【完結】空の記憶   作:西条

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第38話 愚者は静かに目を開けた

 ホグワーツの中で、一番高い場所、時計塔。大きな振り子式の時計は、ホグワーツには珍しくも魔法ではなく、この地球上の理、物理で、永久に動き続けるもの。

 時計塔の内側では、ぼくが両手を伸ばしてもまだ足りないような、大きな歯車がいくつも噛み合っていた。一つも足りない部品なんて存在しない。全てが全てきっちり噛み合い役目を果たす、秩序を保った素晴らしい世界。

 

 足を止め、じっくりと鑑賞した。

 一秒ごとに、こんなにも大きな歯車が、ガタン、ガタンと音を立てて回る。

 そう言えば、まだホグワーツからの入学案内を受け取る前、目覚まし時計を修理したこともあったっけ。差出人が誰かも分からぬ手紙をおじさんたちに捨ててしまわれる前に、郵便配達の人から直接受け取ろうと、早起きしようとして……。

 

 階段を上ると、視界が開けた。もうすぐ、日没が訪れる。傾く太陽が、西の空を燦然と燃え上がらせていた。あと十五分もすれば、夜の帳が落ちるだろう。

 

 外に足を向け、ぼくは軽く手摺りに腰掛けた。ぶらぶら揺らす足の先、地面は遥か遠くにある。

 

 昔、気付いたら学校の煙突の上に腰掛けていたことを思い出した。今日は、昔のことをよく思い出す。ダドリーに追いかけられて、食堂の外にあった容器の陰に、ハリーと一緒に飛び込んだんだっけ。

 閉塞感のある日常に、毎日息苦しくて、ぼくとハリーは二人で悪戦苦闘しながら、一緒に手を繋いで生きてきた。物置に閉じ込められたり、ダドリー軍団に追いかけられたり。ぼくとハリーが問題ばかり起こすから(どれもこれもわざとじゃないのに)、先生方にも目の敵にされて、ダドリー軍団に目をつけられるから、ぼくらと大っぴらに友達になってくれるような同級生もいなくって。

 自分の正体も知らず、自分が魔法使いだなんて考えもせず、穏やかで幸福な『幣原秋』の夢を見て、あんな家族が欲しい、と夢想するだけの日々だった。

 

 あの時は、ハリーと共に煙突に腰掛け、救助を待つ間、ずっと『魔法が使えたら何をするか』なんてことを語り合っていたっけ。ハリーは『ダドリーに豚のしっぽをつける』なんて言っていて、しかもそれはハグリッドの手によって叶えられたし。ぼくの提案した『ダーズリー家から逃げ出す』というのも、ある意味叶ったようなものだ。

 

 素晴らしいものだよ、魔法って。

 

「死ぬつもりなのかい、アキ?」

 

 耳に、涼やかな声が届く。

 ふと右隣を向くと、トム・リドルが、ぼくと同じように手摺りに腰掛けていた。

 

「うん」

 

 軽く頷く。リドルは、物珍しげにキョロキョロと辺りを見渡していたが(まぁ、五十年も日記の中に引きこもっていたわけだし、その反応は当然か)、ぼくの言葉に肩を竦めた。

 

「『死に損ない』って、あのクラウチに言われたのがそんなに引っかかってるの?」

「そんなんじゃないさ。……いや、きっかけの一つではあるんだけどね」

「クラウチなんて、僕に言わせちゃ秀才の皮を被った凡人さ。役者度合いも何もかも、僕の方が上だ」

「何張り合ってんのさ」

「顔だって僕の方が格好いい」

「……そうですか」

「ブラック家の末裔よりも僕の方が格好いい」

「それには同意しかねる」

 

 ぼくにとっては、リドルとシリウスは同レベルのイケメンだ。優劣なんてつけられっこない。

 

「じゃあ、どうして死ぬんだい?」

 

 リドルの声は、単純な疑問に満ちていて、他の感情は全く入っていない。

 悲しみや哀れみが感じられないその問いかけは、ぼくにとっては酷く心地よかった。

 

 だから、ぼくも気兼ねなく言葉を紡ぐことが出来る。普通の人だったら『考え直せ』『そんな考えをするんじゃない』と言ってくるところを、リドルは絶対にそんなことを言わない。

 良くも悪くも、リドルはそういう人間だ。他人の気持ちが分からない。理解しようともしない。

 リドルはただただ、自分の興味関心が向くものだけを求めている。今は、どうして死にたがる人間がいるのか、その思考回路を知りたいだけだ。

 

