【完結】空の記憶   作:西条

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第32話 伏せる瞳に映るもの

 ふくろう試験が、もうすぐそこまで迫ってきていた。

 先生方は誰もがピリピリしていて、ぼくらは望む望まないに関わらず、試験勉強に急き立てられた。毎日どっさり出る課題に、復習ばかりの授業内容。

 

 なんとも勉強に身が入らずに、久しぶりに悪戯仕掛人の小部屋に足を踏み入れると、そこにはジェームズが一人でいた。丸いテーブル中に羊皮紙を広げている。

 ジェームズはぼくに気がつくと、目を輝かせて「やぁ、秋」と言って微笑んだ。

 

「何をしてるの?」

「見て分からない? 『忍びの地図』さ」

「さっすが、学年主席様は余裕でいらっしゃる」

 

 肩を竦めると、「まぁね」とさらりと流された。まるで、自分が二年後に主席のバッジを受け取ることを微塵も疑っていないようだ。

 ……そうだろうなぁ。

 

「そういう秋も、暇そうだけど」

「なんか、やる気が起きなくって」

「へぇ、秋もそういう時あるんだ。意外」

「ぼくをどういう奴だと思ってるのさ……君とは違う、極めて普通の生徒だよ」

「謙遜が過ぎると嫌味にもなるって知っていた? 秋。それも、日本人の特性なのかな」

 

 ぼくは口を噤んだ。

 

「気に障ったのなら謝るよ。ごめんね?」

「……いや、いいよ。色んな人から、そんなことを言われるんだ、最近。でもぼくはさ、自分をそんな凄い人間だなんて全く思えないんだ。ぼくはただ、何となく、それなりに一生懸命に日々を生きてきて……その結果、英語も上達したし、魔法も上手に使えるようになったし、元々勉強は好きだった。でも、それだけだ。ぼく自身は、何も変わっていない。それなのに……いきなり凄い凄いと持ち上げられても、困ってしまうよ」

「ふぅん……僕は、君を初めて見た時から、君はこの学校随一の天才だ、と思っていたよ。世辞でもおべっかでもないさ。僕がそんなのを友人に対して使うような奴だと思う?」

 

 思わない。

 思わないからこそ、ぼくは黙っていた。

 

「君の持つ才能は、人よりもずば抜けている。普通なら、飛び抜けた才能を持つ人は往々にして、性格が捻じ曲がるもんなんだけど……」

「ジェームズみたいに?」

「そう、僕みたいに」

 

 否定しないところが、ジェームズらしい。

 そう言うと、ジェームズは眼鏡の奥の目を楽しそうに細めた。

 

「僕は自分の能力を卑下しないよ、する必要がないからね。僕の成績やらクィディッチの腕前やらについてごちゃごちゃと御託を並べ立てる奴らは、僕の能力に妬み嫉んでいる奴らだ。僕が構う必要のない人間さ。君もいっそのこと、そう露悪的に振る舞うべきだ」

「……露悪的に、ね」

「そうさ。実のことを言うと僕は、君の才能が途中で、そういう凡人に叩き潰されてしまうんじゃないかと怖かった。凡人は傑出した人間を嫌うからね。お手て繋いで徒競走、やったね皆一等賞――驚くほどにくだらない。才能は生かして伸ばすべきだ。叩き潰すなんて言語道断、人類の損失にも値する。君の力は誇るべきものだ。素晴らしいものなんだよ、秋」

 

 ぼくはジェームズの隣の椅子を引くと、腰掛けた。

 背もたれに体重を預けると、両手を合わせる。

 

「……実はね、ジェームズ」

 

 思っていたより、穏やかな声が出た。

 

「ぼくの両親が死んだんだ――いや、殺されたんだ、ヴォルデモートに」

 

 ジェームズは少し黙った後「それはご愁傷様だったね」と涼やかな声で囁いた。

 その声は穏やかで、胸に刺さる憐憫の色が見えず、ぼくは素直に受け取ることが出来た。

 

「ぼくの才能のせいで――ぼくの持つ、この力のせいで、ぼくの両親は死んでしまった。……ぼくはこの力が憎いよ。この力が、ぼくが、大好きな父さんと母さんを殺したんだ――」

「それは違うよ」

 

