【完結】空の記憶   作:西条

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 短編 ユーク視点 灰色の少年が見る夢(下)

 世間的には復活祭(イースター)は休暇だが、しかし長期休暇の扱いではないため、ホグワーツの寮で暮らしている姉は帰ってこない。

 退屈だ、そう思っていたのだが、しかし退屈しのぎに行った商店街の本屋で思いもよらぬ人物に出くわして、そんな気分は一瞬で吹っ飛んでしまった。

 

「へぁっ!? えっ、アリス・フィスナー!?」

 

 んぉ、と名前を呼ばれたアリスは振り返ると、ユークの姿に軽く目を瞠る。そんな彼に駆け寄った。

 姉と同級生であり、プレップ・スクールからの幼なじみであるアリス・フィスナーのことを、ユークは昔から慕っていた。それでも今回は、思いもよらぬ出逢いに喜ぶ以上に驚きが勝る。

 

「な、えっ、なんで、なんでここにっ!? 今って別に、ホグワーツから帰ってくるお休みじゃないですよね!?」

 

 アリスの服を掴んで問いただす。姉からそんな話は聞いていない。いや、ひょっとすると姉は実家に帰ってきたくないという思いがあるのかもしれないが、しかしそれでもドラコも帰ってきていないのだ。

 そもそも、今ユークの目の前にいる彼は、クリスマス休暇も実家に帰らず、この前の夏季休暇は迎えに行った父親を撒いて一度も家に姿を見せなかったと聞く。

 そんなアリスが、どうしてここに? 

 

 アリスが顔を顰めて、服を掴んでいるユークの手を払う。ユークは慌てて手を離した。

 

「……も、もしかして、ホグワーツを退学になった、とか……」

「いやちげーし」

 

 即座に否定された。違うらしい。素行がすこぶる悪いこの人のことだ、万が一、と思ってしまった。

 

「……でも、それじゃあ一体どうしたんですか? このへん、ホグワーツからは割と遠いと思うんですけど、なにかここにしかないものを用入りです?」

「あー、ま、たまたまだよ。親父に引っ張られてな、ちょいとここまで。うちの親父、今ホグワーツで視察官っぽいことやってんだ。ホグワーツは休みだし、ヒマなら来いって連れてこられた。今は親父が服仕立てんの待ち」

 

 父親のことを語るアリスの口調には、これまであった刺々しい雰囲気は見当たらない。至って穏やかなものだから、これまでアリスが父親といがみ合う姿ばかりを見てきたユークとしては、なんだか少し戸惑ってしまう。

 と、ふとアリスは碧の瞳を煌めかせ、ユークの耳元に顔を近づけた。

 

「そうだ、丁度いい。おいユーク、今からちょっと時間あるか? なんか奢ってやるよ」

「え? でもアリス、お父上を待っていたんじゃなかったんですか?」

「待つの飽きたし、大人しく待ってんのもガラじゃねぇなと思い直したんだよ」

「なんなんですか、その反骨精神は」

「うるせぇ、そもそも俺にあんだけ苦労させられたくせに、懲りることなくいとも簡単に俺から目を離しちまう親父様の方が悪いだろ。おら行くぞ」

 

 どういう理由ですか、なんて、ユークは少々呆れてしまう。それでも思いもかけずアリスと出会えたことはなんだか嬉しくて、本屋を出ていくアリスの背中を小走りで追いかけた。

 

 喫茶店に足を踏み入れたアリスは、席につくなりメニューを開きもせず注文をする。慌ててユークも倣った。この人はせっかちだ。

 やがて頼んだものが運ばれてくる。ユークの前に置かれた品を見て、アリスはくつくつと喉奥で笑った。

 

「お前、昔っからどこに連れてってもそればっかだよな。アイスミルク好きなのに、背は伸びねぇのな」

「うるさいです。これからにょきにょき伸びるんです。父上もそんな小さくはないですし、今はこんなでも将来はきっと……というかアリス、これでも僕、昔より結構伸びたんですよ!」

「あー、それは思った。お前、ちょっと見ない間に思ったよりでかくなってたし。お前の姉貴の背も抜かしたんじゃね?」

「そう! そうなんですよ! 僕もうすっごく嬉しくて!」

 

 我が意を得たりとばかりに立ち上がった。さすがアリスだ、ちゃんと見てくれている。いきなり立ち上がった自分に、アリスは苦笑しつつも優しい眼差しは崩さない。

 ユークの背を測るように右手を掲げたアリスは、ふと思い出すように呟いた。

 

「……あいつと同じくらいかなぁ」

 

 あいつ? 誰だろうか。ドラコかと一瞬思ったが、しかしドラコもアリスほどではないが背丈は人並みにある故、ユークと比較されるような対象ではないはずだ。

 しかし、浮かんだ疑問は「いいから座れよ」とアリスに促されたことで、頭から飛んでいってしまった。

 

