【完結】空の記憶   作:西条

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第34話 密かなる想いは巡り行く

 イースター休暇が終わると、寮監と進路指導の日程が組まれた。

 ふくろう試験の結果により、来年度以降、どの科目を履修するかが決まる。それにより、自分の将来の選択肢も自ずと狭まっていく。だからどの先生も、ふくろう試験が大事だと口酸っぱくして言うのだ。

 

「どうだった? リィフ」

 

 フリットウィック先生の教室から出てきたリィフにそう尋ねると、リィフは苦い顔をした。

 

「『モラトリアムに浸るのもそろそろ終わりにしましょうね』だってよ……さすが、よく見てらっしゃる」

「さすが、フリットウィック先生」

 

 よく生徒のことを見てるよ、本当。

 

「頑張れよ」とリィフに肩を叩かれ、ぼくは軽く頷くと、フリットウィック先生の部屋に入った。

 

「やぁ、秋くん。どうぞお掛けなさい」

 

 そう言うフリットウィック先生にお礼を言って、先生の机の正面のソファに腰掛ける。

 この部屋の中で、このソファだけが普通の大きさで、あとはどれも小さなサイズだから、まるでぼくが大きくなったかのように感じられた。まるで、小人の国に難破したガリバーの気分だ。

 

「この面接は、君の進路について話し合って、これからどの学科を継続するかを決めるためのものです。さて、秋くん。ホグワーツ卒業後、君は何がしたいですか?」

「えっと……」

 

 真っ先に浮かんだのは、エリス先輩から言われた『闇祓い』という職業だ。

 ぼくがそれについて口にすると、フリットウィック先生は少しだけ悲しそうな表情をした。

 

「……『闇祓い』ですか」

「えっと……いけませんか?」

「いえいえ、いけないということはありません。それが君の望みならば……」

 

 とフリットウィック先生は頭を振ると、机の上に積み上がっている大量の資料から、一冊の黒い小さな冊子を引っ張り出した。小さな丸眼鏡を押し上げつつ、冊子を開いて目を凝らす。

 

「闇祓いになるには、最優秀の成績が必要です。七年生での N.E.W.T.試験では、最低でも五科目はパスしなければいけませんし、それも『E』より下の成績は受け入れられません。しかもその後、性格・適性テストが闇祓いの方で行われます。昨年度の生徒は、優秀でした……うちの寮のエリス・レインウォーターくん、知っていますね? それに、グリフィンドールでもフランク・ロングボトムくん、アリス・プルウェットさんと、三人もの卒業生が合格しています。これは非常に珍しい……一人も採用されない年もとても多いのです。それくらい狭き門ですよ、秋くん」

 

 こくり、とぼくは頷いた。

 

「『闇祓い』になるには、目下のところですと、ふくろう試験で『闇の魔術に対する防衛術』『変身術』『呪文学』『魔法薬学』は、特に良い成績を取らなければいけません。変身術の先生、マクゴナガル先生は、ふくろう試験で『E』以上の成績を収めた者にしか教えません……『呪文学』は、君に対して私から言うことは何もありませんね。君は優秀な生徒です」

 

 フリットウィック先生はにっこりと笑った。照れて、思わず小さく頭を下げる。

 

「君の成績だと『呪文学』『闇の魔術に対する防衛術』『変身術』は問題ないでしょう。後、残るは『魔法薬学』ですね。スラグホーン先生は『E』以上の生徒ならば受け入れてくださいます。精進しなさい」

「はい」

 

 魔法薬学か……そう得意じゃないんだよなぁ。よくリリーやセブルスからは「変なところで大雑把なのがいけないのよ」「最後まで目を離すな、全部終わってから気を抜け」と言われるし……あの二人にも教えを仰ごう。

 

「ところで秋くん」

「はい?」

 

 フリットウィック先生は、闇祓いの黒冊子を書類の一番上にバサッと置くと、ふと真剣な目でぼくを見つめた。

 

