【完結】空の記憶   作:西条

138 / 295
第35話 砕け散る、幻想

 ふくろう試験は、二週間にも渡って行われた。午前中は筆記試験、午後は実技試験(天文学の実技試験は、当然ながら夜中しか出来ないが)。

 普段四寮の長テーブルが並ぶ大広間は、ずらりと一人掛けの机が並び、五年生の全員が一堂に会した。

 

「くれぐれもカンニングのないように。筆記試験のペーパーには、厳しいカンニング防止呪文が掛けられています。ま・さ・か、ではありますが、その呪文を破ろうなどと考えるような不届き者がいるようでしたら、その時間をどうか貴重な自分のお勉強に当てなさいと申し上げます」

 

 マクゴナガル先生のそんな言葉で、試験は始まった。

 泣いても笑っても、これで全てが決まる。ピリピリした校内の雰囲気からも、やっと解放される。

 

 この二週間は、テスト以外のことはほとんど何もしなかった。誰もが目の前のふくろう試験に没頭していた――悪戯仕掛人までもだ、というと、色々語弊があるだろうか。

 

 ともあれ、この二週間は矢のように飛び去っていった。教科書とノートとの睨めっこ、そして幾ばくかの呪文の練習、それしかしていない。

 

「はい、羽根ペンを置いて! 答案羊皮紙を集める間、席を立たないよう! 『アクシオ!』」

 

 フリットウィック先生が杖を振った瞬間、羊皮紙が一斉にフリットウィック先生目掛けて飛び立った。それは先生の腕の間に見事に飛び込んだが、しかし先生を反動で吹っ飛ばしてしまった。

 前の方にいたぼくやリィフは、クスクス笑いながら立ち上がると、先生を引っ張り起こす。

 

「いやはや、ありがとう、秋くん、リィフくん……さぁ、皆さん、出てよろしい!」

 

 その声に、一斉に生徒が席を立った。

 ぼくとリィフは、羊皮紙をかき集め、綺麗に合わせてフリットウィック先生に渡す。先生は何度もぼくらにお礼を言うと、にっこりと笑ってぼくらに手を出すように言う。その言葉通りに手を出すと、フリットウィック先生は小さなカップケーキと飴玉を数個ぼくらに握らせ、無邪気にウィンクしてみせた。

 

「どうだった? 秋」

 

 ぼくとリィフが試験問題用紙や羽根ペン、インク壺をカバンに仕舞い終わる時には、辺りには誰もいなかった。ぼくはリィフと共に外に出る。

 

「案外簡単だったね。スミス女史を引き止めることに、一役分でもあればいいんだけど」

「スミス女史、来年もいればいいのになぁ。本当、『闇の魔術に対する防衛術』は運次第だ」

「全くだ」

 

 外は珍しくも、凄くいい天気だった。夏めいた爽やかな風が、中庭に吹き抜けている。

 湖には、何人かの女の子が、足を湖に浸してはしゃいでいた。青春だ、とぼんやり思う。

 

「しかし、試験も後は『変身術』の実技を残すのみだ――終わったら思いっきり遊ぶぞ。僕は。チェスしよう、秋」

「また? リィフ、弱いじゃん」

「違う。秋が強いんだ」

「いや、リィフは弱い方だと思うよ……」

 

 そんなことない、と意地を張るリィフに、ぼくは肩を竦めた。

 

「まぁ、後は実技だけだし、気楽なもんだ」

 

 ぐっ……と、大きく伸びをする。腰の辺りがボキボキと鳴った。首から腰まで、長い筆記試験に悲鳴を上げているのだ。

 

「秋はそりゃ気楽だよ。杖を使うタイプの実技試験なら、秋の得意分野そのものだもの。変身術なぁ……考えてたら頭がゴチャゴチャしてくるんだ」

 

 リィフは羨ましげに呟いた。

 

「あぁいうのはゴチャゴチャ考え始めちゃ上手くいかないものさ。理屈や理論を頭に入れたなら、後は野となれ山となれ、の気持ちで杖を振る」

「そういうことが出来るのは君くらいなもんさ。あーあ、クィディッチしたいなぁ!」

 

