【完結】空の記憶   作:西条

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番外編 セブルス視点 不器用な友

「…………ハァ」

 

 痛む頭を、セブルス・スネイプは指先で押さえた。

 頭痛の原因は分かり切っている。過度な疲労と慢性的な睡眠不足。加えて常に気を張り詰め、途切れることなく『閉心』し続けるが故の、極度のストレス。

 

 アルバス・ダンブルドアが死に、闇の帝王がホグワーツを掌握した。それに伴い、ホグワーツの自治はセブルスへ一任されることとなった。それだけの信頼を、今の自分は勝ち得ている。

 闇の帝王からの信用を損なうことなく、死喰い人として従順でいること。同時に、ホグワーツの在校生が決して害されることのないよう、命をかけて守り通すこと。

 

 決して思惑を見破られてはならないし、悟られることもあってはならない。

 

「君の暗闇に付き合おう。これは、ぼくらの贖罪だ」

 

 あのとき、アキ・ポッターはそう言った。

 アルバス・ダンブルドアをセブルス・スネイプが殺した日、『姿くらまし』した先の廃屋で、瞳に強い光を灯したアキは、そう言ってセブルスに手を差し伸べた。

 

「死んではならない。守らなければならないものがある限り、ぼくらが死ぬことは許されない。全てが終わる、その時までは──」

 

 ホグワーツ魔法学校校長の職は、今年度いっぱいで辞する心算だ。

 教育機関であるホグワーツは『中立不可侵』フィスナーの管轄。

 当主であるリィフ・フィスナーから提示された条件は二つだった。一つ、生徒を無益な殺生に巻き込まないこと、二つ、全てを一年間で片付けること。全ての条件を呑み、ホグワーツの全権限はセブルス・スネイプへと移譲された。

 

 学校は通常通り運営しなければならない。たとえ死喰い人に侵されたとて、生徒が学ぶ権利だけは、誰にも奪わせてはならない。

 新入生を迎える手筈、教職員の準備、足りない人員の補充。

 

 不死鳥の騎士団への監視も怠ってはならない。後手に回ってしまえば最後だ。闇の帝王からの信用が失墜することは、自分たちにとって命取りになる。

 それでも不死鳥の騎士団に、致命傷を与えないように。極力、誰も死なぬように──。

 やらなければならないことは山積みだ。どれも完璧に、誰にも知られることなく、やり遂げなければならない。

 

 ふとその時、細い手首が視界に映った。数枚の書類を取り上げた彼は、セブルスが向かう机に体重を預ける。

 導かれるように、顔を上げた。

 

 窓から覗く月明かりに、艶やかな黒髪が煌めいている。じっと書類に目を落とす横顔からは、普段のにこやかさは窺えない。

 丁寧に整った顔立ちは、以前は少女のようでもあった。幼さが抜けるに従い少女らしさも薄れたものの、それでも柔らかな印象は残したままだ。

 

 彼を見ていると、時が止まった気分になる。

 学生だった頃の、隣で笑い合えていた時代に、戻れたような気分になる。

 

「…………秋……」

 

 ──そんなものは、ただの夢まぼろしに過ぎないのだと。

 もういなくなってしまった彼女を想って、いつだってすぐに、我に返るのだ。

 

「──ポッター」

 

 名前を呼ぶと、アキ・ポッターはそっと顔をセブルスに向けた。

 普段通りの笑みを口元に湛える。

 

「教授」

「済まない……起こしたか」

「いいや、目が覚めちゃってね。君に仕事をさせてる間、ぼくだけが惰眠を貪るというのは据わりが悪い」

「成長期だろう、きちんと睡眠は取るべきだ」

 

 そう言えば、アキは驚いたように目を見開いた。やがて耐えられなくなったように笑い出す。

 

「──『成長期だろう』? あははっ、教授がそんなことを言うなんて、考えたこともなかったよ」

「なっ……、私はただ、君の身体を思って、だな……君に身体を壊されると、計画に差し障りがあるからであって……」

 

 思わず顔を赤らめた。

 うん、とアキは柔らかく微笑む。

 

「ありがとう、教授。大丈夫、少し……寝付けなかっただけだから」

 

 そう言って、アキは指をついっと振った。瞬間、アキの手の中に万年筆が『出現』する。

 キャップを開け、書類にさらさらと書き付けながら、アキは口を開いた。

 

