ち塞がる。しかし教師陣の前にダンブルドアが進み出て、ハリーらのいる方向を右手で指した。

 目を見張って、「……ありがとう」と呟き、ダンブルドアの指した方へと駆け寄った。

 

 ハリーの周囲には、人質のロンとハーマイオニー、それにパーシーと、フラーの妹のガブリエル、そしてガブリエルを抱きしめおいおい泣くフラーの姿があった。ハーマイオニーの後ろには、どんな表情をしていいのかよく分からない、と言った顔のクラムの姿も。パーシーは、弟のロンが心配でならないようで、甲斐甲斐しくも身体は無事か何ともないか本当に大丈夫かという質問を矢継ぎ早に繰り出している。ロンはそれにうんざりしているようだった。まさしく、兄の心弟知らず、といったところだ。

 

 ハリーはまさしく疲労困憊といった面持ちでその場にへたり込んでいたが、ぼくの姿を見てにやりと笑うと親指をぐっと突き出してきた。

 胸が突かれる。無理矢理ぼくもにやっと笑うと、ハリーをぎゅっと抱きしめた。

 

「濡れちゃうよ、アキ」

「そんなの構わないよ」

 

 無事に戻ってきてくれて、本当に良かった。

 

 そう囁くと、ハリーは「心配かけてごめんね、アキ」と言い、ぼくの頭を撫でた。

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