「──ま、なんとなくさ。そろそろ親父のことも、許してやっていいかなって思えるようになったんだよ」

 

 前置きも何もなく、アリスはぽつりと話し出した。唐突な語りに思わず目を瞠ったが、黙って耳を傾ける。

 

「前までは、たとえどんな時でも仕事を優先する親父のことが許せなかった。母さんの具合がどんなに悪くても、仕事が舞い込むとそっちに行っちまう。フィスナーの責務を、魔法界の『中立不可侵』を優先する、そんな親父のことが許せなかったよ」

 

 頬杖をついたまま虚空を見つめるアリスは、そこでぎゅっと眉を寄せた。

 

「母さんを殺したのはあいつだと、今でも思ってる。あいつが母さんと結婚しなかったら、母さんはまだ生きてたかもしれない。俺を生まなかったら、母さんはまだ生きてたかもしれない。あいつが母さんを魔法界に縛り付けなかったら……フィスナーの檻に閉じ込めなかったら、母さんは……その思いは、きっとこの先何年経っても消えはしないんだろうな」

 

 そこで、アリスは言葉を切った。左耳のピアスに触れると、小さく息を吐く。

 

「俺はあいつに、仕事なんかよりも母さんを選んで欲しかった。母さんを大事にして欲しかった。葬式で母さんを侮辱したあいつらに、俺以上に本気でブチ切れて欲しかった。……結局、そんな俺の願いはたった一つも叶えられることはなくって、俺はあいつを許せなくってあの家を出たんだけど」

 

 でもさ、と続けられた声は、穏やかだった。

 

「最近、わかんなくもねぇな、って言うか、親父も大変だったんだろうな、くらいのことは思えるようになったんだよ。愛する人と世界の平和、どっちを優先するかって。小説の中の主人公は、大概愛する人を選ぶよな。でも、親父は違ったんだ。親父は、愛する人より世界の平和を選ぶ人だった。……その気持ちも、わかんだよ。愛する人を選べない気持ちが、俺にもわかってしまうから、だから嫌だったんだ」

 

 非情だよな、とアリスは自嘲的に吐き捨てた。

 

「愛してんの。ちゃんと愛してんだよ。心の底から喪いたくないと思ってんのに、それでも理性が、論理が離してくんねぇの。この魔法界からフィスナーがなくなったらどうなるか、その影響を考えずにはいられない。……結局、親父は主人公にはなれない人だった。自分の背負ってるものをかなぐり捨ててまで、大事なものに手を伸ばすことはできなかった。愛する人のためにですら、バカにはなれない人だった。そのことに気が付いたら、なんかもう、恨むのも憎むのも、疲れてきてさ。多分俺も、そうなんだろうな。失いたくないたった一つの大事なモンと、数多くの見知らぬ人間と。どっちか選べと言われたら、俺もきっと苦しみながら、大事なものを見殺しにするんだろうな。親父がそうだったみたいに。……そう思うと、なんか、虚しくなっちまった。許すしか、ないじゃん、そんなのさ」

 

 アリスはそこで、大人びた笑みを浮かべた。力の抜けたような笑顔だった。

 その横顔を見ながら、ユークは思う。

 大好きな人と、世界。どちらかを選べと言われたら、僕は一体どうするのだろう。

 

(姉上と、家。僕はどちらを選べば良いのだろう)

 

 どうするのが、正解なのだろう。

 

 そこでアリスはふと表情を変えると、ユークに向き直った。

 普段通りの笑みを口元に浮かべて「そういやお前、今度ホグワーツ入学じゃん。少し早ぇけど、おめでとう」と口にする。

 

「あ……はい、そうです。ありがとうございます、アリス」

 

 慌てて返事をした。しかし少し歯切れの悪いユークに、アリスは軽く眉を寄せる。

 

「どうした? なんかあったか、お前。悩みがあんなら聞いてやるから、話してみろって」

「……別に、アリスに聞かせるようなことでは……」

「いーって。俺もちょっと恥ずかしいこと話し過ぎたんだし、少しはお返しさせろよ。てっきりお前のことだから、お前の姉貴と同じホグワーツにやっと通える! って、入学までの日を指折り数えてるもんだと思ってたんだぜ、俺は。それとも何、俺は信用に足らないって? 悲しいねぇ」

「そんなこと!」

 

 思わず食いつくように否定して、嵌められた、と気が付いた。アリスは計画通りとばかりにニヤッと笑う。

 

「だろ?」

「……アリスずるい……」

「ずるかねぇだろ」

 

 アリスは軽く肩を竦めた。だって、とユークはストローを噛む。

 

「……でも、本当に、悩みというほどじゃないし……」

「お前も意固地だなぁ。悩みじゃなくっても、なんか気になってることがあるってツラだぜ。どうしても話したくねぇってんなら無理には聞かねぇけど、お前、明るく見せて結構溜め込む方じゃん。……そういうとこ、あいつと似てるし。だからさ、吐き出せるときに吐いちまえよ」

 

 また『あいつ』だ。一体誰のことだろう? 

