勧められるまま、魔法医学の道へと足を踏み入れた。初めは右も左も分からず混乱したが、すぐに勘を掴み、トントン拍子で『魔法医学への誘い』に論文掲載、最年少で魔法医学学会に入会するという結果を収めることが出来た。
「常々思うんだけれど、どうして君はレイブンクローでなくグリフィンドールの生徒なのだろうね?」
レイブンクロー寮に所属し、その監督生も務めるエリス・レインウォーターは、そう言って嘆息した。読んでいた本から目を離しエリスを伺えば、エリスは頬杖をついたまま羽根ペンを振った。
テスト前でもない図書館は、勉強している生徒の数も少ない。人気のない場所は、ライが好む所でもあった。ささやかなざわめきに満ちた空間で、エリスは気兼ねすることなく言葉を発する。
「君自身もそうは思わないかい? 君の勤勉で努力家なところと、ある意味では異様とも言える集中力、そして際限のない知識欲。これはむしろレイブンクロー生特有のものだ。私は時に、君がレイブンクローでありさえすれば、レイブンクローが優勝杯を独占することも可能だったんじゃないかと思うんだよ。全く、どうしてレイブンクローに来てくれなかったんだい?」
ライは曖昧に笑った。自分は勤勉でも努力家でもなければ、人一倍知識欲がある訳でもない。ただ、一人でのめり込めるものが欲しかっただけだ。勉強が一番手っ取り早く、また容易に自己欲を満たすことが出来た、ただそれだけのこと。
胸に留まる主席のバッチを、ぼんやりと見つめた。七年生で最優秀の男女一名ずつに与えられるこのバッチにも、大した感慨は湧かない。ただ何となく、流されるまま、ここまで生きてしまった。
魔法医学の道に足を踏み入れたライに対し、ヴォルデモートからのアクションは無かった。それは幸いと取って良いものだろう。
「もう、研究所に入ることは決定しているんだっけ? いいな、進路が決まっている奴は。私は単純に羨ましいよ」
「……お前は、確か……」
「うん、闇祓いになるつもりだ。なれるかどうかは分からないけれど」
軽い口調でそう言ってのけるエリスを、目を細めて見つめた。
エリスはライのことを羨ましいと言うが、ライこそエリスが羨ましい。闇祓い。ヴォルデモートの脅威が高まる中、彼と最前線で戦うことの出来る、唯一の職業。家族の仇を取ることが出来る、ただ一つの道。
エリスと親しくなったのは、二年生の頃だ。溢れる内心から、随分と勝気な奴だと思った。お節介で優等生気取りの鬱陶しい奴だと。だから本人に言ってやったのだ。『俺はお前の全てを知っているぞ』と。『今何を考えているのか、俺に対してお前がどんな思いを抱いているのか、俺は全てを知っているぞ』と。
そこまで言われれば、普通は距離を取ろうとするものだ。誰だって自分の心を暴かれるのは嫌だろう。肉体というベールに覆われた心に、土足で踏み入る闖入者など、ライ自身だってお断りだ。
そう言われたエリスは、目を見開いて立ち竦んだ。しかしその時エリスが放った言葉に、自分はむしろ呆然として――
「…………」
あれ?
あの時エリスは、何と言っていたのだっけ?