「教師、という道に興味はありませんか?」

「……教師、ですか?」

「はい。ホグワーツの先生という道です。生徒を教え育み、自らのやりたい研究に打ち込む――そんな道です。君なら、『呪文学』の優秀な教師になれるでしょう。優しい君なら、後輩を正しい道に導いてやることも出来るでしょう。君の才能は、教育、研究という道にこそ、最高のものを示すでしょう」

 

 才能。

 ぼくの、才能。

 

「……あまり、ピンと来ないっていうのが、正直な気持ちです」

 

 戸惑いながらも、ぼくはそんな言葉をフリットウィック先生に返した。胸の中に溢れる気持ちを、必死に言葉にする。

 

「ぼくは……両親を殺したヴォルデモートを恨んでます。『闇祓い』こそ、ヴォルデモートに一番近付ける……あいつを絶対に捕まえる、それが今、一番強いぼくの望みなんです」

 

 すいません、と、ぼくは眉を寄せて頭を下げた。

 フリットウィック先生は、しばらくぼくを悲しげに見つめていたが、やがて「……分かりました。でも……気が変わったらいつでも言ってくださいね」と微笑んだ。

 

「君の幸せを、私は心から、願っていますから」

 

 

 ◇ ◆ ◇

 

 

 ダンブルドアとその少年は、彼らの他に誰もいない校長室で向き合っていた。

 

 長い黒髪を、後ろで一つに括っている少年だった。幼くも整った顔立ちは、今は愕然と見開かれている。レイブンクローのネクタイを僅かに緩めた彼は、囁くように呟いた。

 

「……そういうことか」

 

 俯いた少年の髪を、どこからともなく吹く風が揺さぶった。彼は力が抜けたように、ストンとソファに座り込む。

 

「ハリーは、ハリーまでもが、あなたにとっては囮に過ぎないのか――ダンブルドア」

 

 彼の言葉に、ダンブルドアは口を開いた。

 

「そうは言っておらぬ。しかし、彼のみが、あやつを倒す唯一の存在なのじゃ」

「言葉が変わっただけじゃないか! あなたはハリーを、駒としてしか見ていない! そんな、そんなこと……」

「幣原秋よ」

 

 その言葉に、彼は動きを止めた。

 

「分かっておったことじゃろう? わしがお主に協力したあの時から、気付いておったことじゃろう? 君が見ようとしなかっただけじゃ。……過去に縛られておるのは、君もセブルスも同じじゃよ、秋」

 

 少年は、しばらく黙っていた。静かに指先を合わせ、自身の両手に目を向ける。しかしその双眸の焦点は、両手には合っていないことが一目で見てとれた。

 

「……だから、あなたはぼくに言ったんですね。『第三の課題のとき、幣原秋として、校長室にいろ』と。あなたは気付いていたんだ、あいつの正体に。あいつが、バーティミウス・クラウチ・ジュニアだということに。気付いていて、あなたは……っ」

 

 怒りに、彼の語尾が震える。眉を寄せ、歯を食い縛ると、彼は意識して呼吸を整えた。

 

「……ハリーが、可哀想だとは思わないんですか。ハリーは……、ハリーはあなたの道具じゃない……っ、何も知らないまま泳がされて! 死ぬかもしれない罠の中に、わざわざ突き落とすような真似を……っ」

「秋。わしはハリーに期待しておるのじゃ。彼の力をいかにして伸ばし、あやつに対抗させるかを。あやつを倒すためなら、わしは自分の命までも掛けてみせるじゃろう。ハリーも同じじゃ。あやつを倒すために、自分の命を利用する、それが一番の方法なのじゃ」

 

 少年は、怒りと葛藤に表情を歪めてダンブルドアを見た。苦々しげに口を開く。

 

「以前あなたは、ぼくの出身寮、レイブンクローになぞらえて、ぼくを批判しましたよね。『ロウェナ・レイブンクローの設立したレイブンクローの生徒は、事実ばかりを尊び過ぎることが欠点じゃ』――あなたにも、言いたい。ゴドリック・グリフィンドールの設立したグリフィンドールの生徒は、軽々しくも自分の命を投げ打つことを美徳とすることが欠点だ。死んでも、敵に一矢報いてやれたならば本望――ふざけるなよ」