 ともあれ、アリスがそこまで言うのなら。この頭の中のモヤモヤが、アリスに話すことで少しでも整理できるかもしれない。

 

「……ねぇ、アリス? 僕って、どの寮に入りそうですかね?」

 

 ストローを弄りながら、目を伏せた。

 

「いや、特に何かあった訳じゃないんですけど。何だろう、ちょっと常識を疑いたくなっちゃって。ほら、僕、ベルフェゴールの長男じゃないですか。みんな、僕にスリザリンへ行くことを期待してて……姉上も、ドラコもスリザリンですし、僕も、自分がスリザリンに行くことを疑ったことって、これまでにほんと、一度もなくって……」

 

 そう、一度も。

 一度も、なかった。

 

「組み分けって……ホグワーツの創始者四人が魔法を掛けた組み分け帽子が、入る寮を決定してくれるんですよね。僕が入りたい寮を選ぶ、ワケじゃなくって……帽子が、その人に相応しい寮を決めてくれるというのなら……どの寮に入っても、おかしくはないんですよね。そしたら、僕が両親の期待を裏切って、スリザリン以外に組み分けされるってことも、ありえるんですかね」

 

 アリスは、しばらく黙っていた。やがて、ゆっくりと口を開く。

 

「基本的に、組み分けは家柄で決まる。というのも、子供には家の思想が根深く染み込んでいるからだ。自分の手の届く範囲の世界しか知らない子供にとって、『自由に決めろ』と言われたところで、その自由には偏りがある。組み分け帽子は、そいつの思考の方向性を読み取って判断する。結果、全員がその寮出身、みたいな一族が多くなるんだ」

「……そう、ですよね」

 

 ならば、尚更。

 自分の入る寮は、決して揺らぎはしない。

 それは、安心するべき事柄なのに。

 

(父上と母上の期待に添えたことに、安堵するべきなのに)

 

 どうして、モヤモヤが消えないんだ。

 

「…………」

 

 俯くユークに、アリスは淡々と尋ねる。

 

「なぁ、ユーク。お前は、どの寮に入りたいんだ?」

「……どの寮って、そんなの」

 

 ユークの未来など、決まっている。

 ホグワーツに入学し、スリザリン寮で七年間を過ごして、ベルフェゴール当主となる。そのことに、何の不満もありはしない。

 衣食住には決して不自由しない。お金に困ることもない。ユークは将来、魔法界の中でも、相当恵まれた暮らしを手に入れることができる。

 悩むことなんて何もない。

 ──何もない、はずなのに。

 

「……まぁ、大概は一族の寮に倣うだろう。だが、それにも例外はあるよ。双子がそれぞれグリフィンドールとレイブンクローに組み分けされることだってある。それに俺は、お前の姉貴はスリザリンには行かねぇかもしんねぇなと、漠然と思ってたんだぜ。当然、本人の生まれ持った気質にだって影響されんのが組分けだ」

「それは……」

 

 それは、確かに、そうだ。

 アリスは軽く伸びをする。

 

「お前の家族やマルフォイの野郎が、きっとうるさく言ったんだろうな。その過保護が上手く行ったかは定かじゃねぇけど、それでも俺は、あいつがスリザリンに組み分けされてホッとしたよ。お前の一族も、きっとそうだっただろ?」

 

 その通りだ。

 姉の組み分けを、両親はいつにもなくピリピリしながら見守っていた。姉がホグワーツへ向かう直前も、姉の細い肩を強く掴んで、かなりキツめの言葉も掛けていたと記憶している。

 

「そりゃあ心配に決まってるよな。一族直系の娘が、万が一グリフィンドールなどに組み分けされたりなんかしたら、それこそ目も当てられない……と、お前の一族ならば考えることだろう。ともあれ、お前の姉は自らの気質を裏切って、言いつけ通りに行動したってわけだ。帽子から何を言われたのかは個人的に気になるところだが……それが良かったかは、俺は知らない。俺から見ると、あいつは自寮の連中といるときはいつも窮屈そうだがな。一族の奴らといるときとおんなじツラしてる。あいつは他寮の奴といるときの方が気楽そうだな」

「……それじゃあアリスは、姉上はスリザリンに入るべきではなかったと、そう思ってるんですか?」

 

 ユークの言葉に、アリスは少し考えた後「いや」と首を振った。

 

「……そうは思わない。お前の姉貴の暴挙は、まだ家の内側でだからこそ許されていた。スリザリン寮の内部でならば、そこはまだ『身内』の範囲内だ。如何様にでも隠蔽が効く。内側で、お前の姉貴は()()()()()()

「守られて、いる……」

 

 意味もなく、その言葉を繰り返す。

 守られている。

 ──本当に? 