「……なぁ……」
口を開きかけたその瞬間、ひう、と誰かの声が飛んできた。咄嗟に頭を下げる。
瞬間、ライの後頭部を掠めるように何かが猛スピードで飛んできた。ライは避けられたが、エリスは顔面に直撃を食らったようだ。椅子ごと後ろにぶっ倒れる。
「あっ、やべ!」
声に振り返ると、しまった、といった顔でこちらを見ている少年二人と目が合った。グリフィンドールの後輩で、悪戯小僧と有名な二人だった。
早く行け、と手で指示すると、二人は両手をパチンと合わせ、ローブを翻しては物凄いスピードで駆け出して行った。流石、逃げ足は天下一品。そう目を瞠っている間に、エリスは起き上がったようだ。
「……っ、誰だこんなことをする奴は! 所属寮は、学年は! 監督生によくもやってくれたな、シュレディンガー、知ってる奴か!?」
「し、知らない」
咄嗟に嘘を吐く。エリスは忌々しげに舌打ちをしながら椅子を起こし、少々乱暴に腰掛けた。赤くなっている額を擦りながらも、飛んできたものに手を伸ばす。何やらそれは、チラシをぐしゃぐしゃに丸めたもののようだった。チラシを広げたエリスは、目を通すと眉を寄せながら小さく鼻を鳴らす。
「あぁ、魔法魔術大会ね……そう言えば今年だったか。でもまぁ、今年は君がまだいるからな……君が出るのなら確定だろう。何せ、前回弱冠四年生ながら優勝したのだから……シュレディンガー?」
「……魔法、魔術大会?」
喉からは震えた声が零れた。
関連する記憶が蘇る。優勝盾を持ちインタビューに答えた自分。昼間の柔らかな陽射しが差し込む自宅で、倒れ伏す両親と妹を発見した時のこと。こちらを嘲笑うように紅茶片手に出迎えた、あの男のことを。あの、悪夢のような現実を、思い出す。
そうだ――あれが、キッカケだった。
魔法魔術大会。これが、ライの家族を壊した、全ての引き金だったのだ。
「……、なんで」
なんで。
どうして、再びこれが開かれる。
ダンブルドアは気付いていた筈だ。ヴォルデモートはこの大会をチェックしている。将来自分の敵に回る人物が出ないかを確認している。それを、ダンブルドアは知っているのに。
それなのに、何故。
「……シュレディンガー? 大丈夫かよ、おい、ライ!!」
腕をぐいと掴まれ、我に返った。必死な瞳と目が合う。心の底から、こちらを気遣う瞳だった。
「……ダンブルドアに、会わないと」
「その前に私が先だ。……何があった。何の話だ」
真摯な目を直視出来ず、目を伏せた。しかしそれでも、エリスは容赦なく攻め立ててくる。そうだ、彼は、こういう奴だった。
「前回の魔法魔術大会に、何か関わりがあるのか? 君がいきなり魔法医学にのめり込んだのも、纏う空気が変わったのも、その頃だったよな。……話してくれ」
「……お前に話す義務はない」
「あぁ、義務はないさ。だが私は執念深いからな、話をしてくれるまでは帰さない」
「…………」
あぁ、確かに執念深い奴だった。
エリスはニヤリと笑った。挑発するような微笑みだった。
「時に、ライ・シュレディンガー。君だけ私の事情を知っている、というのは、誠に不条理で不平等なものだとは思わない?」
◇ ◆ ◇
司書の先生に追い立てられるまで、そこが図書館だということを忘れていた。西日が痛いほど射し込む廊下を、爪先を見つめながらとぼとぼと歩く。隣ではエリスが、額を抑えては小さく呻いていた。先ほど、ダンブルドアから言われた言葉を引き摺っているのだろう。
「まぁ、それも道理ではあるよね……」
たった一度のレアケース。伝統ある大会を、一度そうだったからと言って止めることはそうそう出来ない。取り止める理由として、ライ・シュレディンガーの件だけでは理由が不十分だと言うのだ。
「道理ではあるけれど、でも、ダンブルドアだよ? あのダンブルドアだから、もう少しは柔軟な考えをしてくれないかなって期待してたのにさ……」
そう言ってエリスは小さくため息を吐く。ライは、黙っていた。
何故だか不穏な胸騒ぎを感じたのだ。漏れ聞こえた心の声、それだけでダンブルドアの本心を推し量るのには足りないが、しかし邪推を止められない。
もしかして、ダンブルドアはヴォルデモートに対し、誘い水を掛けているのではないだろうか。
何かの意図を感じる。気付けば舞台に立たされ、操られているかのような、そんな背後に糸引く存在が垣間見える。
それでは、その意図とは一体何だ? 一体何を囮にし、何を為そうとしているんだ?