「あいにくと、ぼくは世間一般からかなりかけ離れた部類に属すると思うけど」

 

 言外に「君が求めるものは与えられないかもしれない」と仄めかすと、リドルは「そんな分かりきったことはいいよ。君に関しては、常に人間のレアケース、特殊形態だと思っているから」と軽く流した。……って、おい。

 

「ぼくは、幣原秋の願いを叶えるために存在している生き物だから」

 

 そう言うと、リドルは少し考え込んだ。

 

「僕は死んだことないから、死ぬときの感じが分からないんだけど。君と一緒にいたら、死ぬときの感じが分かるかな?」

「さぁてね、その状態の君が死ねるかどうかは分からないよ、前例だってないし。……もし死んだら、墓の中でも君と一緒かぁって思うと、少し気が萎えるよ。この指輪、投げ捨ててしまえないかなぁ」

 

 そう言いながら、小指に嵌ったリングを引っ張るが、抜ける様子はまるでしない。

 リドルは少し焦ったように「おいおい! 勝手にそんなことしないでよ!」と声を上げた。

 

「ひっどいなぁ……魔法契約の品は丁重に扱えって、親御さんに習わなかったの?」

「言わせてもらうが、ぼくの両親は君が殺したんだぞ。本当の産みの親も、今の戸籍上の親も」

「そう言えばそうだった」

 

 全く、とぼくは嘆息した。

 

「君も天国や地獄にはいけないだろうけど、ぼくも死んだって天国にも地獄にも行けなさそうだ。……そうしたら、色んなことを君と話そうか。きっと、時間ばかりはたくさんある」

 

 ぼくの言葉に、リドルはおかしげに笑った。

 

「それならしばらくは、退屈しなさそうだ。そうだね、色んなことを、君と話そうじゃないか」

 

 そんな言葉を残して、リドルは姿を消した。

 ふう、とぼくは空を見上げる。群青色の空が、どこまでも遠くまで広がっていた。

 

 綺麗だと思った。

 

「さて、と」

 

 群青色の空に、星が一つ、二つと瞬いている。今日の一番星は、金星のようだった。

 

 ぼくが死んでも、この空だけは、何もかもを覚えてくれている。

 空は、何年経っても、何十年経っても、ぼくらを永遠に見つめ続けてくれる。

 

 空の記憶を覗くことが出来たなら、どんなに面白いだろうか。

 

 死んだら、空の記憶を覗くことが出来るだろうか。

 

 あぁ、それは、存外に、ワクワクすることだ。

 

 ぼくは静かに、空中へと身を躍らせた。

 

 

「アキ!!」

 

 

 叫び声。そして、右手首に感じる強い力。

 ぼくは目を開けた。

 

 

 ハリー・ポッターが、ぼくの双子の兄が、飛び降りたぼくの手を、しっかりと掴んでいた。

 

 

「……さっすが、主人公だよ……」

 

 きっと、この物語は、ぼくが生きるこの世界は、ハリーを中心に描かれているのだ。

 そう確信出来るくらいに、あまりにも、ハリーのタイミングはドンピシャだった。

 

「……ハリー、放してくれ」

「……っ、そんな言葉に僕が頷くと、本気で思っているのかい?」

 

 ハリーは、必死な面持ちで、それでも不敵な笑みを作った。

 ジェームズによく似た、でも、ジェームズとは決して重ならない、それは、ハリーだけの笑顔だった。

 

「アキ、君はどうして死にたいんだい?」

 

 その言葉に、ぼくは。

 

「生きる意味がなくなったから」

 

 そう答えた。

 

「ねぇハリー。ぼくは君を見捨てたんだ。君を死地に送り込んだのは、紛れもないぼくなんだよ。ぼくは、君を守るために生まれてきたはずだったのに。ぼくが、君を見捨てたんだ」

 

 渾身の力でぼくの右手首を掴むハリー、その手首には、未だ、銀色のブレスレットが掛かっている。

 ハリーの顔は苦痛に歪んでいて、いくらぼくの体重が平均より格段に低くったって、そう長々と耐えていられるはずもない。

 

「そんなの、そんなの何だって言うんだ!」

 

 ハリーがそう叫ぶのに、ぼくは少しだけ目を瞠った。

 