 それは、一体、何ものからだろう? 

 

「ユーク。お前は、どの寮に入りたいんだ?」

 

 アリスは再び問うてくる。何度同じ言葉を繰り返せば良いのだと、少し苛立った。

 

「……どの寮なんて、そんなの、決まってるじゃ……」

「違う」

 

 鋭い声に遮られ、思わず慌てて顔を上げた。

 

「それは『入るべきだとお前が思ってる寮』だ。そうじゃねぇ。俺が聞きたいのは、そんなくだらないことじゃない」

 

 強い眼差しが、姉と重なる。

 

『ユーク。あなたの本音が聞きたいの。……ユークは一体、どう思っているの?』

 

 脳裏に蘇る姉の声。

 息が止まった。

 

「ユーク、お前は空気が読めすぎる。周囲の期待を読み取って、その通りに振る舞えるやつだ。俺や、お前の姉貴とは、そこがはなっから違う。でもお前にもあるんだろ、誰にも言えない本心ってやつが。お前は思考停止して唯唯諾諾と周囲に流されるバカじゃない。色々考えてんだろ。だから今、自分でもよくわかんねぇことで悩んでんだろ」

 

 アリスの声が、心の柔らかいところを軋ませる。

 やめてほしい。

 僕はユークレース・ベルフェゴールだ。ベルフェゴールの長男として、僕はやるべきことがある。僕にしかできないことがある。

 僕には。

 

「……あね、うえが」

 

 心と裏腹に、震える声が零れ出た。

 

「姉上が……僕に言うんです……」

 

 姉に嫌われたくない。

 でも、家族の期待も裏切れない。

 ただ、ただ、間違ったことを言って見捨てられることが、怖かった。

 自分の意見をしっかりと持って主張できる姉のことが、ずっと、ずっと羨ましかった。

 

 ──守りたいなんて、烏滸がましい。

 

 ユークはいつだって、姉を庇いはしなかった。

 自分が、姉と同じ考えを持っているなんて、誰かに知られることが怖かった。

 保身ばかりを考えて、ただ、器用に立ち振る舞って。

 やがては、大切なことまで忘れてしまうのか。

 一緒にいたいと願ったことも。

 心の底から大好きな姉に背を向けられても『仕方ない』と──未来の自分は、思ってしまうのだろうか。

 

 途切れ途切れのユークの言葉を、アリスは黙って聞いていた。聞き苦しいところはあっただろう。まとまりのない話だったし、論理が一貫しない部分も多くあったに違いない。それでもアリスは口を挟むことなく、ただ耳を傾け続けてくれた。

 ひと通り言いたいことを言い終わって、ユークは静かに息を吐く。アリスは店員を呼び止めると、ユークのグラスへお代わりを要求した。ユークへ掛ける言葉を探すよう、アリスは自身の金髪をガシガシと乱暴に掻く。

 

「……あのさ、ユーク」

 

 アリスに呼びかけられても、ユークはただ、黙っていた。

 

 うじうじしている奴だと思われたかもしれない。自分でもそう思う。誰に何を言われても両親に従うと、ドラコのようにすっぱり割り切れたら良かったのに。もしくは姉のように、きっぱりと嫌なことは嫌だと反抗できたら良かったのに。

 結局、自分は半端ものなのだ。

 そんなユークに、アリスはため息をついた。

 

「……ユーク、俺さ。昔、お前の姉貴のことが好きだったんだぜ」

 

 ……。

 …………。

 ……………………? 

 

 今、なんて? 

 

「へ、………………え、へええええぇ!?!?」

 

 思わず絶叫する。ユークの声に店内にいた人が一斉に振り返ったが、そんなことユークが知ったことじゃない。

 顔をひきつらせたアリスは、耳を覆って叫んだ。

 

「うるっっせぇな驚きすぎだって!!」

「べっ別にぃぃ!? 別に驚いてなんてないですけどぉ!?」

 

 ちょっとびっくりしただけですし! へぇぇぇぇぇ!! そうなんだぁぁ!! 