「……どうでもいい」
邪念を振り払うように、言葉を発した。
「俺が、今年も優勝すればいいだけの話だ」
もう、失うものなど何もないのだから。
エリスは目を瞠ると、小さく苦笑した。
「そんな台詞、一度でいいから言ってみたいものだよ」
◇ ◆ ◇
「ラーイ、くん」
視界を覆った長い髪に、ライは本から顔を上げた。青く澄み渡った空を背後に、アリス・プルウェットが満面の笑みでライを見つめている。
「……アリス」
「折角天気がいいのに、本ばかり見ていちゃ勿体無いよ」
ひょい、とアリスはライから本を奪い取った。ライが立ち上がらないと届かないよう、本を空高く掲げると、片方の手をライに差し伸べる。
「卒業まで、あともう少ししかないんだからさ。遊べるうちに遊んでおかないと損じゃん?」
「……遊ぶ、って、この歳で」
「はい出たー。ライくんのそういう冷めたところ、いけないと思います! 行こう?」
柔らかそうな手をしばらく見つめ、その手を取ることなく立ち上がった。ん、とアリスは不満げに眉を寄せるも、その表情はすぐさま笑顔に掻き消える。
「そう言えば、知ってる? ダンブルドアがね、闇の組織に対抗して、レジスタンス組織を作ろうとしているの」
思わずアリスを見つめた。アリスはにっこりと笑ったが、しかしその瞳に宿る光は鋭かった。
「……アリス、も」
「当然。フランクも、エリスくんも加わるって言っていたからね。私だって、名門プルウェット家の誇りがある。魔法界を滅茶苦茶になんて、させやしないよ」
強い瞳の色に、ライは言葉を飲み込んだ。「……そうだな」と言い、何とか笑おうと努力する。しかしその試みは、あえなく失敗に終わったようだ。アリスの困ったような表情から、そう判断する。
「ライくんはいつまで経っても笑顔が上手くならないねぇ。口角を上げるんだよ、ほら、こう」
そう言うと、アリスは口端を人差し指で押し上げ笑ってみせた。こちらの口角も上げてこようとするので、慌てて身を捩り回避する。卒業後の進路を闇祓いに定めている彼女は、案外すばしっこいのが困りものだ。
「……ライくんは」
ふとアリスはそう呟いた。尋ね返すと、我に返ったように両手を振る。
「ううん……何でもない。でも私、ライくんは闇祓いになるものだと思っていたの。だから……もう、魔法医学の道で生きていくって、分かっている筈なんだけど」
ごめんね、とはにかんだように笑う彼女に、掛ける言葉が見つからず、ただ黙った。
「あーあ、今年で学生生活も終わりかぁ……長かったようで、短かったなぁ……」
空を見上げながら、アリスは呟く。その表情を横目で見ていると、ぱっとアリスがこちらを向いた。慌てて目を逸らす。
「今まで私やフランクと仲良くしてくれて、ありがとうね。私、きっと喧しかったと思う。それでも我慢強く付き合ってくれて、ありがとう。ライくんが友達で、良かったよ」
――違うのだ、と言いたい気持ちを押し堪えた。代わりの言葉を、唇に乗せる。
「……結婚式には呼んでくれよ」
彼女は、陽だまりのような笑みを浮かべた。
◇ ◆ ◇
本戦には、トントン拍子で駒を進めた。前回の優勝者、ライ・シュレディンガーが出場するということで、七年生の出場率は例年に比べ格段に低く、与えられた二枠に易々と、自分とエリス、共に入ることが出来た。
番狂わせが起こったのは、本戦一回戦でのことだ。
「……まさか、四年生にお前が負けるとはな」
ライの言葉に、エリスは顔を顰めた。
「傷口を抉らないでくれよ。でも、自信を無くす出来事だったことは確かだな。四年坊主に負けるようじゃ、闇祓い試験なんて受かる訳ないよね……ロングボトムやプルウェットにも忠告を受けたよ……。
