【完結】空の記憶   作:西条

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第9話 初恋は実らない

 言葉を告げた後の、リリーの表情は、安堵とも悲哀とも、なんとも形容しがたいものだった。

 

「リリー、ごめ……」

「謝らないで」

 

 リリーの、涙に濡れた、しかし鋭い眼差しに射抜かれ、ぼくは口を閉ざした。

 

 一回目の、ホグズミード休暇。

 ぼくは、道外れの喫茶店で、リリーに別れの言葉を告げたのだった。

 

「……秋は、すぐに謝る……ずるいよ、秋は……謝れば、それで済むって思ってるんでしょ?」

「……何度だって、謝るよ。だって、君を泣かせたのは、明らかにぼくなんだから」

 

 リリーは両手で顔を伏せた。

「泣いて、なんてないわよ……」と意地を張る。

 

「……ぼくと一緒にいても、リリーは幸せになれないよ……気付いて、いるんでしょ?」

 

 リリーは賢くて、頭がいいから。

 気付いていることくらい、分かっているよ。

 

「……秋。私ね、好きな人と一緒になれたら、どんなに幸せなんだろうってずっと思っていたのよ」

「…………」

「恋をして、毎日楽しそうに彼の話をする友人を見て、いいなぁって、私もこういう風になりたいなぁって、ぼんやりと憧れていたの。……なのに、一体どうしてなんだろうね。なんで、こんなに息苦しいんだろう。どうしてこんなに、胸が詰まるんだろう。秋が、すぐ隣にいるのに……どうしてこんなに、悲しいんだろうって」

 

 君も、ぼくと同じ気持ちだったのか。

 遅かれ早かれ、ぼくらはこうなっていた。

 

 この恋は、決して実らない。

 ならば、咲かない花を待つよりも早く、手折ってしまうべきだろう。

 

 リリーは顔を上げると、微笑んだ。

 涙に濡れた、けれども吹っ切れたような、笑顔だった。

 

「……手を、繋いでもいい?」

 

 リリーはおずおずとそう尋ねた。

 

「大通りに出たら、手を放すの。それで、もう全部、終わり。私と秋は、今までも、そしてこれからも、友達で、親友だった」

「……分かった」

 

 リリーの手を取り、指を絡める。

 ほっそりとした手は、冷たかった。

 

 お会計を済ませ、店の外に出る。黙って、二人で並んで歩いた。

 自然と、足取りは遅くなった。

 

「……ふふっ」

 

 大通りに出る道と、更に脇道に入る道。そんな三叉路で、思わず脇道を選んでしまったぼくに、リリーは僅かに笑った。

 

「好きよ、秋。あなたのそういうところもね」

「……ありがとう、リリー」

 

 人気のない道を、ゆっくりと歩く。

 しかし、時間はぼくらを待ってはくれなかった。帰らなければいけない時間が、迫ってきていた。

 

 変なの。ぼくが、この関係を終わらせようとしたのに。

 こうして、この時間が終わるのを惜しむなんて。

 

「……ずっと、この時間が続けばいいのに」

 

 心の声が、漏れたのかと思った。

 隣でリリーは、ぼくが考えていたことと、全く同じことを呟いていた。

 

 ぼくが、この、ぼくが。

 リリーを傷つけることしか出来ないぼくが、一体どの口で、その言葉に同意出来るだろう。

 聞こえなかった振りをして、ぼくはただ、足元を見つめ続けた。

 

「ここで、いいよ」

 

 リリーは大通りの喧騒が聞こえてきたあたりで、ふと足を止めた。

 ぼくを見て、にっこりと笑う。

 

「次のホグズミード休暇も、一緒に来ましょう、秋。次は、友達同士として」

「……うん」

 

 ぼくも、笑った。

 

 リリーが、ぼくの手を放す。ぼくに背を向け、歩いて行く。

 

「…………っ」

 

 手を伸ばしかけた。

 

 行かないで、リリー。

 

 好きだよ、大好きなんだよ。

 

 ずっと前から、君のことが。

 

 

 ――そんなこと、言えるわけがない。

 

 

 伸ばしかけた手を、引っ込める。リリーの後ろ姿を見ながら、歯を食い縛った。

 

「幸せになって……リリー」

 

 それが、ぼくの望みなのだから。

 

 

 ぼくの初恋は、静かに終わった。

 知る人は、今はもう、ぼくしかいない。

 

 

 ◇ ◆ ◇

 

 

「無罪放免! どーれ見たことか、そりゃそうだろう!」

 

 シリウスは笑顔で言うが、一番心配していたのはシリウスに違いない。リーマスも呆れた顔で笑っていた。

 