「……そうじゃのう」

 

 ダンブルドアは、小さく頷いた。

 

「残念なことに、否定は出来ん。自らの力を見誤り、敵に突っ込んで死んでいくのは、グリフィンドール生の悪癖じゃ。強敵に立ち向かうのは素晴らしいが、しかし死んでは何もならぬ、そう言いたいのじゃな?」

 

 彼は、そう言うダンブルドアを強く睨みつけた。ダンブルドアはその視線を受け止め、受け流す。

 

「ハリーを見殺しにするのじゃ、幣原秋よ。それが得策じゃということくらい、君が理解するのは容易いことじゃろう」

 

 大きく舌打ちすると、少年は立ち上がった。振り返ることなく、大股で部屋から出ると、後ろ手に強くドアを閉める。バタン、とドアが軋んだ。

 

 少年が消えた先のドアを、ダンブルドアはじっと見つめていた。

 

 

 ◇ ◆ ◇

 

 

 いい加減にしろ、アルバス・ダンブルドア! 

 ぼくは怒りに任せつつ、階段を一段飛ばしで駆け下りていた。

 

『ハリーを見殺しにしろ』なんて――ジェームズとリリーの置き土産を、見殺しに、なんて。

 

「これでハリーが死んでみろ。狸爺、その日がお前の命日だ」

 

 ハリーが生きていることこそが、ぼくの生きる希望なのに。

 

「…………」

 

『ハリーを守ってくれ』。何人に、この言葉を掛けられただろう。そのたびに、ぼくは頷いてきた。

 その約束を守ることを、生きがいとして、生きる目的として――アキ・ポッターという人格を作り出し、そいつを現実世界に対面させ、代わりに引きこもることが、果たして生きていると言えるのかと問われれば、それは首を傾げざるを得ないのだが――それでも、ハリーがぼくの生きる目的だったことは間違いない。

 

 それを取り上げられたぼくに、生きている意味なんてあるのだろうか。

 

 本当に、ムーディの――クラウチ・ジュニアの言う通りだ。彼の言う通りというのは癪に触るが、しかし誠に、彼の言は説得力があった。

 

 ぼくの望みを見事に言い当てた彼に、ぼくは素直に両手を上げようじゃないか。

 

 人混みをすり抜ける。

 こうして、ホグワーツの中を歩くのは、随分と久しぶりだ。誰かと会話する目的以外で外に出たことがなかったから、景色も、普段ならうんざりするであろう人混みや、大勢の人の声も、随分と新鮮に思える。

 

 大きな窓からは、青空が広がっていた。初夏の濃い青色が、ずっと遠くまで広がっている。

 アキの目を通して、いつも見ていたはずなのに、自分の目で見た世界は、また感じる色彩が違って見える。

 

「アキじゃないか」

 

 名前を呼ばれて、反射的に振り返った。そして、振り返ったことを後悔する。

 

 セドリック・ディゴリーだ。にこやかな笑みで、ぼくに近付いてくる。

 参ったな、ぼくは今、幣原秋で、彼が知る快活で人懐っこいアキ・ポッターとはかけ離れた人格の持ち主だというのに。

 

「やぁ、セドリック。元気かい?」

 

 せめて、『アキ・ポッター』らしく、無邪気に笑顔を浮かべてみせた。人懐っこいこの少年は、人見知りのぼくから派生したのかを疑うくらい、交友関係が幅広い。ぼくだったら、他寮の上級生を呼び捨てになんて、絶対に出来ないもの。

 

「元気だと思う? 明日だよ、明日。第三の課題がある――気が滅入って仕方がないよ」

 

 セドリックは、話しながらぼくの隣に並ぶと歩き始めた。どうやら、まだ立ち話は続くらしい。ボロが出ないといいのだけど。

 

「君の兄の調子はどう? ……って言っても、ハリーの方が僕より度胸が据わってるからね。知ってる? 第三の課題。クィディッチ競技場が迷路になってるんだよ。驚いた驚いた……本当に元通りになるんだろうね? まぁ、僕は今年がホグワーツの最高学年だから、もうあのピッチで競技をすることは無いんだけど……願わくばもう一度だけ、あのピッチでハリーと一緒にスニッチを追いかけたいな」

