「ピアス開けろ、だぁ?」
アリスの言葉に、アクアマリン・ベルフェゴールは、意を決した表情でこっくりと頷いたのだった。
時は春。長く厳しい冬が終わり、重く分厚く雪が降り積もっていたここ、英国でも、時折暖かな日差しが差し込むようになった三月。
せっかくのうららかな天気、外に出ないのは勿体ない。そう思って同室の友人、アキ・ポッターを誘ったのだが、素っ気なく断られてしまった。その時のアキの目が「こんなに寒いのに外に出るとか馬鹿か? こいつ」と、まるで正気とは思えないものを見るようなものであったことは言うまでもない。
アキに断られ、他に楽しく遊ぶような間柄の友人もおらず、かといって外に出ないのは負けた気分になるため、一人で木陰に寝転がり昼寝をしていたアリスだったが、その眠りは突然の闖入者によって妨げられた。
「……フィスナー」
アリスの肩を揺する、小さな手。小さな声。うとうととした心地好いまどろみに身をたゆたわせていたアリスだったが、その声に眉を寄せると目を開けた。
「……お前か……何」
寝起きのためか、声が尖る。中々に凶悪な面構えであったが、しかしアクアは怯むことなく平然と「起きて」と命じた。
長年の付き合いのためだろうか、外見、中身共に不良のアリスにもアクアはちっとも引きはしない。
「んだよ、ったく……」
文句を言いながらも身を起こし、目を開ける。髪を手櫛で軽く整えれば、アクアが手を伸ばし、アリスの服についた枯れ葉を掃った。気にせず、朝方ワックスで整えた髪の乱れを直す。そしてその場に胡坐をかくと、目を細めてアクアを見た。
「で、何の用だよ、お嬢サマ」
厳格にきっちり留められたボタン、緩まないように気を遣われたリボン、シワのないプリーツスカート。何処からどう見ても文句のつけようがない程に完璧に制服を身に纏い、その小さく華奢な身体からお嬢様然としたオーラを醸し出している幼なじみの少女、アクアマリン・ベルフェゴール。何処から何処まで自身と正反対な少女を見て、つくづく己とはそぐわない奴だ、と思う。
周りからは、このツーショットはどう見えているのだろうか。せめて、優等生の女子を不良が恐喝しているような図に見えなければいいのだが。
「……あのね、フィスナー」
ぎゅっと、アクアは拳を握り締めた。きゅっとスカートにシワが寄る。
顔を上げたアクアは、真剣な目をしてこう言った。
「ピアスを開けて欲しいの」
◇ ◆ ◇
「……何でまた、急に」
別にピアスが珍しかった訳ではない。生徒の中には、親の意向で生まれた直後からずっとつけ続けている者もいるし、校則で禁止されている訳でもない。歳が上がるにつれ、お洒落感覚でのピアスもだんだん増えてくる程だ。
アクアもその、お洒落感覚なのだろうか? どうも、このお嬢様がお洒落をするという感覚が上手く掴めなかった。
幼い頃から、まるでお人形みたいに可愛らしいドレスを纏った姿などは沢山見てきたが、それはあくまでも親の好みであって、本人は別にそういうものに興味がないようだったからだ。実際雑貨屋に連れていっても何の興味も示さず、ただ退屈そうにその辺りの小物を弄っていた。そんな思い出があるからこそ、なおさら不思議に感じる。
「……えっと、その」
言葉に詰まったようにアクアは黙り込み、指先で髪の毛を弄り出した。やがて、照れ臭そうにぽつりと呟く。
「アキから……誕生日に、ピアスを貰ったの」
あぁ、と一拍遅れて納得する。それなら、突然そんなことを言い出すのも納得だ。
ゴソ、とアクアは制服のポケットから小さな紙包みを取り出すと、中身を手の平に落とした。そしてつまみ上げ、アリスの目の前に掲げる。
「……可愛いって、絶対似合うって言われて。アキのあんな顔見たら、断れなくて。でも、一人で穴開けれるような勇気が出なかった」
「……だからって、何で俺だよ。友達に手伝ってもらえばいいだろ、そんなの」
「? ……フィスナーは友達でしょ?」
きょとんとした顔で言われて、思わず頭が痛くなる。そういう意味で言った訳ではないのだが。日の光に映える綺麗な青色に目を細めると、手を伸ばした。
「何だこれ、宝石?」
「……うん。アクアマリン、なんだって。君の名前を知った時から、いつかプレゼントしようと決めてたんだって言ってた」
「……よっくそんな台詞が臆面もなく吐けるよなぁ、あいつも」
自分には死んでも無理な芸当だ。
首筋が痒くなって、右手で掻きむしった。と、アクアが顔をアリスに近付けてくる。すわ何事かと驚いたが、ただ左耳のピアスを見たかっただけらしかった。