 夏休み最後の日。明日、ぼくたち学生は、ホグワーツ特急にてホグワーツに帰らなければならない。

 シリウスがそのことを残念がっているのを、ぼくやリーマスは知っていた。

 

 台所では、モリーおばさんが腕によりをかけた料理を作っている。ロンとハーマイオニーが監督生に選ばれたことについてのお祝いだ。

 正直、これには少し驚いた……てっきり、ハリーだと思っていたのだが。いや、ロンが選ばれたことに対して不満があるわけじゃない。……まぁ、ハリーはあまりにも厄介ごとに巻き込まれすぎた。

 

「しかし、大法廷で裁かれるとはね……魔法省は徹底的に、ハリーを敵と見なしたな」

「あぁ……そのようだ」

 

 両手で紅茶のカップを持ちながら、ぼくは小さく頷いた。

 

「わざわざウィゼンガモットの、それも一番の大法廷でだなんて……あそこは確か、『死喰い人』級の極悪人を裁くための場所じゃあなかったか。我が親愛なる従姉妹様のような」

「あぁ……そうか、そう言えば、君の従姉妹に当たるのだったね、ベラトリクス・レストレンジは」

「あぁ」

 

 シリウスの瞳に暗い影が過ぎる。ぼくとリーマスが伺うよりも、シリウスが表情を切り替える方が早かった。

 隅で頭を寄せ合いヒソヒソ話をする双子の元に歩み寄ると、「今度はどんな悪戯を考えてんだ、え?」と豪快な笑い声を上げた。

 

「シリウス、しーっ、し! ママに聞かれたら俺ら死んじまうだろ!」

「おお、そりゃあ悪かった。だがな、君たち、我らが悪戯仕掛人の意志を継がんとする同胞よ。私だったら、そのドクシーの粉末は発熱より嘔吐向けに使うぞ――」

 

 ぼくとリーマスも「おやおや」と近付くと、「私にも見せてくれないかな? これでも悪戯仕掛人の一人なんだよ」と笑った。

 

「まさかこんなところに、我らが敬愛してやまない悪戯仕掛人の面々が揃っていたとは」

「フィルチが凄まじい表情で悪行を言い立てる先輩が、まさかシリウスとリーマス、それに愉快なお仲間だったとはなぁ」

「あとは誰だっけ? ハリーのおっとさんと、あとは、えーと、ロニー坊やのでぶっちょネズミ?」

 

 その言葉に、ぼくとシリウス、リーマスの三人は声を上げて笑った。

 

「本当に、『忍びの地図』は素晴らしい作品だ、全くけしからん、全く素晴らしい」

「それにアキが尽力していたとは、さすが我らの可愛い弟分なだけはあるな」

「あぁ、何度もホグズミードへ繋がる通路や厨房へ行く道にはお世話になったものだよ」

「それにちょっとした深夜徘徊にも」

「ちょっとしたお散歩にもな」

「あぁ、あのハニーデュークスに繋がる道か。あの道は私たちもよく使ったものだ」

「毎回毎回、リーマスの目が輝いてたっけ。味覚異常は変わらないな」

「うるさいよ、レイブン」

「悪いね、ムーニー」

「常にチョコレートを持ち歩いてたっけか。今もか? ムーニー」

「パッドフット、おすわり」

「ちょっと、俺とアキの扱いが違いすぎないか!?」

 

 ぼくとリーマスは二人で笑った。

 

「しかし、ダンブルドアはハリーを監督生にすると思っていた」

 

 双子から離れつつ、低い声でシリウスは囁いた。

 やっぱり、シリウスもそう思っていたのか。

 

「きっと、何か考えがあるんだろう、あの人には」

「だけどそうすることで、ハリーに信頼してると示せたと思わないか?」

「この前ハリーが言っていた。ウィゼンガモットでダンブルドアが、一度も目を合わせてくれなかったと。妙じゃないか?」

「ダンブルドアのお考えは、最近さっぱりだ。今までも読めていたのかすら危ういがね」

「その通りだ……最近のダンブルドアは、ハリーをわざと危険に晒しているような気がする。この前の三大魔法学校対抗試合と同じように……」

 

 眉を寄せた。あの時のことは、未だに許せない。

 ハリーのこともだし、それに――セドリックのことも。

 

「とりあえず、だ。アキ。俺たちの分まで、ハリーをしっかり守ってくれよ」

 

 シリウスの灰色の瞳が、ぼくをしっかと見た。

 その目を見返し、ぼくは微笑んでみせる。

 

「あぁ……当たり前じゃん。なんのために、幣原がこんな身体にしたと思ってんの。ハリーを一番近くで守るため、そうでしょう?」

「まぁ、その割には詰めが甘いよね。あいつらしいと言っちゃ、あいつらしいけど。ハリーを守るんなら、グリフィンドールに入らなくっちゃ」

「あれは、帽子と戦って負けたんだよ……」

 

