【完結】空の記憶   作:西条

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第23話 思色の邂逅

「……本当に大丈夫か?」

「やだなぁ、もうガキじゃないんです、大丈夫ですって」

 

 ――聖マンゴ。

 二年間己が暮らしていた――正確には『眠っていた』だが――病室は、綺麗さっぱりと痕跡もない。

 僅かな荷物を纏めると、シリウス・ブラックは一度ライ・シュレディンガーを振り返った。

 

「シュレディンガーさん、いや、先生。ずっと付き添ってくれて感謝しています」

 

 かつてシリウスが在籍していたホグワーツグリフィンドール寮、そこでの三つ上の先輩であるライ・シュレディンガーに微笑みかける。

 ライは長めの前髪の隙間から、シリウスに案ずるような視線を投げ掛けた。

 

「……行く当てはあるのか? お前の仲間がここに見舞いへ訪れなくなって久しい……せめて、誰か一人でも」

「いいんです、皆忙しい。戦争なんだから。誰もが戦っているんです。私も――いや、俺も」

 

 学生時代のように一人称を戻し、シリウスは笑った。

 

「仲間と一緒に杖を取って戦いたい、そんだけ。こんな状況下眠り呆けていたバカに気を回す必要なんてありません」

 

 シリウスの言葉に、ライの表情が一瞬陰った。思わず目を瞠り、今何か失言しただろうかと発言を思い起こすも、一度瞬きした後はもう、ライは普段通りの無表情に戻っていた。

 

「杖は、確か持っていたな?」

「あぁ、はい」

 

 ポケットの中の杖に、服越しに触れた。幣原秋の『二本目』の杖。黒壇に、芯はドラゴンの心臓の琴線。

 今から杖を作り直すのは面倒だった。相性自体は悪くないのだし、折角だから使い続けようと思っている――実際のところ、新品同様だったのだ。

 

 闇祓いが二本の杖を常に所持していることは、初耳だった。恐らくは他言無用の極秘事項だろう。そうでないと意味がない――秘密兵器は『秘密』であることに意味がある。

 しかしながら、ここまで一切使われた形跡がないというのは、逆に恐ろしかった。こうなるとむしろ『相性がいい・悪い』の話ではなくなってくる。

 杖はシリウス・ブラックこそを『キチンと使ってくれる主人』として認識したのではないかと、そんなことまで考えてしまう。事実ゾッとするほど手に馴染んだのだ。

 

「……ブラック家の金庫は使えぬだろう。俺の金庫の番号だ……グリンゴッツに金庫が1ダースは硬いお前の実家には見劣りするだろうが、それなりの額はある。好きに使え」

「いや、でも悪いですよ」

「構わない。……どうせ俺は独り身だし、金を注ぎ込むような趣味もない詰まらない仕事人間だ。そんな中腐らせておくよりも、お前たちの活動資金に使ってもらえた方が、金も喜ぶだろう」

 

 メモ帳に走り書きした後、ライはその一枚を破って寄越した。本当に何から何まで、と恐縮する。

 昔からなんだかんだで、面倒見が良い先輩だった。無愛想なことと淡々とした喋り方で怖がっている後輩もいたが、自分はそれなりに可愛がられ構われた記憶がある。入学して、まさか自分がグリフィンドールなぞに組み分けられるとは思いも寄らなかった頃のことだ。当時は鬱陶しく疎ましくも感じていたが、今となっては大事な記憶だ。

 

「……大丈夫、ですかね? このご時世、他人が金庫の金を弄っても」

「何だ、そんなこと」

 

 ライはニヤリと笑ってみせた。

 

「研究者が研究対象に謝礼を払った、ただそれだけのことだ。研究者の金の動きなんぞに、構う暇人はいないだろう」

 

 こちらも存分にデータは取らせてもらった、と口端を吊り上げ言うライに、敵わないなとシリウスは肩を竦めた。

 

 

 ◇ ◆ ◇

 

 

「しっかし、一体どこに向かうべきかねぇ……」

 