「教授も、少し休んだ方がいい。疲労が顔に出ているよ。精神の不調は、術の精度に影響を及ぼすからね。闇の帝王の前で、無様は晒してくれるなよ?」

「あぁ……理解している。これに片がつけば、今日はもう休むつもりだ」

 

 書類をトントンと指で叩く。それを見て、アキは静かに微笑んだ。

 しばらく、無言の時が流れる。

 

 アキの様子をチラリと伺った。

 ソファに腰を下ろしたアキは、口元を覆って書類に目を落としては、『呼び寄せ』た本をパラパラと捲っている。処理済みらしい書類は仕分けられ、四隅を揃えてテーブルの上に積んであった。その几帳面さと仕事の速さは、やはりただの学生とは一線を画す。

 

 アキ・ポッターがホグワーツに入学してからというもの、セブルス・スネイプは、この生徒をどう扱えば良いものか、しばし悩んだものだった。

 記述試験は勿論のこと、授業での魔法薬作成も、課題のレポートも、全てにおいて文句のつけようが無いほど、きっちり丁寧にこなしてくる。

 同じ代にハーマイオニー・グレンジャーという優等生がいたからこそ、比較・採点が行えたものの──百点満点の試験で三百点をつける事が、どれほどまでに難しいことか。

 

 一度、呪文学教授のフィリウス・フリットウィック教授に、忸怩たる思いで尋ねたことがある。

 レイブンクローの寮監であり、『呪文学の天才児』と呼ばれた幣原秋の恩師であった彼ならば、あるいは、と。

 

 彼の返答は明確であった。

 

『今も昔も、彼は私の最高の教え子です。常に最高点をつけ続けた。そこに、幣原秋だから、アキ・ポッターだからと、そういうものはありません。だから、ねぇ、セブルス。あなたも教師として、素晴らしい一生徒の教鞭を執ることができる喜びと誉れを、共に分かち合おうじゃありませんか』

 

 ──教え子である以前に友であり、そして決別した親友なのだぞ!

 

 その時、アキは一枚の書類を手に、クスクスと笑みを零した。なんだと彼を見ると、アキは楽しそうに声を上げる。

 

「ねぇ教授、今年の首席についてなんだけど、男子の方はぼくが頂いてもいいかなぁ?」

 

 今年度の首席について。そう言えば、まだ決めてはいなかった。

 

「構わない、学年の成績表を付き合わせる必要もないだろう。十二ふくろうの秀才は、君の代ではただひとり、君だけだ」

「そういうわけにもいかないよ。成績表、ぼくが見ても構わないかな? あぁ、でも、一生徒が見るわけにはいかないかな……」

「君は変なところで気を遣うな。未だに自分をただの一生徒だと思っているのなら、それはいっそ傲慢というものだ」

 

 七年生の成績一覧を書類の山から引っ張り出すと、魔法でアキの元へと飛ばす。アキは視線だけで、セブルスが渡した一覧表を空中に縫い止めた。

 

「女子を決めたいんだよね。ハーマイオニーがいれば彼女に決定だったんだけど、彼女は新学期には来ないだろ。だったらレイブンクローのクレアかな……あっ、アクアも中々、へぇ……」

 

 ブツブツと独り言を言いながら、アキは空に金色の数字を書き連ねている。どうやら計算をしているようだ。

 

「君が、首席バッチを欲しがるとは思っていなかった。てっきり、そういうものには興味がないものかと」

 

 そう呟くと、アキは無邪気な笑みを寄越した。

 

「そんなことはないさ。褒められたら嬉しいし、努力が報われたらやる気が出る。幣原だって、魔法魔術大会で優勝したときは誇らしい顔をしてただろう? まぁそれはそうとして、首席はね、結構嬉しいんだ。幣原にぼくが抜きん出た、唯一の証明になるからね」

 

 思わず、苦いものを呑み込んだ。

 

「……なるほど」

 

 この少年の頭上には、いつだって幣原秋がいる。

 幣原秋に造り出された紛いもの。ハリー・ポッターを護るという、ただそれだけの目的のために生み出された、秋の魂のひとかけら。

 生きる意味も、目的も、全てが幣原秋によって用意されたその人生。

 幣原秋のために生き、そして幣原秋のために死ぬ、幣原秋に非常によく似た偽者。

 

「……寝付けなかったんじゃない。本当はね、飛び起きたんだ。悪い夢を、見てしまって」

 

 ぽつりと、アキは呟いた。

 