「君は強いよ、あぁ! でもさ、僕だって君に守られ続けたくはないんだ! 君に守られなくたって、僕だって自分の身は自分で守れる!! 余計なことをするなよ、アキ、お節介過ぎるんだよ君は!」

「……っ、お節介って何だよ! ぼくはただ、君のためを思って……!」

「それがお節介って言ってんだよ、馬鹿アキ! 一人でぐちゃぐちゃ抱え込んでさ、痛々しい笑顔作ってさ、ちょっとは僕を頼ってよ! 兄の見せ場作れよ、馬鹿!」

「馬鹿馬鹿言わないでよ、馬鹿って言う方が馬鹿なんだ、バーカ!」

「馬鹿に馬鹿って言われたところで、ちっとも痛くもなんともないやい、バーカ!!」

 

 どうしてぼくらは、こんなところで口喧嘩をしているのだろう。

 時計塔のてっぺんで、ぼくは飛び降りようとしていて、ハリーはぼくを止めようとしていて。

 なのにどうして、ぼくらは口喧嘩をしているのだろう。

 

 ハリーと口喧嘩をしたのなんて、何年ぶりだろう。喧嘩をした記憶自体が、あまりない。

 ぼくもハリーも、物分かりがいい子供だったし、お互いがお互いに対して、とっても優しく、そしてとっても甘かったから。

 

 だから、こうして馬鹿みたいに喧嘩しているのが、すごく新鮮に感じた。

 

「生きる意味がなくなった? 何甘えたこと言ってんだよ、馬鹿!! そんなのなぁ、与えられるだけじゃなくって、自分で作れよ! 自分で見出せよ!! お前の人生だろ、アキ・ポッター!」

 

 その言葉に、ハッとした。

 

「君は幣原秋じゃない! 君がいつも言っていることだろ! 君は僕の弟のアキ・ポッターだ!! レイブンクローの一番の大馬鹿野郎だ、レイブンクローの面汚しだ!」

「レイブンクローを悪く言うなよな! グリフィンドールの単純馬鹿! 君だって無謀無策でいっつも突っ込んでいく癖に! 君が生き残っているのは運がいいからだ!」

「そうだよ、僕は運がいいんだ! 決して、君に守られてきたからここまで生き延びた訳じゃない!! 馬鹿にするなよアキ・ポッター! 僕を見縊るな!! 僕は決して君を諦めないっ、絶対に、絶対に運命に屈しない! 君とは違う! 膝を屈して、闇に付け込まれたりしない!!」

「…………っ」

 

 言葉に詰まった。

 

「アキっ!」

 

 その声に、目を瞠った。ハリーの後ろからぴょこんと飛び出してきたのは、誰あろう、アクアだった。泣きそうな表情で、手すりから身を乗り出し、ぼくに手を伸ばしてくる。

 無理だよ、君じゃあぼくの体重を支えきれないよ、一緒に落ちてしまう。

 

「馬鹿ぁ! 何、勝手に、どっか行こうとしてんのよ! 残された者の気持ちを少しは考えなさいよ!」

 

 アクアは、一生懸命にぼくに手を伸ばしながら、叫んだ。

 

「祈ってなんかあげないわ、あなたみたいな大馬鹿野郎には! どんなに無残な死に方したって、絶対に祈ってなんかあげないんだから! あなたが死んだことを後悔するくらい、あなたに縋って泣いてあげるんだから!! 私のことが好きだって言うのなら、一緒に生きてよ! 誰よりも幸せにしてちょうだいよ!!」

 

 ――あぁ。

 

 ぼくは、なんて。

 

「生きる理由なんて、そこら中にあるだろ、馬鹿野郎! アクアを残して逝く気かっ、なら思いなんて初めっから伝えるな! ずっと胸に秘めてそして死ね!!」

 

 ハリーが、思いの丈をぼくに叫ぶ。

 

 ――ぼくは。

 

「ぼくは、生きていても、いいの……?」

 

「いいに決まってんだろ、馬鹿野郎」

 

 そう言って、アクアの後ろから、アリスが顔を出した。アクアの肩をしっかりと掴み、彼女が落ちないようにする。

 

「とっとと掴め。さもないと、お嬢サマに殺されんぞ。良かったな、どっちでも死ねる」

「……は。アリス、君は全く……っ」

 

 そっと、アクアに左手を伸ばした。アクアははっとした表情を浮かべると、両手でぼくの手をしっかりと掴む。

 