 チィッとアリスは舌打ちをする。耳を赤くさせたアリスは「言わなきゃ良かった……」と呟いていたが、しかし勝手に話したのはアリスだ。

 

「へぇえええ、そぉなんですねぇ、そぉだったんですねぇぇ。いや意外でしたが、まさかアリスが姉上のことを好いていたなんてねぇぇぇ!! だって姉上、超っっかわいいですもんねぇ!!」

「うるせぇ黙れ、昔の話だっつってんだろ……」

 

 ユークを止める声にも、いつもの力がない。思いもよらなかった告白に、ついついにやけてしまうのを抑えられない。

 

(アリスも恋バナなんかするんだぁ!!)

 

「クソが、一瞬で元気になりやがって、腹立つぅ……」

「それでそれでっ、姉上のどんなところが好きだったんですかっ? 照れないで教えてくださいよぉ、ほらっ誰にも言いませんから!」

「それ絶対言いふらすやつの言う言葉だろ!」

「えぇっそんなことないですよぉ心外だなぁ、僕は口が堅いんです、姉上に誓って!」

「お前の言葉マジでペラいんだよ、ほんとそういうとこあいつにそっくりだな!」

「さっきからあいつあいつって、一体誰のことなんですか!」

「うるっせぇなお前がホグワーツ入学したら紹介してやっから楽しみに待ってろ!」

「わぁい!」

 

 と、ついついひとしきりはしゃいでしまった。でもアリスがいきなりあんな面白いネタを提供したのが悪い……。

 アリスは顔を顰めて眉間のシワを擦っていた。思わずアリスの様子を伺う。アリスだって別に、いきなり衝撃告白をしたかったわけではないだろう。何か違う話の前座だったに違いない。

 出来る限り真面目な顔をしよう、とユークは表情を引き締める。決して、アリスの恋バナをもっと聞きたいとか、そんな思惑なんて持ってない。断じて、下心なんて持ってない。

 

 果たして、アリスは不機嫌そうにしながらも(照れ隠しだろうな)口を開いてくれた。

 あまり物々しく傾聴の姿勢を取っても、アリスは機嫌を損ねるだけだろう。運ばれてきたお代わりのグラスを両手で持ち、ストローを口にくわえながらアリスの言葉を待つ。

 

「……俺が、お前の姉貴のことが、昔、好きだったのは…………」

 

 滅茶苦茶嫌そうにしながらも、アリスは言い切った。

 

「お前の姉貴が……アクアが、マグルである俺の母親のことを、決して見下さなかったからだ」

 

 ストローから口を離した。思わず、姿勢を正す。

 それは。

 

「お前なら、わかんだろ……お前ならきっと、純血主義の家で育ったお前には、俺なんかよりずっと、その凄さが、俺のあの時の感動が、わかんだろ……わかって、ほしい。これは魔法族全体に根付いた偏見だ……いくら『親マグル』気取ったところで、マグルに対する偏見は抜けない。マグルを自分たちより劣ったものだと見なす思想は、魔法使いであれば心のどこかに存在するものだ……。純血の誇り高きフィスナー、その中に混じり込んだ唯一の異物が、俺の母親だった。一族からの風当たりは、めちゃくちゃ強かったよ。そんな母と、その周囲とを見続けて、俺もいつしか染まってった。『そういうものなんだ』と──魔法が使えないだけなのに、見下されるのが当然だって、そう思い込みそうになってた。母さんはそう言われてしかるべき存在なんだ、マグルはそう扱われても仕方ない存在なんだって。……それを、アクアは、アクアだけが認めてくれた。『お母様、とっても綺麗ね』って笑ってくれた」

 

 懐かしむように、アリスは当時を語る。

 それを、初恋がなんだとか、からかう気には全くなれなかった。

 

「母に会いたがってくれた。母が作った菓子を喜んで食べてくれたし……母も、そんなアクアのことが、心底好きだったみたいでさ。家でもよく、あいつの話を……。……母はきっと、確かにアクアに救われたんだろう。俺も……アクアのそういうところに救われた。お前の、ベルフェゴールの一族や、マルフォイなんかは疎ましく思っているだろう、アクアのあの、どうしようもない真っ直ぐさに、勝手に救われた気になった奴はいるってことだ」

「……でも、それは」

 

 それは、確かにそうかもしれない。

 アリスの母親が、姉の存在で救われたというのは、あり得ることかもしれない。

 それでも、やっぱりユークは思うのだ。

 

 姉は、それでも間違っていた。

 姉は、マグルと関わるべきではなかった。だから姉も、アリスの母親とそんなに親しくしていたことを、家族の誰にも伝えなかったのだ。

 糾弾されることが、わかっていたから。

 

「お前らも、俺も、家ってやつに縛られすぎてんだよなぁ……」

 

 頭を掻きながら、アリスはぽつりと呟いた。

 

「じゃあ聞くがよ、ユーク。俺にはマグルの血が入ってる。純血主義の奴らが忌んで止まない穢れた血がな。なら、純血のお前は、半純血の俺を見下すか?」

「そんっ…………」

 