 リィフはそう言うと、大きく息をついて天を仰いだ。

 確かに、こんなにもいい天気なのだ、こんな日に箒で風を切って空を飛べば、何より気持ちいいだろう。ぼくも空を見上げて目を細めた。

 

 その時、風に乗って遠くのざわめきが聞こえてくるのに、ぼくは顔を戻した。湖の近くに人だかりが見える。一体どうしたのだろう。

 リィフと顔を見合わせて、ぼくらはその人だかりに近付いた。

 

 近付いて――思わずぼくは顔色を変えた。ジェームズとシリウス、それにセブルスだ。

 ジェームズとシリウスはせせら笑って、セブルスは殺してやると言わんばかりの瞳で、這いつくばって二人を睨みつけている。ぼくが人垣を掻き分け彼らの元に行くよりも、リリーが飛び込んでいく方が早かった。

 

「やめなさい!」

 

 ゴミ屑を見るような目で、リリーはジェームズを見据える。ジェームズは目を瞠ると、口調を芝居がかったものへと変えた。

 

「元気かい、エバンズ?」

「彼に構わないで。彼があなたに何をしたというの?」

「そうだな……むしろ、こいつが存在するって事実そのものがね。分かるかな……」

 

 観衆がどっと笑った。ここにいる人たちは、誰もがジェームズの味方のようだった。

 しかしリリーはにこりともしなかった。

 

「冗談のつもりでしょうけど、ポッター。あなたはただの傲慢で弱い者いじめの、嫌な奴だわ。彼に構わないで」

「僕とデートしてくれたら、やめるよ。どうだい? そうすれば、親愛なるスニベリーには二度と杖を上げない、約束しようじゃないか」

 

 ジェームズのその言葉に、観衆から野次が飛んだ。

 ぼくは人の間を掻き分け前に出ようとするが、突き飛ばされ思わず尻餅をついた。ジェームズたちの姿が、視界から消え、生徒の真っ黒なローブしか見えなくなる。くっそ、こういうときに自分の身長が恨めしい……。

 

「あなたか巨大イカのどちらかを選ぶことになっても、あなたとはデートしないわ」

 

 リリーの声は辛辣だった。シリウスが「残念だったな、プロングズ」と朗らかに言う声が聞こえる。瞬間、閃光が迸り、前の方にいる観衆は悲鳴を上げた。

 

「彼に構わないでって言ってるでしょう!」

 

 リリーの怒りに燃える声。

 ぼくは観衆をかき分けるのを諦めて――もっと早く決断すべきだった――囲む観衆をぐるりと大回りした。するとリーマスの姿を見つけた。木の幹に寄りかかり、本に視線を落としている。しかし、本を読んでいるわけではないことは明らかだった。

 

「リーマス……」

 

 ぼくの声に、リーマスはハッとした表情で振り返った。膝から本が、バサリと音を立てて落ちる。

 

「……っ、秋……」

 

 リーマスの表情が、情けなさに歪んだ。ぼくは身を翻すと、観衆の隙間に飛び込み、一番前へと踊り出る。しかし、瞬間聞こえた声に、ぼくは足を竦ませた。

 

「あんな汚らわしい『穢れた血』の助けなんか、必要ない!」

 

 それは、空中に踵吊りされ、パンツを剥き出しにされた、セブルスの悲痛な叫び声だった。

 リリーは大きく、その緑色の目を見開いた。

 

「……結構よ」

 

 静かな声だった。

 

「これからは邪魔しないわ。それに、スニベルス、パンツは洗濯したほうがいいわね」

 

 その声に、深く声から染み渡る、リリーの絶望に、背筋が震えた。

 呆然と、思わず立ち竦む。

 

 絶対に、なくならないと思っていた。

 ぼくらの友情は、永遠に続くものだと、無邪気に描いていた。

 

 そんな幻想が、今、ぼくの目の前で、粉々に砕け散る。

 

「エバンズに謝れ!」

「あなたからスネイプに謝れなんて言って欲しくないわ! あなたもスネイプと同罪よ!」

 