だけれどな、ライ。歳下だからと言って侮れない程、彼は強いぞ。前回の大会を思い出したよ。予選で君にボコボコに伸された時のことをね。圧倒的な才能の差、とも言うべきかな、それを身に沁みて感じたものだ。全く、君や彼の近くにいると、自分の才能の無さに泣けてくる」
「……幣原、秋と言ったか」
「そう。我がレイブンクロー寮の可愛い可愛い後輩だ。このまま君も喰ってくれたら、我が寮に久々の優勝杯が手に入るのだけれどね」
「……そんなことはさせない」
眉を寄せ、呟いた。
ライに勝つほどの人物を、ヴォルデモートが野放しにしておくとは到底思えない。必ず、何かしらの手を打つだろう。
――そうなる前に、自分が。
◇ ◆ ◇
静かな少年だと思った。
別に静かな訳ではないと理解したのは、すぐだった。ふわふわと舞うその思考は、ライにとって聞き取れない類のもので――日本語であったからなのだと。
静かな魔力が、少年の周囲に漂っている。普通の魔法使いとは比べものにならないほどの膨大な魔力の影、それを感じるたびに、心は騒めいた。
杖を使わずとも、魔法を使えるその才能。未来への可能性を秘めた、発展途上の少年。
似ている、と感じた。
かつての自分に。当時の自分に、よく似ている。自分と違うのは、この少年は謙虚で、傲慢でない努力家だったということだ。授かり物を乱雑に扱うでなく、きちんと丁寧に抱え込む、そんな優しい少年だったということだ。
――気をつけろ、と忠告はした。返ってきた言葉に、目を瞠った。
「ぼく、頑張りますからっ……、負け、負けません、から……!」
その真摯な瞳に。まだ見ぬ未来に、素直に煌めくその光に。
――あぁ、いいなぁ、と、素直に妬んだものだった。
◇ ◆ ◇
魔法魔術大会本戦、決勝戦。
――見縊っていたな、と、他人事のように呟いた。
既に両足は地上から離れ、身動きの取れぬ状況で空中に縛り付けられている。杖は持っているけれど、目の前の少年に対し、為す術は既になくなっていた。
幣原秋は、自分が仕出かしたことだというのに、大きな目を丸く見開いてはライを見上げていた。
――ごめんな、秋。
守ってあげようとしたけれど、このザマだったよ。
才能ある者。お前はこの大会の名誉と引き換えに、数多くの大切なものを失うだろう。
分かっていたのに。気付いていたのに。
――守ってやれなくて、ごめんな。
「お前の勝ちだ」
杖を投げ捨てる。秋はよろよろと杖に歩み寄り、震える指を伸ばした。掲げられた杖に起こった大爆発とも言える歓声を、目を瞑って聞いていた。
秋が、力が抜けたかのようにその場に座り込む。同時に魔法が解けた。自由になった足を踏み出し、秋の元に歩み寄ると、手を差し伸べる。
「秋」
ぼんやりと秋が顔を上げた。おずおずと伸ばされた腕を掴むと、引っ張り上げる。小さく軽い身体は、簡単に持ち上がった。
「おめでとう」
「あ……」
秋の瞳に、光が灯る。頬が赤みを帯びると同時に、その目に歓喜の涙が浮かんだ。秋が慌てて、その涙を拭う。
「ありがとう、ございます……」
素直な喜びを示す、幼い少年に。
ライは何も言うことが出来ず、ただ逃げるように、その場を後にした。
◇ ◆ ◇
表彰式を見ぬまま、人気のない廊下を駆け抜ける。行き先はダンブルドアの居室、校長室。息を切らせて飛び込んだライに対し、ダンブルドアは何もかもをお見通しと言った表情を浮かべて出迎えた。
ダンブルドアの手元では、銀細工の小物が銀色の霞を吐き出していた。それが何かを形作り、やがて千々に掻き消える。不吉な胸騒ぎを感じ、息を詰めた。