 否定しかけ、慌てて口を噤んだ。

 考えたこともない問いかけだった──からじゃない。

 

 ただ、ユークは。

 アリスの血筋が、どうであろうと。

 

「『どうでもいい』──よな、そんなこと」

 

 ユークの胸中を読み切ったように、アリスはそんな言葉を口にした。

 

「俺が半純血だなんて、本当にどうだっていいんだ。そんなことマジでどうでもいい。俺はアリス・フィスナーだ。純血名門フィスナーの嫡子で、非魔法使いの母を持つ人間、それがこの俺だ。俺が持ってる何もかも、全部引っくるめてこの俺だ。家柄だ血だ、そんなものを俺から完全に切り離すことはできないが、でもそれだけを切り取ってこの俺を語ろうなんざ、ちゃんちゃらおかしいとは思わねぇか?」

 

 アリスはそう言って笑った。

 心の底から自由そうに。

 

 

 ◇ ◆ ◇

 

 

 ──九月一日。待ちに待ったホグワーツ魔法魔術学校への入学の日が、やってきた。

 両親は、ユークの肩をぽんと叩いて「頑張りなさい」と、これからの学校生活に向けた激励の言葉をかけるだけだった。姉への対応とは全然違う。ユークのことを、心の底から信頼し切っている態度だった。

 

 真っ暗な湖をボートで渡り、煌びやかに装飾を施された大広間へ。新入生が立ち並ぶ壇上のすぐそばには、一脚の椅子と古ぼけた帽子が置かれていた。組分け帽子だ。

 これから帽子が、七年間を過ごすこととなる寮の名前を叫ぶことになる。

 

「──ベルフェゴール=ユークレース」

 

 マクゴナガルに名を呼ばれた。一度目を伏せ、まっすぐ胸を張って組み分け帽子へ歩み寄る。

 

 視線が、刺さる。

 名門ベルフェゴールの嫡子がスリザリンへと組分けられる瞬間を、今か今かと待ちわびる視線。名門貴族の嫡子に生まれた子供に対する、好奇とやっかみの眼差し。隙や綻びがあれば決して見逃しはしないとばかりに不躾な視線を、凛と背筋を伸ばして受け流す。

 

 促され、椅子へと腰掛けた。すぐさま、頭上に帽子が被せられる。

 ストンと視界を漆黒が覆った。外の世界のことは、何も見えなくなってしまう。

 

「……私がすぐに『スリザリン』と叫ばなかったことを、少し不思議に思っているようじゃのう」

 

 帽子がそっと囁いた。

 

「そう叫ばれる覚悟は、してたんですけど」

 

 その時はその時だと、思っていた。それがやはり運命だったなら、受け入れようと。

 

「確かに、君はスリザリンで充分よくやっていけるはずじゃ。ユークレース・ベルフェゴール。君の一族を、私はこれまで悉くスリザリンへと送ってきた」

「姉上も、ですよね」

「当然、君の姉君もじゃ。あの子とも、私は少し話をした。気に掛かるところがあったものでな」

「……姉上が、スリザリンでうまくやっていけるか、ということですか?」

「左様」

「……うまくやっていってるのか、僕にはよく、わかりません」

 

 そもそも『うまくやる』というのはどういうことなのだろうか。

 友人知人を多く作り、ソツなく寮の中に溶け込み、寮杯のために一致団結して頑張ることだろうか。

 

「君の姉君は、スリザリンを強く望んだ。というより、スリザリン以外へと組み分けされることを、酷く恐れているようだった。私は彼女の恐れを、ことのほか強く汲み取った」

 

 帽子は、静かに語りかけてきた。

 

「組み分けとは曖昧なものじゃ。創始者の決めた一定のルールはあるものの、本質的にはもっと自由な筈じゃった。誰もが等しく、この学び舎で魔法を学ぶ輩であるのにも関わらず。どの寮に入るかというだけで、一生が決まってしまうとばかりに喜び、嘆く。創始者の意志を離れた偏見によって、望まぬ組み分けが起こってしまう。君の姉君も、ひょっとしたらそんな、哀しい被害者であるのかもしれん」

 

 ただ、ただ、組み分けとは。

 魔法をどの創始者の下で学ぶのか、各々の性質に見合って振り分けるもの、そんな入り口でしかなかったのに。

 自己の気質に合った指導者の下、この先生きる未来を広くすることはあれど──狭めることは、あってはならないと。

 

「たかが組み分け、されど組み分け。創始者たちは、このような対立を望んではおらんかった……後の子らが、グリフィンドールかスリザリンかで相争う未来など、決して望んではおらんかった。たとえ兄弟家族であったとて、おのおの気質は異なって当然だというのに。ゴドリック・グリフィンドールとサラザール・スリザリンは、かつてその昔手を取り合い共に同じ夢を見た親友であったと言うのに。今となってはそんな影も見ることはできなくなった。その責任の一端は、当然ながら私にもあるのじゃろう」