 リリーは叫ぶと、ぐっと歯を噛み締めた。泣き出したいのを堪えるような、ともすればやけっぱちとも取れるような眼差しだった。

 

「かっこよく見せようと思って、箒から降りたばかりみたいに髪をくしゃくしゃにしたり、つまらないスニッチなんかで見せびらかしたり、呪いをうまくかけられるからって、気に入らないと廊下で誰彼なく呪いをかけたり――そんな思い上がりで膨らんだ頭を乗せて、よく箒が離陸できるわね。あなたを見てると吐き気がするわ」

 

 そう言って、リリーは背を向けると、その場を走り去っていった。

 ジェームズは髪をぐしゃぐしゃとすると、「あいつ、どういうつもりだ?」とさりげなさを装いシリウスに尋ねる。

 

「つらつら行間を読むに、友よ、彼女は君がちょっと自惚れていると思っておるな」

 

 シリウスが肩を竦めた。ジェームズは唇を尖らせると、「よーし」と、杖を再びセブルスに向ける。また閃光が走ると、セブルスはまたしても踵吊りになった。

 

「誰か、僕がスニベリーのパンツを脱がせるのを見たい奴はいるか?」

 

 ハッ、とそこで我に返った。ぼくは観衆から飛び出すと、怒りに任せ杖を抜く。

 ジェームズはぼくに気付くと「やぁ、レイブンじゃないか」と、場違いなほど明るい声でぼくに笑い掛けた。ぼくは表情を崩さぬまま、一直線に杖を横薙ぐ。

 

 ジェームズとシリウス、ピーターを湖に放り投げ、返す腕でセブルスに掛けられた呪いを解除した。そして、めいめい驚いた表情を浮かべる観衆を、ギッと睨みつける。

 ぼくの怒りに満ちた表情に恐れをなしたか、観衆はすぐさま散りじりになった。

 

「セブルス!」

「来るな!」

 

 駆け寄ろうとした足が、その場で止まった。

 屈辱に顔を歪ませ、その目に涙を浮かばせて、セブルスはぼくを強く睨みつけた。

 

「……憐れむつもりはない」

 

 ぼくは淡々と言葉を紡いだ。セブルスから僅かに視線を逸らしつつも、歩み寄ると、セブルスの手をぐいと掴み引っ張り起こす。

 

「……君は、僕を軽蔑しないのか?」

「軽蔑?」

「……っ、リリーは、僕を軽蔑した! 聞いただろう、僕のあの言葉を! 言ってはいけない言葉を言ってしまったんだ!」

 

 落ち着きなく、セブルスは髪を掻き毟った。そしてぼくを血走った目で見据えると、声を荒げた。

 

「なのにどうして君は僕を軽蔑しない! どうして僕から離れていかない! どうして、どうして!」

「……君がまだ、リリーに、言ってはいけないことを言ってしまった、という自覚があるから、かな」

 

 頭を軽く振った。結ばれた髪の先がぱたぱたとはためくのを感じつつも、ぼくは呪文を唱える。瞬時に、セブルスの土埃まみれのローブは綺麗な状態に戻った。

 

「リリー……リリーに嫌われてしまったら、僕は生きていけない」

「そんなこと言うものじゃない」

 

 想像よりもキツい声が出た。ぼくは眉を寄せ、鋭い目つきでセブルスを見た。

 

『生きていけない』なんて。

 たかがそんなことで。

 

「君が今するべきことは、一つしかない」

 

 ぼくの言葉に、セブルスは目を瞠った。

 

「心から謝ることだ。……それしか、出来ないよ」

 

 たとえもう、失われたものは戻らないとしたって。

 

 

 ◇ ◆ ◇

 

 

 いよいよ、三大魔法学校対抗試合の一番最後、第三の課題が行われる。ここでどんな結果を出したとしても、これでやっと、今年のごたごたの全てが終わるのだ。

 僕、ハリー・ポッターは、肩の荷をやっと下ろせるという思いでいっぱいだった。

 