「アキっ!?」

「アキ、馬鹿なことは止めなさい!」

 

 そう叫ぶのは、ロンとハーマイオニーだ。二人はハリーを両側から手助けするように、ぼくの右腕をそれぞれしっかりと掴む。

 

「アキ殿下よ、何やか楽しそうなことをやっておいでですな」

「俺たちも混ぜてくれねぇか?」

 

 そう言ってひょっこりと姿を見せたのは、フレッドとジョージの双子だ。その後ろには、「アキ死んじゃ嫌よ! 馬鹿ぁ!」と大粒の涙を零すジニーの姿。

 

「馬鹿馬鹿言われて可哀想だから、僕らはド阿呆とでも言おうかね?」

「レーン、それもそれでどうかと思うぞ。まぁアキがドがつく阿呆だということに異論はないが」

 

 同室の友人、レーンとウィルの姿もある。全く、誰も彼も、ぼくのことを好き勝手言いやがって。

 

「君は幣原秋じゃない。アキ・ポッターだ。君が君だからこそ、幣原秋ではないからこそ、今君は、これだけの人に囲まれているんだ」

 

 ハリーは、にっこりと笑った。

 

「君を愛する者のために、君は生きるんだよ、アキ」

 

 引き上げられたぼくは、いろんな人にもみくちゃにされた後、アクアの前に引きずり出された。

 アクアは、涙が零れる三秒前、のような顔をしていたが、ぼくに相対すると、いよいよ声を上げて泣いてしまった。ぽかぽかと両手で、手当たり次第にぼくを殴りつける。

 案外、アクアの拳は痛かった。

 

「馬鹿め」

「……まだ言うか」

 

 むぅっと唇を尖らせてアリスを見上げると、アリスはうりうりとぼくの頭を乱暴に撫でた。

 

「……まぁ、焦った。お前、思い切り良すぎ。もう少し思い悩め、馬鹿」

「そんなこと言うの、本当、君だけだよ、アリス」

 

 まぁ、だからこそ、アリスの言葉には救われるのだけれど。

 でも、そんなことを本人に言うのは癪だから、黙っておくことにする。

 

 ハリーは、ぼくと別れてすぐさまぼくを探しに校内を走り回ったらしい。その際手当たり次第にアキを探してくれと触れ回ったから、とにこやかに言われ、思わず顔が引きつった。これからしばらくの間は、いろんな人にやいのやいの言われるのだろう。

 

 でもまぁ、それも悪くはないのかもしれない。

 

 色んな人に怒られて、色んな人に殴られた。殴りも怒りもしなかったのは、珍しくもアリスだけだった。

 ハーマイオニーには抱きつかれつつも怒られたし、ジニーは大泣きしながらもぼくに綺麗な右ストレートを決めてきた。おかげで、左の頬が腫れている。しばらくはこの腫れも引かなさそうだ。

 

 ハリーを医務室に送り届けて、ついでにぼくの左頬もガーゼで覆ってもらって、ぼくは同室のメンバーであるアリスとウィル、レーンと共に、レイブンクロー寮へ帰った。

 

「もう、馬鹿な真似起こすんじゃねぇぞ」

「そうそう、アリスを心配させんなよー、心労で死ぬぞ」

「ウィルが先にアリスに殺されそうだけどね」

 

 ケラケラ笑うレーンが、ぼくの寝室のカーテンを閉めた。

 見慣れたはずのベッドも、自分の机も、何故だか新鮮だった。

 

 まるで、一度死んで、もう一度生まれ直したかのようだ。

 

 ――いや、本当に、多分、あそこで一度死んだんだ、ぼくは。

 

 迷って立ち止まっていた自分は、時計塔から飛び降りたときに、死んだんだ。

 

 ふと、机の上の紙に目が止まった。ぼく、こんな紙、出しっぱなしにしていただろうか。

 何の気無しに手にとった瞬間、思い出した。リドルの日記の切れ端だ。

 

 ぱらり、と裏返す。

 

 そこには一言、流れるような綺麗な文字で、こう書いてあった。

 

『そう簡単に死なれちゃ困る』

 

 ……なーるほど。道理で、やけにお喋りだった訳だ。

 

「死ぬのがどんなか体験出来なくて残念だったな、バーカ」

 

 右手の小指に嵌まる指輪に向かってそう言うと、ぼくは笑った。

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