【完結】空の記憶   作:西条

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第37話 二人の少女、重ならない恋模様

 ふくろう試験が終わったその後の週末は、ホグズミード休暇だった。五年生は誰もが皆、気が抜けない試験が終わった開放感ではしゃぎ回っていた。

 

「秋、早く!」

 

 そんな中、一際はしゃいでいたのはリリーだった。ぼくの手を思いっきり引っ張って、人混みの中をすいすいと掻き分けていく。ぼくはそんなリリーについていくのが精一杯だ。

 

「な、何をそんなに、急いでるのさ……っ」

 

 息も絶え絶えにそう呻くと、リリーは楽しげに「だって、今日はマダム・パディフットの店で、先着順のスイーツバイキングがあるんですもの!」と微笑んだ。

 その笑顔は、どうしようもなく『今まで通り』で、晴れやかで、暗いものなど何もないようで――だからこそ、酷く歪に見えた。

 

 ――こうなるとは、目に見えていたんだ。

 

 分かっていた、ことじゃないか。

 

 やがて着いたマダム・パディフットの店は、大通りから一本脇道に入った、小さな喫茶店だった。ピンクを基調とした、なんとも言えぬ少女趣味の可愛らしさに溢れていて、それがぼくの足を竦ませる。

 しかしリリーはぼくの気も知らないで、ぐいぐいとぼくの手を引っ張って行くのだ。

 

 店に入ると、中はピンクのフリルが雪崩を起こしていた――ぼくにはそう見えた。どこを見ても、ピンク、フリル、ピンク、フリル。ゲシュタルト崩壊を起こしそうだ。

 甘ったるい香料の匂いと、それにも負けぬ甘いお菓子の匂いが、凄まじい喧嘩を繰り広げている。

 

 リリーはぼくの手を離すことなく、店の店員に「スイーツバイキング、大丈夫ですか?」と尋ねていた。そしてぼくを見ると、「大丈夫だって、やったわね、秋!」と綺麗な笑顔を浮かべてみせる。

 ぼくはそんなリリーに、曖昧な笑顔を返した。普段なら、そんな笑顔を浮かべるぼくに対して「そんな心が全くこもってない笑顔を適当に浮かべないで欲しいわ! それなら無表情の方がマシよ!」と不機嫌になるリリーは、今日ばかりはそうじゃないようだ。

 ……今日ばかりは、というか。……なんと言えばいいのか。

 

 案内されて、席に着く。気付いたが、このお店の窓ガラスは全て曇りガラスだ。

 おまけに、周囲のお客さんが皆カップルだということが、ぼくをより落ち着かなくさせた。既に混ざり合った甘い匂いで酔いそうだというのに。

 

「秋、紅茶で良かったかしら?」

 

 そう言ってリリーは、ぼくの前に紅茶を置いた。気付けば、いつの間に取ってきたのだろう、テーブルの上には大量のケーキ。

 

 リリーはその内の一つを自分の小皿に載せると、スプーンに掬い、口の中に入れ、物凄く幸せそうな表情をした。そしてぼくを見ると首をこてんと傾げ、「食べないの?」と尋ねる。

 正直、甘い香りで既に満腹ではあったが、リリーのそんな言葉を断ることが出来るほど、ぼくは精神が強くない。出来る限り甘くなさそうなガトーショコラを選び、ぼくは自分の皿に載せた。

 甘いものは嫌いじゃないし、普段は普通に食べるけれども、こんな場所で平然と食べることはぼくには出来そうになかった。

 

 しかし、食べている間は何もしなくていい、というのは、少しだけ気が楽になるものだ。

 

 最近、というか、あれからのリリーは、あの日のことを忘れたように――あの日のこととは、ぼくとのあれこれじゃなく、セブルスのことだ――はしゃいでいる。

 五年生の誰もが、試験が終わって浮かれているから、その中で上手く溶け込んではいるが――リリーのはしゃぎようは他の人とは違うことを、多分この世で、ぼくだけが、知っていた。

 

「でね、あそこでメリーがね……聞いてるの? 秋」

 

 リリーの言葉に、ぼくはガトーショコラの上のホイップクリームを突つくのを止めると、顔を上げた。笑顔を浮かべてみせる。

 

「聞いてる、聞いてる。で、メリーがどうしたの?」

「あのね、そこでね――」

 

 あれからぼくらは、一言もセブルスについて話していない。

 ぼくはリリーの話に適度に相槌を打ちながら、静かに目を伏せた。

 

 こんな関係がいいものだとは、思っていない。

 

 でも、一体どうすればいいのか、ぼくには分からなかった。

 

 

 ◇ ◆ ◇

 

 

 アクアマリン・ベルフェゴールは、あてもなく校内を彷徨い歩いていた。

 

 談話室にはいたくなかった。闇の帝王が戻ってきたのだということを、誰よりも、どこの寮よりも、スリザリン寮の生徒は知っていた。それに恐れ怯える者、見ない振りをして目を逸らす者、反応は様々だ。

