【完結】空の記憶   作:西条

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第4話 笑顔

 ジェームズが言う通り、ポッター家にはたくさんの書物が置いてあった。地下に広がる数多くの蔵書に、ぼくは目を輝かせる。

 

 その地下室で、ぼくとジェームズは思い思いに本を読み、時折思い出したように宿題に手をつけ、『忍びの地図』のアイディアを思いついては羊皮紙に向かうという、そんな時間を過ごした。

 

 ジェームズのご両親は、ぼくにとてもよくしてくれた。まるでぼくを、実の息子のように扱ってくれる。

 変に気を遣わないで放ってくれるその感じは、ジェームズの人付き合いの仕方ととてもよく似ていて、あぁ、ジェームズの家族なんだなぁ、と、しみじみと思った。

 

 ふと気を抜けば、物思いに沈んでしまう最近のぼくにとっては珍しく、ぼくは快適に夏休みを過ごしていた。

 

 

 ◇ ◆ ◇

 

 

「ジェームズ、君に、話しておかなくちゃいけないことがあるんだ」

 

 暖かな昼下がり。日の当たらないはずの地下室には、おそらく魔法でだろう、窓があり、世界の様々な場所の風景を代わる代わるに映し出している。

 昨日は、清水寺の素晴らしい紅葉だったし、今日はバータラ峡谷の、現実とは到底思えないくらい美しい景色が、窓の外に広がっている。

 

「何?」

 

 ジェームズは、本に目を落としたままぼくに問いかけた。

 

「リリー・エバンズのことなんだけど」

 

 その言葉に、ジェームズの動きが固まった。

 やがてパタンと本を閉じると、ぼくに向き直る。

 

 そのハシバミ色の瞳から目を逸らし、ぼくは口を開いた。

 

 ――ぼくは日本人だから、キリスト教徒である人の気持ちは分からない。

 

 だけれど、神に懺悔する人の気持ちは、おそらく今のぼくの気持ちと、ほとんど変わらないだろう。

 

 そう、思えた。

 

「付き合ってるんだ、リリーと」

 

 

 ◇ ◆ ◇

 

 

 ぼくの話に、ジェームズは黙って耳を傾けていた。途中、声が震えてどうしようもなくぼくが黙り込んだときも、決して続きを急かさず、ぼくが再び口を開くのを待っていてくれた。

 

 ジェームズのそういうところが、ぼくはきっと、この上もなく、大好きなのだった。

 

「君たちの関係が変わったことには、気付いていた」

 

 ぼくの話を聞き終わったジェームズは、二、三度静かに瞬きをして、そう言った。

 ぼくの絶望した表情を見てとったか、慌てたように「違う、付き合い始めたとか、そういうことが見て取れたってわけじゃないよ」と付け足した。

 

「君とエバンズが仲がいいのは、知っていたし……そこにスネイプが今まではいたのに、いなくなってしまった、ということを指して、『関係が変わった』と言ったまでさ……混乱させてすまない」

「あ、あぁ、そういうこと……」

 

 僅かに安堵した。

 

「どうして、付き合っていることを誰にも知られたくないんだい? 僕だったら、エバンズと付き合えたら逆立ちでホグワーツを一周しながら誰彼構わず自慢しまくるだろうに。まぁ、それは僕だけの特殊形態だろうとて、君だって健全な男の子だろう。なんで? エバンズが君の好みじゃない?」

「……そういうことじゃない。リリーは可愛い、それはその通りだ……」

「あぁ、あの深い緑の綺麗な瞳とか、素晴らしいよね」

「さらっさらの赤毛とか、本当に綺麗だよね」

「分かる。気が強いところもいいよね」

「でも、リリーの笑顔はとても可愛らしいよ。……そう、すごく。ぼくは、あの笑顔が大好きなんだ」

 

 ぼくは、そうだ。

 あの笑顔を、ずっと見ていたかっただけなんだ。

 

 滅多に見られなくなった、あの笑顔を。

 

「……リリーは、可愛いし、美人だ。ぼくにはもったいないほどに……そう、ぼくにはもったいないんだ、あの子は」

「ランク上の女の子をゲットしたことを喜びこそすれ、沈むべきではないと思うよ、普通はね。……本心を言ってごらん、秋。今更、僕に隠し事はなしだよ」

 

 ジェームズには、何もかもお見通しのようだった。ぼくは息をついて「……分かったよ」と目を伏せた。

 

「……罪悪感で、一杯なんだ。ずっと。リリーと付き合い続けることが、あの子の……あの笑顔を見ることが、苦しくて仕方ないんだ……っ、どうしてなのか、分からない……全く、分からない。ぼくは、ぼくはただ、リリーと、そしてセブルスと……ずっと一緒にいたかっただけなんだ」