 

 これは悔悟じゃと、組み分け帽子はそう言った。

 世界地図が赤と緑に塗り分けられる世の中にしてしまったのは、他ならぬ自分なのだと。

 

「……それでも、姉上は守られてます。組み分け帽子が、姉上をスリザリンに入れてくれたから。もしあなたが、姉上を気質通りの寮に組み分けていたとしたら、姉上はきっと、こうして学校に通えてはいないでしょう」

 

 両親は、子供に対しては優しく寛容だったが、その実敵に対しては容赦がない。両親に敵と見なされたら最後だ。ベルフェゴールはいつだって、目前の敵を排除することで繁栄してきた。血が繋がっていようが関係はない。血が繋がっている分余計に、容赦も情けもないだろう。

 

「……かつて、ひとりの魔法使いを組み分けたことがある。彼は、連綿と続いた純血の一族の末裔じゃった。スリザリンのみを輩出し、そのことを誇りとして生きていた一族の直系長子を、私はグリフィンドールに組み分けた」

 

 当時を懐かしむ口調で、組分け帽子は語った。

 

「悪を憎み、自らの正義に向かって一途に突き進む、才気に満ち溢れた子じゃった。私はその子に触れた瞬間、グリフィンドールと口にした。……その後どのような混乱が起こったか、君には推し量ることができよう」

 

 そう言われ、ユークも想像する。

 もし姉が、グリフィンドールに入っていたらと。

 

「ユークレース・ベルフェゴール。君は、スリザリンでも充分よくやっていけるじゃろう」

 

 帽子は、そんなことを口にした。

 

「頭も良い。要領も良い。大局を見通す稀有な眼差しも持っている。君はスリザリンに入れば、間違いなく偉大になれることじゃろう。……というのに、何故、君はその選択を捨てようと思うのか?」

 

 ユークは一度、強く目を閉じる。

 

「……僕には、昔から『正解』が見えていた」

 

 どの道を選べば、正解なのか。

 父が、母が、周囲が、自分に何を望んでいるのか。

 どう振る舞えば、その期待を満足させることができるのか。

 

「姉上は、とっても不器用で……いっつも不正解ばかり選んで、よく叱責されてて……その分、僕が頑張らないとって。姉上を守ってあげられるようになろうって……本当は、そうだった。姉上を守りたかった。姉上の言ってることも、わかるんだもの。姉上、間違ってないんだもの。ただ環境が、姉上を不正解と定めていただけ」

 

 最初は、ただ、それだけだった。

 正解も、不正解も、全ては見方次第でいくらでも変わり得る。

 

「でも、その場その場で『正解』を選び続けていたら、本当の目的を忘れちゃいそうになってた。姉上のことを、守りたかったのに。いつの間にか姉上の敵になっちゃいそうになってた。……それは、僕がやりたかったことじゃない。『正解』を選び続けた結果、大好きな姉上に嫌われてしまうのだったら、僕は……」

 

 小さく息を吐いた。

 

「もう、いい子でいるのは、やめにする」

「……不正解を、選ぶと?」

「不正解? いいや、違うよ。そんなんじゃない」

 

 誰にも間違いだなんて言わせない。

 僕は、僕の選択を、間違いだなんて思わない。

 

「僕はね……全部欲しいの。何もかも、全部。姉上のことは大好きだ。でも、両親のことも大好きだよ。両親の期待に応え続けたいとも思うし、ベルフェゴールを継ぐのは僕、ユークレース・ベルフェゴールだ。全部あって、僕がいる。一個でも欠けてちゃ、今ここに僕はいないんだ。……だったら僕は、ひとつも失いたくない。今、僕が大切だと思っているものを、何一つとして手放したくない」

 

 無理だろうか。

 不可能なことだろうか。

 二兎を追う者は、一兎すら得られないのだろうか。

 

 それが常識。

 それが正解。

 

「────でも」

 

 心が、ふるえる。

 知らない感覚に、おびえそうになる。

 やわらかく馴染んだ温もりの外は、きっとつめたいことだろう。

 それでも、踏み出す。

 外に。

 自由に。

 だって、僕は。

 

「僕はもう、姉上ひとりを矢面に立たせたくはないんですよ!」

 

 姉は、いつもひとりだった。

 誰も味方がいない中、たったひとりで顔を上げて、立っていた。

 ただひとり、嘘を付かず、生きてきた。

 

「僕はベルフェゴールを変えたい。ううん、ベルフェゴールだけじゃない。この魔法界にはびこる純血思想そのものを変えてみせる。姉上がもう、泣かなくてもいい世の中にする。それが今の、僕の夢。そのためにも、僕は……新たな道を、選んでみたいんだ」

 

 頑張る前から諦めたくない。

 強欲で構わない。

 欲しいものが多い人生、大いに結構じゃないか! 