「夢で見ていた幣原の記憶は、もう全て受け継いだ。……幣原の記憶を受け入れることは、何でもないんだ。仲間がどれだけ目の前で死のうと、どれだけの命をこの手で奪おうと。それがあいつの罪だというなら、ぼくは死ぬまで付き合うさ」

 

 そう言って、アキは静かに息を吐いた。

 

「……だからね。恥ずかしながら、アキ・ポッターが悪夢というものを見たのは、ここ最近が初めてでね……ぼくはこれまで、夢というものを一度たりとも見ることがなかった。他人が言う悪夢が何なのか、幣原の記憶を通して見た夢でしか、知識がなかった。……自分の目で見て、初めて理解したよ。悪夢とは、救いようがないものだね」

 

 眉を下げてアキは笑う。

 

「……悪夢で寝付けないというのなら、薬を煎じてやろうか?」

 

 そう言うと、アキは笑みを崩すことなく首を振った。

 

「気遣いありがとう、でも大丈夫。元々、生ける屍の水薬にはトラウマがあってね。まぁ幣原がかつて常飲していたものだし、確かあれには依存性があるだろう? 抜くのにちょっと苦労したんだよ」

「あぁ……」

 

 依存性か。

 ──さらりと言ってくれる。

 

「……わかった、ならば良いが──それでも、さっき君が言ったことだが、闇の帝王の前で無様を晒す真似だけはするなよ」

「承知しているよ。何、君が望むなら、いくらでも魔法をかけてあげる。痛みもなしに終わらせてあげるよ。戦線離脱したいなら、出来る限り早めに伝えてくれると嬉しいな。だってほら、リコール期間は欲しいだろ?」

「ハッ……よく言う。それはこちらの台詞だ、アキ・ポッター。いつでも降りてもらって構わんのだぞ」

「言うねぇ」

 

 強がりのような戯言だった。

 お互いが重々承知の上だ。

 

 ──既に舞台の幕は上がった。

 

 役者は揃った。

 今、息をしている意味は、ここにある。

 唯、今だけの為に、生きている。

 

「……………………」

 

 そう。

 退路はとうに断ち切った。

 

 アルバス・ダンブルドアに『死の呪文』を向けたあの瞬間、セブルス・スネイプの中から『逃げる』という選択肢は消えたのだ。

 忘れられない。

 全て、憶えている。

 

 死の間際、アルバス・ダンブルドアが浮かべた微笑みも。

 呪文を紡いだ唇の感覚も。

 手の中で杖が、僅かに身動いだことも、全て、全て、全て──憶えている。

 一生、忘れないのだろう。

 忘れられる日など、来ないのだろう。

 

 ──ならば。

 それを幾度も、幾度も、幾度も幾度も幾度も幾度も幾度も幾度も、繰り返し、繰り返し、繰り返し続けた血染めの英雄、黒衣の天才は。

 擦り切れながら、摩耗しながら、それでも四肢に力を込め、頭を上げた英雄は、未来を信じ進み続けた。

 

 この罪の先に、幸福な未来が在ることを願って。

 この杖が、明るい世界を切り開くのだと祈って。

 

「…………いいよ」

 

 小さな声がした。アキの声だ。

 セブルスが顔を上げるのと、アキが閉じていた瞳を開けるのは、ほぼ同時だった。

 

「済まない、何か言ったか?」

 

 そう尋ねると、アキはそっと微笑んだ。手に持つ書類を静かに机に放る。

 

「何でもないよ。それより、気晴らしに夜風でも浴びないか?」

「は? いきなり……それに、今は一体何時だと……、……」

 

 反論した声は、身に走った予感に途中で掠れた。

 

 ──風が。

 締め切られた部屋の中、何処かから風が吹いている。

 

 彼はそっと、体重を預けていた机を押し返した。そのままベランダへと歩いて行く。

 風に、彼の長い髪の毛先が、ふわりふわりと揺れていた。

 

「────っ」

 

 思考も、感情も、何一つ言葉にはならなかった。

 書類を放り投げると、彼の背中を追いかける。

 

 外は、月の光に満ちていた。彼の艶やかな黒髪に、蒼い影が落ちている。

 彼はそのまま、欄干へと足を掛けた。とんっと軽やかに跳ね上がると、音もなく屋根へと降り立つ。

 重力操作の魔法だろうかと、そう考えるのも野暮だった。

 

 ただ彼が、天使のようにも見えたから。

 