 昼食は、いつもより多くの品がテーブルを埋め尽くしていたが、到底食べる気力は湧かなかった。でも、ウィーズリーおばさんは「食べなきゃ精が出ないわよ!」なんて言って僕のお皿に料理を次々に取り分けていく。ビルが「母さん、ハリーはもう満腹のはずだよ!」とストップを掛けてくれなければ、僕は競技が始まっても、お腹が重くて動けなくなっただろう。

 

 第三の課題が始まる前に、アキに会いたかったが、僕ら代表選手以外の生徒は試験期間中だ。アキは、ハーマイオニーよりも多い科目、ホグワーツで開講される全科目を取っている。もしかすると、まだ試験があっているのかもしれない。

 

「アキの兄貴」

 

 その時、アリス・フィスナーが僕の肩を軽く叩いた。

 僕は首を回すと、「やぁ」と微笑み、そして彼の隣にちらりと目を向ける。僕がロンやハーマイオニーといつも行動を共にしているのと同じように、アキはアリスとよく一緒にいる。しかし、今日は、アリスの隣に、我が愛しの弟の姿は認められなかった。

 

「あー、俺が何言っていいのかはよく分からんが、ひとまず頑張れ。うん」

 

 そう言って、アリスは髪をぐしゃりと掻いた。きっと、こういう言葉を誰かに掛けるのに慣れていないのだろう、そんな感じがする。

 左耳にぶら下がっている、雪の結晶の形をしたピアスが、光に当たってキラキラと輝いていた。

 

「ありがとう」

 

 本心から、微笑む。アリスはふと眉を寄せると、ぼくの耳に顔を寄せた。そっと耳打ちする。

 

「……試合前の集中を乱すようで悪いが、お前に伝えとかなきゃと思ってな。アキの姿が見当たらない。見てないか?」

 

 え、と僕は目を瞠った。見ていない、と静かに首を振ると、アリスは苦い表情で舌打ちする。

 

「あいつが姿をくらますのは、大抵がロクでもない時だ……二コマ前のルーン文字の時にはいたんだが、それからいなくなった。……って、ハリー!?」

 

 アリスの言葉が終わらないうちに、僕は駆け出していた。アリスの驚きに満ちた大声を背後に走って大広間を抜けると、勘に従って階段を一段飛ばしで駆け上がる。

 何となしに、アリスにちゃんとファーストネームで呼ばれたのは初めてだなぁ、と考えた。

 

 嫌な胸騒ぎがする。

 どうか、アキよ、早く僕の前に姿を現して。僕を置いて、どこかに行ってしまわないで。

 

 幸運なことに――アキには、すぐ会うことが出来た。三階の廊下で、物思いに沈むように俯いて、窓の枠に腰掛けている。

 

 声を掛けるべきか、一瞬躊躇った。

 意を決して「……アキ」と呼びかける。

 

 僕の声に、アキはぱっと顔を上げた。表情には驚愕の色が浮かんでいる。

 

「どうして……ハリー」

「どうしてもこうしてもないよ。アキがいなくなったのだったら、僕はいつだってどこだって君の元に駆けつける。大切な弟なんだから、当然だろ」

 

 アキは、僕のそんな言葉に、僅かに目元を歪めた。

 

「……弟なんて。ぼくは」

「アキ……いや」

 

 僕は軽く頭を振ると、アキを、愛しい少年を、まっすぐに見つめた。

 

「幣原秋、と呼んだ方がいい?」

 

 僕の言葉に、アキは――否、幣原秋は、寒気を感じたように、その身を震わせた。

 

「……君を見縊っていたようだ、ハリー」

「あまり僕を舐めないでよね。僕は、世界で一番可愛い僕の弟のアキのことなら、他の追随を許さない自覚はある。アキと君の見分けくらい、出来なくてアキの兄を名乗れないよ」

「……さすが、ジェームズとリリーの息子だけはある……変なとこばかり似たものだよ」

「どうして、君が出てきているんだ?」

 

 僕の問いかけに、彼は口を噤んだ。そして、僕の問いには答えず、逆に僕に問いかける。

 