「……ずっと一緒にいられる関係なんて、ないんだよ、秋。……なんて、君には愚問だったかな」

 

 ジェームズはそんな言葉を、ぽつりと口にした。

 

「そうだね……。でも、信じてたんだ。一年生のとき、ひとりぼっちだったぼくを、引っ張りあげてくれたのは、セブルスとリリーだった……ずっと、一緒にいてくれるって……『もう、君を一人にしないから』って言ってくれたあの言葉を、ぼくは思っていた以上に、頼りにしていて……縋って、生きてきていたんだ、きっと」

 

 それが、酷く脆い言葉だと、気付いていたとしたところで。

 何も、根拠がない言葉だと、分かっていたとしたって。

 

 この関係が、いつ崩れるかも分からないものだって、理解していたはずなのに。

 

 見ないふりをしてきた。いろんなもので取り繕って、ぐらぐらな支柱を、倒れないように一生懸命支え続けてきた。

 

「ぼくは、バカだよ……何もかも、失ってから初めて、気がつくんだ。何よりそれらが、手放しがたい宝物だったのか。どれほど、それらに自分が……救われていたのか」

「……あまり自分を責めるなよ、秋。エバンズとスネイプが仲違いをするのは、ある意味では必然だった。グリフィンドールとスリザリンの対立は、あまりに根強いし……それに、時代が時代だ。君らは『合わなかった』のだろう? スネイプの考える思想に。マグルを魔法使いが、自分たちが支配するという選民思想に。その『合わなかった』という、どうしようもない感覚の違いがある限り、エバンズとスネイプの別離は、避けられなかったと思うよ。君はただ、巻き込まれただけだ。すぐ近くにいたから、巻き込まれた、それだけだ。君がいてもいなくても、遅かれ早かれ、あの二人の進む道は別れていた、僕はそう思うよ」

「……そんな、こと。……いや、そうかもしれないけど……だけど」

「秋」

 

 言い淀むぼくに、ジェームズは存外、優しく言葉を掛けた。

 

「君が好きな道を選びな。いつだって僕は、君の意志を尊重してきた。今までも、そしてこれからも。……君が、やりたい方を選べばいいよ」

「……ぼくが、やりたい方」

「そう。秋は結局、エバンズとどうしたい? 今のまま付き合い続ける、それもまた一つの手だろうさ。エバンズは君のことが好きだし、君もエバンズのことが好きなんだろう? それはそれで一つのハッピーエンドだ。それがたとえ傷の舐め合いだったとて、一人減った分の埋め合わせとして、代替品として互いを求める行為だとして、それを咎める者は誰もいない。そういう恋愛を、誰も否定は出来ないよ。そう……渦中の二人以外は」

「…………」

「別れる、それも君は選択することが出来る。二人でいることにそれほど苦痛を感じているのなら、離れることも一考する価値がある。お互いがお互いを好きで、好き合って付き合ったとしたって、一体生涯添い遂げるカップルの割合はどれほどだろうね? 君の潔癖さが、今のような付き合いを許さないというのなら……君の純粋な精神が、今のような恋愛に堪えられないというのなら、別れるのもいいと思うよ」

 

 ぼくは両手の指を合わせて、ジェームズの声を聞いていた。

 一度目を閉じ、息を吐くと、目を開ける。

 

「……ジェームズは、リリーのことが好きなんじゃないの? 君にとっては、ぼくらにとっとと別れて欲しいんじゃないの? いや、まずそもそも、ぼくは君の想い人と付き合ってるんだよ。ぼくに対して『なんて奴だ!』とか『僕のエバンズを取りやがって!』とか、そうは思わないの?」

 

 ジェームズはぼくの言葉に、ふむ、と少し考え込んでいたが、やがて首を傾げた。

 

「そうだね、僕はリリー・エバンズに好意を抱いている。彼女とあれやこれや君には到底想像もつかないことをしたいと思うし、実際彼女とあれやこれや出来る関係である君の立ち位置が羨ましいとは思う。エバンズとデートしたいし手を繋ぎたいしキスしたいし、出来ればそれ以上もやってみたいと思う。……でも、それとこれとは別なんだ」

「別?」

「僕が、友人の幸せを心から願ってるっていう想いと、僕の恋愛感情は、別だってこと」

「…………」

「君が幸せになれる道を、選ぶんだ、秋」

 

 目を伏せた。指先を合わせ直す。

 