 思い出すにも口惜しい。口喧嘩に負けたのはあれが初めてだ。

 負けた、というか、押し切られた、とも言うか。

 

「でも、アキがグリフィンドールとか、想像付かねぇな。お前はやっぱりどこからどう見てもレイブンクローだ。なんというか、俺たちとは気性が違う」

「褒め言葉として受け取っておこう。グリフィンドール生は攻撃的過ぎる、穏やかなレイブンクロー生と違って」

「穏やかかねぇ、レイブンクロー生。時折舌鋒鋭くズバズバ言ってくる癖に」

「そりゃあ、そいつの論理展開が無茶苦茶だからだろ。論理の穴を見つけたら、指摘せずにはいられない性なのさ……あっ!」

 

 ふと大切なことを思い出して、ぼくは息を呑んだ。

 なんだなんだ、とシリウスとリーマスが不審げな顔を向けてくる。

 

「忘れてホグワーツに持ってっちゃうところだった……これ、シリウスに」

 

 そう言って、杖を差し出すと、シリウスは眉を寄せて受け取った。

 

「どういうことだ?」

「幣原の昔の『二本目の杖』らしいよ――この前魔法省に行ったとき、気付いたら持ってたんだ。どこから取ってきたのかは幣原に聞いてよね。気が付いたら、今までの杖の他にその杖と、鍵の束と、あいつの癖字で書かれたメモがあったんだから」

「君も全く、難儀なことだ」

 

 リーマスが同情を込めて呟いた。本当に、と肩を竦める。

 ふぅん、とシリウスは杖を軽くしならせたりくるくると回していたが、ひょいっと軽く手首を振り上げた。瞬間、空中に花びらが舞い上がり、ぼくに降り注いでくる。

 頭を振ると、髪に付いた花びらが二、三枚飛んでいった。

 

「ちょっと、シリウス!」

「はは、悪い悪い」

 

 全く悪びれた様子がなく、シリウスは軽く詫びた。

 

「黒檀、か?」

「そう。芯はドラゴンの心臓の琴線。二十八センチ。……よかった、悪くはないようだ」

 

 ほっと息を吐いた。魔法使いが杖を選ぶのではなく、杖が魔法使いを選ぶのだ。

 もし、相性が悪かったらどうしようかと思っていた――比較的、誰とでも馴染む杖であったとしたところで。

 

「シリウス、杖持ってないだろ? その……幣原が、折っちゃったから」

 

 少しだけ、口ごもる。

 あぁ、と合点が行ったように、シリウスは「そういうことか」と呟いた。

 

「気に病むことじゃねぇのに……」

「あいつは、気に病むんだよ、シリウス」

 

 リーマスの声に、「……それもそうか」とシリウスは肩を竦めた。

 

 

 ◇ ◆ ◇

 

 

 夕食後。朝には強いが夜には弱いぼくは、チェスに誘ってくるジニーを軽くいなして、先に上がらせてもらった。眠気に目をパチパチとさせながら、大きな欠伸を一つ漏らす。

 

 ふと、啜り泣きが耳に入った。誰かが、泣いているのか。

 足音を顰めて階段を登り切る。

 

 啜り泣きは、客間の方から聞こえていた。様子を伺い、思わず声を掛ける。

 

「モリーおばさん……」

 

 声を掛けて、おばさんの目の前に広がっている光景に気がついた。ロンだ。大の字に倒れて、死んでいる。

 思わず息を呑んだ。

 

「リディクラス!」

 

 泣きながら、おばさんが杖を振った。ロンの死体がビルに変わる。そしてアーサーおじさんに、双子に、パーシーに、ハリーに――。

 

「おばさん、落ち着いて」

 

 モリーおばさんの肩を、優しく撫でた。

 

 ――不安なのだ、おばさんも。

 

 いつ誰が死ぬかも分からぬ『不死鳥の騎士団』に、家族全員がいることに。

 家族を失うこと、それこそが、おばさんが一番恐れるものなのだ。

 

「リディクラス」

 

 杖を取り出し、はっきりと唱える。

 ハリーの死体が消え、代わりに現れたのは、ぼく自身だった。

 

 いや、ぼくじゃない。

 幣原秋の姿だ。

 

『死んでくれるって、言ったよね? アキ』

 

 純粋な笑顔で、ぼくに笑いかける。濁って淀んだ、光の灯らない瞳で。

 何より綺麗な微笑みなのに、どこまでも歪に見えた。

 

『ぼくの唯一の願い、叶えてくれるって』

「……あぁ、叶えてあげるよ」

 

 杖を一文字に横薙いだ。幣原秋の姿は、霞となって消え失せる。

 

「今すぐじゃあ、ないけどな」

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