 後を追わない、なんて選択肢は、最初から存在しない。

 無様でも構いはしなかった。柱にしがみ付いては、腕を伸ばして屋根瓦に指を掛ける。

 これまでロクな運動をして来なかったものの、意外と身体は動いてくれた。十七年のホグワーツ生活で、生徒たちに揉まれていると、それなりに体力はつくらしい。

 

 屋根に這いつくばり、何とか身を起こす。闇の帝王から空を飛ぶ秘術を教わっていたことを、額に浮かんだ汗を拭ったときに思い出した。

 だとしても、あれは闇の魔術だ。彼の眼前で犯したくはない。

 

 腕を後ろで組んだまま、彼は屋根の尾根を伝い歩いて行く。足取りは緩く軽やかだった。

 

「……っ、……」

 

 口を開いて、そのまま閉じた。

 自分が声を掛けたら、彼は消えてしまうのではないだろうか。

 

 アキ・ポッターとの信頼、もとい、利害関係は構築できている。目的を同じくする仲間であり、背を預け合う朋友であるとの認識はある。

 だが、彼はどうだろうか。

 

 元来善良で、心優しい彼のこと。できるだけ犠牲を出したくないと、その思想に賛同はしてくれるだろう、などと──そんなものは、セブルスがただ思いたいだけだ。

 彼がセブルスを信じる理由は一つもない。

 彼の『死』後、命日には必ず彼の墓前で額ずき、心からの謝罪と懺悔を繰り返し続け──だからといって、そんなセブルスの行動を、彼は知る必要もないのだから。

 

 棟の先で立ち止まった彼は、ただ眼前の風景を眺めているようだった。都会から少し離れた港町、その高台からは、市中の様子と同時に、遠くまで広がる真っ黒の海が見通せる。

 この屋敷は、若い夫婦が所有していた。新婚旅行に行く暇が無かったと嘆いていたため、今頃は地中海で羽を伸ばしていることだろう。

 

 闇夜に沈む世界は、昼間の喧騒が嘘のように静かで、今まさに戦争が起こっている最中だと思えないほどに穏やかだ。

 屋根の一番高いところで足を止めた彼は、黙って海を眺めていた。セブルスに視線を向けぬまま、彼はそっと口を開く。

 

「……幣原秋の怖いものって、何だと思う?」

 

 問いかけられているのだと、一拍遅れて気が付いた。

 

 ──幣原秋の、怖いもの。

 何だろう。何だって思い浮かぶような気もするし、そのどれもが不正解な気もした。

 

 ただ、セブルスは。

 

「……アキ・ポッターの前でまね妖怪が変身したのは、ハリー・ポッターの死体だと聞いている」

 

 まね妖怪。

リディクラス(ばかばかしい)』で退治できる、力の弱い魔法生物。

 

 学生だった当時は、こんなものの何処を怖がるのかと侮っていた。

 大人になった今、思う。

 ──自らの最奥にある恐怖を晒されるのは、どれほど恐ろしいことだろうかと。

 

 セブルスの言葉に、彼はそっと口元を緩めた。

 

「彼が三年生の頃の話か。リーマスの授業では、そうだったね」

「今は違うと?」

「今の彼が一番怖いものは、多くの人の命が奪われる未来だよ。そしてそれは、ぼくが恐れるものとも重なっている」

 

 そう呟いて、彼はゆるりと左手を上げた。思わずぴくりと反応するも、彼の手の中は空っぽだった。

 そのまま静かに、彼は天を指し示す。

 

 ──一瞬のことだった。

 煌々と輝いていた月が、瞬時に雲に覆われる。

 陰った世界の中、黒黒とした雲は渦を描いては、ある図形を形作った。

 それを見上げてセブルスは、あぁ、と小さく息を吐く。

 

 頭上に大きく広がるのは、髑髏に蛇が巻き付いた『闇の印』だった。

 

「……馬鹿みたいだろ。『黒衣の天才』、英雄とまで呼ばれてさ、最期は国葬までも賜った、そんな男が心の底から恐れるものが、たかがこんなちっぽけな絵だなんて」

 

 自嘲的に、彼は笑う。

 セブルスは、笑えなかった。

 

 彼が手を下ろすと、そのまま雲は霧散する。数度瞬きをすれば、空は普段通りの姿を現した。

 ただただ穏やかに、月は世界を照らしている。

 

 思わず、左腕を掴んでいた。

 そこには、闇の帝王が印した決して消えぬ刻印がある。それは、目の前に佇む彼の左腕も同様だった。

 彼は一体どんな気持ちで、その刻印を刻んだのだろう。

 