 ジェームズの声は、あくまでも静かだった。

 

「秋。間違えちゃいけない。君のご両親を殺したのは君じゃない、ヴォルデモートだ。君の力の有無が原因じゃない。……履き違えるなよ、幣原秋」

 

 にっこりと、ジェームズは微笑んだ。

 

「恨む対象を間違えるなよ、秋。君の敵は自分じゃない。君の敵は、あいつだ」

 

 眼鏡の奥の瞳を、密やかに煌めかせ。

 ジェームズは言葉を紡いだ。

 

 

「ヴォルデモートだ」

 

 

 ◇ ◆ ◇

 

 

 この前の『週刊魔女』で、ハーマイオニーはハリーファンのマダムたちの御不興を買ってしまったらしい。あれからハーマイオニーの元に呪いやらなんやらが送られてくるのに、ハリーは大憤慨していた。

 もちろんぼくも、ハーマイオニーがそんなことをされているのを黙ってみていられるほどお人好しな性格をしていない。『呪い返し』のやり方を教えると、さすがハーマイオニーさんは飲み込みが早かった。最初の方は何通か開いてダメージを負ったそうだが、その後は次から次へと『呪い返し』を軽快にかけていく。

 ……ハーマイオニーには、ぼくが教えた『呪い返し』の呪文が、本来の『呪い返し』よりも数倍の強さで相手に返るものだということを黙っておくことにした。

 人を呪わば穴二つ。安易に他人を呪うなんてしちゃいけないし、そういうことをした以上、自分に返ってくることは忘れたらダメだ。

 

 一方、ぼくのところはというと、ハーマイオニーとは一転して、何の音沙汰もない、というのが正直な反応だった。

 しかし、何の反応もないということが、必ずしも誰も見ていないということにならないんだと、アクアに厳しく釘を刺されてしまった。むしろ、誰もがその記事の正誤を疑っているからこそ――真剣にその記事を読んだからこそ、今のこの無反応なのだろう、と。

 ぼくも、その意見には賛成だった。

 

 いつの間にか冬が終わり、春がやって来ていた。

 あれだけうず高く積もっていた雪はすっかり溶け、禁じられた森も鮮やかな緑が垣間見える。コートはもう既にクローゼットの中だし、ローブも最近はあまり着ていない。もっぱらセーターを一枚羽織ったのみで、最近は生活している。

 

 三大魔法学校対抗試合の第三の課題は、いつの間にか来月に迫っていた。

 

 ぼくはまだ、ハリーの名前をゴブレットに入れた相手を見つけられずにいる。

 

 

 ◇ ◆ ◇

 

 

 五月最後の週、僕、ハリー・ポッターは、夜にクィディッチ競技場へと足を向けていた。

 クィディッチ競技場を一目見た瞬間、僕はここが第三の課題の舞台になるのだということが分かった。腰くらいまでの生垣が、クィディッチ競技場をうねうねと張っている。

 僕とセドリックが分かりやすく不満の表情をしていたのか、バグマンは「課題が終われば元通りにして返すよ!」とにっこり笑いかけてくる。その言葉に、僕らは揃って胸を撫で下ろした。

 

 第三の課題は、障害物のある迷路を抜ける、というものだという。しかし、その障害物はマグルの運動会でよくあるような障害物競争とは訳が違う。

 ハグリッドが生き物を置いたり、呪いが掛かっていたり……ハグリッドの生き物だって? そりゃあ名案だ、一体誰が考えたのだろう? 

 

 クラムが僕と少し話がしたい、ということだったので、全体での話が終わった後、僕はクラムに連れられて『禁じられた森』へとやって来ていた。

 

 クラムは、僕とハーマイオニーの関係について気にしているようだ。僕が「僕とハーマイオニーは友達だ、それ以上のことは何もない」と断じて、やっとクラムは晴れやかな年相応の表情をした。そして、僕の箒の腕を褒めてくれた。

 

 クラムとこうして穏やかに話をしているなんて、クィディッチ・ワールドカップで貴賓席に座って観戦していたときには想像もしていなかった。

 今、僕が対抗試合の選手として選ばれていて、そして何とか生き残っている、ということも。

 