 

 ただ与えられるだけの人生は嫌だ。

 自分がやるべきこと、為すべきことだけに、囚われ続ける人生は嫌だ。

 

 姉上を泣かせる男にだけは、なりたくない。

 僕が為すことは、僕が選ぶ。

 僕は──自由に生きたい。

 

「……昔から、憧れ続けている人がいます」

 

 脳裏に『彼』の背中を思い描きながら、言葉を紡いだ。

 

「あの人だって、色んなものに縛られてるのに。僕と同じくらい、色んなものに縛られてるはずなのに。それでも、なんか軽いんです。重さを感じない。あの人を見てると、なんだか心が軽くなる」

 

 もしも、願っていいのなら。

 僕も、そんな風になりたい。

 ただ、まっすぐ前を見つめて生きているだけで『綺麗だ』と──そう思われるような人間に。

 しがらみも、枷も、全てを笑い飛ばしてしまえるような人間に。

 

「──叶えようぞ」

 

 組分け帽子は、歌うように口にした。

 

「叶えようぞ、純血主義の申し子よ。どうか、どうか、君の夢が現実に敵いますよう。君の剣となり盾となるべき寮を。君の戦場は執務室であり、君の敵は世間の偏見である。なればこそ、君に相応しいのは──レイブンクロー!!」

 

 帽子が叫ぶ。

 瞬間、確かに、ぐらりと世界が揺らいだ気がした。

 それは、進んでいたレールが確かに切り替わった感覚。

 小さいながらも、それでも一歩を確かに踏み込んだ瞬間。

 歓喜に胸を弾ませ、椅子から立ち上がった。帽子を頭から外し、目を眼下、大勢の生徒が座る大広間へと向ける。

 

 歓声は──来なかった。

 

 現実にあったのは、水打ったように冷たい静寂。

 戒律に背いた者に対する、動揺と敵意。

 

「──ありえない!!」

 

 静まり返っていた大広間が、その言葉で一気にざわめいた。

 テーブルを叩き、蒼白な顔のまま立ち上がったドラコ・マルフォイは、大きくかぶりを振る。

 

「その組み分けは、認められない! 頼む、もう一度、一度でいい、組み分けのやり直しをしてくれ!!」

 

 ──ドラコ。

 

 ごめんなさい。これまであなたは、僕たち姉弟を守っていてくれたのに。

 優しさを踏みにじるような真似をして、ごめんなさい。

 

 数千もの瞳に見据えられ、思わず怯んだ。心の中に広がる、後悔の味。

 やっぱりこの選択は、間違いだった。

 ユークレース・ベルフェゴールが、選んではならない道だった──

 

「あわや、組分け困難者かと思われたようじゃのう」

 

 帽子は、少し面白そうにそう言った。

 ユークは慌てて、組み分け帽子に視線を落とす。

 帽子は変わらぬ口調で続けた。

 

「私は案外お喋りが好きでな。にも関わらず、こうして日の目を見るのは年に一回。そりゃあもう、気に入った生徒とはこうして喋り込みたくなってしまうというものよ」

 

 その言葉の穏やかさで、震えた心に温もりが灯る。

 自分の足で立つ、勇気が貰える。

 

「──ホグワーツの組み分けは、魔法契約で定められた一度きり。やり直しは、認められません」

 

 凛としたマクゴナガル先生の声が、響く。

 顔を、上げた。

 

(姉上)

 

 姉の姿を、探す。

 儚く綺麗で、世界で一番だいすきな人の姿を。

 

(──姉上)

 

 姉は、瞳をまんまるにして、ユークをまっすぐ見つめていた。

 桃色に色づいた唇をほんの僅かに開けたまま、息を止め、ただまっすぐに。

 その頬が、やわらかに緩む。

 どちらが先に笑みを零したかわからぬほど、ユークも自然と笑っていた。

 

 いずれ、この選択を後悔する日が来るのかもしれない。

 それでも、今、今この、ほんの僅かな瞬間だけは。

 

「……僕は、ユークレース・ベルフェゴール」

 

 誰にも聞かれぬ、口上を。

 

「レイブンクロー寮所属、ベルフェゴール家嫡男、ユークレース・ベルフェゴールです!」

 

 ただ、己の胸にのみ、響かせよう。  

魔法連載主人公、どちらが好き?

  • 親世代主人公(幣原秋)
  • 子世代主人公(アキ・ポッター)
  • その他(イチオシの子がいましたら……)
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