『セイリオス・グレイ』としてグリンゴッツでまとまった額の金を手に入れた後、シリウスは首を掻きながら嘆息した。

 荒れ果て、大半がシャッターを閉じてしまったダイアゴン横丁は、かつての繁栄ぶりが夢のようだ。息子同然に可愛がってきたハリー・ポッターが、脱獄囚であったかつての自分と同じように、その首に懸賞金が掛けられベタベタと顔写真が貼られている。学生時代の自らだったら目につく全てのそれをビリビリに引き裂いていただろうが、いくらそんなことをしても無駄だということがよく分かっていた。睨みつけながらもその場を後にする。

 

 聖マンゴでのリハビリがてら、シリウスは情報収集に勤しんだ。

 その結果分かった「ぼくは敵だ」と言ったアキの発言の意味。

 ひとまず、不死鳥の騎士団と合流したい。そう思いながら、公共交通機関を乗り継ぎ、ロンドン一等地に居を構えるグリモールド・プレイスへ。

 どうしてマグルばかりの中心地なんかに、純血の名門中の名門であるブラック家が存在するのか、若い頃はずっと疑問だった。しかし今となっては理解に至る。マグルの時勢も読まなければ、英国魔法界は衰退する一方だ。

 後年のブラック家はしかし、それを本当に理解していたのだろうか。自分の父親は、祖父は、曽祖父は。マグルを忌み嫌うばかりでは、いずれぐずぐずに腐り果ててしまう。

 

 そんなことを考えるようになったのは、恐らく魔法省が急ぎ足で法改正に勤しむ姿を見たからだ。

 まるで誰かに脅され蹴飛ばされるように、腐った法律は消えていった。マグル生まれ登録委員会などがあったらしいが、発足して3ヶ月でバラバラになったらしい。あらゆる所に改革の手が伸びていた。

 今までずっと、ダンブルドアに癒着して頼り切っていた魔法省が、今やっと自らの足で歩き始めようとしている。

 

 ヴォルデモートの影に隠れるようにして、誰もが動いている。ヴォルデモートの支配の下の市民は、黙って虐げられるような存在ではなかった、そういうことなのだろう。

 

「……変なのいる、よな」

 

 変装しておいて正解だった。家の前をうろつくのは、珍妙なマグルの服を着ている男。恐らくは魔法使いだ。ロンドンは確かに個性的な服装の人物が多いが、それでもこれはよろしくない。

 一瞬男と目が合った気がして、シリウスはすぐさま目を伏せると近くの自動販売機へ立ち寄った。しばらくシリウスをじっと見ていた男だが、シリウスが財布から1ポンド硬貨を取り出しコーヒーを買ったことから、マグルの一般人かと思ってくれたようだった。

 案外真面目にマグル学も受けとくもんだ、と、キャップを開け呷りながらも考える。ちなみに味はお察しだ。

 

 家から少し離れると、公園を見つけた。昔レギュラスと共にここで遊んだこともあったっけか。

 懐かしさに目を細めながら、足を踏み入れる。経年劣化した遊具が立ち並ぶせいか、子供らの姿は見受けられるも、遊具で遊ぶのではなく足元のボールを楽しげに蹴り合っていた。

 横目で見ながらベンチに腰掛け、コーヒー缶を軽く振る。容量の六割ほど満ちた液体が、ちゃぽんと音を立てた。

 

 口元に手を当てながら、はてさてこれからどうしようかと考える。今からどこに行こうか。

 今すぐ会いたいのはリーマスだけども、彼の居場所は掴めない。手にある缶コーヒーを飲み干したら、ダメ元で『隠れ穴』にでも行ってみようか。あぁ、それにしても、足元を這い回っているこのネズミ、尋常じゃない既視感があるな。そうだ、ピーターの『動物もどき』に似ているんだ……今まで何度間近であいつが変身する様子を見てきたと思っている。

 あいつが死んだという噂はまだ耳にしていない、どこかで生きているのだろうか。どっかで会えたりしないものだろうか。もし会ったなら、一発と言わず何度もぶん殴って、ジェームズとリリーの墓前で土下座させて、それからそれから……しっかしこいつ本当に『動物もどき』のピーターにそっくりだなぁ、指が一本ないことも含めて――

 

「ってピーター!?!?」

 

 思わず立ち上がる。

 そのネズミはビクリと身体を震わせシリウスを見た、次の瞬間には、シリウスの目の前で、禿げた頭の男が一人腰を抜かしていた。

 

「はっ、えっ、シリウス!?!?」

 

 ――旅は道連れ、世は情け? 

 ええっ、裏切り者とでも?


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