「ハリー、君は……自分が誰かに利用されていると知ってなお、その誰かのことを、これまでと変わりなく愛することが出来る?」

「……何、それ」

 

 思わず、僕は眉を寄せた。脊髄反射で、僕は言葉を返す。

 

 アキと全く同じ顔で、アキとは全く違う表情を浮かべる彼を――何もかもを知ったような顔で、諦めの表情を浮かべる彼に、意趣返しをしてやりたかった。

 

「誰か、なんて回りくどいこと言うなよ。君のことだろ、幣原秋。そして、アキのことだろ」

 

 幣原は、しかし僕がそう答えることを予測していたみたいに、落ち着き払っていた。

 それが、余計に僕を苛立たせる。

 

「アキが僕を利用していようが、僕のアキに対する愛は揺らがない。僕は、世界で一番アキを信じている。もう一回、地面に引き倒して言ってあげようか? 僕はアキ・ポッターのことが大好きだ。血が繋がっていなかったところで、実の兄弟じゃなかったところで、アキが僕を騙していたとしたって、アキからどんな仕打ちを受けたって、僕はアキのことが大好きだ。一緒にダーズリー家で辛い日々を乗り越えたアキが大好きだ。機知とユーモアに富んだアキが大好きだ。何度だって言ってやる。……そして、君のことも」

 

 幣原に、一歩ずつ近付いた。右手を差し出す。

 

「アキを僕に与えてくれた。アキを、僕の隣で一緒に育ててくれた。大切なアキを、その源も、僕は愛してる。君のことが好きだよ、幣原。……どうか、このまま、君のことを好きでいさせて」

 

 幣原は、僕の右手には一瞥もくれず、ただじっと僕の目を見ていた。

 僕は言葉を続ける。

 

「あんまり、アキを苦しめないで。アキを壊さないで。アキに酷いことしないで。君にどんな思惑があろうとも、アキを傷つけることは、僕が絶対に許さない」

 

 僕の言葉に、少しだけ幣原は瞳を揺らせた。その弾みに、酷く無防備な表情が露わになる。

 アキでさえ滅多に浮かべないような、不安と恐怖でどうしていいか分からない、そんな表情に、僕の言葉はそこで堰き止められた。

 

「……ごめんなさい」

 

 俯く幣原に、それ以上は何も言えなかった。

 

 どうして幣原は、アキを作り出したのだろう。そんな疑問が、ぐるぐると回る。

 僕をただ守るだけだったら、わざわざもう一つの人格を作り出す必要はない。幣原自身が、ずっと僕の側にいればいい。

 そのくらい、彼には容易いことだろう――僕を守ることくらい、彼には些細なことだろう。

 

 なのに、何故か、幣原はアキを作り出した。無邪気で純真で、優しい少年を。

 

 僕が知らない理由が、そこにある気がしてならない。

 僕だけじゃない、誰も知らない理由が、きっと眠っているのだ。

 

 ふと、放送が聞こえた。

 

『紳士、淑女のみなさん。あと五分経つと、皆さんにクィディッチ競技場に行くように、わしからお願いすることになる。三大魔法学校対抗試合、最後の課題が行われる。代表選手は、バグマン氏に従って、今すぐ競技場に行くのじゃ』

 

 ダンブルドアの声だ。

 幣原の表情が、ふと引き締まる。そこに、先ほど垣間見えた、無防備な瞳は見当たらなかった。

 

「ハリー。お願いだ。ぼくの言うことなんて、君は信じてくれないかもしれないけど……絶対に死なないで。絶対に無茶はしないで。この大会には、いろんな人の思惑が蠢いている。……ダンブルドアやぼくも、君に期待している。君を利用している、と言ってもいいかもしれない。……でも、ハリー。君は君のことだけを考えろ。絶対に死ぬな。何がなんでも生き延びろ。人の思惑なんか、知ったことじゃない……君は、ただ、君のためだけに、そして……アキ・ポッターのために。君の愛する友人たちのために」

 

 生きてくれ。

 幣原秋は、強い眼差しでそう言った。

 