「行こうか」
ダンブルドアの言葉は端的だった。
つい、とダンブルドアが腕を上げる。すると、止まり木で眠っていた不死鳥がパッと目を覚まし、羽根を広げてはダンブルドアの腕に止まった。そのまま、ダンブルドアはライに対して余った方の手を差し出してみせる。
考える余裕もなく、ライはその腕に手を伸ばした。
◇ ◆ ◇
友人、エリス・レインウォーターの訃報を受け取ったのは、ヴォルデモートが『生き残った男の子』、ハリー・ポッターに打ち倒されて、数ヶ月後のことだった。
この戦争で、何人の友が死んで行ったか。数えたくも考えたくもない。フランク・ロングボトム、そしてその妻アリス・ロングボトム。長らくの友人であった彼らは、気が触れて長期療養病棟に閉じ込められた。彼らはもう、ライのことが分からない。死ななかっただけマシだと人は言う。果たして本当にそうだろうか。ライにはもう、何が正しくて何が間違っているのか、分からなかった。
エリス・レインウォーターの葬儀で、数年ぶりに幣原秋に出会った。記憶よりも少し背が伸び、大人びた彼はしかし、危うげな瞳でエリスの遺体が納められた棺を見据えていた。
黒衣の天才の噂は、何度も耳にした。彼の才能の終着点は、ここだった。もしかすると自分も、彼のようになっていたのかもしれない。
エリス・レインウォーターは、黒衣の天才に殺された。裏切り者であり、敵に情報を流していたとして、処断されたのだと言う。
「…………」
長らくの友人であったからといって、エリスのことを全て理解しているとは思っていない。それを言うならば、あの才気溢れる後輩であったジェームズ・ポッターが死ぬなんてことも、彼の幼い息子が戦争の英雄になることも、彼の親友であったシリウス・ブラックが、ジェームズを裏切るなんてことも、想像さえもしなかった。何かの悪い冗談かと。
葬儀が終わり、足早にその場を立ち去ろうとした秋の腕を、咄嗟に掴んだ。瞬間感じたピリッとした魔力に、ライが慌てて手を離すのと、秋がこちらを振り返ったのは同時だった。
「あ……ライ、先輩」
見開かれていた瞳が、やがて落ち着く。すみません、驚いたもので、と力無く微笑んだ顔は、随分と憔悴しているようだった。
「……構わない。少し、時間は取れないか。話したいことがある」
そう言うと、秋は僅かに瞳を揺らした。凝ったデザインの懐中時計で時間を確かめると、眉を寄せてパチンと閉める。
「忙しいのなら仕方がないが……」
「いえ、ぼくも、あなたとお話がしたかった。そう長くは無理ですが、少しの時間くらいならば」
一瞬、秋が周囲に気を配ったのが分かった。つられてこちらも周囲を見渡すと、周囲の人物は素早く目を伏せる。そうか、黒衣の天才。彼の一挙一動を、今や誰もが気に掛けている。
「先輩、こちらです。腕の良いバリスタがいる喫茶店を知っているんですよ」
秋が仕事用の仮面を貼り付け、微笑む。闇祓いのローブを翻し歩く彼の後を、小走りで追った。
「エリス先輩は裏切り者なんかじゃありません」
歩きながら、秋は端的に告げた。思わず目を瞠る。
「エリス先輩は死喰い人に嵌められただけです。彼の魂を身体から引き剥がし、生ける死者として、人形のようにエリス先輩を使った奴がいる。ぼくは、その犯人を追っています」
「……なら、エリスをお前が殺した、という噂は、間違っているということか?」
ライの言葉に、秋は軽く頭を振った。黒衣に包まれた細い肩が、僅かに揺れる。
「……いえ。間違ってはいないんだと思います。ぼくが、亡者にされたエリス先輩の動きを止めたことに違いはなくって……そもそも、ぼくがいなければ」