 ドラコは恐れ怯える者、そして、自分は見ない振りをして目を逸らす者か、と、アクアは分析する。

 

 空はもう夕焼けに沈んでいた。もう夏めいてきて、日もどんどんと伸びてきているが、もう間もなく日没を迎えるだろう。

 闇夜に沈むホグワーツで、皆は今日、何を考えながら目を閉じるだろうか。

 

 消えたセドリック・ディゴリー。『ヴォルデモートが戻ってきた』と言ったハリー・ポッター。

 

 足音に、ふと顔を上げた。そして、目を見開く。

 

「……アキ?」

「……やぁ、アクア」

 

 優しい目つきで、大きな黒い瞳を細め、目の前の少年は、アキ・ポッターは、微笑んだ。

 

「……てっきり、ポッターの元にいるのだと思っていたけれど」

 

 三大魔法学校対抗試合の最終試合は、先ほど終わったばかりだ。

 優勝杯を掴んで姿を消したのは、ハリー・ポッターとセドリック・ディゴリーの二人。それなのに、帰ってきたのはハリー・ポッターだけ。

 何かが、あちらであったのだ。血と泥でボロボロになったハリー・ポッターの姿を一目見て、それは容易に理解出来た。闇の帝王が復活した、そう嬉々として綴られた手紙が両親から届いたのは、すぐだった。目を通してすぐさま、絶望に駆られたものだ。

 

 だからこそ、この少年は、ハリー・ポッターの隣にいるものだと思っていたのに。

 

「ハリーの話は、もう聞いたよ。ぼくはそろそろ、ぼくの望みを叶えるべきだ――そう思ったんだ」

 

 アキはそう言うものの、アクアには要領を得ない。

 アキはおそらく、アクアに意図を理解させないように喋っているのだと、それだけがかろうじて理解出来た。

 

「……あなたの望みって?」

 

 そう尋ねると、アキはより一層優しげな目つきをした。アクアの問いに直接は答えることなく、アキは言葉を紡ぐ。

 

「……本当はね。ここまで来る間、ずっと考えていたんだ。君に何を喋ろうか、って。でも、君に会った瞬間、ごちゃごちゃしてた考えが全部吹っ飛んじゃった。そしてね、今、一つの想いで一杯なんだ」

 

 アクアの手を、アキはそっと取った。壊れ物を扱うような手つきで、優しく握る。

 

「ありがとう。ぼくを受け入れてくれて、ありがとう。ぼくを選んでくれて、ありがとう。君と一緒にいたら、ぼくはどんな悩み事も吹き飛ぶ気がした。君のためなら、それこそなんだって、やってやるって気分になれた。君の隣は、何より幸せだった」

 

 大好きだよ、アクア。

 そう言って、満ち足りた表情で、アキは微笑んだ。

 

「……どうして、そんなこと言うの?」

 

 そんなの、まるで。

 まるで、最後の別れのようじゃないか。

 

「どうして……そんな表情で、笑うのよ」

 

 いつでも、この少年はそうだった。辛い時こそ、儚い笑顔を浮かべてみせる。

 この少年の泣き顔を、アクアは見たことがなかった。いつでも、アキは笑っていた。時には困ったように、時には心から楽しげに。そして、時には、悲しみを全て押し隠して。

 

「……きっと、今の君は、今のぼくに祈ってはくれないんだろうね……でも、もしも、一つだけ願いが叶うなら」

 

 幣原秋のために。

 祈ってくれ。

 

 少年は、少女からするりと手を離した。

 トントンッと跳ねる仕草で少女から数歩距離を取ると、綺麗な笑顔を浮かべて、少女を振り返る。

 

「じゃあね、アクア」

「あっ……」

 

 思わず、手を伸ばした。しかし目の前を、ザァッと桃色が散る。

 目を瞠った。桃色に隠されて、アキの姿は消えてしまう。

 

 視界を遮った桃色の正体は、たくさんの桜の花びらだった。

 身をかがめると、手を伸ばし、拾い上げる。

 

「アクア!」

 

 名前を呼ばれて振り返ると、そこには彼の兄、ハリー・ポッターの姿があった。未だに血まみれで、泥だらけのローブを羽織っている。

 身体中が傷だらけだったが、そんなのに構っていられないと、目が訴えていた。

 

「アキを見なかったか!?」

「……さっき見たわ。様子がおかしかった。私に、ありがとうって……幣原のために、祈ってくれって、言い残して……消えてしまったの」

 

 クソッと、ハリー・ポッターは大きく舌打ちをした。アクアの前に散らばる桜の花びらを見て「……っ、あの、格好つけが!」と吐き捨てる。

 嫌な予感に背筋が震えた。ハリーは真剣な眼差しをアクアに向ける。

 

「アキを探してくれないか、アクア」

 

 焦る瞳のまま、ハリー・ポッターは言った。

 

「あいつは、アキは、死ぬつもりだ」

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