 この大会で、一体何が起こるのか。今の幣原秋の言葉で、問いただしたい点はいくつもある。

 でも、今はそんな時間はなかった。

 

「アキから貰ったブレスレットはつけているね? あいつは、ぼくよりも発明家気質だ、君限定に。……きっと、君を守ってくれることだろう」

 

 そう言って、幣原は、酷く大人びた笑みを浮かべた。

 だから、僕はあまり言葉を重ねずに、右手首に嵌るブレスレットに触れると、しっかりと頷く。

 

「健闘を祈る。ジェームズ・ポッターとリリー・エバンズの愛息子、ハリー・ジェームズ・ポッターよ」

 

 

 ◇ ◆ ◇

 

 

 いよいよ、第三の課題が始まった。

 クィディッチ競技場で歓声が響く中、ぼくは喧騒から離れた校長室で、競技の様子を眺めていた。目の前には、ぷかぷかと浮かぶモニターが、代表選手の四人を映し出している。

 

 ハリーが迷路を進むのを、ぼくはただ、何もせず、眺めていた。

 

 頭が痛む。人格交代に、こんな厄介な機能をつけた覚えはないけれど――十年以上引きこもっていたが故の後遺症なのかもしれないと思うと、文句も言えない。

 

 それに――それに。

 まだ、アキ・ポッターと交代するわけにはいかないのだ。

 

 アキに代わったら、あいつはハリーを助けてしまう――。たとえダンブルドアが言葉を尽くし、ハリーをあちらに渡す意味と必要を説いたところで、決してあいつは納得しないだろう。対抗試合で、ハリーに手を貸すな、と言われたときだって、その意味をきちんと理解していながらも、あれだけ葛藤していた奴なのだ。

 ハリーが死ぬかもしれない可能性を察した時点で、アキが飛び出すのはもう、仕方がなかった。

 

「…………」

 

 もしここで、ダンブルドアの言葉を全て無視して、ぼくがハリーを助けたならば。物語は、どう変わるだろうか。

 あの狸爺の描く物語をひっくり返せたら、どんなに胸がすくだろう。

 

 ――そんな真似、ぼくには出来っこないけれど。

 

 両手の指先を合わせ、嘆息した。モニターを見る限りにおいて、明らかにハリーのみが、障害物に相対する回数が少ない。誰かしらの――クラウチ・ジュニアの意図があるのは、明白だった。

 

 そうならば、クラウチ・ジュニアが仕掛けているとするならば――それは優勝杯。

 ホグワーツ内では、移動の魔法は制限されている。それを鑑みて――優勝杯は、移動キーに変えられているだろう。

 

 今すぐここを飛び出して、箒でもなんでも構わない、走ってだっていい、迷路に飛び込んで、あの優勝杯を掴んだならば。

 その先に、ヴォルデモートとピーターが、きっといるのだろう。両親の仇と、親友を売った昔の親友と、いっぺんに会うことが出来るのだ。なんたる僥倖、なんたる幸運。

 

 しかし、そんな絶好の機会を、ダンブルドアは抑えろと言う。

 

 ダンブルドアは、何を考えているのか。ただ、ヴォルデモートを倒したいのならば、そのままぼくをヴォルデモートの元に向かわせれば済む話だ。

 今ならば、文字通り、赤子の腕を捻るがごとく、あまりにも容易く、あっけなく、ヴォルデモートを倒すことが出来る。それは、明白すぎるまでに明白だった。

 なのに、それをしないのは、何故――

 

 モニターの奥がざわついているのに気付き、ぼくは目を向けた。フラーが運び出されている。恐慌状態で、ガタガタと震えている。

 この恐怖に怯えた表情に、ぼくはよく見覚えがあった――磔の呪文に掛けられた者は、よくこんな表情を浮かべている。そして直後に、クラムも。クラウチ氏と最後に出会ったのはクラムだ――もしかして、あの時。

 

 思考の海に溺れかけたが、頭を振って目を覚ました。

 頭痛は、どんどん酷くなってきていて、頭を上げているのも億劫だ。こんなに長い時間、表に出ていたのは初めてかもしれない。

 ……頼む、もう少しだけ。もう少しだけ、見届けさせてくれ。そうしたら、すぐに代わるから。

 