エリス先輩がこうなることもなかった。
苦い口調で、秋はそう吐き捨てた。
その声音に、かつての自分を思い出す。
「……手がかりは掴んでいます。現在のエリス先輩に対する不名誉な噂も、きっとすぐ収まることでしょう。……戦争は、終わりました。これから、平和な世の中になる。黒衣の天才の出番は、終わったんです。……ねぇ、ライ先輩」
静かに、秋は振り返った。ふわりと長い黒髪が、冷たい十二月の風にたなびく。ライに向き直った秋は、僅かに笑ったようだった。
「ぼくを殺してくれと頼んだら、あなたは受け入れてくれますか?」
足を止めた。旋風に、枯葉が舞う。
どれだけの時間、無言で見つめ合っていただろうか。先に口を開いたのは、秋だった。微笑みを深くして、秋は前を向く。
「冗談です。忘れてください」
向けられた背に、――あぁ、自分はまたも、失敗してしまったのだと。
そう、思った。
◇ ◆ ◇
漆黒の棺に、山のように積み上げられた白百合の花。動く魔法界の写真は、しかしこればかりは微動だにしない。黒衣の天才の訃報を告げる新聞記事、その写真を撫でながら、ライは目を伏せ、ブラックコーヒーを飲み込んだ。
自殺であったと、記事は告げている。他殺ではなく、まして事故でもなく、自ら命を絶ったのだと。
「…………」
最後に出会った日のことを。エリス・レインウォーターの葬儀の日、あの時の秋の微笑みと声を、思い出す。
今回も自分は、あの少年を助けてはやれなかった。
組んだ両手を、目に当てる。
これからの未来を、どうやって歩んでいけば良いのか。
その答えは、いくら考えても分かりそうになかった。
◇ ◆ ◇
扉を叩くのを、躊躇した。一度大きく息を吐き、心を決めると扉を開ける。
大きな窓からは、暖かな日差しが降り注ぎ、柔らかな陽だまりを作っていた。白い壁には写真や手紙、様々なものが所狭しと貼り付けられている。鼻歌を歌いながら、ぎこちない手つきで折り紙をしていた彼女――アリス・ロングボトムは、入ってきたライの姿に表情を明るくさせた。
『ライくん、こんにちは』
言葉は、まだ上手く話せない。それでも、彼女の心の断片は読み取れる。
「……こんにちは、アリス」
作り笑顔は、昔よりも上手くなった。アリスは安心したように微笑む。ベッドに身を起こす彼女に近付くと、すぐ近くに折り紙で不器用に作られた鶴があるのが目に入った。アリスは、まだそのようなものを作り上げられるほどには回復していない。それでも、数年前まではライのことも分からなかった。長い時間を掛け、ようやく頑なな記憶を開き、受け入れさせることに成功してきた。
「この鶴は、誰が?」
ライの言葉に、アリスは目を輝かせた。
「……そうか。ネビルが、来ていたのか」
彼女とフランクの、まだまだ幼い一人息子。彼のことを考えるたび、妙に自分に重ねては息苦しくなる。意識的に思考を振り払い、普段通りの回診を執り行った。
『……ねぇ、ライくん。エリスくんは、元気?』
立ち去り際、そんな想いと共に袖を掴まれた。振り返り見た彼女は、無邪気に笑っていた。
「……エリス、は」
言い淀んだ自分に対し、アリスはきょとんと目を瞬かせると、たどたどしい手つきで一葉の写真を指差した。この人、と唇が、そっと言葉を紡ぐ。
「エリスは、死んだ」
ん? とアリスは首を傾げた。『死』という概念を、彼女はまだ理解出来ていないのだ。
そんなことは、分かっていた。
分かっていて、それでも、どうしようもなかった。
「エリスは死んだんだ」
『エリスくんは?』
「……っ、死んだんだ」
『エリスくんは――』
「死んだんだよ!! 皆々、死んだんだ!!この世からいなくなった、もう二度と、会えないんだ!!」