 この印はきっと、彼の父母が死んだ現場にも残されていたのだ。

 おそらく彼にとって、この闇の印は『守れなかったもの』と強く結びついている。

 一歩遅れた。間に合わなかった。殺され壊され奪われた。そんな、忌まわしき記憶の旗印なのだ。

 

 彼の髪が、緩く揺蕩う。空を見上げて彼は呟いた。

 

「もう二度と、この印を見ない世界にしたい。そんなぼくの願いを、アキ・ポッターは『必ず叶える』と誓ってくれた。だからぼくは、君たちに賭けようと思っている」

 

 彼の細い背中を見つめ、口を開いた。

 

「……私も誓おう。全てを、必ず守ってみせる。この身を賭けても構わない」

「……別に、賭ける必要はないさ。どうも皆、命やら信念やらを賭けるのが好きだよね」

 

 彼の口調は、少しぼんやりとしていた。

 そっと、彼は続ける。

 

「命も名誉も要らないよ。たかがそんなもので責任を取れると思っている方が興醒めだ。失われたものは決して戻らない。だから自分の身は、大事にしてくれ」

「…………」

 

 リリーとジェームズの死体を最初に発見したのは、幣原秋だと聞いている。

 襲撃により半壊したポッター家は、今もなおゴドリックの谷にて保存され、今は観光名所となっていた。

 真上に闇の印がおぞましく輝く家に踏み込んだ時の彼の心情を、セブルス・スネイプは想像する。

 

 幣原秋のことを理解できているとは、思わない。

 それでも、理解したいと願っている。

 

「……ぼくの側だけ弱みを見せるのは、不公平だ」

 

 どこか遠くを見つめながら、彼は小さな声でそう言った。

 そこでやっと、今の彼の言葉が、彼なりの歩み寄りであったのだと理解する。

 

 自ら弱さを晒すことで、敵でないと示しているとでも言うのだろうか。

 ──彼も随分と、人付き合いが下手になった。

 アキ・ポッターに現世を任せ、引きこもり過ぎた弊害か。

 

「怖いもの、か……」

 

 リリー・エバンズがこの世を去り、そして幣原秋の死を知ってからというもの、まさしく抜け殻のように生きてきた。

 どこにも自分の居場所はなく、どこにいても場違いなようで──かと言って死ぬことも許されない。

 いつ死んでも良いと思っていた。世界の全てが灰色で、何もかもが他人事の人生。

 

 だから、だろうか。

 少し前までの自分には、怖いものなど何もなかった。

 

 今は──

 

「君を、喪うことが怖い」

 

 そんな言葉が、心の奥底から零れ出た。

 

 共に笑い合うことは、望まない。再び友人として隣に立つことは、望まない。

 信じ合い、共に生きる未来は、望まない。

 ただ、生きていてくれている。ただ、ここにいてくれている。

 セブルスはもう、それだけでいい。

 

「…………っ」

 

 セブルスの言葉に、彼は小さく息を呑む。肩を震わせ俯いた、その背中に声を掛けた。

 

「この言葉を、受け取ってくれとは言わない……聞き流してくれるだけで構わない。それでも、言わせて欲しいんだ……生きていてくれて、ありがとうと」

 

 死にたかっただろう。

 生きていたくはなかっただろう。

 誰ひとりとして、殺したくはなかっただろう。

 英雄になんて、なりたくはなかっただろう。

 あんな大掛かりな真似をして、自らの死を偽装して。

 それほどまでに、この世界から消えてしまいたかったのだ。

 

 そんな彼に掛けるには、酷な言葉だとわかっていた。

 それでも、どうしても伝えたかった。

 

「……っ、ぼくは……」

 

 そっと、彼はセブルスに向き直った。意を決したように顔を上げては、眉を寄せ視線を落とす。

 目を伏せた彼は、言葉を探すように奥歯を噛み締めた。

 アキ・ポッターと同じ顔であるというのに、それでもその表情は、ただ、彼だけのものだった。

 

「……ぼくも、君に……伝えたい言葉が、あったんだ」

 

 ぎゅっと、彼が拳を握る。

 怖がるように、迷うように、身体を強張らせた彼は、それでも静かに顔を上げた。

 

「こんな言葉を告げるのに、十七年も掛かってしまった」

 

 不器用でぎこちない、それでも精一杯の笑顔を浮かべ、彼は言う。

 掠れて震えた、囁き声で。

 

 

 

 

「君に、また、会えてよかった」

 




教授、ハッピーバースデー!
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