 何もかも、予想外なことばかりだ。僕は渦中にいるはずなのに、何だか置いていかれているような気がしてならない。

 アキが、今までより僕と距離を取っているからだろうか。アキが、一体何をしようとしているのか。本人に聞いたが、アキは苦しそうな顔で何も答えてくれなかった。ただ「信じてほしい」と繰り返す。そんなアキを見たくはなかった。

 

 僕を守ろうとしてくれている。それは分かってる。でも、僕は――。

 

 手首に嵌まる、銀のブレスレット。

 

『ぼくの代わりに、君を守ってくれる。だから、安心して、ハリー』

 

 アキの言葉を、思い出した。

 アキはいつでも、ぼくを守ることに必死で、一生懸命だった。

 

 アキは強い。確かに、強い。

 でも、そんなアキは、随分と脆く、儚く見える。

 僕の前から消え失せてしまいそうな、そんな危うさがある。

 

 一体いつからなのか――それは、分かりきっていた。幣原秋が、『叫びの屋敷』で僕らの前に姿を現したときからだ。

 今までも、幣原秋に縛られがちだったアキは、あの日を境に幣原にがんじがらめになっている。

 

 まるで、呪いのようだ。

 そう思った。

 

 森の中で、幽鬼のようにふらつきぶつぶつと取り留めのないことばかりを呟くクラウチさんを見つけた僕とクラムは、ひとまずクラムにクラウチさんを見てもらうことにし、そして僕はダンブルドアを呼びに、城へと走った。

 

 クラウチさんは、明らかにおかしくなっていた。何年も前に亡くなった息子さんや奥さんのことを、パーシーに対して嬉しげに話すのだ。

 

 急いで階段を駆け上がる。勢いそのままに角を曲がった瞬間、誰かとぶつかりそうになった。

 わぁっと慌てて避けると、「ごめんなさい!」と謝り、そして目を見開いた。

 

 アキだった。驚いたように目を瞬かせている。

 丁度いい、アキの腕をぐいっと掴み「着いてきて!」と叫ぶと、アキは「何!?」と素っ頓狂な声を上げながらも、僕の走る速さに合わせて走り出した。

 

「クラウチ氏が、今禁じられた森にいるんだ! よく分からないことばっかり言ってて、僕のことも分かってないみたいだった。早く、ダンブルドアに知らせないと」

 

 そう言うと、アキは息を呑み、そして黙って走る速度を上げた。

 

 やがて、校長室の前に辿り着いた。ガーゴイルの石像に対して「レモン・キャンディー!」と合言葉を唱えるが、ガーゴイル像は動かない。

 アキを振り返ると、アキは眉を寄せて「……合言葉が変わったのかも。職員室に行ってみよう」と呟く。

 それに頷いて、僕たちは走り出し――

 

「ポッター!」

 

 名前を呼ばれ、立ち止まった。振り返ると、スネイプがガーゴイルの裏の隠れ階段から姿を現したところだった。

 

「ここで何をしているのだ? ポッター」

 

 スネイプは、アキに一瞥もくれず、僕だけを見てそう言った。

 

「ダンブルドア先生にお目にかからないと……クラウチさんです、たった今現れたんです……禁じられた森にいます……クラウチさんの頼みで――」

「寝ぼけたことを! 何の話だ?」

 

 僕の言葉をにべもなく突っぱね、スネイプは言った。僕はたまらず叫ぶ。

 

「クラウチさんです! 魔法省の、あの人は病気か何かです――禁じられた森にいます。ダンブルドア先生に会いたがっています! 教えてください、そこの合言葉を――」

「校長は忙しいのだ、ポッター」

 

 スネイプの表情が意地悪く歪んだ。僕が困ることが、心底楽しいのだ。僕は気が焦れた。

 

 そのとき、アキがぼくの手を振りほどいた。スネイプに一歩進み出る。

 

「セブルス」

 

 そう言うが早いか、アキは険しい表情で、少し背伸びをすると手を伸ばし、スネイプの襟を掴んだ。スネイプの目が驚いたように見開かれる。

 スネイプは、やっとアキを見つめた。

 アキは低い声で呟く。

 

「早くしなよ。ぼくらが遊びでこんなことやってると思う? お前の目の前にいるのはハリーだ、ジェームズじゃない。そんなつまんないこと、ハリーはしないよ」

「…………っ」

「ダンブルドアの部屋の合言葉くらい、言えるでしょ? ……早く」

 