「あぁ……そう言えば、ハリーとはあの試合から、一回も対戦してないんだっけ?」

「そうなんだよ!」

 

 セドリックは声を上げた。拳を振り上げ、憤慨する。

 

「あんなの、勝ったって言えない――『ハリー・ポッターに勝ったんだ!』って父は言うけど、あんな勝利、僕は認めない。あの試合での勝利なんて欲しくない。あんな形での勝利に意味はない。……だから、もう一度だけ」

 

 セドリックは、精悍なその顔に、年相応の笑みを浮かべた。

 

「ハリーと戦いたい。勝っても負けても、どっちだっていい……いや、今のは嘘。格好つけた」

 

 セドリックは、未来を語る。

 第三の課題が終わった、その後を。

 

「僕は、正々堂々とハリーに勝ちたい。勝っても負けても、なんて理想論だ。ハリーには、絶対に負けたくない。クィディッチ選手として、シーカーとして、絶対に」

 

 セドリックの瞳の奥は、澄んだ光が煌めいていた。

 セドリックは知らないのだ。この試合に、死の罠が掛けられていることに。

 

 この純朴で誠実な青年は、知らないのだ。

 ぼくとダンブルドアが、その罠をあえて見過ごそうとしていることに――

 

 怒りが湧いた。

 

 もし、ハリーよりも先に、誰かが優勝杯を掴んだとしたら? ハリーが死ぬ確率よりも、その者が死ぬ確率の方が圧倒的に高いのに。ヴォルデモートは、ハリーをさくっと殺してしまいはしないだろう。杖を取り、己と戦うことを望むだろう。ジェームズやリリーがそうだったように、そんな勇敢さを、息子にも望むだろう。

 

 しかし、ヴォルデモートは、ハリー以外の人物に対して、決して容赦しない。

 

「……ふざけるなよ」

 

 お前は、ハリー以外は、駒としてすらも見ちゃいないのか? 

 それとも、ぼくのこの想いすらも、お前の手の内だというのか? 

 

「アキ? どうしたの?」

 

 ――いいだろう。踊ってやるよ、アルバス・ダンブルドア。

 

 ポケットの中を探ると、いつのものとも知れぬ羊皮紙の切れ端が出てきた。授業の暇潰しとして、リィフの息子、アリス・フィスナーと共に書いた落書きの跡があるが、この際贅沢は言っていられない。

 ハリーとの連絡ツールである羊皮紙は、さすがに使うとアキが怒るだろう。

 

 ピリ、と脳裏に、閃光のような痛みが走る。そろそろ時間か。しかし――ここまでは。

 

 セドリックの胸にそれを押し当てると、魔力を込める。

 パァン、と光が零れ、その光が収まった後には、幾何学的な模様が羊皮紙に刻まれていた。

 

「持ってな。それが君を守る盾となる。セドリック・ディゴリー、賢く誠実で真面目なハッフルパフの(ともがら)よ」

 

 セドリックは、何が起きたのか分からないと言わんばかりに目を瞬かせていた。

 

 頭痛は、徐々に激しさを増していった。早く引っ込めと、身体が叫んでいる。

 構わずぼくは言葉を紡いだ。

 

「君が生きたいと望むなら。未来を歩いていこうと欲するなら。君にとってこの世界は、酷く生きにくいものだろう。優しい者こそが損をし、自分勝手な者が利を得る、そんな世界に、それでも君が、価値を見出すというのなら……いや」

 

 小さく首を振った。若者の行く末に、先達は口を出すべきではないだろう。

 

「死ぬなよ……セドリック」

 

 羊皮紙を押し付けると、ぼくは身を翻した。走り、生徒の中へと身を投じる。

 

「アキ……? アキっ! 君は一体何者なんだ!?」

 

 セドリックの声が、遠くで聞こえた。

 

 何者か? なんて、そんなこと。

 

「決まってんだろ……ぼくは、ぼくだよ」

 

 秋も、アキも。

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