「――っ、ふざけんなよ……っ!」
激昂した表情でこちらに近付いて来た幣原秋は、ふとその場に崩れた。慌てて手を貸すと、目を開けた彼はにっこりと笑った。
「ありがとう――教授」
あぁ、これは。
これは、アキ・ポッターだ。
立ち上がったアキは、机へと歩み寄ると一冊の本と一枚の紙を取り出した。机の上にその紙を広げる。
紙に描かれているのは、魔法陣のようだった。使われているインクは、赤い。
猛烈に、嫌な予感がした。
「……壮大な自殺をしてあげる」
セブルスが声を上げるよりも、アキがその魔法陣に右手を押し付ける方が早かった。
瞬間、青白く発光する魔法陣が、アキの周囲三メートルほどに広がる。結界により、セブルスは近付けない。
青白い光に照らされたアキは、恍惚とした表情で口を開いた。
「手伝って、リドル」
◇ ◆ ◇
「あぁ、アキ。君に力を貸そうじゃないか」
部屋中に風が吹き荒れる。音もなく、リドルが姿を現した。
「ぼくの魔力と、リドルの魔力。途方もない魔力を持つ者同士が、この想いを捧げよう。過去を書き換えよう。全ては」
幸せな未来へ。
ふ、と本が、光輝く魔法陣の中心に浮かび上がった。本は凄まじい勢いで、見えぬ手によりバラララッとページを捲られてゆく。
「ねぇリドル、約束して。もう絶対、間違わないと、誓って」
「……誓うよ、アキ。決して二度と、間違えやしない」
本に書かれた文字が、時間経過で煌々と煌めきを増す。
「例え夢幻だって理想論だったって、空想だって夢物語だったとしたって、現実になってしまいさえすれば、全て起こり得ることになる。――幣原秋が、ぼくを作り出さない未来。ぼくが求めるのは、それだ」
大きく、息を吸い込んだ。
言葉に意志を込め、ただ叫ぶ。
「幸せな未来に、アキ・ポッターは必要ない!!」
ぼくの言葉に、より一層本も魔法陣も強く光り輝いた。もう、直視は出来ない。
歌うような声が、近くから聞こえた。
「幣原秋が生まれるより、もっと以前。あの日へ戻ろう。トム・リドルと幣原直が出会った、あの日へ。まだ道を踏み外していない自身の中に――分霊箱の魂の欠片よ、定着しろ」
リドルがいるであろう方向に、目を向けた。ぼんやりとした影しか見えないが、それでも確かにそこにいるのだろう。
「……ねぇ、リドル。願ってもいい?」
世界が光に包まれる。やがて、ひび割れ世界は一度崩壊するだろう。そして、かつてあったように、世界は再構築されるだろう。
それをきっとぼくは認識出来ないが、リドルならば。過去の完全な魂に、魂の欠片は引きつけられるだろう。術者であるリドルならば、きっとこの記憶を持っていてくれるはずだ。
「君の願いとやらを、聞こうじゃないか。何だい?」
リドルは優しい声音で言った。光に向かって、ぼくは言う。
「どうか忘れないで、ぼくのことを。全ての記憶から、記録から、ぼくの存在はいなくなる。でも君だけは、リドル、君だけはお願いだ、ぼくのことを覚えていて!!」
世界にすら認められなかったぼくだけれど、それくらいは、願ってもいいだろう?
「ぼくを忘れないで、ぼくが、アキ・ポッターが確かにここにいたってことを、ぼくの生き様を――忘れないで!!」
「……聞き届けた」
その言葉に、安心する。リドルならばきっと、覚えていてくれる。ぼくのことをずっと、覚えていてくれる。
たった一人だけでも、ぼくのことを覚えていてくれたのなら。作り物で、紛い物で、偽物だけれど、それでも確かにぼくは生きていたのだと、誰かの記憶に刻まれてくれたのならば。
もうぼくは、それだけで構わない。
「……ねぇ、アキ。この世界は消える。今なら、誰も聞いてないよ。……最後に一言、あるんじゃない?」
その言葉に、ぼくは笑った。弾みで、溜め込んだ涙が零れる。
誰も、聞いてないというのなら。
ならば、一言、構わないかなぁ。
「……本当は、死にたく、なかったなぁ……」
世界が、光に呑み込まれた。