 アキは目を細めて舌打ちした。

 しかしスネイプが口を開くより、ダンブルドアが降りてくる方が早かった。アキはスネイプから手を離すと、スネイプから視線を逸らす。

 アキの様子も気になったが、今はダンブルドアに状況を説明する方が先だ。ダンブルドアの前に進み出て端的に言うと、ダンブルドアはすぐさま「案内するのじゃ」と言った。

 

「クラウチ氏は何と言ったのかね?」

「先生に警告したいと……酷いことをやってきたとも言いました……息子さんのことも……それに、バーサ・ジョーキンズのこと……ヴォルデモートのこと、ヴォルデモートが強力になってきているとか……」

 

 やがて、禁じられた森へと辿り着いた。しかし、先ほどまでクラウチさんがいたあたりには、誰の姿も認められない。

 ダンブルドアは杖に光を灯し、あたりを見回した。そして、二本の足の上で光が止まった。

 

 僕らは慌てて駆け寄った。クラムは大の字になって倒れていて、クラウチ氏の姿は見当たらない。

 アキは杖に光を灯したまま、ぱっとその場から駆け出したが、少しして戻ってくると「……この辺りにはいないみたいだ」と言って首を振った。

 

「リナベイト!」

 

 ダンブルドアがクラムに呪文を掛けると、クラムはぼんやりと目を開けた。

 起き上がろうとする彼を押しとどめる。

 

「あいつがヴぉくを襲った! あの狂った男がヴぉくを、後ろから!」

「しばらくじっと横になっているがよい」

 

 ダンブルドアはそう言った。

 まもなく、ハグリッドがファングを従えやってくる。ダンブルドアはハグリッドに「カルカロフ校長を呼んできてくれんか、そしてムーディ先生に警告を」と言付けたが、「それには及ばん」との声が降ってきた。ムーディだ。いつの間に、こちらに来ていたのか。

 ムーディは忌々しげに舌打ちした。

 

「この足め、もっと早く来れたものを――何事だ? スネイプが、クラウチがどうのとかと言っていたが――」

 

 ムーディの魔法の目が、じろりとアキを見つめた。アキは眉を寄せ、魔法の目を睨みつける。

 

「バーティ・クラウチがどこに行ったか分からんのじゃが、しかし、何としても探し出すことが大事じゃ」

 

 ダンブルドアの言葉に、ムーディは「承知した」と頷いた。そして杖を構え直し、僕らに背を向け歩いていこうとする。

 しかしその後ろ姿に、アキが追い縋った。

 

「ぼくも行く」

 

 そう言って、アキはダンブルドアをじっと見る。

 君は行くな、ムーディ先生に任せろ、とてっきり言うと思ったが、ダンブルドアは想像よりもあっさりと「行ってくるがよい、気が済むまでの」と頷いた。

 アキはぼくに目もくれず、先を行くムーディの後を追って駆け出し、森の奥へと入ってしまった。

 

「……アキ」

 

 思わず呟いていた。ダンブルドアが静かに「心配かの?」と言葉を返す。

 

「……当たり前、じゃないですか」

 

 アキが心配で堪らない。

 

 いつもなら、僕が慌てていたり気が急いていたりするときも、アキは一人冷静だった。その大きな瞳は、いつも静かに状況を把握していた。

 それなのに、今年は違う。静かにたゆたっていたアキの瞳は、今、落ち着きがなく揺れている。

 

 昔は、アキはよく、夢の中の登場人物、『幣原秋』の話をしてくれた。優しい両親に、物珍しい日本の風景を、拙くも鮮やかに描写してくれた。

 にこにこと、アキは楽しそうに幣原秋のことを語っていた。そんなアキを見るのが、僕は何より好きだった。アキを笑顔にさせる幣原秋のことも、同じく好きだった。

 

 いつからだろう。アキが幣原秋の話を口にしなくなったのは。

 いつからだろう、アキの瞳に昏い影がよぎるようになったのは。

 

 今のアキが、幣原秋のせいでこうなったのならば。

 アキを急き立てているのが、幣原秋であるのならば。

 

 僕は幣原秋を、許さないだろう。

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