「……ぼくは、バカなガキだから……恋愛ってもっと、キラキラしてて、その子と一緒にいると幸せだ、何だって出来る、そういうものだって……何も考えず、思ってたんだ」

「…………」

「だから、こういう……お互い好きで付き合ったはずなのに、どうしようもなく辛くて、やるせない、こんな想いがあるなんて、知らなかった」

「……秋」

「ぼくはね、ジェームズ。ぼくの、一番の願いはね……リリーに幸せになって欲しいんだ。それだけ、なんだよ」

 

 顔を上げると、僅かに微笑んだ。

 ジェームズは、少し眉を下げて、ぼくを見ていた。

 

「ぼくの隣じゃなくていい……ぼくの隣にいることで、リリーが今までのように笑えなくなるのなら、ぼくはリリーの隣にいるべきじゃない。ぼくは……ぼくは、あの子の笑顔が、氷までも溶かしてしまうような、暖かな陽だまりのような笑顔が……本当に、大好きなんだ。あの笑顔を、もう一度見ることが出来たら……ぼくは、もう、それだけでいい」

「……それが、秋の望み?」

「そう。ぼくの、本心からの望み」

 

 ジェームズはぼくから目を逸らすと、ぐしゃぐしゃと髪を掻いた。

 

「……無欲な奴だね、君は」

「……そんなことないよ」

 

 小さく頭を振った。

 

「でも、うん……そう、なのかな」

「そうなんだよ。普通、欲しいものは自ら手放さない」

「リリーを手に入れたかった訳じゃない、ぼくは」

 

 そう、元々は、そこの違いだ。

 ぼくもリリーも、お互いこの想いを伝える気はなかった。

 そこを間違えて、間違えてしまって、ぼくらは今、ここにいる。

 

「……それで、君は本当にいいのかい、秋?」

 

 その言葉に、ぼくはにっこりと笑った。

 

「いいんだよ、ぼくは」

 

 

 ◇ ◆ ◇

 

 

『不死鳥の騎士団の本部は、

 ロンドン グリモールド・プレイス 十二番地に存在する』

 

 ぼくとハリーがその羊皮紙を読み終わると、羊皮紙は一人でに火が付き、細かな灰となって空気中に掻き消えた。瞬間、マグルの家と家の間にお屋敷が、両側の家を押しのけて現れる。重厚な、というと聞こえはいいが、古びて傷んでいる家だ。どことなく陰気で湿っぽい。

 

 リーマスが杖で扉を一回叩くと、扉が開いた。昔の『不死鳥の騎士団』と、仕組みはそう変わらないようだ。

 

「早く入るんだ。でも、あんまり奥には入らないようにね。そして、何も触らないように。トンクスも」

「分かってるって!」

 

 リーマスがぼくらの背中を押した。

 玄関ホールは真っ暗だ。廃屋の匂いがする。掃除の手が全然入っていないようだ。

 

「まぁ、ハリー、アキ! また会えて嬉しいわ!」

 

 と、扉の奥からモリーおばさんが姿を現した。ぼくらをぎゅっと抱きしめる。

 そしてモリーおばさんはぼくらの後ろ、リーマスたちに対して急かすように「あの方がいましがたお着きになって、会議が始まっていますよ」と囁いた。「ほう」や「へぇ」などという声と共に、リーマスやトンクスたちが扉へと入っていく。

 ハリーは付いていきたげな顔をしたが、モリーおばさんに釘を刺された。

 

「ダメよ、ハリー。騎士団のメンバーだけの会議ですからね。ロンもハーマイオニーも上の階にいるわ。会議が終わるまで一緒に待ちなさい。それから夕食にしましょう」

 

 モリーおばさんはぼくらを手招きし、先頭に立って歩き出した。

 黄ばんだカーテンに覆われた壁に、暗い階段。屋敷しもべ妖精の首の剥製がずらりと並ぶ廊下。なんともまぁ、陰気臭い家だ。不死鳥の騎士団の持つ金と紅のイメージからは程遠い。

 

 ぼくらの寝室の場所を教えると、モリーおばさんはせかせかと階段を降りて行った。

 ぼくらは顔を見合わせる。

 

「一体何が?」

「さぁ……」

 

 ハリーは誰も説明をしてくれない不満からか、少々乱暴にドアノブを掴んで捻った。

 中に入ろうとしたその瞬間、叫び声と共にハーマイオニーがハリーに飛びつく。ハリーは堪え切れずに尻餅をついた。

 