怒鳴り声を上げたのなど、一体何年振りだっただろう。
窓ガラスさえも震わせる大人の男の怒声に、アリスはびくりと身を震わせた後、その頬に涙を伝わせた。そんなことにすら構っていられないほど、その時のライは気がおかしくなっていた。
「どいつもこいつも死んで行ったんだよ!! 友達も、先輩も、後輩も、誰も彼もがこの世から消えて行った! 死んだんだよ、分かってくれよ!! ただ安全な場所で、お前らが死に行く様をただただ眺めていた俺の、この気持ちを誰か知ってくれよ! 死なないで、俺を、俺を置いて逝くな、誰もいなくなった、誰も、いなくなったんだ!」
その場に崩折れた。頭の中で、声がする。
「俺だって死にたい、一緒に逝きたい、どうして俺だけこんなところに、家族も、友も、何もかもを失った、それなのにどうして、俺は生きてるんだ……!」
『ぼくを殺してくれと頼んだら、あなたは受け入れてくれますか?』
そう言った少年のことを思い出し、やるせない気持ちになった。あぁ、あの時の言葉を発した彼は、今のライと同じ心持ちだったのだ。殺してくれと、赦してくれと。人生という牢獄から解放してくれと、叫んでいたのだ。
今更気が付いた。
――あぁ、本当に、俺は役立たずだ。
何も出来なかった。
何も出来なかった!
周りでこんなにも人が死んで行ったのに、俺は何も為すことが出来なかった!
どうしようもない無力感に、心の底から打ち震える。好きだった人の、少女のような泣き声が、その思いに拍車を掛けて行く。
頼むから、もう赦してくれ。
もう俺は、十分過ぎるほど頑張った。
これ以上は、もう、耐えられない。
大切な人を守りたかった。
自分の信念に殉じたかった。
俺だって何かを成したかった。
何一つとして、許されなかった。
「……殺してくれ……死なせて、くれ……アリス、お願いだ……俺を、殺してくれよ……」
無理な願いを、無茶苦茶な思いを、それでも言葉に乗せた。
もし、自分に勇気があったなら。
もし、自分に覚悟があったなら。
この枷を壊し、杖を取る覚悟が、あったのならば。
きっと犠牲はもっと少なかった。
守る力が、自分にはあった。三人を犠牲にしてでも、もっと沢山の人間を、きっと自分は守ることが出来た。
――あったのに!
何も出来なかった?
何もしなかった、の間違いだろう。
何もしなかった自分が、現世の身を嘆く権利などない。
俺は何一つ救えなかった。
何もかもを犠牲にしてでも救いたいと願った家族すら、未だ目を覚まさない。それどころか、大切で、大好きだった筈の家族ですら煩わしく思い、殺してしまおうかとも考える始末。
それならば、もう、いっその事。
あの時死んでおけば良かった。
あの時、殺してくれれば良かったのに。
頭に、柔らかな衝撃が来た。くしゃりとぎこちない動作で、その手はライの髪を掻き混ぜる。
「ライくん、泣かないで……」
大粒の涙を零しながら、幼子のようにただ、彼女はしゃくりあげる。
「ごめ、なさ、ライくん……やだよ、ライく、いなくなっちゃ、やだよ……」
細い指先が、ライの目尻をそっと拭った。その微かな動作にすら、涙腺を刺激される。
「死んじゃ、やだよ……」
その声に、奥歯を噛み締めた。
死ぬことも、生きることも許されない、このどうしようもない牢獄の中。
心臓の鼓動を止めない理由が、また一つ増えてしまったと、それでもその理由に縋るのだと、そんな思いで項垂れた。
魔法連載主人公、どちらが好き?
-
親世代主人公(幣原秋)
-
子世代主人公(アキ・ポッター)
-
その他(イチオシの子がいましたら……)