 残る対抗試合の選手は、ハリーとセドリックの二人だけ。もう、ホグワーツの優勝は決まった。

 ――いや、最初から出来レースだったのだ。ハリーを優勝させるため、仕組まれていた。

 

 すごいよ、クラウチ・ジュニア。よくもまあ、こんなことを仕出かした。

 あなたの計画は、誰にも止められない。止める立場であるダンブルドアが、何よりも、この計画に価値を見出してしまったから。

 さすがに、そこまでは計算のうちではなかったのだろうけれど……それでも、ぼくはあなたの前に帽子を脱ごう。

 

 エリス先輩と、ロングボトム先輩方。彼らの仇ではあるけれども――まさか、ここまでの強敵だっただなんて。

 あなたが、ここまでの壁として、立ちはだかるなんて。

 

 そして、よくぞまぁ、ぼくの望みを言い当てたもんだ。脱帽どころか、地に伏すことも、あるいは、とさえ思う。

 

 そこまで読まれたならば。そこまで看過されたならば。

 彼の言う言葉に従うのも、悪くはない。

 

 ソファに身体を倒した。頭だけを上げて、モニターを見つめる。少々行儀は悪いが、そんなことも言っていられないくらい、頭が鈍く痛んでいた。

 浅く呼吸をする。心臓が早鐘を打っているのは、身体の不調に反応してか、それとも、この試合の行く末を案じてか。

 

 ハリーが優勝杯に駆け寄った。しかし、セドリックも同じだ。セドリックの方がハリーよりも速い。――そんな、嘘だろ、やめてくれ。

 

 ぼくの願いは、聞き届けられたようだ。クラウチ・ジュニアとしても、セドリックをハリーより先に優勝杯に触れさせるわけにはいかなかったのだろう。

 セドリックを襲った黒い影に、セドリックは慌てて身を翻したが、足を縺れさせ転んでしまった。セドリックの上に、黒い影が――巨大なクモだ――のしかかろうとする。セドリックがクモを退け、体勢を立て直すよりも、ハリーが優勝杯に辿り着く方が速いだろう。

 

 しかし、誰もが予想していなかったことを、ハリーは行った。セドリックを無視して優勝杯に手を伸ばす――のではなく、なんと、セドリックを襲ったクモを攻撃したのだ。ぼくは息を呑んだ。

 

 ハリーがこんな行動を取るなんて、予想出来る人はきっと、世界広しと言えども、そうだな……アキ・ポッターくらいのものだろう。

 何度も何度も、ハリーはクモに対して失神呪文を放つ。しかし、クモが大きすぎ、そしてハリーの魔力はそこまで育っていないせいか、クモを失神させるまでは至らない。瞬きをした後には、ハリーはクモの前足に挟まれ、宙吊りになっていた。

 それを見ているだけのセドリックでは、決してない。ハリーと協力してクモを倒したセドリックは、ハリーの元に駆け寄った。

 

 ハリーはどうやら、足を怪我してしまったようだ。歩けないハリーを見てとったか、セドリックはハリーに肩を貸す。そして、二人一緒に優勝杯に向かって歩き始めた。ぼくは思わず声を零す。

 

「やめろ、馬鹿……っ」

 

 掠れた声は、しかしモニターの奥のハリーとセドリックには決して届かない。

 

 二人が、誇らしげな表情で、優勝杯に手を伸ばす。

 その様子が、もう二十年以上にもなる、ずっと昔の自分自身に重なった。

 

 魔法魔術大会で、優勝した時のあのときの自分に。

 そのすぐ後に訪れる未来に、絶望することすら気付かず、ただ目の前の輝かしい栄光に無邪気に目を輝かせる、愚かで純真な自分自身に。

 

 ぼくは、静かに目を閉じた。

 

 アキ・ポッターの目を通して見る未来は、自分の目を通して見る世界よりも残酷なのだろうと、そんなことを考えながら。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。