「ハリーだわ! 元気なの、大丈夫なの? 怒ってたわよね、私たちの手紙が役に立たないことは知ってたの――でもあなたに何も教えてあげられなかった。ダンブルドアが――あぁ、話したいことがいっぱいあるのよ。あなたもそうでしょうね――吸魂鬼、吸魂鬼ですって! それに魔法省の尋問のこと――魔法省はあなたを退学には出来ないわ。『未成年魔法使いの妥当な制限に関する法令』で、生命を脅かされる状況においては魔法の使用が許されることになっててね――」

「ハーマイオニー、ハリーに息くらいつかせてやれよ。ようアキ、元気かい?」

 

 ハーマイオニーの影から、ロンが姿を現した。ぼくを見てにやっと笑う。

 

「また背が伸びた?」

「まぁね。服が合わなくってしょうがないよ」

「いいなぁ、ぼくもそんなこと言ってみたいよ」

「そういうアキも、少し背が伸びた?」

「ちょびっとだけね。嬉しいことを言ってくれるじゃない」

 

 ハーマイオニーが離れて、やっとハリーは落ち着きを取り戻したようだ。

 落ち着きと一緒に今までの不満も思い出したらしい。足取りも乱暴に部屋の中に入ると「で?」という低い声と共に、ロンとハーマイオニーを睨めつけた。

 

「僕らに何の知らせもくれないまま、君たちは一緒にいたわけだ。僕らは夏休みにあのダーズリー家に缶詰だったというのに、君たちは一緒に楽しいバカンス。そうだろう?」

 

 ハーマイオニーとロンの笑顔が、すぅっと消えてなくなった。

 ハーマイオニーが慌てて申し訳なさそうに言う。

 

「ごめんなさい、ハリー。でも、私たち、ダンブルドアが言ってはいけないっておっしゃって……」

「僕に何も言わないって? へぇ、そうかい」

「ダンブルドアは、君がマグルと一緒の方が安全だと考えて……」

「へー、じゃあ、君たち、夏休みに吸魂鬼に襲われたとでも?」

「そりゃ、ノーさ、だけど……」

「それでも僕に知らせることは出来たはずだ!」

 

 ハリーの癇癪がとうとう爆発した。

 ぼくは小さく息を吐くと、気配を消して部屋を抜け出した。

 

 何の気無しに階段を上る。やがて最上階に辿り着いた。

 部屋は二つ。ふと扉にかかった表札を見て、ぼくは目を瞠った――『シリウス』と書かれている。

 

 もしかして、と、もう一つの部屋の前に歩み寄った。ドアに小さな文字で書いてある。

 

『許可なき者の入室禁止 レギュラス・アークタルス・ブラック』

 

 そうか、ここはシリウスの家なんだ。

 そう思うと、なるほど納得がいった。細やかな装飾のいたるところに蛇が描かれているのが、さっきから気になっていたのだ。

 

 レギュラスの部屋のドアノブに手を掛けるも、開かない。鍵が掛かっているのか。

 レギュラスらしい。小さく笑った。

 

 軽く指を鳴らすと、カチリ、と鍵が開く音がする。押し開いて、ぼくは辺りを見回した。

 

 スリザリンカラーの緑と銀で、壁もカーテンもベッドも全て統一されている。年月が経ち、色が変わった新聞の切り抜きが、ベット脇のコルクボードに貼り付けてあった。近付いてよく見ると、それは全てヴォルデモートに関するものだった。

 

 机の上には、写真立てが二つ置かれていた。

 一つは、スリザリンのクィディッチチームで撮られたものだ。レギュラスはその一番前の真ん中に座って、静かに微笑みかけていた。

 

 そして、もう一つの写真立てには。

 一体いつのものなのだろう――よく似た幼い兄弟が、それぞれ若い父親と母親に抱えられ、無邪気な笑顔をこちらに向けていた。

 

 思わず手に取ると、軽く埃を払う。

 

 ――レギュラス、君は。

 一体どんな思いで、この写真を飾り続けていたのだろう? 

 

「アキ」

 

 呼びかけられた声に、目を遣った。

 ハリーが立っていた。

 

「落ち着いた?」

 

 ぼくはそっと笑いかける。

 ハリーはバツが悪そうに頬を掻くと、小さな声で「……ごめんね」と囁いた。

 

「その謝罪は、ロンとハーマイオニーに向けるべきだ。そうだろう?」

「……うん」

 

 ごめん、と、ハリーはもう一度呟く。そして振り払うように、ハリーは笑顔を浮かべてみせた。

 

「夕食だって、モリーおばさんが呼んでる」

「分かった。ありがとう」

 

 ぼくはそう言うと、今まであった場所にそっと写真立てを置き直した。

 

 幼い少年二人は、いつまでも無邪気に、笑っていた。

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