「……これ、自分でつけたんでしょ? ……どうだった? ……どのくらい痛いの?」
手を伸ばして触れようとするアクアを押し止め、小さく息を吐く。悪戯心が湧いて「目茶苦茶痛いぞ、お前なら泣くかもな」とデマカセを言ってやった。すると予想通り、「え……」と不安げな顔をする。
「片方だけの俺でもそうなんだから、両方開けようとするお前の根性はすげぇな、見直した」
「……え、っと、その……」
「いや、本当にお前はすげぇよ。ただのお嬢様じゃなかったんだな。好きな男のためだけにそれだけの犠牲を払うたぁ、見上げたもんだ」
「……う……」
「だが安心しろ! 俺がついてやる。お前の勇姿はちゃんと俺が見てやるからな」
補足だが、別段ピアスは専門の道具を使えばそれ程痛くはない。きちんと冷やしてやれば出血も少なく、アレルギーの心配も殆どない。
既にアクアは涙目だ。少し遊び過ぎたと反省する。
大きく咳ばらいをすると、「で……えっと、道具あんのか?」と尋ねた。眉をハの字に下げたままアクアはポケットをまさぐると、恐る恐ると言った体でピアッサーを差し出した。
「……母様が、アキからピアス貰ったって話したら、これ送ってくれたの」
「あぁ……」
ベルフェゴール家では確か、宝石の名前を子供につけるのが習わしだった。そして成人になると、その宝石をお守りとしてピアスにし、常に身につけられるようにする。その点で、今回名前と同じ宝石を貰ったアクアは、ある意味ラッキーであると言えた。
「うぅ……出来るだけ痛くないようにお願いします」
「え、今からやっていいのか?」
いいから早く、とアクアは目をぎゅっと瞑ったまま呟いた。嫌なことは早く済ませてしまおうとの魂胆か。そういえば昔から、嫌いなものから先に食べる奴だった。
ピアッサーの調子を確かめるため、軽くカチャカチャ動かすと、音が聞こえるたびにアクアはビクッと肩を震わせる。少々いじめ過ぎたか、と反省した。
そうっと、アクアの髪を掻き上げる。日の光に輝く銀髪を耳に掛けさせると、耳たぶに触れた。ぎゅうっとアクアの肩が強張る。
小さな耳。細い首。恐怖か羞恥か寒さか、微かにうなじが赤い。その赤さを強調するような白い肌。耳の後ろを通って鎖骨へ流れる筋を、思わず目で追った。
唐突に、彼女の首筋に頭を埋めたい衝動に駆られた。慌ててその幻想を打ち砕く。こいつは親友の彼女だ、手を出す訳にはいかない。
頭を振って雑念を追い出すと、ピアッサーで耳たぶを挟み込む。後はホッチキスのように、ただ力を込めればいいだけ。なのにアリスの手はそこで止まった。
「…………」
恐怖と戦うアクアの顔を、正面から眺める。小さく息をつくと、力を抜いた。するりと抜けた感覚に驚いたように、アクアは目を開ける。
「……え? 今……」
「……何もしてねぇっつの」
ポケットから杖を取り出すと、呪文を唱えながらピアスを軽く叩いた。そしてそれをつまみ上げると、アクアの耳にそっとつける。
「……お子様にゃあ、まだ早い」
「え!? ……だって……」
慌ててアクアはアリスに向き直る。その時に揺れる青い宝石。耳についたそれに触れるアクアに、肩を竦めた。
「そりゃ、ただのイヤリングだ。たかがピアス穴開けるだけでビビってるお子様にゃ、丁度いい代物だろ?」
「っ! ……馬鹿にして!」
今度は羞恥に頬を染め、逆はの字に眉を寄せるとアリスを睨む。はっ、と鼻で笑うと無理矢理頭の向きを変えさせて、逆側にもピアスを付けてやった。
「耳に穴開けるのにビビらなくなってから来い、お嬢様が」
「う……うるさい馬鹿! もぅ……」
引っ張れば取れる代物に、しかしアクアはそれを外しはしなかった。唇を尖らせアリスを見詰めていたアクアだったが、やがて下を向いてしまう。その頭を軽く撫でてやった。
「ほーら、早くアキに見せてやれ、お嬢サマ。身の安全だけは確保しとけよ? あいつが我に返る一言も用意しとけ。まぁあいつにゃそんなこと出来ないだろうけどな」
「……馬鹿フィスナーの癖に」
「はいはい、どうせ俺は馬鹿ですよ」
むぅ、と何か言いたげにむくれるアクア。笑ってもう一度頭を撫でれば、居心地悪そうにアクアは触られた所を整えた。
「ほら、行ってこい」
「…………ありがと」
消え入りそうな声を、しかしアリスの耳は漏れなくキャッチする。しかし聞こえなかった振りをして、そのままアクアの背中を押した。
「……はぁ」
静かになった木陰で、最初のようにアリスは寝転がる。
「……らしくねぇ、俺」
眩しさに、思わず目を閉じた。